2.双子の友人
私の友達に、琥珀と緋色という双子の姉妹がいる。一卵生双生児の二人の顔立ちは、一体どこで突然変異が起こったのか、驚愕するほど可愛らしい。私を人並みとするなら、彼女たちはさしずめ純金で作られたクレオパトラだ。
最初に彼女たちを見た人々は、長い髪の方が姉の琥珀、短い髪の方が妹の緋色と覚える。しかし長く接してみると、二人の違いは案外明確なのだ。
姉の琥珀は常にクールで、上品な空気を周りに纏っている。成績は学年トップを絶賛独走中だが、体があまり強くないらしく運動は苦手。まさしくみんなが思い描くお嬢様気質な女の子だった。
一方妹の緋色は、やや天然気味で元気一杯。ころころと喜怒哀楽の表情が変わる様は犬に似ている。体育のバスケットボールでは、驚異の一試合百回ダンクを成し遂げるくらい運動能力は高いが、成績は中の下。
比較するとよくわかるように、この姉妹は足りないところをお互いで補い合っている。そのためだろうか、彼女たちが学校で有名なのは、その美貌の件ともう一つあった。
彼女たちは人目も忍ばず所構わずで、まるで当然のようにいちゃいちゃし始めるのである。
腕組み手繋ぎは当たり前。お昼はお互いの弁当を、はい、あーん多発、どちらかの膝の上に座りながら友達と談笑していることもある。また、誰もいない空き教室で大人のキスをしているのを目撃され、たちまち校内中が噂で持ちきりになった。
真偽を問われた彼女たちは、少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら、こう答えた。
「うん、アタシと琥珀、恋人同士だからさ」
「愛し合ってるのよ。ね、緋色」
この発言が、たちまちこの姉妹を有名にした。もっとも、付き合いの長い私は予め感づいていたので、今更か、という感じである。
この二人の関係は家族内でも認められたそうで、家では学校よりいちゃいちゃが過激らしい。キス以外のことは学校でも平気でやってみせているから、それ以上を見せつけられる家族も素晴らしい忍耐力である。
というわけでうちが女子校なのもあってか、裏で彼女たちに、恋の相談をする女の子たちが増えた。ようするに、クラスメートや先生といった同性の女性を好きになってしまった、という類のものだ。
相談者は毎日のように現れたが、そこは親切な双子のことである。誰一人粗末にすることなく、真剣に相談に乗った。ついでに私も退屈なので、その相談教室に付き合い、傍観者として二人の隣にいた。
そんな折、とある少女がとあるものを携えて、私たちの前に現れたのである。
「あの……」
彼女がおずおずと引き戸を開けながら現れたとき、教室には私と双子以外誰もいなかった。丁度ポッキーゲーム中の双子が同時に振り向いたので、ポッキーは二つに分裂してしまった。
「えっと、櫻井琥珀さんと緋色さん……ですよね?」
彼女は琥珀と緋色、そして二人の口に残ったポッキーゲームの跡の間に視線をさまよわせる。
「ええ。どなた?」
「どうしたのぉ?」
平然としている双子を前に、彼女はもじもじとしていた。たまらず私が横から口を挟む。
「あ、この子は南川千雪さんだよ。隣のクラスの」
そこでようやく彼女の目が私を捉えたので、満を持して私は自己紹介に移る。
「あたしは北瀬夏希。まあ、こいつらの友達だよ。相談に来たんでしょ?」
「あ、はいっ! そうです」
本来の目的を思い出した彼女は、スカートのポケットをごそごそと漁り始めた。
「実はこれについて、相談に乗ってもらいたいんですけど……」
取り出されたのは、一通の便箋である。
「ついさっき、机の中にこれが入ってたのを見つけたんです」
もちろん、それがダイレクトメールや、決闘の申し込みを告げる果たし状であるはずがなく。
「ラブレター?」
琥珀の言葉に、彼女は顔を真っ赤にしてこくこくと頷いた。
「今時珍しいねぇ。でもアタシたちのところに来たってことは、やっぱり相手は女の子?」
「……可愛らしい文字から見て、おそらく、ですが」
その言葉に琥珀が眉をひそめる。
「というと?」
「あの、実は差出人の名前がなくて」
差出人の名前がない。双子の顔に驚きが走った。
「告白者のわからないラブレターというのも珍しいわね」
「珍しいに珍しいが重なって、珍々しいだねぇ」
よくわからないことを言っている彼女らは放っておいて、私は千雪さんに言った。
「とりあえず、その手紙を拝見しても?」
「あ、はい」
彼女はおずおずと便箋を差し出した。その文面は、次の通りである。
「拝啓、南川千雪様。
貴殿に伝えたいことがありました故、今回、このように筆を取らせていただきました。
わたくしは貴殿を一目見たときから、片時も忘れ難い体となってしまいました。俗に言う、一目惚れ、というものです。
貴殿さえよろしければですが、わたくしと恋仲になっていただけないでしょうか。
良き返事を、お待ちしております」
「……差出人は、もしかしたら武家の人間かもしれないわね」
手紙を読み終えた琥珀が、ぽつりと言った。
「確かに文字は丸っこくて女の子っぽいねぇ。ということは、性別を偽って侍になった女の子かなぁ」
変に真面目な様子で、緋色は顎に手を当てていた。このご時世にそんな女の子がいてたまるかと、私はその推理を全面的に無視する。
「それで、千雪さんはどうしたいの?」
尋ねると、彼女は指先をもじもじ弄びながら口を開いた。
「……せっかくいただいたものだから、お返事をしたいの。でも肝心の差出人がわからなくて、だから顔の広い琥珀さんと緋色さんに、探してもらえないかと……」
ふむふむ、と私たちは頷いた。今回の相談の内容は、姿なき告白者の発見、ということである。
「けれど、なかなか難しいわね。手がかりが少なすぎる。机の中に手紙が入っていたことから、差出人がこの学校の人間で、かつ女の子だってことはわかるけど、いかんせん容疑者が多すぎるわ。ここは、女の子詰めのお菓子箱みたいなものだから」
「そうですか……」
千雪さんが肩を落とす。一瞬瞳の奥に諦めがちらついたのを、私は見逃さなかった。とん、と彼女の肩に手を置く。
「でも、手がかりを増やすことはできるよ。とりあえず今から、学校に残っている子たちに聞き込みをしてみよう。もしかしたら何か知っている人がいるかもしれないし、本人が名乗り出てくれるかもしれない」
私が言うと、みるみるうちに彼女は元気を取り戻してくれた。
「はいっ。よろしくお願いします!」
向けられた笑顔は、陽射しを受けて咲き誇っている向日葵のようだった。思わず頬を染めてしまうほど、香しき微笑みである。
「というか、夏希。私たちへの相談なのに、何故あなたが場を仕切っているのかしら」
「いっつも黙って見てるくせにぃ。なっちゃんのくせにぃ」
「ええいっ、やっかましいわ!」
冷やかしてくる双子を引きずるようにして、私たちは教室を出た。
ところが、聞き込みが空回りするというのは、一種の必然的なものなのである。
学校に残っていたほぼ全員の女子に話を聞いてみたが、本人が名乗り出てくるどころか、有力な目撃情報すら出なかった。
外もだんだんと夜の帳を下ろしてきたので、私たちは告白者探しを一旦切り上げることにした。
聞き込みで足を酷使したせいで若干貧血気味の琥珀と、ここぞとばかりに彼女に肩を貸す緋色、そして私と千雪さんで校門前に出る。
「諦めちゃだめだよ、千雪さん。差出人は必ず現れるから」
そう言うと、彼女は少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「もしかしたら、いたずらなのかも。手紙に名前もないし、誰も名乗り出てくれないし」
「そんなことないよ。きっと大丈夫だから」
「……ありがとう、夏希ちゃん」
去っていく彼女の後ろ姿を、私は最後まで見送った。その寂しげな背中を見ていると、申し訳ない気持ちになってくる。
「何だか、途中から夏希への相談にすりかわってないかしら」
「なっちゃーん、アタシ甘いもの食べたいなぁ。ミスド行こうよミスドぉ」
「ええいっ、やっかましいわっ!」
緋色の怪力に引っ張られ、琥珀をずりずりと引っ張りながら、私は不可抗力でミスドへと連行されるのであった。
翌日の放課後。双子が黒板に、お互いのことがどれだけ好きかを書き殴っているのを眺めている時だった。
「琥珀さん、緋色さん、夏希ちゃん!」
突然千雪さんが教室に飛び込んできた。走ってきたらしく、肩を大きく上下させている。
「またお手紙が届いてたの!」
彼女の手には、確かに真新しい便箋が握られていた。私たちは肩を並べてそれに目を通す。
「拝啓、南川千雪様。
一言だけ申し上げたいことがありますので、再び筆をとらせていただきました。
どうか、名前のなきわたくしのことをお許しくださいませ。今はなにゆえ、明かせぬ事情があるのです。
しかし、前回の恋文の言葉に、何一つ偽りはございません。わたくしは本当に貴殿のことを、お慕い申し上げているのであります。
なにとぞ、そのことだけは心中にお納めくださいませ」
「……どうやらアタシたち、見られてたみたいだねぇ。ちゆっきーが言ってた、いたずらかもって言葉に対してのラブレターみたいだし」
顔を上げた緋色が、珍しく鋭いことを言う。
「ということは、聞き込みした人の中に差出人が?」
千雪さんも深刻そうに考え込んでいた。だが昨日聞き込みした人たちの中に、怪しい奴などいなかったはずだ。不穏な空気が流れる中、突如琥珀が、ぴんと手を挙げる。
「罠を張りましょう」
彼女の作戦はこうだ。まず、昨日と同じように聞き込みをして、その節々で千雪さんが名もなきラブレターを気味悪がっている演技をする。そうすればどこかでそれを見ている差出人が、再び手紙で言い訳するかもしれない。それに相手も焦るだろうから、今日中に手紙を千雪さんの机に届けに行く可能性も高い。そこを取り押さえるというのだ。
「どう? できるかしら、南川さん」
琥珀に問いかけられて、少しだけ迷っていた千雪さんは、やがて頷いた。
「……はい。ここまで来たら、差出人を知りたいですから」
決まりだ。私たちはさっそく行動を開始することにした。
数時間後。聞き込みで「餌撒き」を終えた私たちは、千雪さんの教室の正面にある美術室で張り込みをしていた。息を忍ばせて、時々引き戸についた小窓から廊下の様子を伺う。通り過ぎる人はおれど、怪しい人物は見られなかった。
購買で買ってきたあんパンと牛乳を口にしながら、張り込みを続ける。だが、一向に進展はなかった。
「来ませんね……」
千雪さんが欠伸まじりに言う。ちょっとだけくたびれた様子だ。窓からは、すでに沈みかけたお日様の赤い光が射し込んできていた。
「もしかして、アタシたちが張ってるの、バレてるんじゃないかなぁ」
ぽつりと緋色が言う。またまた鋭い指摘だった。
「……ええ、その可能性が高いわね。緋色、南川さん、ちょっといい?」
琥珀は二人を手招きで呼んだ。
「二人はこれから玄関で待機してくれない? 犯人に、諦めたと思わせるの。油断して現れた差出人を、私と夏希で押さえるわ」
「なるほど。わかりました」
「おっけぃ。なっちゃん、アタシの琥珀に変なことしないでよ」
「やっかましいわ」
二人は美術室を出ていった。緋色は、わざとらしく諦めた演技までしている。とんだ大根役者だ。
「でもそいつ、本当に現れるのかな」
私が頭の後ろで手を組んで言うと、琥珀がじっとこちらを見つめてきた。なにやら威圧的な眼差しである。
「いえ。もう既に、相手は姿を現しているわ」
そうよね、名もなき差出人さん? 琥珀の人差し指は、まっすぐに私のことを射抜いていた。私は驚きを隠せない。
「え、ちょっと。何言ってんのさ」
「とぼけるのはよしなさい、北瀬夏希」
びしっと琥珀が言う。夕日に照らし出された彼女は、さしずめ推理小説の名探偵だった。
「犯人は、帰りがけに南川さんが何気なく言った、いたずらだったかも、なんて言葉を聞いている。何よりも見つかるのを恐れる尾行者が、そんな会話も聞き逃さない場所にいるとは思えない。特に尾行に慣れていない人は、なおさらね」
そこで、と彼女が私の横をすり抜けてこつこつと歩く。
「もしかしたら犯人は、私たちの近くにいても不審ではない人物なのではないか、という結論に至った。――つまり、私たちの中にいるということよ」
こちらを向いた琥珀は、不敵な笑みを浮かべていた。
「決定的だったのは、私たちがここで張っているって犯人がわかっていたことね。作戦を伝えたとき、教室には私たちしかいなかったから」
最後にとどめを刺すように彼女は言い放った。
「私と緋色が他人にラブレターなんて出すわけがないし、千雪さんが自作自演する理由もない。動機があるとすれば、夏希。あなたくらいなものよね」
沈黙が続く。その空気を破ったのは、私の乾いた笑い声だった。
「……いつから、気づいてた?」
「最初から。いつも私たちへの相談には我関せずだったあなたが、変に積極的だったからね」
「さすがは名探偵。するどい洞察力だ」
音のない美術室に、無機質な私の拍手が轟いた。
「どうしてこんな回りくどいことをしたの。最初から手紙に名前を書けば済む話でしょう」
「そんなことは、小学生の足し算より単純なことだよ」
たっぷり十秒ほど間を空けてから、私は口を開いた。
「いやぁ、実は名前を書くの、忘れてたんだよね。私としたことが、うっかりしてたわ」
一気に空気が緩んで、琥珀がドリフのように体をつんのめらせた。
そう。事の起こりは、本当に間抜けなミスのせいだった。
「そしたら、千雪さん本人が琥珀たちのところに相談に来たから焦ったよ。あの場で私が差出人ですぅ、なんて、名乗り出られるわけないし。それで、そのままずるずると、ってわけ」
「……じゃあ、あの手紙の古風な文章は?」
「えっ、ラブレターってあんな感じじゃないの? テレビで見たんだけど」
「はぁ……。とんだ間抜けな犯人よね」
なんにせよ、と彼女が咳払いをする。
「今すぐ、玄関で待ってる南川さんに伝えてきなさい。さもないと私からばらすわよ」
「ええっ? でも私が名乗り出ても、呆れられるだけかもしれないし……」
「いいからさっさとしなさい、このヘタレ」
不意に、琥珀が口の端を持ち上げた。それは見るもの全てを奮い立たせるような、かのジャンヌ・ダルクが浮かべていたであろう慈悲に満ちた微笑みであった。
「あなたが好きになった人が、そんなひどい人間であるはずがないわ。向こうだって、あなたの登場をずっと待っているのだから」
「そ、そうかな」
「ええ。たぶんね」
私は尻を琥珀に叩かれる感じで、美術室を後にした。私が好きになった人が待つ場所へと、自分の足で、歩いていく。
双子のところへ舞い込んでくる相談を見ていて、わかったことがある。思春期の女の子は、デリケートな恋の悩みを抱えている、ということだ。
その胸に宿った想いを、あくまで気のせいだと留めておくのか。はたまた、正面から向き合って生きていくのか。結局、それは本人次第である。
だけど、私の中にあるこの気持ちは、一過性のものなんかじゃ、決してない。
だからこそ私は今、決意を胸に、玄関へと向かっているのだから。