序節
幼い頃から外に出る時は誰も付き添わなかった。
何人か同時に出かけたとしても帰ってくれば人数が減っていたりもした。
食べられるものを持って来いと言われて、手ぶらで出かけては集めたものを全身に抱えて穴倉に潜った。
持ち帰ったものが多ければそれだけみんなが温かく迎えてくれたから。
成長していく中でそれが自分の一生だと思っていた。
その人に会うまでは。
「今日も行ってきます」
はっきりとした声を響かせて目の前に座る老人に笑顔を向けた。老人はちらりとこちらを見ると頷くように顔を小さく下げ、穴倉の中心に向き直った。
彼が目を向ける先には小さな子供が数人駆け回って遊んでいる。その傍らには白く長い髪をなびかせる少女がいて、こちらの目線に気づくとニコリと笑って手を降ってくれた。僕もそれに向かって手を振り返して、光の差した穴倉の出口へと登っていく。
集落の人間は穴倉と呼ばれる地中に暮らしている。そこから出るものは多くなく、殆どの人間は穴倉で生まれて穴倉で死んでいくらしい。
僅かな例外として穴倉から出る人間がいて、それがスカベンジャーと呼ばれる人間たちだ。彼らは穴倉の外へ、生活に必要な物品や食料などを求めて穴倉周辺の世界を歩き回る。
穴倉は土に囲まれたいかにも洞窟と呼べる場所で、上下左右すべての壁と天井が岩と呼べる固い土塊でできており、植物が生えることもないらしい。当然そこに人間以外の原生生物などいるはずもなく、そういった生物や植物を食料として持ち帰ることもスカベンジャーの役割だ。
とはいえ成果は約束されてるわけではない。時には収穫が少ないこともある。そんな時は恨みがましい視線を向けられるのだがそれも仕方ないと割り切っている。
スカベンジャーは誰もが慣れるものではない。穴倉から先の外の世界には一部の人間以外は出れないのだと言われている。僕は時間を気にせず外の世界を歩けるが、長年スカベンジャーをしている大人でも外の世界に半日もいれば死んでしまうらしい。自分のような人間はそれこそ貴重だということだ。
現役の大人がいた頃は自分も外を遊び歩くような気楽さがあったが今はそうではない。大人たちはみな何らかの理由で引退しており、穴倉の食糧事情を僕が一手に担っているからだ。子どもの中で外に出れるものがいないかと協議しているようだが、今のところ自分一人でどうにかなっているんだからと止めている。
大人でさえ死んでしまいかねない環境に子どもを送り出すなんて、心が痛むだろうと思うから。
しばらく歩いて植物が荷物を埋め始めた頃に、青々とした草原の中で足を止めて周囲を見渡した。
おかしいな、と感じていたのはどれくらい前からか。この辺りには野生の動物がそれなりに駆け回っているはずだ。
それがどうしたことか、今日は一匹も姿を見せることがない。別に食物としては植物だけでも賄えるのでかまわないのだが、動物の肉は健康を保つ上で欲しい食材でもあるし、毛皮や牙なんかは日用品に加工して使うことも出来る。
今日この時だけ動物がいないのなら問題はないが、もし何か異常が生じているのならどうすればいいだろうと悩むことになった。動物の絶対数が減ってしまうと今後の生活に少なからず影響が出てくることは目に見えているからだ。
もしかしたら動物同士が縄張り争いなんかをして数を減らしているのかもしれない。その縄張りだけ確認していこうと歩く方向を変えた。
草原の奥には、鬱蒼と生い茂る森がある。
多くの人は森のなかには入らない。穴倉からそれなりに遠いということもあるが、迷いやすいという事情もある。
自分のように長時間の探索ができる人間か、道を覚えられる目聡い人間でもないと道の判別は不可能と言っていいだろう。
足元を見ると、くるぶし辺りまで伸びた雑草が皮サンダルを履いた自分の足で踏みつけられている。先程までの道も雑草を踏んできたはずなのに、一方白の雑草は踏まれたことなど忘れているかのように強く天に向かって伸びている。
こんな風に自分が通った道がすぐ元通りになるのはまだ易しい方で、ひどい時には数分前に通ってきたはずの道が草で様変わりしていたり動物の死骸が転がって目印どころではなくなってしまう。僕も帰りが遅くなるのは良くないと、歩数と方向を数えながら見える景色と照らし合わせてゆっくりと進んでいった。
動物の縄張り……その中心、巣とでも言えばいいか。狼と呼ばれている四足歩行の肉食獣が住処にしているはずの場所には異常な光景が広がっていた。
見慣れない人間がそこにおり、その足元には赤く汚れた衣類や荷物などが散らばっていた。
それだけではなく元は生物だったであろう――おそらく人間の――肉片も散らばっており、ここで『なにか』があったことは想像に難くなかった。
こんな光景を見たら普通は逃げ出すのだろう。だけど自分の足はそこから全く動くことはなかった。魅入られたようにその光景を眺めていた。
真っ赤に染まった肉片の大地に立つその人は血など一滴も浴びておらず、長くゆったりした衣類に一切の汚れが見られない。
それよりも目を離せなかったのは、足元にいたここを縄張りにしている狼達だった。まるで彼に懐いた愛玩動物のように、威嚇も攻撃もせずそこに佇んでいる。
その狼達も足元さえ赤く汚れているものの体には血を浴びている風でもなく、その人と狼達がまるでこの世界の存在でないかのように輝いて見えた。
「君は、ここの近辺に住んでいるのかな」
思考を取り戻して聞いたその声は。
とても優しい、穏やかな声音だった。