晝は夢 夜ぞ現
このお話は、この町に住む美容師の太田葉蔵君と、彼の行きつけのカフェー「コスモス」で女給をしている葉山ツネ子さんの二人におこったちょっぴり珍妙な出来事です。ある雨の日の夜、太田葉蔵がコスモスでお酒を楽しんでいるところから始まります。
とっとっとっとと、カウンタア越しにビイル注がれた太田葉蔵君が言いました。
「ね?分かるだろう?ツネちゃん。つまりね、そういう事なんだよ。それもデモクラシイの一つなんだな。このコスモスってカフェーで、しがない美容師である僕が、素敵な女給にビイルを注いでもらう。これもデモクラシイなのさ。あ、そうそう。ツネちゃん。ツネ子さん。君は顔が小さいからパアマネントがきっと似合うよ。どうだい?ドイツ髪なんてのは?」
ビイルを注いだ女給葉山ツネ子さんは、ニコッと笑いながら言いました。
「えー?ドイツ髪?いやだわぁ私。......。うぅん、でも丸髷はもう古いってラヂヲでも言っていたわね。それなら、そうね!私は新日本髪にしてみたい!新ってところがそれこそデモクラシイを感じるわ。ねっ?葉蔵さん!新日本髪にしてよ!」
「あー、なるへそね。新日本髪かぁ。いいねえ。いいわ。うんいい!そうしよう!まだこの辺りじゃそんな洒落たヘヤアスタイルしてる人はいないしね。よし!明日にでも店においでよ。一番でやってあげるから。フフフン。しっかしツネちゃん、店を出る頃には大変だよ?町の男はもちろん、女、子供、兵隊さん、ジョニイ・デップ。皆ツネちゃんに釘付けさ。そうなったら、ちょっとゆであずき屋にでも寄って行こうかしらなんて庶民的な考えはもうできないぜ?たは。たははは。」
「アラ?なんで?私はたとえ日本一お洒落になったとしても、ゆであずき屋には行くわよ。すいとん屋にでもおでん屋にでも普通に行くわ。それどころか、ポケッツの南京豆を口に放り込んで、コップ酒で流し込みながら歩くのだってできるわ。」
ツネ子さんはそう言いながら、自分のかけている白いエプロンのポケッツから豆を出し、空にほうり投げ、口でパクッとキャッチする真似事をして見せました。
「ぅわ~お!ツネちゃん。君はそこらのバスガアル、いやエアガアルよりもいかしてるよ。」
「いかしてる?どういう意味かしら?葉蔵さんの持ってるそのドクロ柄のフロシキの事?ほらほら、早くグラス空けちゃいなさいよ。」
ツネ子さんは葉蔵君に注ぐ為のビイル瓶を手に取ります。
「おいおい、せかしちゃいけない。今夜の僕は十五円しか持っていないんだぜ。五円紙幣が三枚さ。気楽に飲まかしてくれよ。ゴクッゴクッゴク...。」
とっとっとっと...。
葉蔵君がグラスをば空けると、すかさずツネ子さんがビイルを注ぎました。
「何言ってんの!そんだけあればまだ十本はいけるわよ。」
ツネ子さんは、エプロンの端で、ビイル瓶に付いた水滴を拭きながら言いました。それを聞いた葉蔵君が落ち着き払ってこう言いました。
「僕はね、ツネちゃん。あのね、ぼ、僕ぁぁ、ボカァ~。僕は貯金してるんだよ。貯金をね。何故かって?って聞かれなくても答えますよ。ゴクッゴクッ...。あ、ごめん。注いでくれるかい?ん、ん...ぉおっとっと!ありがとう。ゴクッゴクッゴク...。あ゛ー。ふぅ~。で何だっけ?あ、そうそう。ドイツ髪にしませんか?...って違うね。そうだ!十五円しか今夜は持ってないんだよ。で、僕は貯金してるんだ。貯金。ほんで、何で貯金してるかって話だ。いいかい?僕が貯金してるのは、ツネちゃんみたいな...って、例えばの話だよ。ツネちゃんのような魅力的な子に結婚指輪を...プーッ!あっはっはっは...。結婚指輪をね、買ってやる為なんだな。」
あたふたと、しかし最後は落ち着いて、葉蔵君はテノオルの魅力でこう言ったのです。で、葉蔵君、これは恥かしかったのでしょうか、それを紛らわすかのように、グラスのビイルをゆらゆらさせてもてあそんだのです。
一方、ツネ子さんはそれを聞くと、
「ま、葉蔵さんったら酔っていらっしゃる...。ふふふ。......デモクラシイね。」
と、まんざらでもない様子で、顔を赤らめこう言ったのでした。二人とも照れていたのでしょうね。声を大にして笑ったのでした。葉蔵君とツネ子さんの笑い声は店内に心地良く響き渡りました。
昭和八年。独逸ではチョビヒゲが首相になり、我が国では、国際連盟からの脱退、宮沢賢治が天に召されるなど、ちょっぴり湿った雰囲気の一方で、巷では海外からきたヨーヨーなるものがお洒落最先端の若者の間で流行り、あちこちの広場では蓄音機が持ち込まれ、大音響で東京音頭が流れ、そこに集まった人々がエキサイトダンシング。更には皇太子が誕生し、国中が祝賀ムードの華やかな年。そんな時代背景の中。とある都市。とある町。その町の駅前の大通りから西へ向かいます。ホフク前進で約四十五分。小型犬を連れて約三十分。普通に歩くと約二十分。劇場と時計塔の間を抜けます。そこにカフェー「コスモス」はあります。歩道から三段の石段を上がり、入り口の木製のドアーを開けると、ドアーに付いている鈴がカランコロンと鳴るのです。カランコロンと鈴を鳴らして店内へと足を運びます。テエブル席が三席とカウンタア。そのテエブル席とカウンタアの間にはごついストオブ。正面奥には蓄音機と柱時計。床板は黒に近いこげ茶色で壁は白。入り口のすぐ隣の壁には金ブチの大きな大きな鏡、そのまた隣には、洋服を着た美しい女性が片手にビイル瓶を持ち、ニッコリしている絵のポスタアが張られています。全体としては、薄暗いけど落ち着いた店内になっています。コスモスは、巴里のカフェーを真似て作られたそうです。
三段上がってドアーを開け中に入るでしょ。一畳程のその踊り場のようなところで店内を見渡すでしょ。三段下りて席に付くでしょ。その三段を下りてる時にスイッチがはいるんだよね~。今夜は飲むぜ~っつうモード切り替えスイッチがね。こうおっしゃるのは常連客です。週末にもなると、店内はこんな常連客でごったがえします。彼らは昼間のうっぷんを晴らすため、パナマ帽を放り投げて騒ぐのです。中には酒よりも女給目当ての学生もいます。とにかく騒々しい週末。
しかし今日は平日です。しかも雨降り。時間も遅い。今夜のコスモスには、女給のツネ子さんと客の葉蔵君の二人しかいません。おやおや、葉蔵君が心の中で何か言っていますよ。ちょっと聞いてみましょうか。
(今夜はいける。うん、いける。さっきのジャブで確信した。あと一息。あと一息だ!葉蔵!邪魔者のいない今夜こそ、僕の熱い思いを彼女にぶつけるんだ!ツネ子という山を制覇するんだ!見ろよ、町一番のお洒落な美容師である僕の今夜のファッション。最高にきまってるぜ。な?巴里帰りのおじさんに貰った巴里製のカチカチのパナマ帽にドクロ柄のふろしき。はるやまで買った高級着物。中はパンクTシャーツ。ちょっとだけ着物から見えるところがポイントさ。帯なんてユニグロだぜ?よりどり三本セット。ははは。色、ツヤ、重さ、匂い。我ながらうまくよりどったなぁ。あすこの店員も僕のよりどり方に唖然としてたもんね。で、そのよりによりどった三本の中から、さらによりどった一本が今夜してるヤツ。完璧だろ?おぉっと、いかんいかん。下駄もすごいんだった。アシックサの西郷隆盛モデルさ。いま流行りのね。おいおい。よく見りゃ僕、芸能人みてーじゃん。なんつって、はははは。ようよう、ほんっと。マジで、いいわ。どうだい?これ。今夜の僕。どうなの?ねぇねぇ。どうだい?)
「どうだーい?」
「わっ!ビックリしたぁ!黙ってニヤニヤしてると思ったら突然何よ!」
洗い物をしていたツネ子さん。ビクッとして葉蔵君に言いました。
「あ、あ、ご、ごめん。何でもねっす。ねっす。はは。」
(しまったぁ。感極まって無意識に声が出ちゃったよ。ま、ええ。そんな事より、今夜はシチュエイションもファッションもハアトが震える程、いや、ビイトが燃え尽きる程...。あれ?ハアトが燃え尽きる程...?いやいや。ハアトが燃え尽きたら死んでしまうな。ハアトがビイトで...って、違う違う。とにかく、今夜はいいんだ。いけるんだよ!で、あと小話を一つばかししたらGOだ。小話...。何にするか?得意の最新流行事情?それとも、この間、お客さんから聞いた火星の話?あ、待てよ?昨日ラヂヲで聞いたインコの話も面白かったな。いやしかし、ラヂヲだとツネちゃんも聞いていた恐れもあるな。その場合、『アラヤダ!葉蔵さん。それ、この前ラヂヲで言ってたヤツよね?何自分の話のようにしゃべってんのよ。バッカみたい!』と罵られ、とほほで店を出る。その帰り道に犬のクソを踏むっつう最悪のケースになりかねないな。やめよう。インコの話は。おし!決めた!火星!コレだよコレ!やっぱコレ!火星の話にしよう!ツネちゃん、いいかい?僕は、この火星という駒で......王手だっ!)
ゴクッと一口ビイルをあおり、グラスを置こうとして、やはりもう一度口に持っていき、残りをすべてゴクゴクッと流し込み、タンッ!と、グラスを置いた葉蔵君。ようやく話を切り出したのです。
「あのねツネちゃん僕らが住んでいるこの地球という惑星はね火星という惑星のねすぐ...」
カランコロン...。
入り口のドアーが開きました。間髪いれません。ダダダッと男が入ってきたのです。男はドアーを閉め、ブルブルッと服に付いた雨を払いました。ウッゲーッ。ゲゲゲェー。客ぅ?勘弁してくださいよー。と、葉蔵君は思いました。しかしここで、すかさず職業病であるファッションチェックを行いました。高い帯位置に短い裾。ウフフ。時代遅れの大正スタイルじゃん。おまけに着物に革靴なんて、僕のオヤジの時代に流行ったヤツよ。葉蔵君は苦笑しつつ、フイユーと溜息を漏らしました。一方、男は、葉蔵君にファッションチェックされ、苦笑され、フイユーと溜息を漏らされているとも知らず、開口一番こう言ったのです。
「すいません!便所貸してください!」
「え?あ、ああ。どうぞ。そこの柱時計の横にあ…」
と、ツネ子さんがいい終える前に男はお便所目がけて駆け出しました。途中でテエブルにガンッと太ももをぶつけ、その反動でブリッと屁をこいたのですが、それに関して何も言わずそのままお便所に駆け込んでいきました。グラスを片手にポカンとしている葉蔵君にツネ子さんが言いました。
「まぁ、あわただしい人だこと。よっぽど我慢していたのね。...。あ。ちょうどレコオドが終わったみたいね。」
男がお便所に駆け込んだのと同時に、それまで流れていたディック・ミネがフェイドアウトして、ブツッブツッとノイズ音が聞こえ出したのでした。ツネ子さんは、エプロンの裾で手を拭いた後、蓄音機の横にあるレコオドが並べられている棚で、次に流すレコオドを選び始めました。
「ねぇ、葉蔵さん。何か聞きたいのある?言って。」
「そうだなぁ。うーん。ジャズも飽きたなぁ。あ!あれ!あれかけてよ。あの~、マーマレーマーマレーとか歌ってるヤツ。前にかけてくれたじゃん。」
「マーマレー?......。あー、TAWAWAヒットパレードね。久保田利伸の。分かったわ。」
ブツッブツッブツッ...。
♪♪♪♪♪♪♪......。
TAWAWAヒットパレードが店内に流れ始めました。
「おっ。TAWAWAヒットパレードじゃん。」
と、お便所からちょうど出てきた男が誰に言うとでもなく言ったのでした。そしてそのままカウンタアまでニコニコ歩いていき、いやぁ助かりました。ありがとうございました。砂糖入りの麦茶を一杯いただけますかな。と、葉蔵君の隣に腰掛けたのでした。
「アルコオル抜き?」
ツネ子さんが聞きます。
「ええ。抜きで。」
男は答えました。さっきは入り口のドアー付近だった為、葉蔵君によるファッションチェックのみの男でしたが、近くに来るとその顔がハッキリ伺えました。髪はボサボサ。思わず葉蔵君、おい、ちょっとハサミ持ってきて。と助手に言いたくなる程でした。顔は悪い方ではなさそうです。いやむしろ、端整な方だと言ってもいいでしょう。ロイド風の眼鏡に高い鼻。その鼻の下には針のようにピンッと左右に尖った二本のゲーヒー(ヒゲ)。真っ赤な唇。まるで江戸川乱歩の小説に出てくる悪玉のような顔です。しかもこの男。癖でしょうか、時折両の手でもって、両のモミアゲをブチブチッと抜くのです。
怪しい男だなぁ…。と、葉蔵君は思いながらチラッティラッと男の方を見ていると、突然男は葉蔵君の方へ顔を向けたのです。当然二人は目と目が合ってしまいました。ギョッとした葉蔵君は思わず、
「ははは。どうですか?最近。」
と、口走ってしまったのでした。
どうですか?最近。
これは、対面が二回目以降の切り出し文句であって、初対面ではマナー違反でしょう。さらに悪いのは、ははは、という笑いが先に付いている事です。ははは、は、やはり四、五回の対面の後でしょう。
ははは。どうですか?最近。こう言った後で、葉蔵君はそれらに気づき、あ、やっべ、と思って、屁でもこいてその場の雰囲気をうやむやにしてやろうと思ったのですが、無念。起死回生を懸けた屁の音色はスーだったので、誰の耳にも入りませんでした。しかし、考えてみると、今のがもし、音量大の重低音の聞いた屁だったとしたら、ツネちゃんに間違いなく嫌われていたぜ。そう思うと、葉蔵君は、良かった、スーで。と、ホッと胸を撫で下ろしたのでした。
「いやぁ、いいですねぇ。」
葉蔵君の心配をよそに、男はこう答え、己のモミアゲをブチブチッと抜き、更に続けたのです。
「すこぶる調子いいよ。いいアイデアが湯水のように湧いてくるんですよ。あ、申し遅れました。わたくし、この町で発明家をしています、スミダと申します。ここで会ったのも何かの縁だ。どうぞよろしくお願いします。」
「発明家って、エジソンみたいな?すごいわね。ねぇ、葉蔵さん。あぁ、ごめんなさい。私は見ての通り、この店の女給をしてる、葉山ツネ子です。よろしくね。え~と、スミダさん。あなたの隣に座ってるのが、美容師で大酒飲みの太田葉蔵さんよ。」
とっとっとっとと、葉蔵君にビイルを注ぎながらツネ子さんは言いました。
「ちょっと、大酒飲みはよしてくれよ。どうも初めまして。太田です。発明家ですか?いやぁ、すごいなぁ。あぁそうだ。それじゃあこの出会いを祝して、乾杯でもしましょうか。さぁ、ツネちゃん。君も飲めよ。ホラホラ。」
今度は葉蔵君がツネ子さんにビイルを注ぎます。
「そうね。いただこうかしら。」
こうして三人は、今夜の出会いと、ついでに皇太子誕生にと、グラスをカチンと合わせたのでした。
「僕はね、自分で言うのもなんなんですが、素晴らしい発明をね、このモミアゲの数ほどね、このっ…このねっ…このっ…」
グラスを置いたスミダ氏は、こう言いながらモミアゲをブチッと抜こうとするのですが、なかなか抜けません。やっとブチッと抜けると、
「このくらいね、してるんですよ。フハハハハ。」
と笑うのでした。そしてスミダ氏、でね、名刺代わりにね、と着物の内ポケッツからゴソゴソと何かを取り出したのです。
「僕の発明品、エログロ自動マッチです。」
スミダ氏が取り出したモノ。それは、大きさ約十五センチ。裸の外国の女性が、仁王像のようなポオズをとっている、プラチックでできた何やら奇妙なモノでした。
「ここをね、こう持って、頭の部分を親指で押さえてみて下さい。」
そう言ってスミダ氏は、葉蔵君それを渡しました。葉蔵君は、その奇妙なモノを手に取ると、スミダ氏に言われた通り、裸の女性の頭部分をグイッと親指で押さえたのでした。すると、押さえられた女性の頭は九十度に折れ、それと共に『ぎやあ』という悲鳴が聞こえ、更には何と、頭の無くなった胴体の首部分から、炎がボッと上がったのです。
「わわぁっ!」
葉蔵君は驚き、思わず押さえていた親指を離すと、女性の頭は九十度戻り、炎は消え、仁王像のポオズをしている元の形に戻ったのでした。
「フハ。フハハハハ。フハ。ビックリしました?ちょっと貸してください。これはですね、煙草に火を点ける道具なんです。マッチって、両手を使うじゃないっすか。でもね。フハ。これなら片手でいけるワケなんですよ。こう、ほらね。」
スミダ氏は、得意気に、かつエビス顔で、なおかつ右手でモミアゲをブッチブッチ抜きながら、左手で自作の発明品をカチカチやって炎を出して見せたのでした。更にスミダ氏は、
「すごいっしょー。よく見てください。顔がね、こう横に倒れるでしょ?その時、ホラ、ここ。両の眼がね、飛び出るんですよ。これ。ね?ホラ。」
と、付け加え、カチッカチッカチッと三回炎を出しして見せたのです。なるほど、親指で女性の頭を横に倒すと、ぎやあという悲鳴と共に炎が上がるのですが、その時、横に倒された女性の顔をよく見ると、目玉がポーンと飛び出ています。なかなか細部まで良くできているなと、葉蔵君は感心したのでした。
「ねぇねぇ。ちょっと貸して貸して。」
ツネ子さんは、口に煙草を咥えながらこう言って、スミダ氏からエログロ自動マッチを受け取ると、自分で煙草に火を付けました。
「ん~!これ!すんごいわぁ!楽よ楽!素敵!面白いしね!感心するわ。まったく。こんなの作っちゃうなんて。」
と、ツネ子さん。興奮からか語順も滅茶苦茶です。しかしそれを聞いたスミダ氏は、鼻の下のゲーヒー(ヒゲ)を指でピンピンに整え、ロイド風眼鏡の位置を中指でチョイチョイっと調整し、締めに両手でモミアゲをブチブチッと引っこ抜きました。そしてニヤリとしながら言いました。
「いやいや。こんなのはホンッとね、挨拶程度ですから。フハハハハハ。」
「ちょっとスミダさん。自動散髪機の発明だけは勘弁ですよ。僕の仕事が無くなっちゃいますから。」
「ま、葉蔵さん。野暮な事は、言・わ・な・い・の!あ、ねぇスミダさん。ほかにも発明品ってあるのかしら?」
「はい。ありますよ。見ます?フハ!見せますか?えぇとね。これこれ。これ見てください。」
スミダ氏は、鞄の中からゴソゴソッと次の発明品を取り出したのでした。どうやら陶器でできているソレは、二つ並んだ山のような形をしており、それぞれの山の頂上にピンク色の梅干の種のようなものが付いています。これはまるで......
「ビックリおっぱいです。一見、何の変哲も無い美形のおっぱいですが、いいですか?この左のおっぱい。このね、乳首。コレをつまんで、上に持ち上げる...。と、ホレ。こうですよ。上下に分かれて、ちょうどこの乳首側がね、蓋のようなね...え?葉蔵さん!今何て?そう!ファイナルオッパイ?......正解!葉蔵さんのおっしゃる通り、小物入れみたいな感じです。」
スミダ氏は更に続けます。
「で、この中に、南京豆を一粒入れます。そして蓋をしますね。さぁて、いきますよ~。」
と彼は、両腕の袖を捲くり上げ、ビックリおっぱいに向かって両手のひらをかざし、んっ、やら、はっ、やら言い始めたのです。葉蔵君もツネ子さんも、お互い顔を見合わせ、ツネ子さんは首をかしげ、葉蔵君はそれにうなづき、そして二人はまた、スミダ氏の方へ顔を向けました。が、葉蔵君は、再びツネ子さんの方へ向き直りました。
(いやぁ。やっぱかわいいなぁ、ツネちゃん。何つうの?女神のよう?かわいいだけじゃ形容しきれないね。この前見た大帝国銀行の窓口の子もかわいかったけど、ツネちゃんとは違うんだな。ギタアだけでもいいんだけど、ベエスギタアもはいると音に厚みが出るっつうかさ、そう!それよそれ!ギタアだけのが大帝国銀行の窓口の子で、ベエスギタアが足されたのがツネちゃんなんだよな。はは。...あ、そうだ。そういやツネちゃんと二人きりだった時に、何の話しようとしてたっけ?あれ?何だっけ?しまったなぁ。こりゃ酔っ払っちゃったみたいだよ。すっかり忘れちゃってるし。何だったっけ?おい!しっかりしろ!葉蔵!考えろ!...うーんと...えぇと...あ!あ、あ、アレだアレ!インコ!インコの愉快な話!コレだ!ははは。インコだよ。インコで火星だ。え?あれ?待って。火星って何だよ。酔ってるね、完全に。火星って突然なんだよ。フハッ!あ、フハッて言っちゃった。スミダさんのがうつっちゃったよ。フハハハハ。よおし、決めた!インコの話をツネちゃんに今からしてやんぜ。)
「ねぇねぇツネちゃ...」
「ナンシースパンゲンッ!」
突然のスミダ氏の叫びに、不意をつかれた葉蔵君はもちろん、構えていたツネ子さんでさえもビックリです。
「いやいや。ごーめんなさいね。何か驚かせてしまって。フハハハ。今のはね、いわゆる呪文のようなものです。実はですね、先程、このビックリおっぱいに入れた南京豆。ンホンッ!......異次元に飛ばされました。しかし!悲しむ事はありません。何と、僕の呪文によって、別の物質になって再び戻ってきたのです。」
「え?つまり、今ここに入っているのは南京豆じゃないっておっしゃるの?そんなアホな。ねぇ、葉蔵さん?そうでしょ?ちょっと言ってみて。そんなアホなって。」
「そ、そんなアホな...。」
葉蔵君は、半ば強引にツネ子さんに言わされました。
「フハハハハハハハ。そうでしょうそうでしょう。僕が南京豆を入れた。蓋をした。そこからは誰も手を触れてないですよね?このビックリおっぱいに。変わってる訳がないでしょう。他の物質になんてね。フハッ!しっかし、これは僕の発明品、ビックリおっぱい。あらゆる物を他の物質に変えてしまうのです。......それではご覧あれ。奇跡の瞬間を。」
スミダ氏は、ゆっくりとビックリおっぱいの蓋を開けました。葉蔵君とツネ子さんは、思わずそこを覗き込みました。
「あ゛ーっ!な、な、南京豆がっ!」
「こんな事って...。」
スミダ氏は、二人の反応を見て、ニヤリとしながら得意気にブッチブッチとモミアゲを抜いています。
何と、変わっていたのです!
「フハハハ。二人ともご存知でしょう?この黄色と青を。南京豆はビックリおっぱいによって、これに変わってしまったのですよ。フハッ。そう、TSUTAYAの会員カードにね。フーッハッハッハッハー!」
「すごいわ。まるで奇術を見ているようよ。」
ツネ子さんは手を叩きながらこう言いました。葉蔵君はというと、口を開けたままうなづくばかりです。
その後もスミダ氏のステエジは続きました。ロイド眼鏡を前後させ、目を大きく見せたり、スネ毛を使ってアリの大群を作ったり。いきなり何を思ったのか、上半身裸になって、右のわきの下に左手をかぶせると、そのまま右腕を上下させたのです。するとどうでしょう。プップップと、軽快な屁にも似た音がスミダ氏のわきの下から出始めました。そして彼は、その音を使ってハトポッポを奏でたのでした。葉蔵君もツネ子さんも、頭の隅の方では、発明でもなんでもないじゃん、なんてな事を思いながらも、スミダ氏の技に歓喜の声を上げるのでした。
「さて。」
と、スミダ氏は、砂糖麦茶を一口飲み、グラスを置き、落ち着いて言いました。
「これが最後です。とっておきのヤツをお見せしましょう。ツネ子さん、店内の照明をもう少し暗くする事はできますかな?」
「ええ。できるわよ。調整のネジが確かついてたから。ちょっと待ってね。」
ツネ子さんは小走りで照明のスイッチのある壁に向かいました。
「いい?だんだん暗くしていくから。ストップって言ってね。」
徐々に店内が暗くなっていきます。カウンタアから見て、奥のテエブルや、入り口横のポスタアがぼんやりとしか見えなくなる頃、
「ハイ!スタァーップ!」
と、スミダ氏は発音良く合図しました。ツネ子さんが手探りでカウンタアまで戻ってきます。
「それでは、え~、取り出したる、このエログロ自動マッチ。今から、これを点火します。葉蔵さん、ツネ子さん。あなた方は、この炎をば、目を離さず、しっかりと見ていてくださいね。では始めます。」
カチッ、ギャー、ボッ...っと、炎がつきました。炎で照らされた範囲だけが明るく、後はほとんど暗闇です。炎がゆらゆら揺れる度、照らされている周りもつられてゆらゆらと揺れるのでした。
「いいですか?それでは次に、この炎を動かしますよぉ。ホーラ。ホーラね?いいですかぁ?目は離さないでくださーい。ホーラ。次は回しまーす。ホーラホーラホーラ...。」
葉蔵君は、懸命に動く炎を追いかけながら、これから一体何が起こるんだろうと、胸をワクワクさせていました。視界にうっすら入っているツネ子さんも、同じように炎を追いかけているようです。
三分くらいたった頃でしょうか、スミダ氏が言いました。
「ちょっと動きを早くしますよぉ。ホーラ。ホーラ。フハッ。ホーラ。フハッ。ホーラ...。」
ホーラ、フハッ、ホーラ、フハッ、ホーハ、フーラ、フーハ...フーハ...。フハッ...フハハ...。フハハハハハ。
葉蔵君の頭の中で、スミダ氏の笑い声が響き渡ります。今、僕の目は開いているのか?あぁ、何か心地いいなぁ…。なんだろう、これ…。と、葉蔵君は、まるで夢の世界にでも落ちていくような感じを覚えたのでした......。
......さん......。
...ぞうさん...。
...ようぞうさん。
葉蔵さんっ!葉蔵さんっ!
葉蔵君は、ツネ子さんに体を揺すられ、パチッと目を開きました。
「あ、あれ?ツネちゃん?あれ?」
目覚めた葉蔵君にほっとして、隣のイスに腰掛けたツネ子さん。その葉蔵君は、状況が把握できず、周りをキョロキョロしています。ツネ子さんは、水を一杯飲み、言いました。
「ふぅ、よかったぁ。死んでるのかと思っちゃった。はい。水。…あのね、私なんかね、そこ、カウンタアの中、その床で寝てたのよ?目が覚めた時ビックリよ。慌てて起き上がってさ、葉蔵さん見たらさ、警察に発見された直後のママキャスの死体みたいにカウンタアに突っ伏してるじゃないの。思わずハムサンド探しちゃったわよ。...フフ。ま、とにかく訳が分かんないわ。スミダさんもいなくなってるし。」
「あ、本当だ。スミダさんいないじゃん。どこ行ったんだろう。便所?」
「ううん。いなかった。でも、ここにお勘定分のお金が置いてあるから帰ったんだと思うわ。」
「僕は、あの炎を見てるうち、何かだんだんいい気持ちになってきて、急激に眠くなってきたんだな...。そこまでだな。覚えてるのはさ。ツネちゃんもそうだった?やっぱそうだよね。...え?え?ってコレ、催眠術?スミダさんに催眠術をかけられたって事?」
ツネ子さんは、エプロンのポケッツからマッチと煙草を取り出し、火をつけ、スゥ~っと静かに紫の煙を吐き出しながら、メイビー、と返事しました。
「何だったんだ?あの人...。何のために僕らにそんな事をしたんだろう...。」
葉蔵君は、溜息交じりにこう言いつつ、乱れた自分の着物の襟を正そうとしました。
「あれ?あれれれ?あ!あ゛ーっ!!ちょ、ちょっとツネちゃん!ぼ、僕の...僕のパンクTシャーツが!パ、パパンクTシャーツが、しょ、しょ、東海林太郎Tシャーツにすり替わってるんですけど!!」
と、葉蔵君、隣にいるツネ子さんの方を向くと、何とツネ子さん、若干身体を反り気味にし、両手で頭を抱え、ガーンとでも言ってるような顔のまま硬直しているではありませんか。
「ツ、ツネちゃん?どうしたの?ツネちゃん!」
驚いた葉蔵君は、ツネ子さんの肩を揺すぶりました。するとツネ子さんは、驚愕のポオズを極力崩さないまま右手だけをゆっくりと動かし、カウンタアの上を指さしたのです。見るとそこには、一枚のハンケチイフが置いてありました。黄色のハンケチイフです。
「どうしたの?これが。このハンケチイフがさ。」
葉蔵君が聞きますが、ツネ子さんは依然驚愕のポオズをしています。葉蔵君は水を一杯飲みました。もう一度ツネ子さんを見ます。まだ動きません。しかしよく見ると、腕がプルプルし始めています。葉蔵君はもう一杯水を飲みました。またツネ子さんの方を向きました。ツネ子さん、限界だったのでしょうか、驚愕のポオズをパッタリとやめ、何事も無かったかのようにこう言いました。
「それね、ただの黄色いハンケチイフなのよ。葉蔵さんのTシャーツ、すり替わってたっしょ?それでハッとして、ハンケチイフ出してみたのよ。案の定だったわ。私が持ってたのは、幸福の黄色いハンケチイフだったの。幸って文字が真ん中に刺繍してあるんだけど、これ、無いじゃない。すり替えられたのよ。」
「ぜんっぜん分からない。どういう事?何で?」
「葉蔵さん、まだ気づかないの?ラヂヲ毎日聞いてる?ほら、最近話題になってるじゃない。すり替え紳士よ。すり替え紳士にすり替えられたって訳よ。」
「すり替え紳士ぃ?...。あ!え?例の、人に気づかれる事なく微妙にモノをすり替えてしまうっていう、あの怪人すりかえ紳士?...って、えぇ!?じゃあ、スミダさんがまさか......!」
無言でうなづくツネ子さん。
二人はカウンタアでしばらくボーッとしていました。外は白々と夜が明けてきました。遠くで列車の通過していく音が聞こえます。
「フッ...。」
「フフッ...。」
「フハハハハハ。フハハハハ。」
葉蔵君が突然笑い始めると、ツネ子さんも一緒に笑い出しました。
「フハハハ。そうかぁ、すり替え紳士かぁ。あのスミダさんがそうだったんだぁ。僕らはさ、話題の人物に遭遇したんだ。つまり、流行にのったって事さ!」
「そうよ!みんなに自慢できるわ!あしたは...って、もう今日ね。今夜は週末だし、ちょうどよかったわ。葉蔵さんも来るでしょ?今夜。」
「...。...ん?あ、あぁ。そっすね。行くよ。」
「あんな不思議な夜だったんだもの。私一人で話してもきっと誰も信じないわ。」
「ああ。そっすね...。」
「...?何よ?どうしたのよ。急に元気なくなったじゃない。」
「...いやね、よく考えるとさ、けっこう気に入ってたんだな、あのパンクTシャーツ。」
「何言ってんのよ!いいじゃない、東海林太郎も素敵よ!それより何より、すり替え紳士からの贈り物だと思えばすごい価値のある物なのよ。元気出しなさいよ!ほら!これから私の髪もやってくれるんでしょ?」
「え?」
「え?じゃないわよ。昨日言ったでしょ?新日本髪にしてよって。」
「あ、ははっ!そうだ!言った言った!ごめん、忘れてたよ。そうだったね。...つうか、もう朝じゃん。やっべ!店の準備しなきゃ!これ、お勘定ね。じゃあ店で待ってるからさ。それからツネちゃん、あの...えぇと、あれ?何だっけ?何か君に言おうとしてたんだけど...。」
「何寝ぼけてんのよ。早く行きなさいよ。朝一番って言ったけど、寝てから行くから昼一番にしてね。頼んだわよ。忘れないでね。」
ツネ子さんにせかされ、着物を正してもらい、カランコロンとコスモスを出て行く葉蔵君。なんだかフラフラとした足取りで、雨上がりの早朝の町を歩いていきます。ツネ子さんは、それを心配そうに見ながら、葉蔵君が角を曲がるまで手を振っていてくれました。
カラスが路上で何かをつついています。それを見ながら葉蔵君は自分の家へと向かいました。彼はこう思いました。
(さっき、僕は何をツネちゃんに言おうとしたんだろう。何だっけ?ま、いいか。今夜また思い出すかもね。あ、そうだ。そういや一体どうやるんだろう。新日本髪って。店行って本探さなきゃ。)
葉蔵君は、心の中でこうブツブツ言いながら、時計塔を左に曲がって、朝もやの中に消えていきました。
Fin