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海と私と君とカニ

作者: 天川 七

 輝く太陽が恨めしい。私は白い砂浜をゴムぞうりで踏みしめながら、空を睨んでいた。

 今日は臨海学校の日。私の高校では二年生に進級すると必ずこの授業が行われる。そのおかげか、どの生徒の顔も浮き立つように華やいでいた。

 この日のために下ろしたという新品の水着を身に着けて、海を泳いでいるクラスメイト。波しぶきを浴びて輝く姿が心の底から羨ましい。そう思うのは、せっかく水着を着たのに、私だけは海に入れないからだ。

「そんなとこにいないで、春子(はるこ)もおいでよー」

「冷たくて最高! それっ」

「ぎゃあぁ、いきなりかけるなよ!」

 楽しそうな輪の中から呼びかけてくれた友達に、私は片手を立てる。

「ごめん。私風邪ひいちゃったみたいでさ、寒気がしてるから海に入るのは止めとくよ」

「そうなの? 残念だね。じゃあ、後でビーチバレーするからその時に遊ぼうよ」

「水着の上に何か着てたら? あったかい恰好してたほうがいいよ」

「うん、そうする。その辺を散歩でもしてくるね」

 私は海に飛び込んでいく友達に手を振って、潮風に背を押されて砂浜を歩き出す。楽しそうな声が羨ましくて仕方ない。風邪を引いたなんて大嘘なのだ。

 




 嘘なのか本当なのか確かめようもないけれど、曾祖母の話では母方の先祖に人魚がいたそうだ。そのせいなのか、母方の家系に生まれた子供はその性別が女である時に、不思議な力を身に着けていることがあるらしい。ある者は足を尾びれに変え、またある者は肌の一部に鱗があったという。そして私に与えられた能力というのが、海の中では魚のように呼吸が出来ることだった。

 それも不思議なもので、プールやお風呂ではそれが出来ず、海という限定がつくのだ。息継ぎが必要ないというのは楽だが、不自然さを誤魔化すのは難しい。その秘密を隠すために、私は家族以外がいる場所では、絶対に海に入らないようにと言われていた。

 しかし人魚の血が渇望しているのか、海に来てからというもの、無性に泳ぎたくて仕方なかった。気をそらさないと、ふらふらと足が海に向かってしまいそうだ。

 波音が悪魔の誘惑に聞こえる。

「明日も耐えなきゃいけないなんて……まさに生き地獄」

 ぼやく声にも力がない。岩場までくるとさすがに人気がなかった。私は程よい高さにあった岩に座ると、足先で砂を撫でてみる。素直に形を変えるのが面白い。ふと思いついた絵をそのまま書いてみた。

 まず、魚と珊瑚を周りに出現させて、大きな真珠貝を真ん中に。

 その中に女の子を書き足す。

 次に顔と身体、足のかわりに尾びれを書いていく。

 いつの間にか夢中になって細かく鱗を書いていると、誰かが噴出した。

 頭を上げるとクラスメイトの阿部(あべ)君が、真っ黒に日焼けした顔に白い歯を見せていた。

「そんなに笑うことないじゃん。そりゃあ、絵心はないけどさ」

 自分でも幼稚園児並みの絵だと思う。下手したら負けてるかもしれない。まじまじ眺められるのも嫌だから足でこすって消してしまう。誤魔化せないことはわかっているが、すました顔で『え? なにかありましたか?』と空気を装う。

「それで誤魔化したつもり? あー笑える!」

「そこは見なかった振りをしようよ。それが優しさってもんだよ」

 私が文句をつけると、絶対に悪いとは思ってない顔で謝られた。それにしても、阿部君の周囲に人は居ない。彼もグループで行動していたはずだ。それなのにどうして一人でいるのだろう?

「阿部君はこんなとこでなにしてるの?」

「あぁ、海の生き物探してる。そしたら、柊木(ひいらぎ)を見つけたから声をかけようと思って」

「そして爆笑したと?」

「悪かったよ」

 からりとした謝罪に、怒っているのも馬鹿馬鹿しくなる。私は隣の岩場を叩いた。

 阿部君には言わずとも伝わったようだ。バケツを足元に置いて、私の隣に腰を下ろす。

「泳がないのか?」

「そっちこそ」

「オレは部活でさんざん泳いでるから」

 そう言われて、彼が水泳部に所属していたのを思い出す。塩を含んだ風がふわりと吹いて、二人の髪を手荒く撫でていく。

 乱れた髪を手で直しながら、私はバケツの中をのぞき込む。そこには小さな海があった。なだらかな砂丘には海水が半分ほど浸かり、浜辺と見立てられた場所に爪先ほどの小さなカニが二匹、横切って行く。

「カニなんてよく見つけたね」

「イソガニって名前。石の下とかによくいるんだ。それに、味噌汁に入れると旨い」

「まさか、お昼のバーベキューで食べるつもり!?」

「こんなちっちゃいのに食べないよ。これじゃあ、出汁も取れない」

「なんだぁ、びっくりした」

「オレは柊木の発想にびっくりだよ」

 頭の上で食うか食われるかの会話をされているというのに、子ガニは平和そのものだ。自分より大きな石の下に隠れようと奮闘している。

「こうやって見てると可愛いかも」

「だろ? 癒されるよなぁ」

 そんな風に和んでいると、遠くから誰かが彼を呼ぶ。

「おーい、蓮司れんじこっち来いよ。ビーチバレーするってさ!」

「わかった、すぐ行く! ──柊木も一緒にやらない? 海じゃないからいいだろ?」

「そうだね。バケツ持ってもいい?」

「いいよ」

 私はバケツを揺らさないように持ち上げて、阿部君の後を歩き出す。砂に出来ていく足跡は、夏を刻んでいくようだった。





 その日の夜、近くの旅館では枕投げや恋バナで盛り上がるクラスメイトの姿があった。しかしそれも二時間もすれば、ぱたぱた眠りに落ちていく。いくら楽しくても一日中遊んでいたのだ。皆疲れていたのだろう。

 六人で一部屋ずつ与えられた狭い寝床で、私だけが眠れずにいた。遠くに海の波音が聞こえている。呼ばれている気がして眠れないのだ。私は静かに掛け布団をめくると、気分転換に部屋を出ることにした。

 あてもないまま廊下を歩く。締め切られた襖の奥から、誰かの野太いいびきが聞こえてくる。教師も十二時近くにもなれば眠りに落ちているのだろう。

 足音を立てないように廊下をすすんで、取り合えずトイレに落ちつく。電気をつけて洗面所の前でため息を落とす。

 耳元から離れない波音に、落ち着かない気分になる。

(いっそのこと、旅館を抜け出して海に泳ぎに行っちゃおうか)

 少しくらいならバレないだろうか? だが、身体を濡らせばもう一度お風呂に入らなければいけない。皆が寝静まる中、荷物を漁っていれば見つかってしまう。

 そこまで考えて、ようやく頭が冷えた。行きたい気持ちはあるが、実現は無理だ。

 私は頭を軽く振って、馬鹿げた考えを振り払う。

 かつて、沢山の人魚が海の中で暮らしている時代があったと、曾祖母が言っていた。しかし人間の発展が進むにつれ海は汚され、人魚は住み家を脅かされるようになった。だから、人魚は自分達を守るために陸に上がる道を選んだのだと。

 その結果、私の祖先は代を跨いで人間に溶け込み、血と共に人魚としての特徴も少しずつ薄れさせていった。おかげで私には自前の足があり、普通よりだいぶ泳ぎが上手いだけの人間として生きていられる。

 頭の中で波音が響く。

 それは人魚の血が海を恋しがっているのか。

 それとも海が消えた人魚を求めているのか。

 永遠に解けそうにない謎を抱えて、私は踵を返した。





「今日は少し波が高いので、念のため深い場所で泳がないように!」

 引率の先生はそう締めくくり、私達を解散させた。自由時間は午前中で、昼前にはバスで学校に戻ることになっているのだ。

 友達が我先に競うように海に駆け出して行く。心残りを残さないように時間ぎりぎりまで遊ぶつもりなのだろう。岩場から海に飛び込んでいる姿も複数見えた。私は今日も海には入れないので、友達にはあらかじめ別行動することを伝えていた。

 昨日教えてもらったイソガニや、持ち帰れそうな綺麗な貝殻を探してみようと思っていた。

 波に濡れない場所で、しゃがんで手の平ほどの石をひっくり返していると、背中をとんとんと叩かれた。振りかえると、腰をかがめた阿部君が右手を上げた。

「よっ、柊木。今日も入らないのか?」

「うん。阿部君はひと泳ぎしてきたみたいだね」

 私は立ち上がると、彼の姿を眺めた。頭の先から足まで濡れている。しかし、雲もないような天気だから、すぐに乾いてしまうだろう。

 ふと、阿部君が昨日のバケツを持っていることに気付く。

「もう泳がないの?」

「いや、もう少し泳ぐつもり。だからこれ、柊木がもし必要なら貸そうかと思って」

 ゴーグル付きの頭を掻く阿部君の厚意に、私はぱちりと瞬いた。彼はわざわざ私の為にバケツを持って来てくれたらしい。

「……あ、ありがと」

「……おう。昨日のカニまだいるし、後で一緒にこいつ等の友達さがしてみようよ」

「……うん」

 変な間を開けてのやり取りに、お互いに照れ笑いする。阿部君は私にバケツを手渡すと海に勢いよく走って行った。

 羨ましさにじりじりしていた心が、今はとてもほっこりしている。浮きたつ気持ちでバケツを覗けば、二匹のカニが私を見上げていた。

 その時どこかで騒がしい声が上がった。

「あいつ溺れてないか!?」

「あれって、佐奈(さな)じゃない!」

「誰か、先生呼んできてぇっ」

 男子生徒が指差した先には、女子生徒が必死に手をばたつかせていた。しかし、その姿は潮の流れに乗ってどんどん沖から離れて行く。

 その時、走りだした阿部君が飛び込んで行った。クロールで泳いで女子生徒の元まで向かう。しかし、その間に彼女の手が海の中に消えてしまう。

「蓮司、急げ!」

「頑張って阿部君っ!」

 そんな声に背中を向けて、私は走り出す。岩場の影まで走り寄り、その勢いのまま海に飛び込んだ。そして、魚のように泳ぎ出す。

 大きく手と足で水を掻いて、人目のない海の底近くを懸命に泳いで進むと、すぐにふたりの姿を見つけた。彼女は意識を失って、海の底深くに落ちていく。阿部君はそれを追いかけて行くが、海が深過ぎて呼吸が苦しそうだ。

 私は下から猛スピードで彼女に近づくと、その身体を抱え上げて阿部君の元に連れて行く。彼は水中でもわかるほど驚いた顔をしていた。

 彼女の差し出しながら、上を指差す。

(早く上がらないと、戻れなくなる)

 阿部君は頷いて、彼女を支えながら一緒に上に向かって泳ぎ出した。私も半分支えて浮上していく。海面の光が近づくと、彼に完全に引き渡す。そして二人の傍を離れる。

 彼は慌てた様子で手を伸ばしてくるが、私は首を振って身を翻す。海底に向かって泳いでいくと心が落ち着いてきた。まるで母の胎内に戻った赤ん坊のような心地なのだ。身体を丸めて、ずっとこのままたゆたっていたくなる。

 波音に身体が溶けていくようだった。徐々に瞼が重くなっていく。

『柊木っ』

 ふと、声が聞こえた気がした。

『どこだよ? どこに行ったんだ?』

 誰かが私を探している。

『戻って来い──春子!』

 自分の名前を呼ぶ声に、私は我に返った。海の誘惑に負けて、正気を失っていたのだ。慌てて水を切るように泳いで、岩場まで一息に戻る。

 水面に顔を出すと、遠い歓声が聞こえる。二人共無事に戻れたのだ。私は足の突く場所から岸に上がり、貼り付く髪の毛を絞りながら砂浜を歩き出す。

 途中でバケツを拾って、パラソルの下に行くと、ばったり友達と会う。彼女は興奮した様子でまくし立てた。

「ねぇ、聞いた? さっき溺れた子がいたんだけど、阿部が助けたんだって。さすが水泳部のエース!」

「それで騒がしかったんだ? 溺れた子は大丈夫だったの?」

「うん。先生が念のため病院に連れてったって」

「そうなんだ。助かって良かったね」

「ほんとそうだよね。ところでさ、春子泳いできたの?」

「ちょっとだけ。寒くなったから後悔してるとこ。このままじゃ風邪引きそうだし、もう止めとくよ」

「あんた、いくら海に入りたいからって無理しちゃ駄目よ。ちゃんとタオルで拭きなね」

「うん、そうするよ」

 クラスメイトの輪に囲まれた阿部君は、焦った様子で首を動かしている。私を探しているのだろうか。人と人との間で二人の目が合う。彼は安心したように表情が崩れる。

 私は小さく手を振って、人差し指を立てて唇に押し付けた。





 一躍英雄になった阿部君は、なかなかクラスメイトから解放されず、バスに乗る直前まで友達に引っ張りだこになっていた。

 物言いたげな視線を感じながらも、近づかずにいた。バケツも返さなければいけないし、話もしたい。タイミングを見計らっていると、阿部君がこっちに小走りで近づいてきた。

「ちょっといいか、柊木。さっきのこと話したいんだ」

「他の人に聞かれたくないから、海から少し離れよっか」

 私は阿部君を誘って砂浜を離れて海岸に向かう。コンクリートの階段に、二人で腰をおろす。束の間の無言は、それぞれに言いたいことを頭の中で纏める時間だった。

「あの、さ、確認したいんだけど、あの時助けてくれたのって柊木だよな?」

「……うん」

「あんなに早く泳げる奴は見たことないよ。まるでイルカみたいに自由で、すごく綺麗だった。ゴーグルも息継ぎもせずに潜って平気だったのは、どうして? 水泳部のオレだって、息が続かなかったのに」

 まじまじと見つめられて、私は誤魔化さずに話そうと決めた。

「皆には秘密にしてね。私の家、人魚の血が混じってるって言われてるの。だから海では魚と同じように呼吸が出来るし、ゴーグルも必要じゃない」

「人魚って、海の泡になったっておとぎ話である人魚、だよな?」

「そう。人と少し違うから、それがばれないように海には入らないように言われてたの。それに、海に入ってしまうと帰りたくなくなるから。だけど、あの子と阿部君の命がかかってたからね、今回だけは特別。お母さん達には叱られるだろうけど」

 帰ってから報告しなければいけないので、気が重くなる。しかし、万が一のことを考えると黙っているわけにもいかないのだ。

「だから、阿部君も誰にも言わないでね。もし私の一族のことが知られてしまうと、私達は遠くに引っ越さなきゃいけなくなる」

「言わない! 絶対に言わない。命助けてもらったのに、そんなことしないよ。オレあの時めちゃくちゃ焦った。柊木が浮上して来ないから、もしかして溺れたんじゃないかって。何度も呼んだんだ」

「聞こえてたよ。おかげで戻ってこれたの。海に入ると、意識が溶けて自分がわからなくなるみたい。だから呼び戻してくれた阿部君も、私の命の恩人だね」

 お互いが命の恩人だなんて不思議だ。けれど少しも嫌ではなかった。お互いの無事を喜んで微笑み合う。

 私はずっと借りていたバケツを彼に差し出した。

「ありがとう。このカニはどうするの?」

「ここで帰してやるよ。住み慣れた場所から連れて行くのも可哀そうだ」

 阿部君は階段の隅でゆっくりとバケツを傾けた。二匹のカニは元気に砂浜を走り出す。

「あのさ、柊木のこと、春子って呼んでもいい?」

「いいよ。そろそろ集合の時間だから行こっか、蓮司君」

 集合の笛の音が砂浜に響くと、私と蓮司君は一緒に駆け出す。

 波の音を聞いても、もう惑わされることはなかった。



ほのぼのほっこりしたものを伝えられていたなら幸いです。

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