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シンシアとナディア

 

「もう、ほんっと、頭にくるっ」



 ジュリアがかわいらしい顔で憤慨しているのを、ヨハンは微笑ましく見ている。



「ジュリアは、ナディアが嫌いなんだね?」



 貴族に対して好きだ嫌いだなどと、人間ごときが言えるものではない。


 遅まきながらそれを思い出したのか、ジュリアははっとして、固まってしまった。



「ふふふ。いいよ。僕もナディアは好きになれないんだ。どうも、何か裏を持って、僕に近づいているような気がしてね。個人的な好悪をあらわすなんて、一族を束ねる長としては、あまりほめられた事ではないけれど」



 ヨハンの言葉に勇気付けられて、ジュリアは強くうなずいた。



「どうしてあの方は、シンシアさまに意地悪するのかしら」


「きっと、シンシアがあまりにきれいだから、悔しいんだろうね」


「それだけじゃないですわ。あの方はヨハン様が好きなんですのよ。だから、いつもおそばにお仕えするシンシアさまに意地悪するんだわ」


「でも、ジュリアには意地悪しないだろう?」


「私は子供だから」


「でも、ジュリアだってシンシアに負けないくらい、きれいだよ?」



 ヨハンの言葉に、ジュリアは真っ赤になってうつむく。


 そばにいたシンシアが、真剣な表情で言葉を発した。



「ヨハン様、私たちはどうしたらよろしいでしょう?」


「なにがだい?」


「ナディア様のおっしゃる話が本当だとしたら、私たち人間をおそばにおくのは、あまりよい事とは申せません。ですが、ヨハン様のお世話をするものは必要ですし、何より、私自身はヨハン様にお仕えしたいのです」


「ふふふ、だったら話は簡単じゃないか。シンシアもジュリアも、今までどおり僕のそばにいればいい。君らが潔白であることは、誰よりも僕がよくわかっているのだから」



 ジュリアはその言葉を聞いて素直に喜んで瞳を輝かせたが、シンシアの表情は晴れない。


 自分が、ヨハンの敵にとっての大きな弱点になりはしないかと、おもんぱかっているのだろう。



「シンシア、僕を見くびってもらっては困るよ? 僕はこう見えて、敵対する者には容赦しない冷酷な人間だからね。君やジュリアを薄汚い戦いに巻き込もうなんてやつらがいたら、徹底的に思い知らせてやるさ」


「ヨハン様……」



 シンシアは深々と頭を下げた。


 ジュリアはうれしそうに、ニコニコと笑っている。話の意味は半分ほどしか理解できなくても、ヨハンが自分たちを守ってくれるというセリフが、うれしくて誇らしかった。


 ヨハンはそうしてメイドたちと歓談していたが、やはりナディアの持ってきた情報が気になるのだろう。しばらくすると外出の用意を命じた。


 二人のメイドがいそいそと準備している間に、何本かの電話を入れて、会議の招集をかけたようだ。



「じゃ、ちょっと出てくるよ。帰りは遅くなるかもしれない」


「行ってらっしゃいませ」



 深々とうなずいた二人に手を振ると、ヨハンは夜の闇の中を、巨大な車に乗って消えていった。


 その後ろ姿が見えなくなるまでお辞儀をしてから、メイドの二人は顔を上げてお互いを見る。



「ヨハン様、どこに行かれたのかしら」


「ほかの大大貴族様と、人間と組んで悪いことをする貴族のことを話し合うために、どこかのお屋敷へ向かったのでしょう。こちらから行かれるところを見ると、きっとギガ家のお屋敷じゃないかしら」


「貴族と人間が一緒に悪いことをするなんて、信じられない」


「悪い人はいるのよ。貴族にも、人間にも」



 そんな風に話し込んでいた二人の前に、一台の大きな車が滑り込んできた。車についた紋章はカンテミール家のものだ。


 ヨハンの親戚筋がやってきたのだろうと、シンシアはそばによって対応しようとする。ジュリアは心得たもので、さっさと家の中に戻り『お客様の到着』を筆頭執事のセバスティアンへ知らせに走った。


 車の中から出てきた人物は、しかし、先ほど帰ったはずの女性だった。



「ヨハン様は?」



 切り口上で言ったのは、ナディア・フォン・カンテミールである。


 シンシアは思わず身を硬くして、それでも動揺を悟られないように自制しながら、淡々とした口調で返した。



「当主様は、お出かけでございます。何時に戻られるかは、残念ながら、存じておりません」


「それなら、お帰りになるまで、待たせていただいてよろしいかしら?」



 よろしいかと疑問形で聞いてはいるが、彼女の中ではもう決定事項のようだ。


 逆らうわけにも行かず、シンシアは黙って頭を下げると、玄関先へ案内する。


 ようやく駆けつけたセバスティアンへ目配せすると、心得た筆頭執事は黙ってナディア先を取り、応接室に案内した。その合間にシンシアはキッチンへ赴き、お茶とお菓子の準備をする。


 三種類のお茶と七種類のお菓子を銀製の盆に載せると、ジュリアと二人でそれを応接室へ運んだ。


 応接室ではナディアが、壁際に立つセバスティアンを黙殺しながら、ソファに陣取って誰かと電話をしている。


 テーブルの上に盆の上のお茶やお菓子を移すと、シンシアはそのままそばに立って、電話の終わるのを待った。お茶のポットには小さな超音波発振装置が仕掛けられているので、冷めてしまう気遣いはない。


 やがて電話を切ったナディアに向かって、シンシアはこの家のしきたりどおりのセリフを口にする。



「本来であれば、家人の何某かがお相手をつかまつりますところではございますが、なにぶん当家には、当主のヨハン様以外、貴族様がおられませぬ。お許しいただきますよう」


「だったら、あなたが話し相手になってくれない?」



 間髪いれず答えたナディアの言葉を、シンシアはすでに予想していた。



「かしこまりました。私ごときでよろしければ」



 ナディアはにやりと笑って、目の前のソファを勧めた。



「あなたとは、一度話し合っておきたかったのよね」



 無言で頭を下げるシンシアに、ナディアは言葉を継ぐ。



「二人で話したいんだけど?」



 言葉の意味を瞬時に理解したシンシアは、ジュリアとセバスティアンに目配せして人払いする。


 ふたりが奥に姿を消して、本当に二人っきりになったとたん、ナディアは砕けた口調で話し出した。



「ねえ、シンシア。あなたが私を嫌うのはわかるわ」


「私は、嫌ってなどおりません。私ごときが貴族様に好きだの嫌いだの、恐れ多いことです。恐れながら、ナディア様の方がむしろ、私を嫌っておいでなのだと、存じます」



 ナディアは、ふうとため息をついて言った。



「そう……そうね。ヨハン様のそばにいるあなたに、大なり小なり悪意を抱いていたのは、確かに私の方だわ。醜い嫉妬だと、笑って頂戴」


「いえ、とんでもない。恐れ多い事ながら、もし私がナディア様の立場であれば、やはり私のことを気に入らないと思います。いつもヨハン様のおそばにお仕えしているのですから」


「ふふふ、ありがとう。みっともないヤキモチだとは自覚しているんだけど、あなたみたいにいつもヨハン様のおそばにいられたら、どんなに幸せだろうなって考えると、ついつい、意地悪したくなるのよ」


「お慕いしていらっしゃいますのね」


「ええ、とても」



 ナディアは、にっこりと笑って素直に答えた。



「でも、口幅ったいことではありますけれど、ヨハン様も、ナディア様の本当の心を知れば、きっとナディア様に惹かれると思いますわ」


「どうして? 私はヨハン様に嫌われているわ」



 シンシアは、優しい顔で答える。



「ヨハン様がナディア様を本当に嫌ってらっしゃるのか、私にはわかりません。でも、もしそうだとしても、嫌うというのは好くのと同じくらいエネルギーが必要です。そして、嫌われるというのは、少なくともあなた様は、ヨハン様と同じ舞台にいるということなのです」


「同じ舞台?」


「ええ。私などは、結局、ただの人間ですから、ヨハン様にとっては便利な道具でしかありません。いえ、もちろんヨハン様は優しくしてくださいますが、それは私たちが犬猫をかわいがるのと同じことなのです」



 ナディアは、驚いてシンシアを見た。


 シンシアは言葉を継ぐ。



「ナディア様。私は、いつまでもお若くいられるあなた様をうらやましいとも思いますし、時には憎く思うことさえあります。でも、それ以上に、ヨハン様の伴侶になられるお方は、あなた様を置いて他にはいらっしゃらないとも思っております」


「シンシア……」



 ナディアはいまや、憎しみのかけらもない、限りなく素直な表情でシンシアを見る。



「本当に今までごめんなさいね。私、人間なんて、しょせん私たちとは違う生物だって、いつも思っていたの。もちろん、生物としては違うものだけど、でも、ただそれだけのことなのね」



 シンシアは、黙ったまま穏やかに微笑んでいる。


 ナディアも、ひどく優しい気持ちで話を続けた。



「力が強かったり、長く生きるからといって、私たちが人間より優れているとは言えないんだわ。誰かを想う気持ちは同じだし、その気持ちが届かないつらさも同じ。貴賎も、優劣もないのね」


「そう言っていただけると、とてもうれしいです。人間を代表して、ナディア様の寛大なお心にお礼を申し上げます」


「やめて、当たり前のことなんだから」



 ナディアは、無邪気に笑った。シンシアも、微笑む。


 ふたりの種の違う生物は、わかりあえた喜びに、瞳を輝かせているようにも見えた。



「でも、こうしてあなたと話してみて、人間と組んで平等を訴えようとする連中の気持ちが、少しわかったような気がするわ。もちろん、ヨハン様は決して誰にも傷つけさせない、って気持ちには変わらないけど」


「もちろんです。私たちが貴族様と違うとか平等だとか、問題はそんなところじゃなく、彼らがヨハン様に敵対してること。注意すべきは、その一点だと私も理解してます」



 シンシアの言葉に、ナディアはうなずく。


 それから、急にいたずらっぽい顔になって言った。



「それにしても、女二人を悩ませていながら、きっとヨハン様ご自身は何もお気になさってないのでしょうね。ああ、悔しい。時々、あの美しい顔を、ズタズタにしてしまいたいと思うときがあるわ」



 ナディアの言葉に、シンシアは声を上げて笑った。



「まあ、怖い。ナディア様ったら。でも仕方ありませんわ。ヨハン様はお忙しい方ですもの。古来より殿方は、お仕事に生きるものと相場が決まっておりますからね」


「シンシア、それは違うわ。殿方は欲望に生き、女は恋に生きる、というのよ」


「ふふふ、恋に生きる、ですか。素敵な話ですけれど、私には縁がありそうもありません」


「そうなの? ああ、そうね。ヨハン様のおそばにいるんじゃ、たいていの男は眼中にないわね」


「私は、おそば仕えできるだけで、充分幸せです」


「そうでしょうねぇ……あ、そうだ! ね、シンシア。こうして仲良くなれたからには、私とヨハン様とのこと、協力してね?」


「う~ん、積極的にはしたくないんですけど、わかりました。邪魔はしません」


「あら、ひどい」


「ナディア様こそ」



ふたりは顔を見合わせて、屈託なく笑った。



 

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