関西弁は喋れない
高二の春、親の転勤で埼玉から京都の高校に転校した。それから、半年経ったある秋の日に、私の初めての彼氏が出来た。
「なあ、向井さん。なんでいつも俺のこと見てるん?」
向井奈帆は私の名前。
同じクラスの男子、月山公貴に突然話しかけられて、帰り支度をしていた私は手を止めた。
「え、見てたかな…」
「そりゃ見てるやろ、俺ら目よく合うやん。」
「そうかなぁ……」
私は曖昧な言葉を返し続けた。
月山の指摘は合っている。学校にいる間、彼のことを目で追ってしまっている自覚はあった。
「ウソ、言わんといてや」
月山はグッと距離を縮めてきた。慣れない関西弁は言葉尻が強く聞こえる。怖くなった私は、誤魔化すことを諦めた。
「…見てました」
「ほら、そうやろ。はじめから素直に答えてや」
月山は呆れたように言ったが、少し嬉しそうにも見えた。私は気持ち悪がられると思い、誤魔化そうとしていたので、彼の反応は予想外だった。
「俺のこと、なんで見てたん?」
「えぇ、っと……」
楽しそうに聞いてくる月山と、真正面で顔を合わせることに私は戸惑う。
整った顔をしている彼は、隠れてコソコソ見るくらいが丁度いい。顔のパーツは黄金比で配置され、無駄のないシャープな輪郭に収まってる。三白眼は、謎めいた印象を与えていて、彼から目が離せなくなってしまう。
「好きなん?俺のこと」
「えぇ!?」
「そうじゃないとおかしいやろ。あんなに俺のこと見といて、嫌いとか言わんでな」
私は月山が好きだった。顔は勿論格好良いし、運動も勉強もできて、あまり喋らないのにクラスの中心にいるところも、すべて憧れていた。
だから、月山の推理は正解だ。
ついさっき嘘は言うなと注意されたばかりなので、私は素直に頷いた。恥ずかしいので、月山の顔は見れずに教室の床をみる。
「…うん。」
「…」
返事はすぐに返って来なかった。月山の反応が気になって視線を上げると、彼はニヤリと笑っていた。
「付き合ってもええよ」
その日から、月山と私は恋人になった。
****
月山と付き合い出してひと月経つと、季節は冬になった。学校に着いて、巻いていたマフラーを外しながら廊下を歩く。今日は水曜日なので少し化粧をしている、マフラーにリップが移らないように気をつけた。
ふと、前から月山が歩いて来ていることに気がついた。交友関係の広い彼は、今日も友人に囲まれて談笑している。
「今日、松村たちとカラオケ行こや。」
「ええなぁ!行こや」
「それやったら、小林さんも誘ってもらおうや!あの子可愛いやん。松村に頼も〜」
わいわいと陽気にはしゃぐ彼らは、私を気に留めることなく通過する。
月山もカラオケ行くようだ。今日は水曜日なのに、会えないらしい。私は週一の逢瀬がなくなったことに、
月山は私と交際していることを隠している。でも、彼に、はっきり隠そうと言われたことはない。
付き合うことになった日、これから学校でどんな風に接すればいいか、睡眠時間を削って考えた。結果、彼に任せようと思い、翌日学校に行ってから彼の動きを待った。
朝から会話どころか、目も合わない。もしかして、昨日の話は冗談で、付き合ってると思っているのは自分だけなんじゃないか。……しょうがない、そもそも月山が私なんかと付き合うわけがないんだ。
諦めて過ごしていると、昨日交換したSNSのメッセージが届いた。
『めっちゃ眠そうやな。昨日寝れなかったん?』
私は一瞬目を疑った。月山は付き合ってるつもりなのか?疑問が浮かびながらも、私はホッとしていた。
それからも彼は学校では一言も話さないが、メッセージは毎日送ってくれている。そして、会えるのは部活が休みの水曜日だけだった。私は、彼との交際で湧き出る沢山の疑問を、解決しないまま過ごしている。
「奈帆ちゃんおはよう。なんか朝から元気ないなあ」
「おはよう。そうかな?寒かったからかも」
「確かに、ほっぺた赤いもんなあ。…ん?化粧してない?今日えらい可愛いやん。」
「ありがとう…。日和ちゃんの方が可愛いよ。」
声をかけてくれたのは、唯一の友人である小林日和。先ほどの月山たちの会話に出てきた小林はおそらく日和のことだ。
日和は勝気な美人で、ギャルマインドのある優しい子。私が転校してきて、一部の女子にイジリという名のイジメを受けていた頃、助けてくれたのが彼女だ。
「奈帆ちゃんは可愛いで。顔も雰囲気も、喋り方も可愛い。」
「今日すごく褒めてくれるね。」
「元気なってほしいねん。な、出たやろ?」
日和の笑顔に誘われて、私の口角も上がる。
月山と付き合っていることは、日和にも内緒にしていた。だから、こうして月山のことでメンタルが落ち込んでいる時に日和に励ましてもらうと、申し訳ない気持ちになった。それでも、何となく隠している方がいい気がして、話さずにいる。
「ありがとう。元気出た。」
「よっし。ほんならさー、せっかく化粧しとるし、放課後、茶シバこうや。」
「うん、行こう!どこがいいかな〜……」
「小林さーん。」
会話を遮って話しかけてきたのは、松村だった。松村は私の机に、ガンッと勢いよく手を置いた。
「放課後、月山たちとカラオケ行くんやけど、一緒に行かへん?」
さっき廊下で喋っていた誘いだ。松村は男子に促されるまま、日和を誘いに来たようで少し不満気だった。
私は松村が苦手だ。と言うのも、転校してから私をイジっていたのが彼女たちグループだから。しかし、嫌悪感を顔に出すわけにはいかなかった。平然を装って、なるべく朗らかに松村の顔を見る。
「行かへんよ。今日は奈帆ちゃんとデートやねん。」
「えー、何でよ。…まあ、いいわ。行かへんってことね。」
日和がはっきりと断ると、松村は即座に引き下がった。元々、誘いたくなかったのかもしれない。松村が去っていく背中に、日和は変顔をして見せた。
「男にばっか色目使って、やらしい女やで。まったく、松村はピーーーで、ピーーなんやから。」
「日和ちゃん、ピーって口で言うものじゃないよ。」
「いいツッコミするようなったなぁ。」
日和は、異性にあまり興味がない。だから、尚更月山とのことは言い出しにくいのだ。スマートフォンを見れば、月山から『ごめん、放課後カラオケ行くから、公園行かれへん。夜電話する』とメッセージが届いていた。私は『分かったよ』と返事をした。
放課後は日和とカフェに行った。
「ここのケーキ、すごない?めっちゃ美味しいやん!」
「本当に美味しいね!他の種類も食べたいなぁ」
「また来週きたらいいやん。あたし、水曜日は仕事休みやから行けるで。」
彼女は芸能活動をしている。SNSでバズって、事務所に誘われたから入ったらしい。学校を休む時も多い日和とこうして遊べるのは私にとって貴重な時間だった。毎週水曜日は月山との約束があるが、私は来週も日和と過ごしたいと思ってしまった。
「うん、行こ。」
日和が嬉しそうに「約束なぁ〜」と言ってる姿を見て、安心している自分がいた。
***
『なあ、なんで奈帆ちゃんは関西弁喋らへんの』
「関西弁どう話したらいいか分かんなくて。」
『えぇ〜、いやや。俺、標準語嫌いやねん。なあ、教えてあげるから、関西弁で話してや』
月山から電話が掛かってきたのは、22時だった。他の家族は皆寝室に入って寝ている頃だったので、私は自室でコソコソと話す。
『好きやねん、言うてみて』
「えぇ〜、恥ずかしい…」
『恥ずかしいことないやろ。聞かせてや』
本音を言えば、恥ずかしいより言いたくない気持ちが強かった。私は関西弁を話したくない。
転校してからすぐに、松村たちに絡まれた。
『関東出身なんやろ、関西弁話してみてよ。』
私は話しかけてくれたことが嬉しくて、家で練習して披露したのだ。照れながらも披露した私を彼女たちはクスクスと笑った。
『下手すぎて聞いてる方が恥ずかしいねんけど。もう関西弁は話さん方がええよ。』
そこから学校内で小馬鹿にされる生活が始まった。悔しくて泣いてしまったこともある、そんな時に助けてくれたのが日和だった。
だから、私はもう二度と関西弁を話さないと決めていた。
『俺のこと、好きじゃなくなったん?』
「えっ、?」
『言いたくないんやろ?ほんなら、好きやないってことやん』
月山は時々、私を試すようなことを言う。クールな彼の意外な一面だった。私は月山からこの手の質問をされた時、決まって戸惑う。
「好き、だよ。……標準語じゃダメ?」
『……まあ、ええわ。今日小林さんとどこ行ってたん?』
「カフェ行ったよ。駅の近く。」
『ええなあ、カフェ。何食べたん?』
「ティラミス食べたよ。……月山くんはカラオケ楽しかった?」
『ぼちぼちやな。なあ、小林さんとおるんと、俺とおるん、どっちが楽しい?』
私から好きと言っても、月山からは言われたことがない。彼は私を試すようなことをするけれど、私が月山に想いを聞いたことは一度もなかった。
会話の内容だって、月山は私のことを細かく聞いてくるが、自分の話はしてくれない。
「どっちも楽しいよ」
『なんでなん、そこは俺やろ。彼氏なんやから』
彼氏、そう呼んでいいんだろうか。付き合ってひと月経つが、直接会って話したのは一回だけだ。先週の水曜日も彼に予定があって断られた。
一回会ったのも、電車にバラバラに乗って、遠くの公園で座って話しただけ。ドキドキはしたけれど、時間がなくて、会ってすぐさよならしたので、肩透かしを食らった気分だった。遠くまで何しに来たんだろうと虚しくなったのだ。
名目上は彼氏かもしれないが、実態が伴っていない。だから、すぐに返事できなかった。
『楽しくないん?俺とおるの』
楽しいか楽しくないかで聞かれると、楽しくないかもしれない。月山とメッセージするのも電話するのも、とても体力を使う。嫌われないように、気を使うので精一杯で、会話を楽しめなかった。
それに、会えないし関係も隠さなきゃいけないような相手と、彼はなんで付き合っているんだろう。交際を提案したのは彼なので、たぶん嫌われてはないと思う。でも、好かれてる気もしない。そんな私を相手にして、月山はこの関係が面倒に思わないのだろうか。
考えるばかりで沈黙する私に、月山はため息ついた。
『はぁ、楽しくないんやな』
「…そんなことないよ」
『そう言うんやったら、態度で示してや』
「態度?何したらいいの…?」
『写真送って、なんでもええから』
また、この展開になってしまった。私は頭を抱えた。最近、月山の機嫌が悪くなると、写真を送るように言われる。
「私の写真なんて、もらっても困るでしょ」
『困らんよ。俺のこと好きって分かる写真頂戴や。あ、風景とか奈帆ちゃん写ってないのはいらんからな。』
私は自撮りなんてしない。だから、このお願いをされるのは嫌だった。以前言われた時に、風景写真を送ったのだが、未だに注意される。
「わかったよ。じゃあ、電話切る?写真撮って、寝ようかな」
『えぇ〜なんでよ。撮ったらまた電話しようや』
「もう24時前だよ。月山くん眠くないの?」
『電話しながら寝たらいいやんか、いつもそうやん。奈帆ちゃんのイビキ聞くと安心すんねん、お願い。写真はまた今度でええから』
月山は週に一回、水曜日だけ会っても会わなくても電話する。そして、その電話は彼が寝るまで続く。一度彼より前に寝てしまい、イビキを聞かれたことがあった。それから、ずっとイジられている。
学校で見れば格好いいと思うし、メッセージが届けば嬉しくなる。でも、電話している時の月山は苦手だった。電話をしたのは、まだ三回目だ。それなのに、彼の電話が早く終わってほしいと、思ってしまうことが苦しかった。
**
「小林さん、今日は来てくれへんと困る。先週来やんかったんやから、今日は来てや」
「だから行かへんて。」
今日は水曜日。月山はまた、男女混合で遊びに行くらしい。日和は先週に引き続き、また松村に誘われていた。
「また向井さんとデートなん?」
「そうやで。いいやろ」
「ほんま仲良いなあ」
日和はニコニコと笑う。松村は今回はしつこく誘っていたが、もう少しで諦めそうな雰囲気だ。やはり、松村は日和に来てほしくはないように見える。
ところが月山たちも登場し、みんなで日和を誘いはじめると、流れが変わった。
「ほんなら、向井さんも来たらええやん」
「そうそう、おいでーや。」
「みんなで焼肉でも食べに行こうや」
私はギョッとする。松村たちと過ごすのは学校ではしょうがないと割り切れるが、放課後はプライベートなので嫌だった。
「私はいいよ。日和ちゃん行っておいでよ。」
「奈帆と先に約束してたんやから、嫌や。一緒に行かんのやったら、あたしも行かん」
先に約束してた、という日和の言葉に、私は一瞬ヒヤッとした。でも、月山は無反応だったから、聞こえていなかったのだと理解した。
「私、大人数苦手だから…」
「ほんなら、松村一人と小林さんたちでどう?」
「え、なんで私ら減らされてるん?」
「松村の仲間たちとはまた今度な。人数減らさな小林さんたち来てくれへんやろ。小林さんと話したいことあんねんな、俺」
態とらしく話す日和狙いの男子、鈴木。その後ろで、松村ははっきりと日和を睨んだ。なんとなくだが、松村は鈴木が好きなのだと思う。そして、日和をライバル視していた。
「もう!来るでいいやろ!?」
「うん…行くよ」
松村が圧をかけてきたのは私だった。うんと頷く他ない。結局、月山、鈴木、他男子一人と、日和、松村、私の六人で焼肉に行くことになった。
私以外のメンバーは、美男美女だ。従って、一緒に歩くと恥ずかしかった。まとまって歩くとさらに目立つ。校内では、後輩たちが彼らを憧れの目で見ていた。一番身長の高い月山の後ろが、死界になっていたので私は彼の後ろに隠れた。
店に着くまで、月山とは一度も話さなかった。目も合わない。ついこないだ寝る前まで電話していた相手とは思えなかった。身長の高い、スタイルの良いイケメンの彼を、誰がどう見たら私の彼氏だと思うんだろう。
焼肉屋に着くと、鈴木が日和の手招きした。
「小林さん、俺の隣座ってや。」
「嫌や、あたしは奈帆ちゃんの隣座るって決めてんねん。」
「あかんで、向井さんは公貴の隣って決まってんねんな」
「そやで、奈帆おいで」
月山が私の腕を引っ張る。日和は「は?」と、私の顔を見た。私も?だ。秘密にしてたんじゃないのか。
「付き合ってんねやろ、二人」
「さっき公貴から聞いてん。なんで内緒にしてたん?全然気付かんかったわ」
私は日和と目を合わせたまま固まった。日和の目が、驚きから疑いの視線に変わっていくのが分かる。
「そうなん…?」
「あ、あの…」
「まさか、言ってなかったん!?そんなに仲良いのになあ!」
大袈裟に煽ったのは松村だった。彼女は私をイジっていた頃のような、意地の悪い顔をしている。
「そりゃしゃーないか、だって、小林さんは人の男取るもんなぁ」
「っ!」
「高一の時、彼女おる男がみんな小林さんのこと好きなって、クラッシャーって呼ばれてたやん。向井さん、誰かから聞いたんやろ?」
そんなこと知らない。私はすぐに首を振った。
「昔の小林さんのこと知ってたら教えたくないよなぁ。しかも、去年小林さん、月山に告って振られてるやろ。絶対教えたら取られるって、そりゃ思うよなあ。」
聞いたことない情報ばかりが錯綜して、私は混乱した。どれも、初耳だ。でも、私が知らないということを、日和は知らない。
「あたしに隠してたん?」
「いや、ちがう、その…」
「違わないやろ。…帰るわ」
日和の言う通り、違わなかった。だって、事実隠してた。
日和は注文の確認に来た店員とすれ違って出て行った。私は追おうとしたところで、月山に引き止められる。
「水曜日は俺とおる約束やろ。」
なんで、今日なの。突然公表するなんて聞いてない。私は月山に合わせて隠してたのに、自分の都合で話すなんて。
心の中で文句をつらつらと言った。でも、月山のせいじゃないことは分かってた。
私は自分の意思で日和に隠していた。男嫌いで、男好きな女も嫌い、そんな彼女に嫌われなくなったから。日和が、月山を好きだったなんて、知らなかった。でも、よく考えたら、いつも同じ方を見てたかも知れない。私が見てた月山を、日和も見ていたのかも。
同じ人を好きになるなんて、日和と私は好みまで気が合うらしい。それでも、明日から彼女といつものように笑い合える気は全くしなかった。
「俺、追いかけてくるわ。」
「はぁ?なんでなん?放しとったらいいやん。どうせ、わたしらのこと下に見てんねん、有名人やから。」
「関係ないやろ。俺は話したいことあんねん。」
動いたのは鈴木だった。松村気に食わない感情を表に出す。続いて、月山が私の手を引いて立ち上がった。
「俺らもちょっと外出よか」
「…うん」
月山が外に連れ出してくれたのは有り難かった。泣きそうだったのだ。でも、あのメンツに囲まれて泣けるわけない。
「なんでどいつもこいつも自由なん。店員さん困ってるやん。小林さんと鈴木はなしで、二人の分は注文しとくから帰ってくるんやで。先食べとくからな。」
松村は店員に注文し始めた。月山は「ありがとう。」と返事する。私は、松村が一番自由だろと心の中で突っ込んだ。
「泣いていいで。」
焼肉屋の裏に来て、月山は立ち止まった。換気扇から肉の焼ける匂いがする。
込み上げてきていた涙が今は引いてしまっていた。それよりも、日和に謝りたい。交際を内緒にしていたことを謝罪したかった。鈴木を押し退けてでも。
「泣かないよ。」
「さっき、泣きそうやったやん。」
「うん、でも引いた。……日和ちゃんに連絡してもいい?内緒にしてたの謝りたい。」
「ダメやろ。たぶん鈴木、今告白してんちゃう?」
どうせ、日和は断る。だって、鈴木みたいな軽い男が、日和は一番嫌いだ。だから、もし二人が話してても邪魔にはならない。
月山の制止を無視して、私はスマートフォンを取り出した。日和の連絡先を押して、耳に当てる。
『…なに?』と日和の声がしたところで、バッとスマートフォンを奪われた。月山が代わりに、日和と話し始める。
「今鈴木とおる?……うん、分かった。焼肉屋には戻って来やんやろ。……ほんなら、終わったら会おうや。……鈴木はおってもおらんでもどっちでもいいで。……うん、相談して。またあとでな。」
「代わってっ、あ、切っちゃった」
私の言葉に耳を貸すことなく、月山は電話を終えると店の入り口へ歩き出した。
「泣かへんねやったら、焼き肉食べようや。それが終わったら、奈帆ちゃんの好きなカフェで、日和に会えるで。」
「え、どういうこと?」
「あーあ、残念や。奈帆ちゃんの泣いてるとこ見たかったなぁ〜」
月山がこれ見よがしにため息をつく。泣き顔なんてなんで見たいんだ。少し腹立ったが、そんなことより早く日和に会いたかった。
焼き肉は食べ放題で、いつもは短く感じる時間制限を今日は長く感じた。早く出たいのに、月山はゆっくりと食べて店を出ようとしない。松村が何度も交際についての質問をしてくるのが、心底嫌だった。
*
「日和っ、ごめん、黙ってて。その、隠してたのは……」
「ええよ。とりあえず座り。」
先週も来たカフェに到着すると、日和と鈴木が並んで座っていた。なんで鈴木もいるんだろう、何だか二人の距離も近い気がする。
違和感を感じつつ、彼女たちの目の前に月山と座る。月山と並んで座るのは居心地が悪かった。焼肉店では、感じる余裕もなかったが、改めて隣にいると分不相応な気がして、落ち着かない。
「日和と鈴木、付き合ったんやって。」
「……は?」
「そうやで、さっきな。」
教えてくれたのは月山だった。日和は、感情のないしらけた顔で、報告してくれる。
「そんなわけない…だって鈴木くんの話なんて聞いたことないし…」
「失礼やなぁ〜!ええやろ、恋は突然やん」
私の否定に対して、鈴木は上機嫌に反応した。そんな鈴木を見る日和の目は、どうしても恋してるようには見えない。ぬるい視線を送っている。
「言ってなかっただけやで。…奈帆ちゃんも教えてくれへんかったやん。」
「そう、だけど」
そう言われてしまえば、ぐうの音も出なかった。私は押し黙って、考えた。
鈴木と付き合うのは意外だったけど、それは日和の自由だ。それよりも、私は日和に謝らないといけない。あと、松村が言った話は知らなかったと伝えなければ。
「あの、松村さんが言った話ね、私知らなかったよ。だからって付き合ってたの内緒にしてたのは変わらないけど、日和ちゃんに取られるとか思ってた訳じゃなくて…」
「そんなん分かってる。」
日和は私の話を遮るように喋り出した。鈴木の話をする時とは打って変わって、泣きそうで悔しそうな感情の籠った顔をしている。
「奈帆ちゃんはそんな打算的なことはせぇへん。友だちなんやから、分かる。嫌なんは、自分や。あたしの方がたくさん隠し事してんねん」
日和は目の周りを赤くしながら、月山を見た。月山が顎をクイッと動かすと、また話し始める。
「奈帆ちゃんが松村たちに方言で揶揄われてる時、あたし止めに入ったやろ。あん時、公貴とおったんよ。」
「え、そうなの…?」
「あたしは無視しようとしてた。だって、松村たち面倒くさいやん。でも、公貴が止めようとするから、そんならあたしがするって言ったんよ。」
「そ、っか…」
「その時まだ公貴のこと好きやってん。でも、それから全然相手してもらえんくなって、めっちゃ暇やったから、奈帆ちゃんの相手しててん。」
私は日和をヒーローだと思ってた。あの時、どれだけ心強かったか。
だから、きっかけなんてどうでも良かった。今、仲良くしてくれてる事実だけが、私にとっては大事だった。
「…今も、暇つぶし?」
「ちゃうよ。本当は芸能活動のために転校しようとしててん。公貴のこと吹っ切るためにも距離離したかったしな。けど、奈帆とおると癒されるし一番楽しくて、勉強とか仕事とか全部頑張れたんよ。だから、今もこの学校通ってて、それくらい、奈帆のこと大事になってん…だから、隠されてたのショックやっただけ、あたしは怒ってへんよ。あ、もう公貴のこと好きとかないから、そこも心配しんといて。
奈帆ちゃんは、あたしのこと嫌んなった?」
日和は私のご機嫌を伺うように上目遣いで聞いてくる。答えなんて決まってる。
「嫌いになる訳ないよ。私も日和ちゃんといるの一番楽しいし、すごく大事だよ。」
「よかったぁ、私も一番好き。」
「うん、大好き。」
「あ、この男と付き合ったんは、松村への嫌がらせやで。こいつもそれでもいいって言ったから、付き合うてん。」
「小林さん、めっちゃ好みやねん。嬉しいわぁ〜」
「…呑気なもんよな」
浮かれる鈴木と、それを相手にしない日和。色んな付き合い方があるんだなぁ、と思う。
二人の会話を聞きながら、何も話さない月山が気になった。そーっと表情を覗くと、学校で見るようなポーカーフェイスをしながら、腕を組んでいる。
「今度ダブルデート行こな〜」
「公貴モテるのに彼女作ったことなかったやろ。彼女とおるところ、見てみたいわ。奈帆ちゃんから見て、公貴どうなん?」
実際には、こうして並んで過ごすのも初めてだし、ご飯も今日の焼き肉が初だ。付き合っている実感が未だに湧かないから、目の前の二人から何を聞かれても答えられなかった。
「……仲直りしたんやったら、もういいやろ。腹もいっぱいやし、奈帆ちゃん送ってくるわ。」
「えっ、あ、うん。じゃあ、日和ちゃんと鈴木くん、また明日ね。」
飲み物分の会計を置いて、月山の背中を追う。彼は長い脚を使ってスタスタと歩いた。歩幅の小さい私は、小走りで付いていく。
「月山くん、送らなくていいよっ」
「……気にせんといて。夜遅いし、心配なるねん。」
「最寄りの駅から近いから大丈夫だよ。道も明るいし。」
「高架下の暗い道通るやろ。あっこ危ないやん」
「そうだけど、短いから大丈夫……」
あれ?通学路の話なんかしたっけ?
ふと疑問が湧いた。一度会った時に、最寄り駅の話はした気がする。でも、道まで喋ったか?
いや、もしかしたら、話したかもしれない。月山との電話は半分寝ぼけてる。だから、その時に言ったのかも。
結局私の最寄り駅で月山は下車した。彼が言った通り、暗い高架下を通る。すると、月山は突然立ち止まって振り向いた。
「顔合わせて話すの久しぶりやな」
「あ、うん。」
「せっかくやから、もうちょっと話そうや。今日は他の奴らもおったからゆっくりできへんかったし。」
「そうだね。」
わざわざこんな薄暗い高架下で喋らなくてもいいのにとは思いつつ、彼の言っていることは事実なので、共感した。月山が道の端に寄ったので、私はその横に並んで立つ。
「横おったら顔見られへん。会うてんから、目見て話そや。」
「そっか、そうだね。」
彼の目を見ようとすると、私は少し背伸びして見上げなければならない。薄暗い蛍光灯の光の中で彼と目が合う。
彼の瞳は一度合ったら逸らさない。それくらい吸引力があった。だから、私は学校にいる間ずっと月山を目で追ってしまった。また、目が合わないかなって。私のこと見ていないかなってーー。
「……あの、月山くん」
「…どしたん?」
「付き合う前、私たちよく目が合ったよね」
「そうやで。だって、奈帆ちゃんが俺のこといっつも見ててんもん」
見てたのは、月山くんじゃないの?
私がそう言おうと、口を開いた時、彼の顔が私の唇まで降りてきた。フニッと柔らかい感触を口先から感じる。
「奈帆ちゃんはほんま、俺のこと好きやなぁ」
□
公貴は女が嫌いだった。とりわけ、気の強い自己主張の激しい女が、鬱陶しいほど嫌いだ。
彼の両親は仮面夫婦で、母は過干渉、父は無関心の両極端な二人に、一人息子の公貴、の三人家族だった。
幼い頃から、男とはこうあるべきだという、呪いにも似た言葉を浴びて、彼は成長した。母は、公貴が思いのままに行動しないと癇癪を起こす。そのため、彼は常に気を張って生きていた。甘えられた記憶はない。
いつしか、母からのストレスによって、女性に対して何の感情も持てなくなっていた。中学生になって第二次性徴期を迎え、周りは恋愛ムードになっていても、公貴が興味を持つことはなかった。美少年だった彼を周りは放っておかなかったが、彼自身の心は全く揺らがない。母は、彼の周りに女性の影ができることを頑なに拒絶した。母からの監視は強くなるばかりで、水の中にいるように息苦しい日々だった。
そんな母は、公貴が高校に入ると外に男を作った。彼がその事に気が付いたのは、毎日ストーカーのように公貴に付き纏う母が、水曜日だけお洒落をして家を留守にして、朝帰りをするからだった。手の込んだ手料理と、添えられた手紙。リビングのテーブルに残されたその二つに、公貴は歓喜した。初めての自由時間だった。
運良く、水曜日は部活も休みだった。何をしても良かった。友人に誘われるまま遊んでも、女子とデートしてもいい。でも結局、何をしても感情は動かなかった。
公貴は、女に対して厳しかった。男はこうあるべきと、強い固定概念の中で育った副作用かもしれない。彼は、女性は朗らかで慎ましく、男の後ろを歩くべきだと考えた。特に、関西弁を話す女子は論外だった。どうしても、母が癇癪を起こしている姿と重なってしまうのだ。
彼が、奈帆を認識したのは、松村たちに関西弁を揶揄われている時だった。廊下から教室の中を覗いた公貴は、惹きつけられるように彼女たちの様子に見入った。
奈帆はイジりに慣れていないのか、松村に馬鹿にされた時に驚いた顔をした。それから、目を閉じて静かに涙した。
公貴は、言い返したり、怒ったり、自虐したり、色んな反応を予想していた。もし泣くとしても、顔を歪めて悔しそうに泣くだろうと推測していた。
奈帆が静かに涙した時、公貴の中の加護欲と被虐心がせめぎ合った。それは初めてのことだった。
「また松村や、放っとこ」と隣にいた日和が言った。彼女とは幼馴染で、母が許している数少ない女子だった。一度告白されて断ったが、今も友人として関わっている。
「あかんやろ、泣いてるやん。俺止めてくるわ」と返事した。本当は、奈帆を庇い松村の反感を買うことで、イジメを助長させようと思ってた。もっと奈帆が困らせて、泣いている姿を見たかった。
結局、日和が松村を止めに行った。奈帆は日和に懐き、あれ以降泣いている姿は見ていない。
ずっと見ていたのは公貴だった。視線に気付いた奈帆は、遅れて彼を目で追い出した。彼女が自分を見ていることが分かると、気持ちは高揚した。
教室で二人きりになったのは、公貴の企みによるものだった。クラスの仕事を他人経由で奈帆にやらせて、自分も忘れ物を取りに帰ってきたように装った。そして、彼女と付き合うことになったのだ。
奈帆の照れながらも嬉しそうな姿に、公貴は不満を覚えた。こんな簡単に自分を好きになって、付き合って、相手は誰でもいいんじゃないかと思ったのだ。だから、学校では無視する事にした。公貴は、反応によっては別れようとしていた。もし、文句を言ってきたり、怒ったり、不満を伝えてくるなら、奈帆も結局は他の女子と同じだ。まあ、泣くならその様子を見ていてやらん事もない。そんな風に考えていた。
彼女の、何も行動しないという反応は、意外だった。公貴がSNSで連絡すると、友人のような返信が返ってくる。だから、交際継続することにした。
水曜日だけ、彼女と会うことにして、母にも学友たちにも会わない場所に言った。なんて面倒くさい逢瀬だろう。これにはさすがの奈帆も反応するかと思ったが、やはり不満は溢さない。そして、彼の後ろをちょこちょことついて来る彼女は、理想の女性のように見えた。
奈帆の反応を見たいがために、水曜日の予定をキャンセルしてみたり、他の女子と遊んだりした。けれど、怒るどころか呆れる様子で、電話も段々冷たくなっていくのを感じた。
その反応にはじめは喜んでいた。これまで女子に邪険に扱われることなどなかったから。母にできなかった甘えや我儘を言ってみたりもした。奈帆は、嫌がりながらも対応してくれて、嬉しかった。そして、徐々に奈帆ともっと関わりたい、触れたいと思うようになった。関西弁だって、彼女のなら聞いてみたい。
その思いが明確に変わったのは、水曜日。会うのをキャンセルして遊んでいた友人に、奈帆が日和と遊んでいると聞いた時だ。俺を差し置いて仲良くする日和にも腹が立ったし、放って置かれるはずだったことも知らずに懐く奈帆も馬鹿だと思った。だから、友情関係にヒビでも入れてやろうと企んだ。
結果を言えば、失敗だった。日和は思いの外、奈帆を大切に想っていたし、奈帆は日和の暴露にも動じなかった。そして、俺には感情を露わにしない彼女に、苛立った。あんなに感情を表に出す女は嫌いだったのに、奈帆の想いは受け止めてあげたいのだ。
だから、これからは違うアプローチをすることにしたり。
「奈帆ちゃんがそんなに俺のこと好きなんやったら、俺も態度に出さんとな」
骨が軋むほど強く抱きしめられた奈帆は、公貴の表情など知る由もなかった。




