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ヨハンとヴラド

 

 一方、シンシアの予想通り、ギガ家の屋敷に到着したヨハン。


 彼はギガ家の当主とともに、ほかの大大貴族たちと話し合いの席を持っていた。


 話の内容はもちろん、人間を手下にして大貴族の転覆を図る、不届きな謀反むほん貴族への対応策だ。



「確かに、似たような話は、私も耳にしたことがある」



 当主ヤニス・フォン・ギガが真っ白なひげをいじりながら、うなずいた。


 若き狼ヨハン・フォン・カンテミールは、無言のままうなずいてヤニスの話の続きを促す。



「平等だのパラダイスなどという話は、人間を利用するための方便だとしても、彼らを操る貴族がいることは間違いない。というより、確実にいるのだ」


「と言うと、その連中の正体もわかっていると?」



 ヨハンの問いに、ヤニスはムッツリとうなずいて答えた。



「ジギスムント陛下」



 その名に、全員が凍りつく。


 ジギスムントの名は、ルクセンブルク朝の神聖ローマ帝国の歴代皇帝の中にある。彼は神聖ローマ皇帝・カール4世の子であり、ドイツ王ととももにハンガリー王も兼任した人物である。


 龍騎士団と言う、王室や十字架を守る騎士団を作ったことでも知られる。


 団員はハンガリーの貴族や国外の名士ら24人。その中には悪魔公ヴラド二世、通称ドラクルも含まれていた。このドラクルの息子が、ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)こと、かの有名なドラキュラ伯爵である。


 ドラキュラという名は、小ドラクル(龍)の意だ。



 話を戻そう。



 神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは1437年に没した。


 が、しかし、みなが背中を凍らせたのは、このすでに亡くなった人物のせいではない。


 ジギスムントというのが、『現在の皇帝の名』だからだ。


 カンテミール家を含め、大貴族たちの頂点に立つのが、皇帝である。



 のちに『審判の日』と呼ばれる地球の生態系の大変動、正確に言えば、『人類の上に立つ新しい種族』が誕生してから、この星は帝国の名の元にひとつに統合された。


 人類は自分たちではついに成し得なかった世界統一国家を、地球生物ランキング第二位に落ちてから、はじめて見ることになったのである。


 新たに出現した『貴族』は、人類のできることはすべて出来、なおかつ数倍する強力な体力と知能、そして長寿を有していた。


 彼らの作る帝国の中で召使めしつかいの地位に甘んじる以外、人類生存の選択肢がなかった。


 そして、『貴族』たちは、厳しいヒエラルキーを好んだ。


 人類との明確な身分差だけでなく、彼ら自身の中にさえ、一般貴族と大貴族という巨大な身分の差が存在する。そして、そのヒエラルキーの頂点に立つのが、帝国皇帝なのであった。


 もちろん、この帝国は、かつての神聖ローマ帝国とは、微塵の繋がりもない。


 しかし、皇帝の有する力をかんがみれば、血脈の有無を語ることはむなしいだろう。


 現在の皇帝は、龍騎士団と言う名の騎士兵団を有している。この兵団の武力は圧倒的で、今ここに集った大大貴族たちがその私兵のすべてを集結しても、戦力は半分にさえ満たない。


 歴代皇帝(とはいっても寿命の長い彼らであるから、いまだ、三代を数えるまでしか居ないのだが)の中でも現皇帝であるジギスムントは、己に反するものを激しく弾圧し、厳しい粛清を下すことで知られる。


 ゆえに貴族たちは彼の名を、恐怖とともに口にするのだ。



「ジ、ジギスムント陛下が、人類と我々の平等を願っておられると?」



 あまりのことに言葉を失った歴々の中で、いち早くそう反応したのはヨハンであった。


 ヤニス・フォン・ギガは黙ってもう一度うなずく。


 とたんに、一同は堰を切ったように話し出した。



「まさかっ!」


「陛下が、なぜ?」



 異口同音に発せられるその問いに、しかし、答えるものは居なかった。 いや、ひとりだけ、にやりと笑った者がいる。青白い顔をしたその人物は、ゆっくりと進み出ると、穏やかな低い声を出した。



「一同、お平らに」



 瞬時に騒ぎは収まり、みなの目がその人物に向く。


 と、誰かがつぶやいた。



「串刺し公……」



 つぶやきに、その人物は顔をゆがめた。



「ツェペシュ(串刺し)と言うのは、やめていただきたいですな。それならむしろドラキュラの方がまだ、幾分なりとも好感が持てる」


「ヴラド公、あなたは皇帝の真意をご存知か?」



 ヨハンの問いに、彼と同じほど若い、ドラキュラ伯爵と同じ名を持つこの若者は冷笑を浮かべた。



「過分にも龍騎士団の長などという大役を任されてはいますが、私はしょせん軍人です。陛下の深いお心など、残念ながらわかるべくもございませんな」


「しかし、陛下の覚えめでたい貴公なら、何か……」


「どちらにしても!」



 強い口調でそう言いながら、片手を挙げて一同を制すると、ヴラドはさらに皮肉な顔で言う。



「陛下のお心を勝手に推察してあれこれ言うのは、感心できかねます」



 龍騎士団長といえば、いわば警察と軍のトップとでも言うべき役割である。そう言う役職にある者に、こういう論調で来られては、だれも口を開けなくなるのは当然の成り行きだった。



「ではありますが」



 だから、ヴラドが口を開いたときも、他に言葉を発する者はいなかった。



「皆様の不安なお気持ち、当方、良く理解しているつもりであります。私ごときの見解でよろしければ、ご披露いたしましょうか?」



 無論、是非もない。



「陛下は常々、国政を担う重圧に耐えかねるとおっしゃっております。無論、神聖帝国の皇帝であらせられますから、陛下の統治能力が劣るなどとは、私を含めた皆様ご一同、微塵の疑いを挟むものではないと考えますが」



 ジギスムントが歴代三人の皇帝の中で、最も統治能力に欠け、且つ、芸能や美食など統治以外の遊蕩に興味を深く持っていることは周知の事実である。もちろん本人においても。


 だからこそ彼は、常に部下を疑い、疑わしきは罰し、苛烈な粛清を行うのである。


 ジギスムントの行き過ぎた弾圧や粛清は、彼の自信のなさの裏返しなのである。



「ひとつの惑星すべてを統治するとなると、これは常人には考えられないほどの重圧があることは、われわれにも理解できます。そこで陛下は、このたび、選帝侯制度を実施されるお考えを、われわれ側近にお漏らしになられました」



 選帝侯とは、かつて神聖ローマ帝国において用いられていた制度であり、七人の強力な自治権を持つ『選帝侯』と呼ばれる領主が、皇帝を選出するという多頭政治である。


 もっとも、あまりに強力な自治権を持つため、14世紀のローマ帝国は選帝侯の元に分裂したのだが。



「古代のローマ帝国の轍を踏まぬよう、選帝侯の自治権は制限されることになりますが、この令が発布されますれば、陛下の下、七人の選帝侯が、世界を分割統治することとなります」



 つまり、ていのいい責任転嫁である。


 自分は放蕩三昧を楽しみながら面倒な責務のみを選帝侯に代行させ、しかし、彼らに自治権は与えないという、なんともジギスムントらしい自分勝手な話だ。


 とは言え、それをこの場で指摘するほど愚かな者は、一人もいない。


 ヨハンも苦虫を噛み潰したような表情で、ヴラドの話を聞いているのみだ。



「さて、ここからが問題なのですが、陛下は、この選帝侯につける副官の一席に、人間をあてようとお考えになっておられます。このたびの人間ども云々の騒ぎは、この話を聞きつけた貴族の誰かが扇動したのではないかと考えられます」



 しばしのどよめきの後、 みなを代表してヤニスがあきれた声を出す。



「つまり、人間どもの前にぶら下げたエサは、本物だったということか」



 それ以上批判がましいことも言えず、彼らはみな、黙ってため息をつくしかない。


 その様子をおかしそうに眺めながら、ヴラドは話を継ぐ。



「もっとも、側近の中にも人間を使うことに反対しているものは多いので、今すぐとか必ずとは言いかねますが、少なくとも陛下の頭の中には、そういうお考えがあるということだけは、承知しておいていただいても損はないものと思われます」


「して、選帝侯はどのようにして選ばれるのでしょう?」



 誰かが、みなの一番気にしていることを口にした。


 ヴラドはにやりと唇の端をゆがめると、肩をすくめた。



「もちろん陛下の一存であられます。何せ、七人分しか席はありませんから、側近のお歴々が埋めることになろうかと」


「ヴラド公は、その中に入られるのでしょうな?」



 言った男は、早くも追従ついしょう笑いを浮かべている。


 みっともない男だと、ヨハンは苦々しげに思った。



「さて、どうでしょう。あ、そうそう。側近の方だけでなく、ここにいらっしゃる皆様にも、一人分の席が用意されているようなことは、おっしゃっておられましたな」



 ヴラドの言葉の効果は絶大だった。


 彼らは当初の議題を忘れ、出世と保身のための話し合いに夢中になる。誰が選帝侯に選ばれるのか。誰につけば、保身できるのか。


 そんな話し合いがなされる中、ヨハンは一人、そっと席を立った。


 もともと己の才覚と力量で今の地位を得たヨハンにとっては、興味の薄い話題であったからだ。人間を集める貴族たちの目的がはっきりとわかった今、もう、ここに用はない。


 当主のギガに挨拶を済ませると、ヨハンは表に出た。


 と。



「カンテミール公、少しよろしいですかな?」



 振り向くと、ヴラド・ドラキュラが青白い顔で立っていた。



「これはヴラド公、どういったご用向きでしょう?」


「大切な話があるのですが、ここでは少々……」


「では、我が家へおいでください」



 皇帝のお気に入りにして、こちらも腕一本でのし上がったヴラドであるなら、仲良くしておくのもよいだろうと打算したヨハンは、自分の車にヴラドを乗せ、邸宅へと向かった。


 巨大な車の後部座席でシャンパンを空けながら、邸宅に着くまでの道すがら、彼らは軽い雑談をした。


 満月の淡い光に照らされるヴラドの顔は、端正とは言いがたい。


 が、肉のそげた厳しく引き締まった顔立ちは、ヨハンの好みにあった。


 もっとも、好みといっても男色的な意味合いではなく、ほかの大大貴族のように、脂肪にゆるんだ醜さがないのが好ましい、という話である。


 ヨハンは自分にも厳しい代わりに、他人にも厳しい一面があった。


 もちろん、シンシアやジュリア、セバスティアンなどの人間の召使たちのように、利害関係の伴わないものに対しては、その限りではないが。



 やがて車は、屋敷に到着した。


 ナディアがいることを聞かされると、ヨハンは彼女を別室に下がらせるように言いつけ、ヴラドとともに応接室へ入った。そこでシンシアの持ってきたコーヒーを前にし、ようやくヴラドは用件を切り出した。



「先ほどの話の件なのですが、実は、陛下に於かれましてはヨハン・フォン・カンテミール公こそ、選帝侯にふさわしいというお考えがおありのようでして。そこで小心者の私といたしましては、公と友好を深め、保身のための布石を打っておこうと考えた次第であります」



 無論、後半は冗談である。



 ヨハンも確かに、若くしてその才気をみなに認められてはいたが、彼と同年代にして龍騎士団の団長を務めるヴラドには及ばない。


 しかし、ヴラドが彼と友好を深めようといっているのは、あながち冗談とはいえないだろう。


 おそらくヴラドは選帝侯につくつもり、もしくはすでにつくことが決まっているのだ。


 そこで、同じく選帝侯に選ばれるだろう(と、彼の考える)ヨハンを、仲間に取り込んでおこうと考えているにちがいない。そう考えるのが、ヴラドが近づいてきた理由として最も合理的だ。



(つまり、私が選帝侯に選ばれるというのは、かなり信憑性が高いというわけだな)



 もちろん『選ばれるかもしれない』くらいは考えていたが、こうして現実的な話になってくれば、やはりヨハンとしてもうれしい。世界に七人しかいない選帝侯になるということは、自分と同列にたった六人、そしてその上には皇帝しかいないと言うことになるのだから。


 世界が見えてきたな。


 と、ヨハンが思ったとしても、大げさとは言えないだろう。


 彼とてもやはり、野心に満ちた一人の男なのである。



「まあ、選帝侯云々はともかく、同年代の方と友好を深めるのは、私もやぶさかではありません。力をあわせれば、諸先輩がたの迷惑にならないくらいの働きは、できるやも知れませんしね」



 おそらく彼ら以外の選帝侯は、皇帝の側近の老人たちが占めるだろう。


 そのとき若いもの二人が手を組んでいれば、海千山千の老兵たちの姦計にも、充分対抗できるだろうという意味を、言外に含ませたのである。


 ヨハンの予想通り、ヴラドはにやりと相好を崩した。


 ヴラドにしても、ヨハンの回転の速さを確認できたことは収穫といえる。若い、血統だけのぼんくらでは戦力にならないどころか、こちらの足を引っ張られる可能性もあるのだから。


 選帝侯になったときの強力な仲間を得たふたりは、その後、胸襟を開いて歓談した。


 別室に待たされているナディアはすっかり忘れ去られていたが、彼女は彼女で、シンシアとの協力体制の強化に余念がなかったので、怒って応接室に駆け込んでくるようなこともなかった。


 夜は穏やかに過ぎていった。



 

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