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第5話 トップガンとサーキットの狼

その日はもともと午前中に2コマしか講義のない日だったのだが、たまたま休講が重なって僕は休みになった。

舞子は朝早く起きてホテルのバイトへ出かけて、僕が起きたときにはもういない。


僕はゆっくり朝ご飯を作ることにした。


ハンドルを回して豆をガリガリと挽き、紙のフィルターにセットして、沸騰から少し冷ましたお湯を注ぐ。

最初は数滴落として20秒、真ん中から細くお湯を注ぐと、豆が一気に膨らむ。

僕はこの瞬間がとても好きだ。


コーヒーができたら、手鍋に湯を沸かし、酢をひと垂らし。

昨日買っておいた5枚切りの食パンをオーブントースターに放り込み、フライパンには油を引かずにベーコンを焼く。

湯が沸いたら卵を割り入れてフォークで手早く卵白を黄身の周りにまとめていく。

こんがりと焼き上がったパンにたっぷりとバターを塗り、ベーコンと卵を盛り付ける。

さすがにオランデーズソースは面倒なので、マヨネーズに卵黄とレモン汁を混ぜてそれで良いことにして、乾燥パセリと胡椒を軽く振ったら出来上がりだ


沸騰しないように注意深く再加熱したコーヒーをマグカップに注いで、パンをかじる。

完璧な朝食だ。部屋は畳だけれど。


僕は優雅な朝食を済ませるともう1杯コーヒーをマグカップに注ぎ、煙草に火を点けた。

昨夜、舞子に、明日休みだからバイトが終わったら一緒にランチでも行こうと伝えると、大喜びだった。


さて、それまでどうしたものか。


僕はとりあえず部屋の掃除をすることにした。

いつの間にか散らかった雑誌やパンフレットを片付け、コインランドリーに持っていく服をトートバッグにまとめる。

「L.L.Bean」と書かれた白いトートバッグには、まだ少し余裕がある。


舞子の分も、と思ったが、女の子の服を勝手に漁るのは良くないのでやめた。


だが、床に掃除機をかけ終わると、ふと押入れの中が気になった。

この部屋の主として、押し入れの中がどんな有り様になっているのかを確認するくらいは当然の権利だ。襖を開けるくらいはいいだろう。


意を決して襖を開けると、そこには……何やこれは。


カラフルなクッションの他に、やたらとぬいぐるみが増えている。いつの間に集めたんだ?

隅に置かれたミニテーブルの周りには、文庫本の他に、輪ゴムで閉じた食べかけのポテチ、ガーナミルクチョコレート、みかんなんかが無秩序に散らばっている。

見事な『巣』だった。


更にその中に…「フリスキー」?

テレビでCMを見たことがある。「ネコだいすき フリスキー~♪」ってやつ。

何でこんなものがあるんだ?


カリカリが押し入れにある理由は後で聞くことにして、今は深く考えないことにした。

外は2月にしてはとても温かい小春日和、僕は舞子との待ち合わせの店まで、散歩がてら歩いていこうと朝から決めていた。

残りのコーヒーを今度は冷たいままマグカップに入れ、煙草に火を着けて読みかけの本を読みながら出かけるまで時間を潰すことにした。


主人公たちが翻訳事務所を開いて軌道に乗り、共同経営者と「僕達は成功者だ」と祝杯を上げたところで、良い時間になった。


僕はスウェットの上下にヨレヨレのフードパーカーという気の抜けた格好を脱ぎ捨て、ヘインズの白Tをかぶり、その上にダンガリーシャツを着て、リーバイスのボタンフライを留める。

玄関でお気に入りのリーガルのローファーを履く。靴下はもちろん赤だ。

靴箱の上に放り投げていた革ジャン-去年ローンで買った、トムクルーズがトップガンで着てたやつ-を羽織ると外へ出た。


柔らかな日差しの中を、橋を渡って、鴨川デルタを横目に加茂街道を上がっていく。

待ち合わせの店までは、のんびり歩いて30分くらいだ。


まだまだ寒いが、日差しの中には確実に春が近づいていることが分かる。


川沿いを北大路通まで歩くと、白い壁にウッディな茶色い屋根の店が見えてきた。

店の前の食品サンプルのショーウィンドウの前に、自転車を止めた舞子がいる。


が、舞子の姿になにか違和感がある。と同時に既視感もある。


「お待たせ。店分かったんやね。待った?」


「ううん、私もつい今来たところ。この店?」


と、舞子のすぐ近くまで行ったところで、その違和感と既視感の正体がわかった。


「どうしたん、そのカーディガン?いつものピンクのフード付いた上着は?」


「洗濯!これはね、なんか押し入れの上の段にオシャレなの見つけたから着てみた!」


と舞子は笑った


舞子はニコニコしながら、そのカーディガンの裾のあたりを左右からつまんで引っ張ってみせた。まるで中世ヨーロッパの貴婦人がスカートを持ち上げて挨拶するような動きだった。


その服は、薫子が部屋着にと僕の部屋に置いていたものだった。

何で勝手にそんなもの引っ張り出して、勝手に着てるんだ。


しかも舞子の身長には全然あってなくて長すぎて、下はいつもの短パンなもんだから、カーディガンの裾ですっかり短パンが隠れて、まるで何も履いてないように見える。


なにか言ってやろうかと思ったのを制止するかのように、舞子が扉を開ける。


「さ、入ろ!お腹ペコペコ!」


店はお昼のピーク時間を過ぎたところで、スムーズに座ることができた。

メニューを舞子に見せる。

「えーっと…さっき店の前のサンプルもちょっと見たけど、もしかしてハンバーグ専門?」


「専門ってわけじゃなくて他のメニューもあるけど、この店はハンバーグ食べなあかん。美味いよー。今日はどれにしよかな?」


と言いつつ、舞子の顔を見ると、この前の酢豚のときと同じような微妙な顔をしている。


「ハルくんよく来るのこの店?」


「まあ、時々」


「そしたら、私よく分からないから、ハルくんが選んで。私が好きそうなの」


好きそうなのと言われても、まだそこまで舞子の食の好みを把握しているわけじゃない。

分かってるのは、美味いものを食わせると、喋らなくなって、ほっぺたを真ん丸に膨らませて一心不乱に食べるってことくらいだ。


どれにしようか少し迷って、やはり初めてなんだからと、一番シンプルなハンバーグステーキを食べさせてみることにした。

この店のハンバーグには、全部ライスがセットで付いてくる。

舞子にはハンバーグステーキ、僕は最近気に入っているキノコのホワイトソースのハンバーグを注文した。


料理が来るまでの間、僕は舞子の着てきたカーディガンを眺めながら、薫子のことを考えていた。


◇    ◇    ◇    ◇


薫子とは、入学してすぐ、語学のクラスが一緒で知り合った。

スラリと背が高く、長い髪はきれいなソバージュで、白い肌に大きな目と、すっと通った鼻筋と、少し厚めの唇に乗った上品な赤い口紅が印象的だった。


要は美人だった。


大学でそんな場面があるとは知らなかったのだが、最初の語学の授業の時に、簡単な自己紹介タイムがある。

彼女は、山陰地方の歯医者の一人娘だということだった。

身につけている服は、他の女子たちのような肩が張ってウエストが絞られた上着とやけに短いタイトなスカートではなく、上品なキャメル色のカーディガンに、ゆったりとしたロングスカート。

ゆっくりとした話し方もあり、明らかに「ええとこのコ」だということが分かった。


周りの男子たちはヒソヒソと彼女について話していたが、僕は逆に世界が違う気がしてそこまで近づこうとも思わず、その後も学校で顔を合わせると軽く挨拶をしたり、試験前に情報交換をしたりする程度の距離感を保っていた。


◇    ◇    ◇    ◇


「おまたせしましたー」


僕と舞子のテーブルにハンバーグが運ばれてきた。

舞子は疑わしげな目つきでナイフとフォークを持ち、ツンツンとハンバーグをつついている。


「いただきます!」


促すように僕が言うと、舞子もハンバーグを切り、口に運ぶ。


「うま!なにこれ!」


舞子のお決まりのセリフが出た。

このセリフが出たということはそこからは言わずもがな、ハムスターモードに突入だ。

僕はそんな舞子を眺めながら、自分も絶品のホワイトソースに彩られた自分の皿に取り掛かった。


◇    ◇    ◇    ◇


僕は、入学してすぐに入った広告研究会の飲み会や合宿に参加したり、夏に合コンで知り合った別の大学の女の子と付き合ったり、別れたり、琵琶湖にウィンドサーフィンに行ったり、フェリーで36時間かけて沖縄に行ったり、高校時代のラグビー部の仲間と八ヶ岳のコテージに泊まりに行ったり、テニスコートを借り切って大会を開いたり、ドライブしたり、車を連ねて信州にスキーに行ったり、とにかく『大学生になったらやりたかったこと』に全力で取り組んでいた。


親からの仕送りは十分に貰っていたけれど、そういった『なんとなくクリスタルな大学生の生活』の資金を稼ぐのと、更に言えばこれまたそこでの出会いや仲間との交流を求めて、アルバイトにも精を出していた。


アルバイトは、北野白梅町にある24時間のカフェ。

出町柳からだと自転車で30分ほど、いわゆる洛中を東の端から西の端まで移動しなければならなかったが、立命館大学が近いこともあり、店はいつも賑わっていて、バイトメンバーもノリのいい学生が中心。

彼らとも仲良くなって、夜シフトのあとそのまま衣笠のアパートになだれ込んで麻雀からの雑魚寝コースが日常になっていったり、可愛い高校生の新人バイトが入ってくると競って粉をかけたり、みんなでシフトに穴を開けてキャンプに出かけて店長に絞られたり、そんなこんなが楽しくてシフトを入れまくり、2回生に上がる頃には、気がついたら「アルバイトリーダー」なるランクになっていた。


「へー、中田くん達、あの店でバイトしてるんだ。今度行ってみるね」


薫子がそういったのは、2回生の夏休みに入る前の一般教養のクラスでたまたま横になった時だった。


幼稚園から小中と一緒の幼馴染で、高校は別になったが大学でまた一緒になって、アルバイト先も一緒のところに決めたタツヤと、今夜のシフトメンバーについて笑い合っていたのを聞いていたのだ。

タツヤは豪農の次男坊で、僕と同じく親に買い与えてもらった車を乗り回していたが、それは僕の庶民的なスプリンターカリブとは格の違う、パールホワイトの最新型のソアラだった。

バイト先の可愛い女子高生を誘って祇園のマハラジャなんかに繰り出す時は、いつもタツヤのソアラだ。

180cm以上ある長身で脚も長く、少し長めの髪に程よい筋肉。

男女七人で言えば奥田瑛二の役回りのタツヤと純白のソアラの組み合わせは、ある意味無敵だった。


「おー!来て来て!」


お調子者のタツヤが言った。


しかしながら、お嬢様が店に現れたのはすっかり涼しくなった10月、「店に行く」と言ってから実に3ヶ月が過ぎた頃だった。

彼女が現れると、同じシフトのメンバーたちは色めき立った。

誰が水を持っていくか、誰がオーダーを取るのか、誰が注文の品を持っていくのか、いちいち厨房の裏でじゃんけんが始まる。


「アホ。あのコは、ハルヒトが唾つけとんねん!」


突然タツヤが言い出した。

いやいや、僕はそんなつもりはない。


しかし、常に事件を求めているメンバーたちがそんな面白いイベントに乗ってこないわけがない

気がついたら、ロッカールームでタツヤに羽交い締めにされた僕からの伝言という体で、立命館組を仕切っていたヒロくんがメモを彼女に渡しに行った。


メモの中身は僕は教えてもらえなかった。


翌日、僕とタツヤが学食ででっかいカツの乗ったカレーライスを食べていると、薫子が現れた。


「えっとね、中田くんがどうしてもって言うなら、付き合って上げてもいいよ」


タツヤが黄色く染まったご飯粒を吹き出した。

汚い。


そんなわけで、なぜだか僕の彼女になってしまったのが薫子だったのだ。

学部でもバイト先でも注目を集めるような女の子が自分の彼女になったということで、僕も満更でもなかった

どこにでも連れて行ったし、誰にでも紹介した。


しかし。


付き合い始めて1ヶ月も経ち、彼女が僕の部屋に歯ブラシと部屋着を置くようになると、僕は彼女との世界の違いを感じるようになった。

地元ではかなり有名だという歯医者さんの一人娘の彼女は、見た目だけではなく、中身も本当にお嬢様だった。


学費は当然のこと、オートロック付き、管理人さん常駐の1LDKの広いマンションの家賃はもちろん親持ち。

それとは別に月に30万もの仕送りを貰っているという。


僕も、自分の趣味で安アパートに住んではいるが、それなりに裕福な家で育ち、仕送りも友達が羨む程度には貰っていた。

車だって持ってる。


でも、彼女とは明らかに感覚が違った。


ちょっとした距離でもすぐにタクシーに乗る。

高島屋に行けば、外商の人が付いて色々勧めてくる。

気に入ったものがあれば何の迷いもなく購入するが、お金は払わずそのまま帰る。

親に請求が行くのだそうだ。


僕が好きな定食屋やラーメン屋に、付き合ってはくれていたが、毎回店を出ると「今度はもうちょっとマシなとこも行きたいね」と言ってきた。


錢湯に誘っても、一度たりとも付いてきたことはなかった。

だから、僕の部屋に泊まると翌朝は僕の作った朝ご飯も食べずに、タクシーに乗って自分の部屋に帰っていった。


「早くシャワー浴びたいの」


僕が「なんだかなあ」と思っている頃、街はユーミンの似合う季節になっていた。


「♪輝く街はウィンターセール 黄昏おちて」


薫子は、クリスマスは自分がお金を出すから、ウェスティン都ホテルに泊まろうと言ってきた。

レストランも予約すると。


でも僕はあまり乗り気ではなかった。

そんなところに泊まってフレンチを食べるより、僕の部屋で僕が作ったケーキと、僕が焼いたローストチキンを一緒に食べたかった。


でも、まあ、お金を出してくれるんなら、と薫子のプランを承諾したのだった。


ところでその頃、僕は徐々にバイトに入る回数をかなり減らしていた。

仕送りは十分にあるし、面白がって深夜シフトでバイトに入りまくったおかげで、貯金もかなりある。

ちょっとのんびり暮らそうと思った原因の一つには、薫子との交際で疲れていたこともあったかも知れない。

シフトに入るのは、週にせいぜい2回くらいになっていた。


ところが12月23日になって、急に店から電話がかかってきた。

24日と25日は、みんな休みたがって、カツカツのシフトだったところに、大きな戦力であるリーダーのヒロくんがインフルエンザで寝込んでしまったらしい。


「ハル、なんとか入られへん?お前もバイトリーダーやろ?」


店長からそう言われて、僕は承諾してしまった。


そのことを告げると、薫子は最初ちょっと膨れながらも、新たなる提案を出した。


「まあ仕方ないね。キャンセル料なら大した事ないし、次の日に予約変えてもらうよ」


「いや、25日もやねん…」


「は?」


薫子はそれっきり黙り込んでしまい、何も喋らずに帰ってしまった。


案の定、24日と25日は店は大忙しだった。

楽しそうなカップルを見ると、ちょっと薫子に申し訳ない気持ちになった。


連絡のないまま1週間が過ぎ、やっと彼女から電話がかかってきたのは大晦日を翌日に控えた日の夜だった。


「明日、どうするの?大学のみんなと串本に初日の出見に行く話。」

「私、本当はそんなのより毎年家族で行ってる有馬の温泉旅館で年越しのほうが良かったんだけど、ハルがどうしてもって言うからお父さんに謝って予定空けてるんだけど」

「クリスマスもすっぽかして、大晦日も予定空けてる私を放っておくつもりじゃないでしょうね」


「うん、そうやな。クリスマスはホンマ悪かった。もし薫子がもう怒ってへんのやったら、一緒に来てくれたら嬉しいな」


僕は大量の、『しのごの』を言いそうな薫子に喋らせずに、『みんなも美人なお前と会いたがってる』と強引に仲間とのドライブに誘った。

友達の前に美人の彼女を連れてみんなで初詣にいく。

これはとても重要だ。


「分かった。じゃ、明日夜10時に北野白梅町やから、15分前くらいにマンションに迎えに行くわ」


大晦日、僕は駐車場から車を出して、御所の南側にそびえ立つマンションで薫子を拾い、みんなとの待ち合わせ場所に向かった。

薫子は、見るからに手触りの良さそうなカシミアのロングコートとマフラー、そして、古い映画の女優が被ってそうなツバの広いハットという出で立ちだ。


店につくと、店長が

「大晦日にシフト入らへんて、どんなリーダーやねん!」


とてんてこ舞いしながら絡んできたがそれは軽くスルーして、僕たちはそれぞれの車に分乗した。

その時、


「俺もこっち乗せてくれー」


とタツヤが僕のところにやってきた。


「あれ?ソアラは?」


「それがな、昨日いきなりエンストして動かんくなったねん。年末で工場とかディーラーとかも閉まってるし、どうしようもないから、乗せてくれ」


僕は一瞬助手席の薫子の顔色を見たが、気にしても仕方ないと思ってタツヤを乗せて出発した。


名神から近畿道、阪和道と乗り継ぎ、終点の有田で降りたら、あとはひたすら下道で海岸線を走る。。

道中、僕はタツヤとずっと馬鹿な話で盛り上がっていた。

薫子は、不機嫌そうな顔で何も喋らず、細いメンソールの煙草を何本か吸ってから寝てしまった。


串本に着いて、日の出スポットに歩いて向かう時も薫子は無言だった。


本州最南端の突端から見る初日の出は圧巻だった。東の空がだんだんと白くなってやがてオレンジになり、水平線の向こうに太陽が顔を出すとそこに集まっていた人々の間から感嘆のどよめきが起こった。


しかし、薫子はにこりともしなかった。

ひとしきり手を合わせたあと、ぞろぞろと駐車場に戻る。


ふと気がつくと、薫子がいなかった。

タツヤとあたりを探していると、ちょうどタクシーに手を振る薫子を見つけた。

知らない間に呼んだのだろう。


「薫子!どないしたん!?」


僕が叫ぶと、薫子は一瞬動きを止めたが、すぐに振り払うようにタクシーに乗り込んだ。

駆け寄ると、


「じゃ。良いお年を」


と捨てぜりふを残して薫子は去っていった。

その目には涙が光ってるように見えた


それっきり、連絡もなく、冬休みの最後に約束していたスキー旅行も、薫子は行かないと、取り巻きの女の子たちが伝えてきた。

そのついでに彼女たちに囲まれて小一時間説教されるというオマケ付きで。


「女心がわかってない」

「エスコートがなってない」

「プレゼントの趣味が悪い」

「選ぶ店がどれも救いようがない」

「そもそも釣り合ってない」

「格下なのはあんた」

「女を男のアクセサリーだと思うな」

「女の敵」

「小学校からやり直せ」


…たまたま一緒にいたタツヤもとばっちりをくらった…いや、初めから僕たち2人が揃ってるとこを襲撃されたのかもしれない。

とにかく彼女はスキーに来なかった。


そのまま薫子とは会うことがなくなった。学校でも見かけなくなった。


◇    ◇    ◇    ◇


そして、そのスキー旅行の帰りに拾ったのが、今、目の前でほっぺたを真ん丸に膨らませてハンバーグにかぶりついているこの珍獣である。


「ふわ~!ごちそうさま!」


舞子は頬を赤らめ、ホクホクの大満足顔で大きな声で言った。

食後、僕はコーヒー、舞子はミルクティが出てきた時、小さな声で告白してくる。


「実はね、私、ハンバーグも大嫌いだったの。お母さんが作るハンバーグ、いつも真っ黒で中はカッシカシで。それでたまに買ってくるのがイシイのハンバーグでしょ?ハンバーグって不味いものだと思って今まできたのよね」


「でも、なにこれ?これが本物のハンバーグなの?今まで私がハンバーグだと思ってたものはなんだったの?」


目をキラキラさせてまくしたてる。


「気に入ってもらえて、何よりやな」


舞子はずっとニコニコしている。

と、ミルクティのカップを持ちながら舞子が突然声を上げた。


「あ!なんか忘れてた!ちがう、忘れないうちに!」


「これ、ハルくんにプレゼント。商店街の古いおもちゃ屋さんの隅っこでホコリ被ってたんだけど、なんかハルくんこういうの好きそうな気がして」


そう言って舞子が渡してくれたのは、ロータスヨーロッパのミニカーだった。

しかも、白いボディに赤い帯、帯には撃墜★マークの入った風吹裕矢仕様じゃないか。


「うわ!すごい!ありがとう!」


興奮する僕を見て舞子も嬉しそうだ。


店を出ると舞子がクリームソーダが食べたいと言い出した。まだ何か食うのか。

そう思いつつ、近くの目についた喫茶店に入った。


緑色のソーダに浮かんだアイスクリームをロングスプーンで楽しそうにつつく舞子を眺めながら、僕は煙草に火をつけようとして、ふと気づいた。

そういえばこの純銀製のZIPPO、薫子のプレゼントだったな。


分不相応な高価いライターと、ロータスヨーロッパ風吹裕矢スペシャル。

僕はなんだかおかしくなった。


それから舞子は自転車を押して、僕と一緒にアパートに向かって歩き出した。


加茂街道を下ると、やがて左手に鴨川デルタが見えてくる。


「ね!今日なら明るいから、飛び石渡ってもいいでしょ?自転車よろしく!」


と叫ぶやいなや、舞子が駆け出していった。


僕はその後姿を見ながら、この子とこれからも鴨川デルタを歩いていくのもいいかな、と思った。

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ロータスヨーロッパ風吹裕矢スペシャル! この一言でサーキットの狼ファンとしてはテンションバク上がりです! 知っている地名(名神、近畿道)もあり、より鮮明に情景が見え、その時代に主人公とともに行動してい…
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