11 大泉汀の迷走?②
それから大泉の話が始まった。園村と矢島と私の三人は彼の話に耳を傾ける。彼はまず『天地明察』の話を始めた。
江戸時代、安井算哲(後の渋川春海)は将軍に囲碁を教える家に生まれたものの、彼には出世欲もなく、ただ好きな事をしていた。
彼は算術と星の観測に夢中になるあまり周囲が見えなくなる事も多かった。そんな中、将軍の後見人である保科正之から暦の誤りを正す役に抜擢される。
当時、日本では宣明暦と言う中国で作られた雇用身を使っていた。しかし、この暦はもともと中国で作られたものであり、また八六二年作られてから八百年余り経ち、だんだん本来の暦とのずれが大きくなっていた。
そのため、暦を元にして農作業する事が難しくなっていた。そこで安井は当時中国で使われていた授時歴に基づいて、自らの算術と星の観測による補正を加えて、日本初の暦となる貞享暦を生み出した。
この暦は江戸時代を通じて日本の暦の基礎となり、その後も何度か補正されながら、明治六年に日本で太陽暦であるグレゴリオ暦が使われるようになるまで使われ続けた。
「何それ? そんなの『天地明察』を読んで、ちょっとネットで調べたら、分かる事ばかりじゃない…。私も『天地明察』を映画で見たから知っとるし…」
「ちょっと、東雲さん。それは言い過ぎじゃない?」
「言い過ぎ? 園村君は大泉君の肩を持つんだ。そうか…」
「イズミン、次は太陽暦の話をしてくれよ。あれは『天地明察』よりスケールが大きいだろう? そうすれば、さすがに東雲さんも天文学と暦の関係を認めるだろうから…」
「そうだな。矢島。次はユリウス暦とグレゴリオ暦についての話をしよう」
「ちょっと、待って。私、トイレに行ってくる!」




