幕章:それぞれの変化
レイン達が旅立った後、ハヤテは一つの屋敷へと足を運んでいた。
そこは鬼血衆達を入れている屋敷であり、今後の事も含めて閻魔と話すつもりだが、ハヤテ自身はどこか拍子抜けの様な気分でもあった。
(……本当に何も仕掛けて来ぬとはな。それだけ心が折れたか、それとも限界だったのか)
ハヤテは知っている。嘗ての自分達――今の鬼血衆の様な古い忍の恐ろしさを。
ステラ王女に命を助けられた事は確かに大きな影響だったが、恩を仇で返すのも珍しくはなく、寧ろ敵の“甘さ”を利用して当然の様に行っていた。
だからハヤテは監視は付けていたが、今日までの間に何かしらの行動、また数人が脱走して仕掛けてくると思っていた。
――けれど結果、レイン達は無事に里の外へと旅立った。
それがどこか不審に思いながらも、鬼血衆を入れている各部屋、その外に待機する仲間達に声を掛けながらハヤテは閻魔の下へと歩いて行く。
そしてハヤテは見付けた。庭先で車椅子に乗り、監視の忍三名と共に庭にいる閻魔の姿を。
ただの気分転換なのか、少なくとも癒されたと言っても閻魔の場合は禁術の影響が全身に渡っていた事もあり、他の者と違い副作用というべきか身体の自由に支障をきたしていた。
故に監視付きなら庭ぐらい行かせることもでき、ハヤテが庭に入ると監視達も気付く。
「!……頭領」
「ご苦労。――しかしすまんが席を外してくれぬか?」
今から話し合うのは鬼血衆の今後。それ故に、完全敗北だろうが頭領同士の対話に下の者達は不要。
それを察して監視三名は一瞬で姿を消し、残ったのはハヤテと車椅子の閻魔の二人だけとなり、彼の隣までハヤテが移動した時だ。
「……フッ、いつ以来か。こんな平穏な時間を過ごすのは」
閻魔が口を開き、まるで自信を蔑む様に口調で呟いた。
青空で風も優しく、血などの匂いを運んでこない。
周りを飛ぶ鳥も爆破物が付けられた兵器でもなく、池にだって何もない。
ただただ平和、普通の平和だが閻魔達にとっては縁が程遠いものでしかなく、気持ちを理解出来るハヤテも静かに話し始めた。
「どの陣営かは知らんが、妖月戦争に参加していたのだろ? なのに、何故に古き生き方を続けたのだ?」
「……理由などない。戦争に参加はしたが我等は一定の戦果を得て、そして生き残った。それが全てであり、そこからどうするかなど、考えもせんかったよ」
鬼血衆は根っからの忍。幼い頃からの教育も、一人の忍になる為の洗脳教育の様なもので、今では五十過ぎの閻魔も、嘗ては歳が五を超える頃には人を殺めていた。
しかしそれは他の隠密ギルドでも同じ事であり、幼い頃からそんな教育をされてきた者達が、たった一つの戦争で生き方を変えられる方がおかしいのだ。
「戦いに深い意味はない……生き残ったか死んだか、勝者か敗者か、得をしたか損したか。我等も、元凶であった者達も、そんな単純な結果しか求めていないのは貴様も良く知っておろう?」
「……うむ、痛い程にな」
嘗てハヤテ達がアスカリアを裏切り、シュテル公国にも付いていたのはまさに“得”が多かったから。
閻魔の言う通り、そこに深い意味はない。ただ合理的に結果だけを求めただけであったが、その結果が現在の月詠一族。
「けれど、我等はそれでも変わった……変わらざる得なかった。あのまま古き生き方では一族は滅びる。そう判断し、生き残る為に嘗ての自分達を捨てたのだ」
「……そう聞けば、やり方自体は変えていない様に聞こえる。だが生半可なものではなかった筈だ、社会の闇という、こびり付いた“泥”を払う事は」
「……あぁ、確かにな。だからこそ月詠一族内で一丸とならねばならず、たかが泥如きで必死になったものだ」
隠密ギルドで活動している以上、黒い繋がりは必ず付き纏う。
だからこそ泥を落とすのも簡単ではなく、時には血を流す事もあった。
けれど、ようやくここまで辿り着く事ができたのだ。信頼する者達とはいえ外部からの人間・亜人、種族も関係なく里に入れて発展させた。
それで技術・名産品――暗殺等の汚い仕事で喰わなくて済む様になったのがデカい。
それを思い出してハヤテの握る手が強くなっていくのに閻魔も気付くと、そろそろだなと話を移した。
「……これ以上は互いの苦労自慢になりそうだ。――もう本題にしようではないか……要件はなんだ、月詠一族の頭よ?」
「どうせ察しているのだろ? 故に単刀直入に言う――我が“傘下”に入れ。そうすれば全て丸く収まる」
互いに顔を向けず、だが鋭い視線で正面を見据えながらハヤテはそう言った。
傘下に入れば報復も必要なく、完全に下った事を意味しており文字通り、今回の一件は終息する。
彼等の起こしてきた事件も、その関係者を話してくれれば融通も出来るので問題もない。
そもそも鬼血衆側がこれを断る理由も力も既にない。分かり切っている問いでしかなく、敢えてこうしているのも情け、そして嘗ての自分達と同じ道を未だに歩んでいた事の敬意。
「……成程、成程。そういう話という訳か」
ハヤテの言葉に閻魔はわざとらしく相槌を打つが、彼が察していない訳が無い。
ただ素直に受け入れるのが癪なのか、頭として振る舞っている閻魔の姿にハヤテも察してか急かす真似はせず、彼が納得するまで付き合うつもりだ。
「そうだ……もう良いだろ? 時代は変わった。新たな世代に託し、彼等の為に我等の様に変わる時――」
「――断る」
閻魔の声が自分の声を遮った時、ハヤテは一瞬理解が出来ず、時が止まった気がした。
しかしすぐに冷静さを取り戻すと、聞き違いではと思い閻魔へ問いかけた。
「……何と言った?」
「聞こえなかったか?……断ると言ったのだ。お前達の傘下になど入らん」
車椅子を動かし、ハヤテの正面を向く閻魔。その姿は禁術の副作用で一部の肌が黒く染まっているが、ハヤテを見る眼力は鋭利な程に鋭い。
死に体などではない。鬼の牙も角も折れてはおらず、下した筈の相手から溢れ出る闘気にハヤテを思わず後退りさせるほど。
「な、何故だ!? 自分達の置かれた状況を理解していないのか!……それとも誇りか何かか? 確かにすぐに変わるのは難しいが、だが現状を見れば――」
「――変わるだと?……笑わせるな、貴様等の何が変わったと言うのだ?」
閻魔は吐き捨てる様にハヤテの言葉を否定し、動揺しているその瞳を見つめる。
「変わった……若き世代の為……それもこれも口だけよ。貴様等は確かに強く優秀だが、それ故に僅かな粗が目立ってしょうがない。――貴様等、あの魔剣の小僧共の裏切りを始めから知っておったな? だが敢えて放置……否、その命を持って利用したか。その癖に若い世代の為?……片腹痛いわ」
「……まるで他人事の様に我等を責めるが、そもそもは貴様等がショウ達を騙したのが始まりであろう!」
「それは幻魔が勝手にした事よ……あんな若造共、寧ろいなかった方がやりやすかったわ。――まぁ、そもそもは裏切られる程度の者なのよ貴様等はもう」
「――なっ!?」
ハヤテを言葉を失う。これでは一体どちらの立場が上なのか分からない。
けれど、閻魔からは例えこれが理由で己が殺され様とも、それに対する恐れも感じない。
ただただ咎められている。人として、一人の忍として。
閻魔はハヤテを見定める様に見つめ、やがて静かに語り始めた。
「忘れたか貴様等は?……国やギルド、どんな組織という大樹も腐りだすのは上からなのを。力を持ち、慢心する者達は支える“根”になる事を嫌って上へと向かう。だがその結果、己の利しか見えなくなり、腐っているのにも気付かず。やがて枝や葉、そして実と根すらも腐らせる」
――己の皮を剝がしてみよ。本当に綺麗なままなのか貴様等は?
嘘偽りで固めるな。綺麗ごとを行うならば中身を変えてから行え。
閻魔の言葉一つ一つが深く己に突き刺さるのをハヤテは感じるが、不思議と反論の言葉が出せない。
まるで若き頃の自分に厳しさを説いていた歴代の忍達の言葉の様で、身体が無意識にその言葉の重みに屈していたのだ。
「だがしかし……あのセツナと言う小僧の為と言えば、確かにその価値はある。あの小僧は逸材よぉ……それならば邪魔者を利用してでも育てたくなる気持ちは分かる。――それに我等の行ってきた任務も、世間では誇れるものではないのでな。これ以上の問い掛けの代金は払えぬか」
――だがな。
「これだけは言っておく……我等鬼血衆にも誇れる事がある。――それは、我等鬼血衆の中からは一人として裏切り者が出た事が無い事よ」
「……!?」
話は終わったが、そう言って誇らしげに笑みを浮かべる閻魔の姿を見てハヤテは何やら表現できない衝撃を受けた気がした。
規模も、生き方も自分達が上。少なくともこの戦いも、和平の為に動いているのも間違いではない。
なのに何故、ここまで敗北感を感じてしまうのか。
分かり切っていた事だ。レインとグランからも、自身の浅はかさを見透かされていたのだろう。
「……それで、鬼血衆は月詠一族の傘下に入らない。それで良いのだな?」
せめてもの出せた言葉がそれなのも情けない。
だがハヤテは何も言わず、あくまでも自分は相手側の答えだけを聞きに来た。――それだけと思う事にしたのだ。
そして、その言葉に閻魔もゆっくりと頷いた。
「あぁ、我等は貴様等の傘下には入らん」
――ただし。
「セツナ・月詠が次の頭領になるならば話は変わるな」
「なに……?」
ハヤテは動きを止めて閻魔の言葉に耳を傾けると、閻魔は微かに笑みを浮かべる。
「貴様等は何も変わっておらん。だがセツナという小僧は別よ、まだ未熟な部分もあり粗も目立つ。――だが曖昧な可能性ではなく、確かな可能性を感じさせるのも確か。ならばその可能性になら我等も自らを預ける価値もあるというものよ」
「……セツナが頭領になるならば傘下に下ると?」
「あぁ、下ってやろう。一部の者もこちらで説得し、後はそちらの指示に従ってやる」
閻魔はそう返答すると車椅子の方向を直し、再び庭を眺め始める。
そんな余裕を持った態度にハヤテは何も言えず、背を向けながら静かに言った。
「鬼血衆の隠れ里の住人も、この里に住まわせる許可も下す。故にその手の準備の為に再び話を聞きに来るぞ?」
「好きにせよ。もう我等の頭は貴様だ」
思ってもない事を。――ハヤテは内心で思った言葉を何とか呑み込み、そのまま庭から姿を消す。
そして、そんな彼の去る姿を見ていた閻魔は、落ちぶれたとも言えるハヤテ。ここまで影響を及ぼしたレインの事を考えていた。
(……“神導出兵”については詳しくは知らん。だが当時、月詠一族は参加していた隠密ギルドでも被害を最小限で抑えた集団の一つ。それが何故、ここまで道を変えたのだ?)
敗北、壊滅寸前まで追い詰められた隠密ギルドも当時は多く、その後は解散するか他のギルドの傘下に入って存続するに分かれたものだ。
鬼血衆も当時は“妖月戦争”参加はしていたが、最前線という訳ではなくうまく立ち回って被害はそれなりに抑えられた側。
だから最前線で起こったと言われてる“神導出兵”がどれほどのものかは知らず、ただアスカリア側が若き天才達を投入したとしか聞いていない。
(だが、同時にかの国も滅んだとも聞く。偶然ではなかろう、そこで月詠一族は何かを見た。――そして恐怖したのだろう。生き方を変える程に)
――しかし、それも分かっている。恐怖の根源にいるのは“黒狼”だ。
最上大魔剣の一振り――影狼。
長い歴史の中、歴代の“狼”達も使用してきたが大半が碌な死に方をしていないと言われている。
そんな曰く付きの魔剣を二十と少しの若造が使っているが、それでも見えない恐怖と異様さを醸し出すのは魔剣、そしてレインと言う存在。
(月詠一族……貴様等は“黒狼”を恐れている。だからセツナ・月詠を預けたのだろ? 恐れる者の傍で学ばせる、それは息子の才能を信じ、黒狼以上の存在になる事を踏まえて……)
――だが、その時点で腐ってるのだ。自分達の願う姿にしようと、息子に干渉している時点でな。
才能はその個人の物。誰も奪えず、触れてはいけない存在。
その個人だから成長させる事ができ、本当の姿で開花させることができる。だから無関係な者が触れていけないのだ、例え親子でも干渉しまえば果実は腐り、歪んで本来の姿にはならない。
「……しかし賽は投げられた。四獣将に月の王女、そこに三日月を宿す猫が加わった事でどうなるかは分からん。――が、今後のクライアスが楽しみで仕方ないわ」
閻魔は静かに笑みを浮かべるが、その表情はどこか憑き物が取れた様に晴れやかだ。
ようやく時代が変わる。その事を実感できた事に喜びを抱き、ただ無心で青空を見上げるのだった。
♦♦♦♦
そして閻魔がそんな事を考えている頃、当のレイン達は馬車の中で今後の変化について話していた。
「呼び方……?」
「はい! セツナくんも来てくれたので、これからの事も踏まえて呼び方を変えてみませんか!」
疑問を抱くレインに対し、元気に答えるのは発案者でもあるステラだった。
自分達の様にセツナも自分達への呼び方を変えようと、コミュニケーションも兼ねて発案したのだが、セツナは困った様に苦笑しており、グランも難しい様に頭を掻いた。
「呼び方については良いんだが……セツナは俺等の呼び方って普通じゃねぇか?」
「基本的には、さん付けで呼ばせてもらってますから……」
双方の中に“壁”がある訳でもないが、セツナからすればさん付けでも精一杯。
ステラが色々と想っての事で提案してくれたのを察している為、少しでも乗ってあげたい所だが流石にこれ以上はどうしようもない。
「そうでね……じゃあいっその事、呼び捨てで呼んでください!」
「そ、それは流石に……」
私は気にしない。そんな風に気合いの込めた様子で目を輝かすステラだが、性格もあってかそれは遠慮したそうにしている。
すると、それを見ていたグランも可哀想に思ったのか、苦笑しながら助け舟を出してあげる。
「まぁそんなに焦る事もねぇだろ? 人には、その人の色ってものもあるからな。今はゆっくりとしようぜ?」
「そう……ですね。ですが……」
グランの言葉に渋っている訳ではないが、ステラは今後の話題作りなども考えてか何か考える様に黙ってしまう。
そんな彼女の様子を見てグランとセツナは顔を見合わせ、レインは新聞を読み続けている。
だが突然、ステラは何か思い付いた様に両手をパンッと鳴らす。
「そうです! レインの呼び方を考えてみませんか!」
「……なに?」
その提案にレインも新聞から目を逸らして反応した。
「待て……どうしてそうなる?」
「だってレインはセツナくんを預かった身なんですよ? それは謂わば――“師”の様なものです! なら特別な呼ばれ方をした方が互いの距離も縮まると思いませんか?」
「思わない」
レインはステラの言葉を一蹴し、しょんぼりするステラを放置して再び新聞を読み始めようとする。
――だが、不意に視線を感じ取り、横を向いてみるとセツナが自身を見ている事に気付いた。
「……なんだ?」
「あっ……その……」
レインの言葉にセツナは我に返った感じだが、その表情は照れくさそうにしている。
まるでステラの提案が満更でもないかの様に。
「……ちょっとだけ、呼びたい言い方もありまして」
「おぉ、あんのなら良いんじゃねぇのか?」
「そうですよ! レインなら多分、許してくれます」
(呼び方次第だがな……)
グランとステラが楽しそうにしているが、レイン本人は新聞に意識を戻して好きにさせる事にした。
ハッキリ言えばどうでもよく、好きにさせれば不満もないだろう。そんな事を考えで放置したレインは『難民の違法町増加問題』・『不審者五人組、出没注意』の記事を読んでいた時だった。
「ア、アニキ……」
「――むっ?」
何やら声がレインの耳に届く。自分に向けられた言葉の様で聞きやすく、確かに自分へと向けられていると分かった。
そして、その声も分からない筈がない。レインがゆっくりと隣を向くと、何とも言えなさそうな表情を浮かべながら自分を見ているセツナと目が合った。
「アニキ?……まさか俺の事か?」
「えっと……はい」
その言葉にレインの動きが一瞬止まり、グランとステラはなんでその呼び方なのか気になっていた。
「アニキって、兄貴分的なあれか? 少し意外だが……」
「何か思い入れみたいなのがあるのですか?」
隠密ギルドのエースであり、沢山いる弟・妹のいる長男。
そんなセツナはどちらかと言えば上にいて下の者を引っ張て行くイメージがあるが、セツナ自身は抱く想いとは違っていた。
「その……憧れていたって言いますか。僕の事を引っ張っるっていうか、本当の意味で学ばせてくれる存在に憧れていまして……」
セツナにとって歳が近い範囲、それで望む存在は里にはいなかった。
無論、幼い頃に見たレインの姿がセツナに刻まれている事も大きいが、憧れだけで選んだわけではない。
幻魔との戦いを見てセツナは思った事があった。
――この人について行ってみたい。
それが興味本位からか、ただ力や技術を学びたい向上心から来ているのかは分からない。
だが付いて行き、何が見られるのかという欲求は確かにあった。だからセツナ自身は、ハヤテが手を回さなくても自分の意思で付いて行こうとしたと分かっていた。
「まぁ気持ちは分かるな。信頼できる兄貴分ってのは男の中じゃ憧れのようなもんだ。――良いんじゃねぇのか?」
「はい! そういうのが大切です!……でも、レインは大丈夫ですか?」
グランもステラもノリノリだったが、当の本人はとステラが問い掛けたがレイン自身も諦めた様子で頷いていた。
「……好きにさせた以上、受け入れない権利はない」
「じゃあ、それって……?」
「好きに呼べば良い……」
セツナからの言葉にレインはそう言うと、再び新聞を読み始めた。
呼び方なんかに意味なんかなく、それで本人がやりやすくなるなら否定する理由はない。
そんな事を考えながら『港都市の領主重体』やら『名のあるギルドの女性ギルド長。下着を盗まれ危うく挙兵』等の記事をレインは読んでいると……。
「それじゃあ改めて……お願いしますアニキ!」
「……!」
慣れない呼ばれ方に少し困惑気味な表情を浮かべてしまったレインだが、そんな彼をグランとステラは楽しそうに見守る。
四人となった和平への旅。色々な変化がある中での旅だが、そんな彼等の乗る馬車を見ている存在にレイン達は気付く事はなかった。
♦♦♦♦
レイン達を乗せて走る一台の馬車。それを離れた場所、そして見下ろせる高い木の上で佇みながら見ていた者が一人いた。
割れた龍の面を付けし忍――幻魔だった。腕を組み、何かを考えている様に黙って風に靡かれながら見ていた時だ。
『おやお~や? ここでストーカー行為している悪い忍は……お~や! 幻魔殿ではありませんか!?』
背後から掛けられた能天気、そして敢えて逆撫でする様な言葉に幻魔は振り返る事はせず、馬車から目を離さず答えた。
『貴様か……サーカス』
『えぇえぇ!どうもどうも!』
楽しそうに答えながら幻魔の隣の木。その上に現れた男――サーカス。
その姿は一言で言えば“道化師”であり、服装も敢えての異常性を感じさせ、顔の仮面は半分泣き・半分笑いの左右非対称の仮面。
全身をそんな物で包み込んでおり、一切の露出もない。唯一露出しているのは髪ぐらいであるが、その髪もまるでハリネズミの様に後ろへと向けて刺々しく、髪色も“虹色”故に普通の所が一か所もなかった。
そんなサーカスだが幻魔の見ている物が気になり、木のてっぺんで片足、前屈みという見ている側が冷や冷やする様な態勢で馬車を捉えた。
『あ~れは馬車ではありませんか!? まさかまさか? もしかして……か、ら、の!!――任務失敗ではありませんか幻魔殿!?』
『……あぁ。どうやらぬるま湯に浸かっていた自覚もない程、私は鈍っていたようだ』
『う~わ言い訳! 素直に失敗しましたが何故に言えん!』
サーカスは追求するかのように、そしてわざとうざい言い方で幻魔を指差しながら身体をくねらせていたが、幻魔が無言で手裏剣を出した事で両手で口を閉じた。
『……相手が悪かった。――とは言いたくはないが、四獣将があそこまで戦えるとは思ってもみなかったのだ』
『……四獣将ねぇ。つ~まり! ステラ王女を逃がしたって事、雇った連中もしくじったから“粛清”しちゃう感じですか!?』
『クククッ……それも考えたが、鬼血衆如きに時間を取られる訳にもいかなくなったのだ。――どうやらサイラス王は、こちらとの密約を破った訳ではないようだ』
その言葉にサーカスも奇妙な動きを止めた。
『どゆこと?……だって四獣将護衛に派遣して、近衛衆や合成魔物から王女を守ったって話でしょ?』
『どうやらただ暗殺を命じられている様ではないと見た。本来ならば、この後にアスカリア城へ向かう予定であったが、その必要もなくなったな。――無駄な任務もご免だ。後はアスカリアの貴族共が勝手に動くであろう』
『ちょっと待った、命じられてる?……つまりどっちが?』
何やら察した様子のサーカスだったが、幻魔は小さく笑うと姿を消してしまう。
『ちょっ――そこまで喋ってお預けはないでしょ~!?』
幻魔が消えた場所へ腕を伸ばすサーカスだが、消えた後だから待つ以前の話。
お預けを喰らい、サーカスはモヤモヤしながら深い溜息を吐きながら小さくなってゆく馬車へ視線を向ける。
『や~れやれ。まぁ今回は助かってはい終わり!――って訳じゃなし、大変だねぇ狙われるって。――けど、所詮は遅かれ早かれの世の中』
――まぁ四獣将クラスなら、ギルド長も満足しそうだねぇ。
仮面の下で笑っている。それが分かる程にサーカスは楽しそうに呟くが、何故か妙な不気味さを醸し出していた。
そして、馬車が見えなくなる頃にはサーカスも姿を消し、それぞれが次への動きを始めようとしている事には、少なくともレイン達はまだ知らない。