第42話
浮遊感と共に意識が浮かび上がるような不思議な感覚で目覚める。皆人の部屋はspirt worldの放つ僅かな光が暗くなった室内を薄らと照らしていた。
「今日はほぼ一日中EOTCに入りっ放しだったなぁ……凪沙と海深母さん帰ってるかな?」
皆人はspirt worldから起き上がると部屋から出て、リビングを目指す。
階下に降りてくると、リビングの明かりが点いている事に気付く。皆人は扉を開けリビングに入る。
「あ、お兄ちゃん、ただいま!」
「皆人、ただいま」
凪沙と海深が、明るい声で皆人に帰宅を告げる、それに笑顔を浮かべながら二人に出迎えの声を返す。
「おかえり、二人とも」
「駅の近くで一緒になったから、二人で手を繋いで帰って来たのよ」
「お母さん、私が離してって言っても、手を離してくれないんだもん、凄く恥ずかしかったよ!」
母娘の会話を聞きながら、皆人はTVのニュースが目に入る。
「先日、正式に無期限の活動休止を発表した。歌手のシオンさんの話題ですが、色々な噂が飛び交っていますね、海外に活動拠点を移すための準備期間と言うものから、大学受験のため、中には妊娠したためなどの噂も出ています……」
凪沙が悲しそうな顔をしているのを見た皆人は、テレビチャンネルを変えると、凪沙の近くに座る。
「心配か?」
「うん、それは友達だもん……」
「連絡してみたら?」
「したよ……でも、返事は来なかった……」
凪沙は少し涙声になりながら、視線を前に向ける。隣に座る皆人はそんな様子の凪沙の頭に手を置くと優しく撫でる。
「きっと思いは届いてるさ……凪沙が心配してる様に、シオンさんもきっと心配をかけたくないんだろう……」
「そうなのかな? 私の事憶えていてくれているかな?」
「憶えてるさ、一回でも凪沙と話した事のある奴なら、忘れるはずが無いだろう? こんな個性溢れる女の子、他には居ないぞ」
皆人はからかう様に凪沙にそう言うと、先程までの悲しい顔から一転頬を膨らませて、皆人の胸を軽く叩く。
「もう! お兄ちゃんの意地悪! 妹は凄く傷付きました。今度のお出かけの時に甘やかせてくれないと機嫌が直りません!」
「今度のお出かけ……あー、日記帳を買いに行く約束の……」
「そうです。あと約十日です。それまでに美術部の絵を仕上げないといけないですけど、妹はそれだけを楽しみに頑張っているのですから!」
「分かったよ、約束の日にはサービスするよ」
「約束ですよ! 嘘ついたら、泣きますよ、そして暫く泣きやみませんからね!」
「了解、約束は守るよ」
「はい、お兄ちゃんが約束を破った事はありませんからね!」
「…………そうだな、凪沙との約束は破った事はないな……」
そんな二人を台所から見ていた、海深は皆人のその言葉に心配そうな顔を浮べると、凪沙がその顔に気付く前に二人を呼んだ。
「皆人、もう直ぐ夕食が出来るからお皿を並べて頂戴。それと凪沙は早く着替えてらっしゃい、今日はカレーうどんだから、そのままだと汚れちゃうから」
「はーい、それじゃあ着替えてきます」
凪沙がそう言ってリビングを出て行く。皆人は食器棚からお皿を出すと食卓に並べながら、礼を言った。
「ありがとうございます、海深さん……気を使って貰ったみたいで……」
「良いのよ、多少なりとも事情を知ってるから……皆人君……あまり自分を責めては駄目よ?」
「はい……」
親子の会話はそこで途切れるが、階段から聞こえてくる足音に皆人海深は笑顔を浮べると。リビングのドアが開くのを待った。今日一日の疲れを癒す親子団欒の時間が始まろうとしていた。
青月家自宅で食事を取るのは、大抵一人娘の双葉だけである。
中学生までは広い部屋でたった一人で食事を取っていたが、高校生になり色々と生活に口を出せる様になると、青月家の専属メイド兼責任者の御子柴神流と共に食卓を囲むようになる。
最初こそ使用人として一緒に食卓を囲むことなど出来ないと固辞していたが、双葉の再三の要求と雇用主である親も巻き込んだ攻防の末、今はこうやって同じ食卓を囲む事に成功している。
そんな少し賑やかになった青月家の食卓でメイドである御子柴神流から衝撃的な話題が挙がる。
「今日、EOTCで結城様とお会いしましたよ」
「へっ?」
今日の夕飯である鍋の具のしめじを口に咥えたまま間抜けな声を上げる。その姿に神流は繭を潜めると言う。
「双葉様、口に物を入れたまま喋るのは行儀が良くありませんよ?」
慌ててしめじを飲み込むと、双葉は神流を見つめる。その視線を見つめ返しながら。神流は鍋から白菜を救い取り皿に入れると上品に口に入れる。
「って、それだけ!? 他に言う事あるでしょう!!」
双葉は暢気に白菜を食べている神流に向ってまくし立てる。それに眉を顰めながらも、また、鍋に手を伸ばそうとしている神流の手を掴む。
「双葉様、鍋が食べれません」
「鍋と、私の質問どっちが大事?」
「勿論、な……双葉様です」
鍋と答えようとした、神流は鋭くなった双葉の視線に危険なものを感じ、言い直すと改めて今日あった事を話し始める。
皆人がpolestarを訪れ、神流に武器の注文をした事、その依頼を受けた事。
そして、皆人が一人ではなかった事、一緒に店を訪れたのが可愛い女の子だった事に話が及ぶと、双葉はボソッと言葉を出した。
「明日、私もpolestarに行く……」
「双葉様、明日はピアノレッスンの日……」
「私もpolestarに行くの! それはもう決まった事なの!」
双葉は、強い口調でそう言うと、鍋からごっそりと具を取り出すと無言でそれを食べ始める。
「…………普段からそれだけ強気なら、結城様も双葉様の気持ちに気付いてくれそうなのですが……」
神流は不器用な年下の主人を微笑ましそうに見つめながら、すっかり少なくなった鍋の具材を丁寧に足していく。
青月家の食卓はまるで姉妹様に仲の良い二人が気兼ねなく過ごす。日常の安らぎの一時だった。
橘橘花は去年の誕生日に叔父から送られた、spirt worldの初期設定に頭を悩ませていた。
「ああー、もう、分からないぞ! しょきせっていってなんだ! こんなの出来るか!!」
橘花は床に寝転ぶと駄々っ子の様に暴れる。その振動で机の上に飾ってあるカードが落ちてくる。
「ああ、大事なカードが! 折角皆人から貰ったのに」
机から落ちた程度では何とも無いはずのカードをあちこち確認しながら、何処も折れ曲がった利してないのを確認すると安心した様に一息吐く。
「はぁ、まったく、折角めーる出したのに、幾ら待っても返事来ないし、何やってんだ皆人め! 一緒に遊ぶ約束したじゃないか!」
頬を膨らませながら、普段は持ち歩かない携帯端末を見つめながら、登録番号の一番に設定してある名前を指で撫でる。
「まったく、女を待たせるなんて、いけない奴だ……お母さんも言ってたぞ! 女を待たせるのは悪い男だって!」
そんな風に言って、持っていた端末を放り投げると、部屋の中央に置いてあるspirt worldに寝転がる。
クッションの効いたベットの上でごろごろしながら、脇に置いてある分厚い説明書を見ては溜息を吐く。
「はぁ、やっぱりお父さんに頼むしかないのかな……でも、今までほったらかしにしてたのに、いきなりゲームを始めるなんて言ったら、理由を聞かれるかも……それは、年上の男の子に誘われたから…………こんなこと言える訳ない!」
頭を抱えながら一人悶える橘花、その時さっき放り投げた端末の呼び出し音が響く、
それは橘花の大好きなアニメの主題歌でこれで呼び出し音が設定してあるのは、今のところ一人しか居ない。橘花は慌てて端末を手に取ると、緊張して振るえる指先で通話ボタン押した。
通話口から聞こえてくる待ち望んだ声に、蕩けそうな笑顔を浮べると。何時もより幾分高い声で言った。
「遅い、何やってたんだ、spirt worldのしょきせっていの仕方が分からない、これを終わらせないと、一緒に遊べないぞ皆人!」
夏の夜、小さな思いが募る時間に願いを叶える様に届いたその声に、
橘花は初めて本心から神様に感謝したのだった。
広いマンションの一室に置かれた、ハイエンドのspirt worldのベットに座りながら、一人の少女がギターを抱えながらメロディーを奏でる。
古びたノートパソコンが開かれ、メールソフトに表示された開封済みのメール、そこには仲の良かった友達からのメッセージが表示されている。
一文字一文字に思いが詰まった。まるで、素敵な歌詞のようなメールに少女は微笑を浮べる。
ギターが奏でるメロディが最高潮に達しようとした時に、寒々しい電話の呼び出し音が部屋に鳴り響く。
手が止まり、音のしなくなった部屋で単調で無機質な呼び出し音だけが少女を打った。やがて留守番電話になると、澄ました女性の声が室内に嫌に大きく響いた。
(シオン、一応無期限の活動休止と言う事にしておいたから……ゆっくりと今後の事を考えてみて……そして、社長に言った引退宣言を撤回してくれる事を祈ってるわ、また電話します)
留守電の録音が終わると、暗い室内には一切音がしなくなる。聞こえるのは呼吸と鼓動の音だけになる。
少女は右手に持ったピックを握り締めると、ノートパソコンの画面を見ながら呟く。
「返事返せなくて、ごめん……」
その一言を呟くと、古びたノートパソコンを閉じる。ピックを投げ捨て。少女は鏡台の前に座り、腰にまでかかりそうな髪の毛を纏めると、抽斗の中から鋏を取り出すと纏めた髪を一気に切り取る。
手の中にある髪をゴミ袋に入れ。風呂場に行くとシャワーを浴びる、何時も感じていた体に纏わりつく髪の感触がないのに違和感を覚えるが、鏡に映った自分の姿を見て、何か生まれ変わったような感慨を抱く。
「髪は女の命って言うからね。それにこれであっちのボクに近付いたかな……」
風呂場から出た少女は、短くなった髪の毛から滴る水滴をバスタオルで拭いていく。夏の気温にすでに乾き始めた髪にドライヤーを当てる、何時もの半分以下の時間で終わった事に少し寂しさを感じた少女は軽く溜息を吐く。
愛用している寝巻きに着替えると、少女はspirt worldに腰掛け。公式ページを開き、メンテの終了時間を確認する。
「メンテ終了時間は、今のところ未定か……」
立てかけてあるギターに手を伸ばし、指で爪弾く、少女はメロディに合わせ歌を歌おうとするが、口は開くが声は出てこない。
「やっぱり、駄目か……向こうなら歌えるし、踊れるんだけどな……速くメンテ終わらないかな……会いたいな……ミナト君に……」
少女の小さな慟哭は、一人きりの部屋に消えていく、そこにあるのは絶望と僅かな希望の欠片だけだった。
朝の清清しい空気を斬り裂く鋭い音に、散歩を楽しんでいた一人の老紳士は驚く。
鋭い風斬り音のする方へ目を向けると。黒髪の美しい少女が木刀を振っていた。
「それが日本のケンドーかい、大した物だね」
「正確に言えば剣術ですが、まぁ、違いが分かる人はあまりいませんから」
一人朝の公園で木刀を振るう、長身ではないが姿勢が正しい為に見た目より高く見える。黒髪の少女は老紳士の質問に優雅に答える。
「ケンジュツ? 日本語は難しいな、それにしても朝から熱心だね」
「日課です。十年以上も同じ事繰り返していたら慣れます。それに止めたら止めたで、多分何か物足りなさを感じてしまうでしょうし」
「十年以上……お嬢さんは選手なのかい?」
「ある意味では、プレイヤーですね、これもそのための鍛錬ですから……」
「なるほど、好敵手でも居るのかい? そうでもなければ十年も練習を続けられないだろう?」
老紳士の言葉に、黒髪の少女は笑顔を浮べる。その笑顔は見る者が見れば、寒気を感じるほど怜悧なものだった。
「そうですね、どうしても戦わなければいけない相手が居ますね」
「なるほど、お嬢さんなら勝てるさ、素人の私でも、凄い腕前なのは分かるよ」
「そうだと良いんですが……相手も中々の腕ですよ」
黒髪の少女は振っていた木刀を収めると、老紳士に一礼する。
老紳士も笑顔でそれに答え、少女は挨拶を交わすと、その場を後にする。
「好敵手ですか……そんな言葉で済む様な関係では無くなってしまいましたけど……皆人、待っていますよ、そして、三年前に交わした約束果たして貰います」
少女の呟きは朝の日差しに解けていく。望みを叶える為に茨の道を行く少女に朝日は暖かさと冷たさを含み、颯爽と進む黒髪の少女を美しく照らしていた。
八月五日
少年と少女達の日常が終わる。
この日を境に、彼と彼女らの運命が変っていく……
遠い世界で約束を果たすため戦い続ける少年少女の英雄譚。
少年と少女達の約束の世界の物語が――今、始まる。
2075年 八月六日
この日、全世界を震撼させるニュースが日本発で起こる。
人気VRMMORPGエレメンタルオブタワークライムに接続していたプレイヤー、日本国内で約二百万人、全世界で合わせて八百万人の人間が意識不明の状態のまま目覚めないという惨劇が起こった。
事件の主犯と考えられる、ロイ・カー、EOTC開発責任者である神林良は、このような一文だけを端末に残し、姿を消した。
『プレイヤーは生きている、それはこの世界ではない。プレイヤーの無事を願うならspirt worldからプレイヤーを切り離すな。彼らへの道も、彼らから道もspirt worldで繋がっている。』
この一文を信じ、プレイヤーの家族達は、眠り続ける大事な人の帰還を今日も待っている。
しかし、事件から三ヶ月経った今でも、意識を取り戻したプレイヤーは、
まだ一人も居ない……
これで第二章完結です。
個人的には、spirt worldの方は少しお休みして
もう一つの方を書きたいと思っているのですが……悩みところです
そこで読んで下さる。皆さんの反応を待ちたいと思っております。
評価、感想、指摘、ブクマなどの反応が多ければspirt worldの続きを書き
そうでない場合は、新作の続きを書いていきたいと思っております。
それでは、これからも拙作spirt worldをよろしくお願いします。




