僕は悪くありません
「ちょっといいかな」
弁当を食べ終わってスマホをいじっている僕の肩を、営業部長の島原さんがいきなり叩いてきた。
「あ、はい。大丈夫ですけど」
手元のスマホを隠しながら僕は応えた。
「悪いね、昼休憩中。少しばかり個人的な話になるのだけど」
歯切れが悪そうに島原さんが言うので、僕は思わずあたりを見回した。みんな昼飯を食べに出かけているのが影響して、営業一課のフロアには僕と島原さんしかいなかった。
「君、Youtuberやってるだろ。『カニ塩』ってハンドルネームで」
島原さんは近くの席に腰かけるやいなや、そう言ってのけた。咄嗟になんて返事をして良いものか分からなかった。島原さんの指摘が図星だったせいだ。
たしかに僕は、自分の名字である『西岡』のアナグラムである『カニ塩』というハンドルネームで、オカルトラジオ系Youtuberとして三年ほど前から活動している。
元々、子供の頃から都市伝説や怖い話が好きだったのもあって、現状には満足している。サラリーマンとYoutberの二足の草鞋。ネタ集めは大変だが、日々増加していくチャンネル登録者数を眺めていると、仕事の疲れなんて簡単に吹き飛ぶ。
「(どうしてバレたんだろう。誰にも言っていないし、顔出し配信もしていないのに)」
部長を相手に下手な嘘はつけない。それは分かっている。けれども気恥ずかしさのせいか、それとも叱責を受けるかもしれないという怯えのせいか、どうしても言葉に詰まる。
そんな僕を値踏みするかのように、島原さんはじっとこちらを見つめてくる。ラグビー選手さながらの体格。四十半ばに差し掛かっても中年太りとは無縁のからだつきに、僕はただならぬ威圧感を覚えた。
「はい、その、おっしゃる通りです。三年前ぐらい前からやってます」
とうとう観念して、僕は素直に白状した。
叱責が飛んでくる。いや、呆れられてしまうだろうかと、気が気でなかった。
だが、そんな僕の心配をよそに、島原さんは表情を綻ばせると豪快に笑った。
「そうか。やっぱりそうか。実は数ヶ月前に君のチャンネルをたまたま見たんだよ。声を聴いて、もしかしたらと思ったんだ。それにしても、三年でチャンネル登録者数が八十万とは、なかなかやるじゃないか」
「え? あの、怒らないんですか?」
戸惑い気味に尋ねると、島原さんは意外そうな顔で言った。
「どうして怒る必要があるんだね。ウチの会社は副業を許可しているし、それに反社会的な活動内容でもないしな。Youtuberという存在に対して白い目を向けてくる奴らなど、気にするな」
「ありがとうございます。それにしても意外です。島原さん、Youtubeを御覧になられるんですね」
「営業マンたる者、流行には常にアンテナを伸ばしておかないと。それで西岡君。君が人気Youtuberだということが判明したうえで、お願いしたいことがあるんだ」
「なんですか?」
「実は、息子が家出してしまってね」
飼っていたインコが逃げたんだよ、みたいな調子で島原さんは口にした。
「家出ですか」
「昨日のことだ。妻が買い物から帰ってきたら勝手口のドアが開いていて、息子が消えていたんだ」
「警察には?」
「連絡済みだが、正直、どこまで真剣に捜索してくれるか分からない。それで君の力を借りたいというわけだ」
他ならぬ部長の頼みだ。平社員の僕に断れるはずもない。息子さんが行方不明という予想外の話に多少面食らったものの、僕は話の先をうながした。
「分かりました。具体的には何をすればいいんですか?」
「君の動画チャンネルで息子の捜索を呼び掛けて欲しい。息子の顔写真はこちらで用意するよ。もしSNSをやっていたら、そっちも活用してくれ。それじゃ、頼んだよ」
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その日の夜。
会社から帰宅した僕は、さっそく動画作成にとりかかった。
「二十三歳で家出か。どうしようもないな」
独身の僕には分からないが、社会的地位に恵まれた人でも、複雑な家庭事情とやらを抱えているものらしい。
島原さんによると、息子の勇作さんは地元の高校を卒業後、県外にある自動車部品メーカーに就職したという。
だが、昨年の暮れに理由も告げずに会社を辞めてしまい、それからずっと家に引きこもっていたようだ。それ以来、親子関係がぎくしゃくしてしまっているらしい。
『もしかしたら、勇作は自殺を考えているのかもしれない』
眉間に皺を寄せて、少しばかり懊悩とした表情になる島原さんの姿が、動画作成中に何度も脳裡をよぎった。
字幕に当てる声に、いつも以上に力が入った。利害なんて関係なく、純粋に誰かの為に行動するなんて、社会人になってからは初めてのことだ。その事実に、僕は高揚感のようなものを感じていた。
動画内容の雰囲気がいつもと違うのもあって、配信直後のコメント欄の反応はイマイチだった。
それでも二時間ほど経過すると視聴回数はあっという間に三万回に到達し、コメント欄にも好意的な書き込みが目立つようになった。
「よしよし、いいぞいいぞ」
SNSも活用して欲しいという島原さんの要望に沿って、僕はYoutubeから一旦離れるとTwitterを開き、動画内容を要約した文言を入力しはじめた。
勇作さんのフルネームに、身長、体型、髪型、その他の身体的特徴、家出した当時の服装。本人が行きそうな場所についても島原さんから聞いていたから、これも記入する。
最後に、ガリガリに痩せた勇作さんの顔写真を添付し、投稿ボタンをクリックした。
Twitterのフォロワー数が六十万人ともなると、拡散スピードは目を見張るものがある。リツイートの通知は一向に止まらず、勇作さんの個人情報が、あっという間に世界中へばらまかれていった。
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効果はてきめんだったようだ。
動画を配信した翌朝。TwitterのDMに視聴者から情報提供が三件も寄せられてきた。
それぞれの提供者と軽いやりとりをして情報の中身を精査したところ、どうやら勇作さんは昨晩から今朝にかけて、最寄り駅の沿線を徘徊していたようだ。
島原さんが言っていた『息子の行きそうな場所』に、その駅がピックアップされていたから、彼の推測は正しかったということになる。
「電車に身投げでもするつもりなのかな」
そんなことをぼんやり考えながら、島原さんの会社用携帯に電話をかけた。
事の次第を報告している最中、電話越しでもはっきりとわかるくらい、島原さんが焦りを募らせていくのがわかった。
「助かる。今からその目撃情報があった場所に行ってみるよ」
それだけを言い残すと、電話は一方的に切られてしまった。
てっきり警察へ連絡するものと思っていたから、島原さんの行動力には、正直かなり驚かされた。
まぁ、それだけ息子さんの身を案じているのだろう。そう考えると、特段気にするようなことでもない。
その翌日のことだ。
出社すると、島原さんがニコニコと笑みを浮かべて、僕の肩を軽く叩いてきた。
「ありがとう。君のおかげで、無事に息子を連れ戻すことができた」
話によると、どうやら勇作さんは一晩中、沿線を徘徊していたらしい。目撃されていた地点から数百メートル離れたところで、うずくまるように座り込んでいたところを、島原さんが発見して保護したとのことだった。
彼が自殺を考えていたかどうかは、最後まではっきりとしなかった。
とにかくこれで、全ては解決したのだ。僕は安心すると同時に、自らの行動が誰かの役に立ったことに、たまらない快感を覚えていた。
だがそれも、月日が経つごとに徐々に薄まっていった、そんなある日のことだ。
突然、島原さんが逮捕された。
容疑は殺人罪。
被害者は、勇作さんだった。
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報道は日を追うごとに過熱さを増していき、島原さんのプライベートを徹底的に暴露していった。事件発覚から一ヶ月が経過した今でも続いている。
島原さんが僕に話してくれたことは、なにもかもがデタラメだった。
勇作さんは就職などしていない。高校卒業も嘘である。
そもそも、彼の出生届すら役所には提出されていなかったというから、驚きだった。
警察の調べとマスコミの発表によると、勇作さんは生まれた時から知的障害を患っていたらしく、それを『恥』と受け止めた島原夫妻は、勇作さんを社会的に抹殺することを決心したようだった。
人として生きる権利を剥奪された勇作さんを待ち受けていたのは、日常的な暴力の連鎖だった。
虐待。
島原さんは、僕の肩を気軽に叩いたあの大きな手で、実の息子である勇作さんを殴ったり、熱湯をかけるなどしていたのだ。
奥さんも一緒になって虐待に加わっていたようで、ご飯もろくに与えず、学校にも通わせず、ペット用の小さなケージを寝床として与えていたようだ。
勇作さんの死因は栄養失調による衰弱死だった。発見時の体重は二十キロ程度しかなく、遺体のあちこちに青黒い痣が刺青のように広がっていたという。
仕事のストレス発散のために虐待をしていました――警察の調べで、島原さんはそれだけを口にして以来、ずっと沈黙を貫いている。
そのせいで、彼がどういう人となりなのか調べようと、マスコミがウチの会社の前でカメラを構えているなんて事態が、今でも続いている。
勇作さんは家出をしたのではない。きっと逃げ出したんだろう。両親の下から自由になりたくて。
でも、それは叶わなかった。
警察に捜索を依頼したと島原さんは言っていたが、それも当然、嘘だった。
虐待の事実が明るみになるのを恐れて、島原さんは何も知らない僕を利用した。彼の計略に嵌った僕は、勇作さんの人生を破滅へ追いやるための片棒を、まんまと担がされたのだ。
その結果として、Youtube活動に支障が出るようになってしまったのは、痛かった。
SNS時代の特徴だ。一度拡散された情報は、化石のように眠りにつくことを許されない。いとも簡単に掘り起こされるだけでなく、情報の根源もたやすく割り出されてしまう。
事件を知った不特定多数の人々は、僕が勇作さんの捜索を呼び掛けた動画やツイートを、電子の海から拾い上げるやいなや、魚拓をとり、ばら撒き始めたのである。
僕のTwitterやYoutubeのコメント欄は瞬く間に炎上し、こちらの身元も住所もたやすく特定された。一日に何百件ものアンチコメントが付くようになり、『お前は犯罪者だ』であるとか『この共犯者野郎』であるとか、そんな心ない侮蔑の言葉に晒される毎日を送っている。
他のYoutuberたちも、こぞって僕と事件のことを絡めて、面白おかしくでっち上げた動画をアップしては、再生回数を稼いでいる。
僕を擁護するような内容の動画は、皆無だ。挙句の果てには『チャンネル登録解除祭り』なるものが開催され、八十万あった登録者数も、今では七十五万まで落ち込んでしまった。
けれども。
だけれども。
そんな状況にあっても。
僕は事件のことを、遠くの国の出来事のように感覚していた。
事情を知らない人たちが勝手なことを言っているだけだと割り切ることで、僕は僕自身のネット上における行動を現実の意識から切り離そうと試みた。それはひどく健全でまっとうな判断に思えたし、ある種の防衛手段でもあった。
なにより、僕だって被害者なのだ。
たしかに勇作さんの死に繋がる行動をしてしまったが、頼まれたからやっただけだ。
良心をいいように利用されてしまった僕の心情を、もっと世間は汲み取るべきではないのか。
だいたい、拡散に加担した不特定多数の人々は、どうだというのだ。
結果的には彼らも、勇作さん殺害の遠因を作ったと言えるだろうし、責任があるはずだ。
だというのに、世間は僕ばかりを悪者に仕立てあげようと躍起になっている。これは本当に、嘆かわしいことだと思う。
そんな僕の傷ついた心を代弁するかのように、擁護してくれる書き込みが最近になってちらほらと目立ち始めた。当然、僕の目は自然とそちらへ吸い寄せられていった。
『カニ塩さんは別に悪い事なんかしてないだろ。騙されただけなんじゃねーの?』
『おまえらしつこすぎ。責めるべきは犯人だろ』
『カニ塩さん可哀想……早く戻ってきてください!』
『ファンです。動画待っています。活動自粛なんてしないでください』
もちろん、そんなつもりはないから安心してほしい。
「さて、適当に謝罪動画をあげておくかな」
預金通帳に振り込まれた退職金の額を計算しながら、ぼんやりと段取りを考える。
僕の心は、凪のようにどこまでも穏やかだった。
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