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シンシア

 

 数時間後。


 任命式の会場は、大騒ぎになっていた。


 ヴラドは内心でほくそえみながら、いかにも今来たそぶりで、宮殿に入る。


 と。



「ヴラド公、身柄を拘束させていただきます」



 彼の部下である龍騎士団の副長が、近づいてくるなり無表情でそういった。


 ヴラドは驚いて怒鳴る。



「なんだとっ! どういうことだ!」


「残念ですが、公務ですので」



 取り付く島もない。


 すると騒ぎの中からヨハンが現れる。その表情は苦渋に満ちていた。



「ヴラド公、あなたのたくらみは、すべて露見した。あなたとは友人だと思っていただけに、残念でならない」


「ヨハン! カンテミール公! 誤解だ! 何かの間違いだ!」


「見苦しいぞ、ヴラド!」



 そう声を上げたのは誰あろう、皇帝ジギスムントその人である。


 皇帝の登場に、一同は膝をついてこうべをたれた。


 驚愕に凍りつく、ヴラドを除いて。



「龍騎士団の団長にまで取り立ててやった恩も忘れ、余の命を狙うとはな。あきれ果てて、言葉も出んわ。貴様が人間の副官を使うことを面白く思っていないのはわかっていたが、まさかここまで馬鹿な男だとはな」


「陛下のお命を? 誤解です! 陛下! 誤解です!」


「痴れ者が」



 それだけ言うと、ジギスムントは王宮の奥に姿を消す。


 変わりに、ヨハンが悲しそうな顔で答えた。



「ナディアに薬を飲ませ、陛下のお命を狙ったことは、調べがついているんだ。僕も知らなかったのだが、シンシアは、陛下がわれわれの中に潜ませ、われわれを見張る役目をおおせつかっていたんだよ。君は一番選んではいけない人間を選んでしまったんだ」



 自分がシンシアに狙わせたのは、ヨハンだということを言おうとしたヴラドの言葉を、別の人間がさえぎる。涼やかなその声の持ち主は、嘲笑を浮かべて現れた。



「私を陛下の命を狙う逆賊にしようなんて、とんでもないことを思いつく男ね。あなたは知らなかったでしょうけれど、シンシアは、本当にヨハン様との間を取り持ってくれていたのよ」



 言いながらその人物、ナディアはヨハンの腕を取る。ヨハンはその手に自分の手をそっと重ねた。シンシアがナディアに言ったのは、本当のことだったのだ。



「シンシア……くそっ! 人間がっ! 人間ごときにっ!」


「そう……その認識が、君の過ちの根本なんだろう。人間とわれわれは違う生き物だ。それは動かしようのない事実だ。肉体的にも、その他の部分でも、われわれが人間より優れていることは、今でも確信している」



 自分をにらみつけるヴラドに向かって、ヨハンは穏やかに語る。



「しかし僕はシンシアによって、人間のことを見直す機会を与えられた。人間はほかの動物と違う。我々と同じく思考する能力があるんだ。自我があり、理性がある。ならば我々はよきパートナーとして、今まで以上によりよい関係を築くことも不可能ではないだろう」


「馬鹿なっ! 人間など、ちょっと目端の利く、犬猫と同じだ」


「ヴラド、僕もかつてはそう思っていた。しかし、今は認識を改めたんだ。何事も、凝り固まった考えを持ち続けていては、本当のことは見えてこないんだよ」


「うるさいっ!」



 叫んだのが、ヴラドの最後の言葉になった。


 彼の元の部下たちに両脇を抱えられ、ヴラドはつれてゆかれる。彼の今後は、考えるまでもないだろう。先に述べたごとく、皇帝ジギスムントは苛烈な粛清を持って、人々に知られているのだ。


 その後ろ姿を最後に、二度と誰も、ヴラドに会うことはなかった。


 




「シンシアは、やっぱりあなたを愛しているのね」



 穏やかな口調でナディアが言うと、ヨハンは不思議そうな顔をした。



「そうなのかい? 僕はちっとも気付かなかったが」


「あなたは、そういうことに鈍感ですもの。シンシアが取り持ってくれなかったら、私の気持ちなんて知らなかったでしょう?」


「何か裏があって、僕に近づいてきてるのだと思っていた」


「ひどい人」



 言いながらナディアは、ヨハンの腕をつねる。


 と。


 こんこん。


 ノックの音がした。



「どうぞ」



 ナディアが答えると同時に、シンシアとジュリア、それに執事のセバスティアンが入ってくる。


 ジュリアはナディアを見ると、急いでシンシアの後ろに隠れてしまった。


 それを見て、ヨハンが苦笑する。



「ねえ、ナディア。君のこれから一番大変な仕事は、ジュリアの誤解を解くことだね」



 ナディアは肩をすくめると、うなずいて答える。



「仕方ないわ。自分でまいた種ですもの。時間はあるのだし、ゆっくり仲良くなってゆきます。ところで、今日はみんなおそろいでどうしたの?」



 その言葉に、セバスティアンが進み出た。


 がっちりとした体躯のたくましいこの若者は、いつもの筆頭執事らしい無表情からは想像もつかないほど優しい表情で、心持ちほほを赤らめて上気しながら、それでもはっきりと男らしい声で言った。



「だんな様、お話があります」


「なんだい?」


「シンシアとの結婚をお許しください」



 一瞬の間。


 やがて真っ先に奇声を発したのは、新しい家族のナディアだった。



「まぁ! なんてこと! すばらしいわ!」



 それから、こちらも珍しく顔を真っ赤にして立っているシンシアに向かって、優しい意地悪の混じった表情で声をかける。



「まったく、シンシアったら、肝心なことはいつも隠してるのね?」


「申し訳ありません」


「何を謝っているのよ。こんな素敵なことないじゃない。ねえ、あなた」


「まったくだ。しかし、よかった。ナディアの言葉を鵜呑みにして、シンシアにちょっかいをかけてしまうところだった」



 ヨハンの冗談に、みんな声を上げて笑う。


 ナディアは笑いながら、シンシアに言った。



「なるほどね。あなたがヨハン様とカンテミール家を守りたかったのは、ヨハン様のためじゃなくて、セバスティアンのためだったのね」


「いえ、それは……」



 珍しくしどろもどろのシンシアを見て、ジュリアがまたほほを膨らませる。



「ナディア様、お願い! シンシアさまをいじめないで!」



 その言葉に、みな驚いて固まった後、思わず吹き出した。


 ナディアはしゃがんでジュリアの顔を覗き込むと、優しい顔で言う。



「ごめんなさいね。でも、本当にいじめているわけじゃないのよ? こんな素敵なだんなさまができるって言うから、ヤキモチをやいて、ちょっとからかってしまっただけなの。心配しないでね?」



 それを聞いて安心したのか、ジュリアは大きく何度も首を縦に振ると、ようやくいつもの笑顔を取り戻した。そのあと家族は、このめでたい話を肴に主従関係なく、おいしい食事と美酒に酔った。


 ジュリアの、 「こんなにおいしいものを食べられるなら、毎日、誰か結婚しないかなぁ」 の言葉に笑ったり、ヨハンが先ほど言った、 「シンシアにちょっかいを出してしまうところだった」という言葉をナディアがからかい半分で責めたりと、幸せな時間が流れる。



 やがてチェスの勝負に興じ始めた男二人を放っておいて、上等のぶどう酒でほほを染めたナディアは、ジュリアを寝かしつけてきたシンシアの傍らによると、またからかった。



「もう、あなたにはすっかりだまされたわ。てっきり、ヨハン様が好きなのだと思っていたのに」


「覚えていらっしゃるかはわかりませんが、実は私、ヨハン様をお慕いしているなんて、一度も申し上げたことございませんのよ?」



 しばらく考えてから、ナディアはにっこりと笑った。



「確かに、言われてみればそうだわ。わざと誤解させるような言い回しは、あったけれど」


「申し訳ありません」


「謝ることじゃないわ。それにしても、まさかセバスティアンとはねぇ」


「ヨハン様もお美しいとは思いますけれど、伴侶にするならやはり、一緒に歳を重ねてゆける人がいいです。ヨハン様は、眺めているだけで充分ですわ」


「あら、喜んでいいのかしら。ヤキモチを焼くべき?」


「ふふふ、ご自由にどうぞ」



 そういって二人は、うれしそうに笑う。


 ヨハンとセバスティアンは笑い声に一瞬こちらを見たが、すぐにまた盤上に目を移し、勝負に没頭し始めた。その様子を見て、ナディアが肩をすくめる。



「男は勝負に生き、女は恋に生きるってところね」



 すると、シンシアが首を振った。



「いいえ、それは違います」



 え? と小首をかしげたナディアに向かって、シンシアは輝くような笑顔で答えた。



「女は恋に生き、それから、愛に生きるんです」



 その笑顔は、誰よりも幸せで、まぶしかった。




―――了―――


 

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