1.双子の姉
私は今、近親相姦という名の悩みの種を抱えている。
誤解しないでほしいが、私は当事者ではない。私の下にいる、双子の妹たちがそうなのだ。
双子の姉の方が、櫻井琥珀。肩まで伸びた髪を、ツインテールにしている。
妹の方が、櫻井緋色。こちらは少年のようなショートカットに切りそろえていた。二人とも中学生だ。
姉の私が言うのも何だが、二人は結構整った顔立ちをしている。私よりも顔のパーツに恵まれているくらいだ。そんな髪型以外見分けがつかない一卵性双生児の彼女たちは、私から見ても異常な愛で結ばれている。
朝の話である。私は一向に姿を現さない彼女たちを起こすはめになった。少しだけ寝ぼけ眼でノックをして、部屋の扉を開ける。
「琥珀、緋色。低血圧なのはわかるけど……」
ここで一時停止。二人は同じベッドでお互いを抱きしめて眠っていた。……生まれたままの姿で。よく見るとどちらの首筋にも、ぽつぽつと赤い跡がある。それが虫さされではないことは、一目瞭然であった。
「……あれぇ? 朝だぁ」
私が固まっているうちに、妹の方の緋色が目を覚ました。続いて姉の方の琥珀も体を起こす。
「おはよぉ、琥珀」
「おはよう、緋色」
挨拶をしながら、二人は当たり前のようにおはようのキスをする。私の目の前で。そこでようやく金縛り状態が解けた。
「……ラブラブなのはわかったから、ご飯食べてくれる?」
それだけ言うと、私はぎこちない動きで部屋から出た。
続けて、朝の食卓。父が新聞を読み母がご飯をよそっているこの場でも、双子はとどまることを知らない。
「はい琥珀。あーん」
緋色の箸に刺さったカボチャの煮物は、琥珀の口の中へ。琥珀はゆっくりと租借してから、にっこりと笑う。
「とってもおいしいわ」
「ほんと?」
「緋色と間接ちゅーだからかもね」
「もう。琥珀のいけずぅ」
……何故でしょう。このお味噌汁、恐ろしいほど激甘なのですが。
「あんたたち。時間なくなっちゃうわよ」
母は時計を指さして言う。あ、いけね、と緋色が舌を出した。
「じゃあ、これだけ食べるわ」
琥珀が煮豆を一粒口に入れたかと思うと、隣の緋色に口づけをかました。向かい側に座っている私には、しっかりと舌が入っているのがわかる。俗に言う口移し、とかいうやつであった。
「こらこら、二人とも行儀が悪いぞ」
父は新聞を畳みながらたしなめる。照れ笑いを浮かべて、二人は立ち上がった。
「じゃあ行ってきまーす」
そう言ってから、二人はくるりと向き合う。そのまま今度は、軽く触れ合うだけのフレンチキス。とたとたと騒がしい足音が二つ、玄関を出ていった。
朝からあれだけのラブシーンを見せられても、両親は平然としていた。これが毎日のように続くので、既に慣れてしまったのだろう。そこに、両親と私の懐の違いがあるのだ。
「ようちゃん、学校行こう?」
リビングの窓を、友達の波瑠がこつこつと叩いた。どうやら私も学校へ行く時間らしい。ちなみに、ようちゃん、というのは陽子という私の名からとったあだ名だ。妹たちの名前に比べると平凡だが、構いはしない。平凡上等である。
それは置いておいて、おわかりいただけただろうか。妹たちの行動が、いかに姉妹愛の範疇を超えているかを。
もし世界全国の姉妹が同じような様子だったとしたら、私はもう、何も言うまい。
「あんたたちさ、変だって思わないの?」
一度、妹たちに尋ねてみたことがある。二人が密着しながらテレビを見ているときだ。
「何が?」
ほぼ同時に二人とも口を開いた。私は額を押さえて続ける。
「だからさ、そんな風にいつもべたべたして。姉妹だっていっても、普通はそこまでじゃないんじゃない?」
妹たちはじっと私を見つめた後、両手を広げて首を振るった。洋画でよくある、やれやれ、のポーズである。
「姉さんは、本が好き?」
と琥珀が聞いてきた。私は戸惑いながら頷く。小説の中では、太宰治や三島由紀夫なんかを特に選って読んでいた。
「お姉ちゃんは、プリンが好きぃ?」
と緋色も聞いてくる。私は再び頷いた。プリンと名のつくものは何だって大好物だが、特にカラメルソースの部分が私は好きだ。
そして二人は、また同時に口を開いた。
「そのことを変だと思う?」
私は深く考え込む。本が好きなこと。プリンが大好物なこと。腕組みをほどいて、首を振った。
「変ではないと思う」
すると妹たちはにっこりと笑って言った。
「つまり、私たちもそういうこと」
私が唖然としてる間に、双子はまたテレビに興味を移してしまった。
それとこれとは話が別、だとか、言い返せる言葉はいくらでもあったかもしれない。
だけど結局、私は自分より三歳年下の妹たちに言いくるめられてしまった。
「今時の姉妹って、そういうのが普通なの?」
自分の認識に疑いを持った私は、学校で隣の席に座る波瑠に聞いてみた。彼女は頬杖をついて考え込んだ後、自信なさげに言う。
「うーん、私の経験から言わせてもらうと、違うかな……」
やはり、味方はいるものだ。私は彼女と堅い握手を交わした。戸惑いながらも、応じてくれる彼女が好きだ。
「それで……どうすればいいかな」
いよいよ本題である。双子に、どうすれば姉妹らしからぬ行いをやめさせることができるか。朝食のアジのフライや、夕食の豚の生姜焼きの激甘化を防ぐことができるか、だ。
波瑠は指先で机をリズミカルに叩きながら思案し始めた。私がその指使いに目を奪われていると、彼女が恥ずかしそうに上目遣いで私を見る。一時停止。やがて彼女はおずおずと手を上げた。
「……はい、波瑠」
「えと、自分たちが他の姉妹とは違うってことに、気づかせればよいのではないかと」
それだ! 私が熱い抱擁をかますと、彼女はぎくしゃくと私の背中に手を回してくれた。……暖かい。いや、えっと、そうじゃなくて。
対策が見えてきた。あとはこれを元に作戦を組み立てるだけだ。名付けて、「一般姉妹育成計画」。
私はさっそく作戦結構に向けて、動き出すことにした。
まず私は、幼き頃の妹たちが撮られたホームビデオを漁ることにした。普通に接していた姉妹時代を思い返せば、今の自分たちがおかしなことに気づくだろう。
ところが、早くも出鼻を挫かれることとなった。妹たちは幼き頃から、フレンチキスだの、べろちゅーだの、タイが曲がっていてよを自然の振る舞いのように行っていたのだ。挙句の果てには。
「好きよ、緋色」
「私も琥珀のこと、大好きだよぉ」
カメラの前で平然と、こんな告白大会をやってのける始末である。長時間の視聴は様々な意味での悶絶死の危険性があったので、私は次に移ることにした。
比較映像。すなわち、他の姉妹たちのホームビデオと妹たちのを、同時に見せてやるのだ。そうすればさすがの二人といえど、自分たちの問題点に気づくであろう。
というわけで私はさっそく、他の姉妹のホームビデオを求めて走り回った。とりあえずクラスメートで姉を持つ女子を当たってみたが、快く提供してくれる者など、いるはずもなかった。考えてみれば、当たり前の話だ。幼き頃の無邪気で自由奔放で、恥ずかしい自分の映像を、他人においそれと貸す方がおかしい。
再び壁にぶち当たって、机の上でもがいている私に声をかけてくれたのは、やっぱり波瑠だった。
「……ようちゃん。私のでよかったら、だけど」
忘れていた。彼女にも年下の妹がいるのだ。他の人がいともたやすく協力を拒む中、手をさしのべてくれた健気な波瑠。私は感動の涙を流しながら、ホームビデオを受け取った。
そこからはもう流れ作業だ。パソコンの動画ソフトを使い、妹たちの映像と波瑠姉妹の映像を組み合わせていく。
とは言っても映像を場面ごとにピックアップしていくので、その作業には結構な時間を消費した。つまり、公園で遊ぶ図、誕生日の図、お風呂の図と、同じシチュエーションを抜き出して二つの姉妹を比較するのだ。ちなみに、波瑠姉妹が普通の基準なのに対し、うちの双子は各場面に必ず一つずつ、キスシーンがあった。
夜なべに夜なべを繰り返し、ついに、それは完成した。
「できたぁっ!」
早朝四時にも関わらず、私は思わず雄叫びを上げてしまった。苦労の甲斐があって、結構な完成度のものができたと思う。パソコンからDVDディスクを取りだした私は、にやりとほくそ笑んでいた。
映像編集の楽しさに本来の目的を忘れそうになったが、作戦はもう最終段階に入っていた。
あとはこれを、あの双子に見せてやるだけ。決行は、今夜の夕食後。
上の姉妹の部屋から、ぎしりとベッドが軋む音がした。どうやら今夜も、お楽しみのようだった。
「琥珀、緋色」
夕食後、リビングでテレビを見ながら交互に膝枕をしている妹たちに声をかけた。
「姉さん、どうかした?」
「お姉ちゃん、なぁに?」
振り向いた二人の鼻先に、ディスクを突きつけてやる。
「見て欲しいものがあるの」
私がデッキにディスクをセットすると、すぐDVDが始まった。右に波瑠姉妹、左に妹たちの映像である。二人は静止したまま、不思議そうにテレビを見ていた。
これでついに、と思った。いちゃいちゃを見せつけられて目のやり場に困ったり、キスの現場に出くわして思考停止したり、夜、階上から聞こえてくるベッドの軋む音に悶々としていた日々に、終止符を打てるのだ。私は勝利を確信していた。
しかし。
「あはは。ちっちゃい琥珀、すごく可愛いねぇ」
「あら、今の私は可愛くない?」
「ううん、今の方が何倍も好きだよ」
「ふふ、ありがとう。私もよ」
一体何が起こっているのかわからなかった。衝撃的な映像を前に、双子たちはいつものようにいちゃつき始めたではないか。
「あんたたち、なんで……」
思わず口からもれていた。他の姉妹との明らかな差異に、気づいていないはずがない。おかしい、こんなのは絶対におかしい。愕然としている私を、二人は不思議そうに振り返った。
「どうしたの姉さん。巧妙な詐欺に騙されたような顔してるわ」
「あ、あんたたち……自分たちが変だって思わないの? それを見ても」
その言葉でようやく双子は私の思惑に気がついたようだ。以前もやってみせた、洋画的やれやれ、のポーズをとる。
「だから姉さん、前にも言ったじゃない」
「他のものとは違うからって、それそのものが変ってことにはならないと思うなぁ」
そして、お互い見つめ合って愛おしそうに微笑んだ。
「私たちは、私たちなんだよ。ね? 琥珀」
「ええ。そうね、緋色」
完全に、二人だけの世界だ。張りぼてだった私の勝利が、がらがらと音を立てて崩れていく。
どうやら私のやったことは、何もかもが無駄な努力だったようだ。だけど。だが、しかし。
意味のなかった私の相談に乗ってくれた波瑠。恥ずかしいのにも関わらず、自分のホームビデオまで提供してくれた波瑠。彼女の好意まで無駄になったとは、思いたくない。彼女は私のつまらない作戦に、全面的に協力してくれたのだ。
私は今、理不尽な怒りに震えていた。行き場のない苛立ちは、やはり事の元凶である双子の妹たちに牙を剥いた。わかっている。これがただの、自己中心的な八つ当たりだと。でも、腹の虫が治まらないのだ。
そこで私に、悪魔的な考えがよぎった。妹たちを揺さぶる、最後にして最凶の作戦。
私はいちゃついている彼女たちの背後で、にやりと笑った。すでに計画の主旨が変わっていることに、冷静ではない私は気がつかなかった。
翌日の夜、両親の呼びかけで家族会議が始まった。食卓を挟んで、父と母、琥珀と緋色が向かい合っている。私はその間の席に腰を落ち着けていた。
「家族会議なんて、珍しいわね」
「なになに? 何のお話?」
訳を知らない妹たちは和気藹々としている。ふっ、笑っていられるのも今のうちだ。そう、この家族会議は、私の策略によって執り行われたのだ。
「琥珀、緋色。実は二人に、大事な話があるんだ」
いつもとは違い厳格な表情の父が切り出した。一気に場の雰囲気が硬直したように感じられた。
「父さんと母さんから見ても、最近の二人の行いは目に余る。時と場所を考えなさすぎだ。……だから今日から二人には、しばらく距離をとってほしいんだ」
双子の表情が凍り付いた。予想以上の反応に、私はやりすぎたかもしれない、と今更反省し始めた。
両親の協力を得て、改めて妹たちの度を超した姉妹愛に気づかせる。それが私の作戦だった。だが、しぶしぶ重い腰を上げたはずの両親の演技が、あまりにもリアルすぎる。これは計算外だった。父をよく見ると、厳しい表情にひっそりと汗をかいていた。本人も娘たちの反応が想定外だったらしい。
「やだっ!」
不意に、緋色が机に手を叩きつけて大きく身を乗り出した。その場にいる双子以外の全員が、びくっと身を竦める。
「琥珀と離れたくないっ! テストで学年一位取るから! 大っ嫌いな野菜も残したりしないから! 何だって言うこと聞くから! 琥珀といさせてよ、ねえっ!」
琥珀とアタシを、引き裂かないで。緋色は大粒の涙を流して食いつくように言った。彼女の一途さに、両親も狼狽を隠せていなかった。私もそうだ。
「緋色、やめなさい」
「でもっ!」
「わかってる。ね、私に任せて」
琥珀に頭を撫でられた緋色は、不満そうながらも席に着いた。正面を向いた琥珀の表情は変わっていなかったが、瞳が燃えるように光っている。
「父さん。私も緋色と同じ。私は緋色を姉妹としてじゃなく、一人の女性として愛しているの。他の人の関係と私たちが違うなんてことは、わかってるつもりよ」
でも、私たちはおかしくなんて、絶対にない。彼女の口調は静かながらも、確かな決意が込められていた。
「私たちはこんなにも愛し合ってるの。それは世間にも社会にも、父さんや母さんにも変えられないわ。それでも無理矢理私たちを引き裂こうとするなら、駆け落ちしてやるから」
きっぱり、と彼女は言った。緋色もその言葉に何度も力強く頷いていた。
妹たちは、ただいちゃいちゃしているだけじゃなかった。
胸の奥に秘められた覚悟、想い、そして、お互いを愛す心。全ての要素が、私の誤算だった。
完全に、完敗だ。そう気づいた瞬間、私は琥珀と緋色に向かって、拍手をしていた。表情を崩した父が、涙まで浮かべている母が続く。ぽかんとしている二人に、母が言う。
「あんたたち、そこまで考えていたんだね。お母さん、感動しちゃったよ」
「父さんもだ。これはもう認めざるえないよな、陽子?」
父さんが首謀者である私を呼んだことで、妹たちが一斉にこちらを向いた。どうやら、全てのカラクリに気がついたようだ。その眼差しが二倍のトゲとなって私の全身に突き刺さる。
「おーねーえーちゃーん?」
「姉さん。緋色を泣かした罪は、重いわよ」
「お、お手柔らかに」
小さく縮こまった私は、小さくそう呟いた。
その一件以来、妹たちの関係は、家族内で正式に認められることとなった。今までは黙認だったものが、公式化したということだ。
二人は相変わらず昼夜問わずいちゃついていたが、相手への気持ちもより一層深まったようだ。夜、階上から謎の甘い声が聞こえてくる回数が増えた。
一方私はあの後、妹たちから三時間正座でじりじりと説教を受け、半年のプリン禁止を言い渡された。当然の報いとはいえ、長い期間に渡る好物抜きはさすがに応える。まあ、それくらいで許してくれる妹たちもまた、優しいものだ。
私自身もあれから、色々と考え方が変わった。朝食夕食の激甘化にも、ようやく慣れてきた。琥珀と緋色は、他の姉妹とは少しだけ違うけれど、やはり、私の可愛い妹たちである。
そして。朝、学校へと登校中。
「ねえ、手、繋いでいいかな。波瑠」
「ん……。いいよ、陽子」
「何だか、改まって呼ばれると、照れちゃうね」
「えへへ。陽子の手、あったかいね」
「波瑠の手だって」
私にも可愛い彼女が、出来ちゃいました。