4.双子密着取材
今の私を形成するきっかけとなったのは、小さい頃のちょっとした間違いだった。
小学六年生の夏、私は当時ハマっていた少女漫画の新刊を買いに近所の書店へと赴いた。ところが、家に帰ってよく見てみると、それは目的とは違う漫画だったのだ。どうやら、少女チックな画風の表紙が似通っていたため、間違って手にとってしまったらしい。
本を包んでいるビニールもはがしてしまったので、返品は不可能だった。ええい、これも何かの縁だろう。ひょっとしたら面白いかもしれないと、私は前向きに考えることにした。
まじまじと目を通したタイトルは、『明治百合開花』。今でも思い出すことができるし、おそらく一生忘れることはないだろう。
タイトル通り、内容は明治時代のもので、名家の女主人たちが主人公のようだった。私はさっぱり内容が理解できないままページをめくり、全身を砕かれるような衝撃を受けた。
大きな見開きで、立派な着物に身を包んだ女主人二人が、口づけを交わしているではありませんか。女主人二人が、である。
その後色々とすったもんだがあったものの、両家の家族から二人の関係が認められ、女主人たちは幸せそうに結婚して、めでたしめでたし。
漫画を読み終えた私は、しばらく口を開いて呆然としていた。
女の子同士がキスをして、挙げ句の果てには結婚までしてしまった。恋愛は男と女がするものだと思いこんでいたものだから、これは驚きである。
そこで私は気づいたのだ。恋愛は、男女間に限るものではなし、と。
水口啓子、人生観が百八十度変わった歴史的瞬間であった。
それから私はすくすくと大きくなり、高校生になった。
部屋にある巨大な本棚には、所狭しとガールズラブ――つまり百合に纏わる本が詰まっている。携帯の待ち受けは女の子同士がキスしている画像だし、ネットでそれ関連の情報を仕入れることも欠かさない。
世界は百合を中心に廻っている。それが今の私だ。
現在、私は机に置かれた白紙を前に、頭を抱えていた。出ない……まったくネタが出てこない。
私は新聞部に籍を置いている。新聞部では毎月一回発行される校内新聞に、部員一人につき一つの記事を書き込むスペースを与えられるのだ。内容は、各自自由。私はいつも百合に対する情熱をぶちまけていたのだが、今日に限って一ミリもペンが進まないのである。
「啓子、何やってんの? 考える人の真似?」
掛かってきた声に振り向くと、中里理絵が立っていた。私の趣味を唯一理解してくれる、貴重な友人だ。
「違うわい。新聞の原稿が全然進まなくてさぁ」
「ありゃ、珍しいね。いつもだったら鬼神の如くすらすらと書いてるのに」
「百合に対する情熱が、そうさせてくれたんだけどね。最近百合不足だからかなぁ」
「あ、百合と言えば」
突然、理絵が手のひらを叩いた。
「富士女子中高学校あるじゃん、啓子が入れなかったとこ」
「わーっ! それは仕舞っておきたいメモリーだから言わないでよぉ」
過去に私は女子校に憧れを持ち(百合的な目的で)、近くにあった富士女子中高学校に目を付けた。
しかし、神様は時に残酷で、そこは私立学校だったのである。当然、授業料はバカにならない。ごく普通の一般家庭に生まれた私は、泣く泣くこの共学の高校を受けたのだった。
だけどその学校が、何故今話題にあがるのだろう。私は首を傾げる。
「何かそこの双子の姉妹がね、有名らしいよ」
「へえ、どんな風に?」
双子の姉妹というワードに反応して、私は眼鏡を中指でズリ上げた。
「二人とも超綺麗なのも話題なんだけど、何よりすごいのが、なんと――二人は恋人関係なんだってさ」
その言葉を聞いた瞬間、私は椅子から立ち上がり、大きく右拳を振り上げた。心の中で、叫ぶ。
キマシタワー!
実の姉妹で、しかも双子で、おまけに恋人関係! これほど美しい三拍子が、この世に存在するだろうか。姉妹百合は、血の繋がりがあるのが正義!
そこで私は閃いた。記事のネタで悩んでいる時に、丁度この話が飛び込んできたのは、きっと天からのお導きに違いない。
つまり私に、その双子の姉妹を突撃取材しろということではなかろうか。そうに決まっている。
「啓子。よだれ、超出てるんだけど」
理絵の言葉を無視して、私はめくるめく夢の世界へと旅立った。
一度思い立ったら、即行動に移すのが私のスタンスである。
というわけで私はその日の内に、噂の双子の姉妹がいるという富士女子中高学校へと足を運んだ。さすがに部外者が校内に入るわけにもいかないので、校門前で待ち伏せである。
しかし、さすがは女子校。右も左も見渡す限り、女子、女子、女子が咲き乱れている。軽くじゃれ合ったり、手を繋いだり、腕まで組んでいる子たちもいた。漫画やアニメもそうだが、やはり現実の女の子たちの破壊力も、計り知れないものがある。
ああ、ここが天国ならば、私は今すぐこの命を絶たれたって構いはしない。
トリップしかけていると、あからさまに他の子とは雰囲気の違う二人組が、玄関から現れた。
長い間ずっと磨かれ続けた宝石のような美しい容姿が二つ、まったく同じように並んでいた。片方は鈍く光る長い髪、もう片方は活発そうなショートカット。顔はそっくりだけど、それぞれ違うタイプの美しさだ。
まさかこれほどとは……。次元の違う存在に、さすがの私も言葉が出なくなった。
だが、ここで圧倒されるばかりの水口啓子ではない。私は両頬を叩いて気合いを入れると、二人に歩み寄っていった。
「ねえ、そこのお二人さん!」
声をかけると、双子は同時に振り向いた。視線すらも、目を逸らしてしまうほどに輝いている。
「どなた?」
「お姉さん、誰ぇ?」
「あ、私は水口啓子。怪しいものじゃなくて……」
それから、私が高校生であることや、新聞部の部員であることを話す。
「そういうわけで、絶世の美人と噂が立つ双子姉妹のあなたたちを、記事にしたいなぁと思ってるんだけど……取材しても、いいかな?」
私は両手を合わせて、二人に頭を下げる。本当の目的は、あくまでも伝えないつもりだった。
現実の女の子同士の恋愛――すなわち、生百合の鑑賞。それが私の、真に欲するものだ。
二人はしばらく顔を見合わせていた。髪の長い方がわずかに面倒そうな表情をしたが、短い髪の方が私の方を見て言ってきた。
「いいよぉ。面白そうだし」
「やりぃ!」
私はその場で拳を握りしめながら大きく飛び跳ねた。双子の怪訝そうな視線を受けて、慌てて咳払いで体裁を整える。
「……おほん。というわけで、これからよろしくね、双子ちゃん」
こうもあっさり事が運ぶとは、やはりこれは天からのお導きに違いない。
何はともあれ、こうして生百合に触れられる機会がやってきたというわけだ。
明日からの日々に思いを馳せて、私は大空へと羽ばたいていきそうになるのだった。
翌日、私は鼻息を荒くしながら、こそこそと富士女子中高学校の正面門をくぐった。
放課後とはいえ違う学校の制服を着ているので、教師に呼び止められる危険性があるからである。ここで私の新聞部で培ってきたスニーキング能力が、役立つというわけだ。
時々すれ違う可憐な女の子たちに気を取られながらも、私は教えられていた教室にたどり着いた。
「こんにちはぁ、お姉さん」
「あら、思ったより早かったわね」
扉を開けると、双子たちが優雅に手を振ってくる。
二人の名前は、昨日のうちに聞いていた。髪の長いお嬢様タイプが琥珀ちゃん。髪が短い子犬タイプの方が緋色ちゃんだった。
「まあ、私の鍛えられた忍び足がなかったら即死だったね」
「……唾液を垂れ流してる姿は、完全に不審者のそれだけれど」
まあいいわ、と琥珀ちゃんが私に何かを手渡してくる。首から下げるタイプの、来客許可証だった。
「これでもう、通報される危険性はないでしょう。今度からそれをつけてきなさい」
「これって、どうやって手に入れたの?」
「乙女の秘密よ」
人差し指を当てて唇を持ち上げる彼女は、中学生であることを忘れるくらい大人びていた。タメ口で話されても、これでは文句も言えない。まあ元からそんなことは気にしていないけど。
「あれぇ? それはアタシにも秘密なのかな、乙女さん?」
不意に緋色ちゃんが、琥珀ちゃんの髪に触れながら挑発的に言う。琥珀ちゃんは慣れた様子で不敵に笑った。
「さあどうかしら。言わせてみたら?」
「へぇ、それって誘ってる?」
お互いの目が官能的な光を帯び出した。私は今にも鼻血を吹いて、その場で卒倒しそうになる。ダメだ、まだ吹くな。堪えるんだ。
この空気をぶち壊すように、教室の扉が大きな音を立てて開いた。
「ありゃ、ひょっとしてお邪魔だったかな」
「夏希ちゃん、ドアは静かに開けないとダメだよ」
二人の少女が入ってきた。短めのサイドテールの元気系少女と、隣で彼女に向日葵のような笑顔を見せている小動物系少女。双子とはまた違うタイプの光彩を放っている。本当にこの学校は、レベルが段違いに高いみたいだ。
「お客さん?」
「ええ。こちらは水口さん。違う高等学校の新聞部で、私と緋色を取材したいそうよ」
「へえ、これはわざわざ。あたし、夏希って言います。彼女は千雪」
「どうぞよろしくお願いします」
丁寧に千雪ちゃんに頭を下げられて、私も恭しくそれに倣った。
「それでぇ、お姉さんはアタシたちに何を聞きたいの?」
夏希ちゃんと千雪ちゃんが席についたところで、緋色ちゃんが言った。
最初の質問。それは双子を取材すると思い立った時から決めていた。これを聞かなければ、始まらない。まあ、私の学校まで噂が届いているくらいだから、尋ねても大丈夫だろうとは思うけど。
私は多少緊張しながら、ゆっくりと口を開いた。
「あの、琥珀ちゃんと緋色ちゃんは、恋人関係だって噂があるけど、本当?」
「そうよ」
「そうだよぉ」
同時即答である。私はドリフのように座っている椅子から滑り落ちた。
「えっ……そんなあけっぴろげで、いいの?」
「別に隠してるわけでもないしねぇ」
「でも双子で、実の姉妹なんでしょ?」
「愛は血筋を越えるのよ」
双子は平然としている。夏希ちゃんと千雪さんも当たり前の顔で、すでにご存じの様子。
現実の百合関係というものは、もっとこう水面化で行われているイメージだったが、どうやら彼女たちにそれは当てはまらないようだった。
これは、面白くなりそうだ。私のDNAに刻まれた百合萌魂が、キャンプファイヤーの如く火柱を立てた。
それから私は毎日の放課後、双子の元へと取材へ行くようになったのだが、まさしく薔薇色ならぬ百合色の日々であった。
やはりこの双子、噂通り、ただ者ではなかったのである。
常時手繋ぎ、腕組みは当たり前。はい、あーんでお菓子を食べさせ合い、相手の頬に食べカスがついていれば、それを自分の舌で舐め取る。どちらかの指にチョコレートなんかがついていた暁には、もう片方が当たり前のように自分の口にそれを含む始末。
会話の節々にも、さりげなく愛の言葉が混じっていた。例えば、こんな具合で。
「最近さぁ、誰を見ても琥珀に似てるなぁって思うんだよね」
「あら。それって、いつも私のことばかり考えてるからじゃない?」
「あ、そっかぁ。何でわかったの?」
「私もずっと、緋色のことばかり考えているからよ」
「そうなんだぁ。あはは、嬉しいかも」
……完全に、二人だけの空間である。激甘すぎるその世界にひとたび触れてしまえば、たちまち脳がとろけきってお花畑へと姿を変えてしまうだろう。私が代表例だ。
そんな風に、私は百合的に充実した放課後タイムをエンジョイしていたが、同時に、よくわからない物足りなさも感じていた。
パズルのあと一ピースが見つからないような、はっきりとしないもやもや感。
私は学校の授業中に散々頭を捻って、捻り回して、これ以上捻ったらはちきれるところまで行ったところで、私はようやく答えに至った。
「そうか、キスだ!」
思わずその場で立ち上がってしまった。そう、パズルの最後のピースは、キス、だったのだ。
恋人同士であれば、異性同性関係なく行う行為。私たちはお互いを想い合い、こうして付き合っています、と証明するものだ。百合漫画でも、キスシーンが大きな見開きであるかないかで、モチベーションが大きく変わってくる。
あの双子は付き合っていると公言しているのだから、おそらくキスくらいはしているだろう。そしてそれを我が双眸に収めたとき、ミッションはコンプリートするのではなかろうか。
「よしっ、燃えてきた!」
「……あー、水口さん? とりあえず落ち着いて周りを見てみようか」
後ろにいる理絵の声で、現実世界に引き戻された。授業中である。黒板の前に立つ先生の目が、ぎょろりと私を睨んでいた。
「……てへぺろ!」
小手先のごまかしが通用するわけがなく、私は授業の後みっちり説教を受ける羽目になりましたとさ。
ところがどっこい。大いなる野望を立てたのはいい。
しかしこの双子、ところ構わずいちゃいちゃはするのだが、キスだけは絶対にしないのである。
取材中は穴が開くほど双子を観察し続けているから、見逃しているということはまずない。とすれば、彼女たちがキスをしていない、ということになるのだ。
おかしい。バカップルも裸足で逃げ出すくらい従来でいちゃついているのだから、私の前でもキスの一つや二つ、してもいいはずだった。
そのことに気づいてからも、めげずに双子を黙って見ていたが、一向に状況は発展せず延々といちゃいちゃがループしていた。
取材開始から二週間が経った頃、いよいよ私も痺れが切れてしまった。
「ねえ二人はさ、キス、とかしないの?」
強硬手段で、本人たちに聞いてみることにしたのだ。双子は怪訝そうに私を見た。
「キス?」
「そっ。付き合ってるんなら、それくらいはもう済ませてるんじゃないの?」
言いながら、私は内心ひやひやしていた。もしこれでどちらかが、『そんな汚らわしいことしません。私達はプラトニックですから』とでも言おうものなら、私のこれまでの努力は全て水泡と化してしまうからだ。
確かにそういう関係でも、百合は百合である。だがそうだった場合、私のモチベーションは音を立てて崩れてしまうだろう。
双子は向かい合ってなにやら目で話をしていたが、やがて琥珀ちゃんが口を開いた。
「するわよ、もちろん」
その言葉を聞いて、私は勝利の雄叫びを上げそうなるのを堪えなければならなかった。まだ疑問は、残っているのだ。
「でも私、二人がキスしてるトコ、見たことないなぁ……なんて」
あくまでもさりげない感じを装った。さあ、返答やいかに。今度は、緋色ちゃんが言った。
「人前ではしないよぉ。バカップルじゃあるまいし」
至極まともな答えだった。ですよね、と思うと同時に、お前が言うな、ともつっこんでやりたかった。
これにて私の大いなる野望は、完全に空回りしたように思えた。
だけど、ここで諦めるはずがないのが私でありまして。一応、新聞部魂も持っているので。
考えてみれば、単純な話である。
人の目があるところでキスをしないのであれば、二人きりになったところを陰から覗けばいいのである。いよいよ、私の鍛えられたスニーキング能力が、真価を発揮する時が来た。
というわけで、双子には「今日用事があるから取材は休み」と伝えておいて、まんまと私はいつも通り学校の中に忍び込んだ。琥珀ちゃんから貰った来客許可証があるから、その辺りは造作もないことである。
あとは、双子のことを陰から見張るだけだ。放課後は学校で少しだけ時間を潰すらしいから、まだ校舎にはいるはずだった。
とりあえず、いつも足を運んでいた双子の教室に、向かうことにする。途中の廊下でも、壁越しに様子を伺ったりして、警戒を怠らなかった。
場所は覚えているので、すぐに教室にはたどり着いた。扉についた小窓から中をのぞき込んで、私は眉をひそめる。
双子の姿はなく、教室の中はがらんとしていた。どこかへ行ったのだろうか。そうなると、帰ってしまう前に早く見つけなければ。
廊下を姿勢低く走っていると、ふと、階段の上の方から何やら話し声が聞こえてきた。この階の上は屋上だ。もしかしたら双子かもしれないと、私は曲がり角から顔を覗かせた。
階段の踊り場に、二人の少女が立っている。あれは、いつぞや会った夏希ちゃんと千雪ちゃんだった。こんなところで、なにをしているのだろう。
ぼんやりと二人を見上げていると、とてつもないことが起こった。
夏希ちゃんが千雪ちゃんの腕を引いて、その唇を奪ったのだ。私の心臓は、大きな音を立ててどこかへ吹き飛んでしまった。
これは、もしかしなくても……まさか。
「な、夏希ちゃん。こんなところで……」
「ごめん千雪。我慢、できなくて……」
二人は見つめ合いながら、頬を染めていた。
これは夢ではないかと、私は自分の頬をきつくつねってみる。……痛い。これは現実で、あれは――生百合だ。
「ねえ夏希ちゃん。今度は私から、してもいいかな」
「えっ……う、うん」
会話の流れからすると、今度は千雪ちゃんからキスをするようだ。我に返った私は、慌てて懐からデジタルカメラを取り出した。こんな貴重な一瞬を見逃す手など、あるわけがない。
液晶画面越しに二人を見ると、今まさに千雪ちゃんが真っ赤になって、夏希ちゃんに顔を近づけているところだった。
さあ、今こそ生百合を、我らが手に。シャッターボタンに指をかける。
しかし押そうとした瞬間、どこからか伸びてきた腕にカメラを取り上げられてしまった。
驚いて振り返ると、呆れたような眼差しで双子が私を見下ろしていた。
「こんなことだろうと思ったわ」
「はい、しゅうりょーう」
あ、こりゃまずい。
私は額から、冷や汗がどっと流れてくるのを感じた。
「あなたの魂胆は、途中からまるっとお見通しだったわ。ねえ、百合女子さん?」
氷のように凛とした声が降り注いでくる。私は床に正座しているので、椅子の上で足を組んだ双子を見上げる形になっていた。
「ど、どうして……」
「どうしてもなにもぉ、バレバレだと思うなぁ。お姉さん、アタシたちにキスしないのかって聞いてきた時、獲物を狙うハンターみたいな顔してたし」
私はがっくりとうなだれた。そういえば私は、思っていることが顔に出やすいタイプだったのだ。一生の不覚である。
「いいこと? 水口啓子さん」
突然、人差し指で顎先を持ち上げられた。棘のある琥珀ちゃんの眼差しが、正面から突き刺さってくる。
「私たちは理解ある人たちに恵まれているから、恋人同士であるという事実を隠さないのよ。でも世の中には、自分たちの関係をさらけ出されたくない人たちだっている」
眉を上げて、彼女は叱りつけるような強い口調になる。
「夏希と千雪は自分たちのことを、時間をかけて少しずつ周りの人々に話していこうと考えているのよ。ずっと二人でいるためにね。それを下手したら他人の目に入る写真に収めようとするなんて、愚の骨頂だわ」
あなたは、夏希と千雪の関係を壊そうとしたのよ。まっすぐにそう言い放たれて、私は大きくのけぞった。
私が、あの二人の仲を引き裂こうとした……。
「それにさぁ、アタシらだって自分たちを他人に見せつけようなんて思ってないから。アタシはあくまで琥珀が好きすぎるから、ちょっかいを出すだけでね。誰だってそうだろうけど、恋愛って不特定多数とじゃなくて、好きな相手とだけ共有するものじゃないの?」
そして、とどめを刺すように緋色ちゃんが吐き捨てた。
「恋愛は見せ物じゃないんだよ、お姉さん」
その言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
恋愛は、それをした二人だけのもの。だとすれば私のこれまでの行為は、百合の花が咲き誇る庭園に、土足でずかずかと入っていくのと同じことだったのだ。
いつから私は女の子同士の恋愛を、自分が楽しむためにあると勘違いしていたのだろう。
最低だな、私……。
私がタイル張りの床に倒れる音が、教室に虚しく響いた。
窓から夕日が照らしつける廊下を、私はおぼつかない足取りで歩いていた。もうこの学校に足を踏み入れることもないだろう。双子の取材は終わったのだ。
『あなたも恋をしてみれば、わかると思うわ』
教室を出る前に投げかけられた、琥珀ちゃんの言葉がよみがえる。
私だって、と思う。恋愛はしてみたい。恋をした二人にしか見えないものに対する憧れはある。
だけど、肝心の相手がいないのではしょうがない。
ため息をついていると、不意に後ろから声がかかった。
「……あの。これ、落としましたよ」
振り返った私は、大きく目を見開いてしまった。
軽くウェーブがかかった長めの髪に、ビー玉のようなつぶらな瞳。そして、私でもお姫様だっこができそうな華奢な体つき。そんな美少女が、来客許可証をこちらに向かって差し出している。どうやら、落としていたみたいだ。
「あ、ありがとう……」
「気をつけてくださいね。それじゃあ」
「あっ、待って!」
去りかけた後ろ姿に、必死に呼びかける。ここで引き留めないと、とても大事な機会を逃すような気がした。
「……はい?」
「あ、えっと……名前! 名前聞いてもいいかな」
彼女は不思議そうに首を傾げたが、答えてくれた。
「穂波、みさとです」
「みさとちゃんね。私は……」
「水口啓子さんですよね。許可証に書いてありました」
そう言って控えめにはにかむ彼女は、真っ赤な夕焼けの中で、とても鮮やかに見えた。
一ヶ月後、まさか彼女と付き合うことになろうとは、この時の私はまったく予期していなかったのである。