第2話 渋淵街
「ありがとうございました!!!」
店内に威勢の良い声が響いた。
バイト初日から試練の連続で相当参ったが、四日目ともなればもう慣れたものだ。
ダンジョン産のアイテムは導具で、
ダンジョンで働く人はブラスター。
ちなみに、ダンジョンの浅いとこでも、放射線濃度がヤバいからめちゃくちゃ被曝する。
──覚えられた。俺はもうダンジョン博士だ!!
いや、博士を通り越して、もはや プロ・ブラスターと言っても過言ではない!
店内業務だって完璧だ。 レジ金は盗んじゃダメ。 お客様には元気に挨拶。 ポイントカードとレジ袋の確認も、バッチリ覚えた。
これも、朝野先輩と佐藤さんのスパルタ教育の賜物だ!! もう 一生ついていきたい……!!
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「逆本くん、」
朝野先輩の鈴のような声が聞こえた。
「なんでしょうか!」
「さっきの接客、態度はよかったけど、レジ袋の確認は忘れましたね。」
「ア!」
「あと、接客中に"俺"はダメ。一人称は"私"ね。」
「……ア!」
僕はもうダメかもしれない。
きっと死ぬんだ。ダンジョン潜ったら石ころに躓いて死ぬんだ。
でも──
「でも頑張ってると思いますよ。覚えもいいし、要領も悪くない。」
朝野先輩の励ましは、染みる。
男なのに包容力があって、まるで女神のようだ。
それに比べて──佐藤さんは、まあ……正反対だ。
長身・オールバック・メガネのフル装備で、喋りも動きも規則正しい。
そのくせ、休憩中に読んでるのは『社会人のマナー100選』。
──努力型のマニュアル野郎。憎めないけど、やっぱちょっと怖い。
そんなこんなで、俺のバイト生活は始まったばかりだ。
今日のシフトは、午前中は店内業務。
午後からは探索班のメンバーとの顔合わせと、ダンジョンに軽く入ってみて空気感を掴もう!っていう話らしい。
要は──“軽く様子見”ってだけの、ゆるめの初陣。
……の、はずだった。
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第2話 渋淵街
──2024年 6月 27日 PM03:11:48──
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バックヤードの扉が重々しく閉まる。
ひんやりした空気が漂い、どこか倉庫のような静けさを感じる場所だった。
この日は探索班との顔合わせ。
今までは店舗班で働いていた俺も、午後からは探索班としての研修が始まる。
つまり、今日は"初のダンジョン探索"だ。
「逆本くん、一昨日言った通り、着替えとか持ってきた? その靴だとぬかるんでるところ通るの面倒だよ?」
そう声をかけたのは、探索班のリーダー・岩瀬夏美。
白いシャツに黒のタクティカルパンツ。 タイトにまとめられた髪が、凛とした印象を与える。
この人、笑顔は爽やかだけど…… 腰に備えたホルスターの鉈を見ていると、"只者じゃない感" が強いんだよな。
「次はもっとちゃんとしたの履いて来なね」
「は、はい……!」
「チッ、赤ん坊のお守りかよ……」
低い舌打ちが響く。
視線を向けると、壁際に寄りかかっていた白髪の男が鋭く俺を睨んでいた。
平一先輩。 ダンジョンマートでも随一の戦闘力を持つ "最強の覚醒者"。
無造作に乱れた銀白の長髪。
フード付きの白系のパーカーに、ラフなスウェットパンツ。 だが、その足元にはしっかりとした 耐衝撃ブーツ。
え……これで探索班?
事前研修で「ダンジョン探索では装備が重要」って散々叩き込まれたけど、どう見ても“普段着の人”にしか見えない。
こんな適当な恰好で本当にやっていけるのか?
「先輩、そんな格好で本当に大丈夫なんですか?」
「うっせ、お前とは格が違ェんだよモヤシ」
「いい、いいって大丈夫! 今回は俺もついていくし──」
間に入るように、温厚な声が響いた。
戸倉さん。
店舗班の最古参社員でありながら、元探索班で、ダンジョン内の“コミュニティ”にも顔が利くベテラン。
ガッチリした体格に、チェック柄のネルシャツ。
作業ズボンに分厚い膝サポーター。
腰には ツールキットの入ったショルダーバッグ が掛かっていた。
「ダンジョン入って最初の渋淵街はすげー入り組んだスラムみたいなもんで危ないけど、俺が居れば顔利くから大抵どうにかなるよ。」
貫禄がある。 今まで「優しそうなおじさん」くらいに思ってたけど、明らかに場数を踏んでる人の言葉だ。
「あそこのシマまとめてるオッサンもいい人だから」
“シマ”とか“まとめてるオッサン”ってワードに引っかかった。
戸倉さんの言い方から察するに──ダンジョン内って、実質“治外法権”みたいなもんなのか?
「じゃ、みんな準備はいいかな?」
岩瀬さんの号令が掛かる。
各々が頷くと──
バックヤードの最奥、「関係者以外立ち入り禁止」のプレートが掛かった鉄扉が、鈍い音を立てて開かれた。
その先に広がっていたのは地下倉庫。
ダンジョン産の危険な導具や物品なんかを保管しておく場所で、ここまでは研修で何度か入ったことがあった。
そして、そのさらに奥にある螺旋階段こそが初めて踏み入る渋谷ダンジョンへの入り口だった。
重い湿気を含んだ空気が、ゆっくりと流れ込んでくる。
地下の冷えた空気が頬を撫で、瞬間鳥肌が立った。まるでこの先の脅威に怯えるように。
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下へと続く階段は延々と続いていた。
ひたすら灰色のコンクリートに囲まれた、変化のない風景。
足元には湿った水たまり。天井からポタリと落ちる水音が、やけに神経に触る。
「ハァ……このクソ階段、マジでエレベーターつけろよ。」
先頭を歩く平一先輩が、うんざりしたようにぼやく。
その手が、何気なく“それ”に触れた。
……ん?ポール?
階段の中央を貫くように、無骨な金属のポールが通っていた。滑車が取り付けられ、どこかの遊園地のアトラクションじみた機構がくっついている。
「じゃあ、俺は先に行ってるわ。」
えっ──
僕が何か言う前に、平一先輩はそのポールにひょいと飛びついた。
滑車の音が「シュルルルル……ッ!」と鳴り響き、白い影はあっという間に闇の底へと消えていった。
……え、それアリなの!?
俺はゴクリと唾を飲み込み、チラリと岩瀬さんを見る。
「滑り降りた方が楽ですか?」
「まあね。でも、初心者にはおすすめしない。」
岩瀬さんは苦笑しながら階段を降りる。 僕も素直に、それに倣った。
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「さ、ここを抜けたら、渋淵街だ。」
随分長いこと降りたが、ようやく最後の階段を降りきり、 前を歩く戸倉さんが先陣をきって最後の扉を開けた。
──ギィィ……。
鉄扉がゆっくりと開く。
その瞬間、俺の耳と鼻を殴りつけるような圧倒的な情報量が雪崩れ込んできた。
景色が、色が、音が、匂いが、一気に脳を揺さぶる。
目の前に広がるのは、地上の常識から完全に切り離された、“もう一つの渋谷”。
細い路地の先まで、果てしなく連なる屋台と店。
乱雑に吊るされた裸電球の光が、煙と埃に滲みながら、街をぼんやりと照らしている。
「うわぁ……!」
思わず息を呑んだ。
通りの両側には大小様々な屋台がひしめき合い、ネオン看板が明滅している。
赤、青、紫……雑多な光が湿った空気に乱反射し、街全体が蜃気楼のように揺らいで見える。
舗装の剥がれた地面には、ガラスの破片とタバコの吸い殻が無数に散らばり、足元には血痕すら珍しくない。
“市場”と“スラム”が混ざり合ったようなこの場所は、一見すると活気に溢れた繁華街のようにも見える。
だが、よく見るとその実態は──地獄だった。
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──また知らない臭いが鼻を通り過ぎた。
これまで嗅いだことのない、でもどこか懐かしさも感じるような──
けれど、決して心地いいわけではない。
焦げた肉の甘い香りと、血の生臭さが混ざり、
そこに酒と薬のケミカルな刺激臭が差し込む。
どこかの飯屋から漂ってくるスパイスの香り。
通りに並ぶ屋台で焼かれる串焼き。
強いアルコールの蒸発した匂い。
……でも、それだけじゃない。
“人が生きる匂い”と“人が死ぬ匂い”が、この街の空気に染み込んでいる。
遠くで割れる瓶の音、誰かの叫び声。
振り向くと、路地裏で男が殴り飛ばされていた。
それでも誰も助けない。
──そういう場所なのだ。
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すれ違う男たちのほとんどは、
ダンジョン探索者か、ヤクザか、商売人か、貧乏人。
鍛え上げられた身体の男は、たいていがダンジョン帰りのブラスターだ。
無精髭を生やし、ボロボロの防護服を纏いながら、血の滲んだ包帯を巻いた片手で酒瓶をラッパ飲みしている。
反対に、異常に小綺麗なスーツを着た男たちは、
この街を仕切るヤクザかそれに類する裏社会の人間だろう。
彼らの視線はどこか獰猛で、何より“支配者の余裕”がある。
そして、それ以外の男たちは、死んだような目をした貧乏人。
街をさまよいながら、ゴミ箱を漁ったり、何かの売買を交渉したりしている。
女たちの多くは、水商売か、奴隷。
派手な衣装を纏い、無理やり作った笑顔で客を誘う者もいれば、
露骨な鎖を首につけられ、無言で佇む者もいる。
どちらにせよ、ここでの価値は既に決まっているのだ。
“それ以外”の男女は──路上に転がっている。
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通りの片隅では、ホームレスたちが焚き火を囲んでいる。
その傍らでは、ドブネズミを炙っている男がいる。
ゴミ捨て場の裏では、何かの中毒者がガリガリに痩せた手で壁を掻いていた。
彼の目は焦点が合わず、何かを必死に求めているように見える。
「いらっしゃい、いらっしゃい! いいモンあるぜ!」
店先に並ぶのはぬめぬめとした軟体生物の瓶詰めだった。
……これは、どんな目的で売られているのだろうか?
そんな疑問が、脳裏をよぎる。
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僕たちは通りの隅を歩きながら、雑踏の中を進む。
人混みを避けながらも、油断すればすぐに肩がぶつかるほど、ここは密度が濃い。
ふと、戸倉さんが前を歩きながら、懐かしそうに街を見渡した。
「……いや、昔は避難所だったんだよ」
「避難所?」
「そう。渋谷崩落の直後、地上はもうパニックだった。
行き場のねぇ連中が、このダンジョンの入り口近くに流れ込んできて……
最初はただのシェルターだったんだよ。」
屋台の煙が漂い、食欲をそそる匂いが鼻をくすぐる。
しかし、その奥からは異様な薬品臭や鉄の錆びた匂いが混ざり込んでいた。
「災害支援の一環で、一応国も食糧供給したりしてたんだけど……」
戸倉さんは、道の脇に立つ屋台の一つに視線を向けた。
店主は黙々と串焼きを焼いている。
ジュウジュウと油が弾け、鉄板の上で肉が焦げる音が心地よく響く。
「……でも、今は完全に“街”ですよね?」
「うん、そうだね。
金になるとわかった途端、人は定住し始めた。
ダンジョンで拾った導具や素材を売る連中が現れ、それを買うために“商売人”が流れ込み、
ヤクザが利権を握って“仕切り”を始めた。
──気づいたら、地上とは切り離された、もう一つの渋谷になってたわけだ」
そう言いながら、戸倉さんは通りの奥にそびえる巨大な影を指さした。
“鉄塔”。
まるで地上から引きちぎられたような、古びた鉄塔。
それはこの街の象徴のように、渋淵街の中心で黒ずんだシルエットを伸ばしていた。
かつては、地上の電波塔だったらしい。
崩落の衝撃で地底に飲み込まれ、奇跡的に倒壊せずに残った。
だが、今では“本来の役割”を失い、ただ街のランドマークとしてそこにある。
「通天閣みたいなもんすかね」
「通天閣なぁ……あっちは観光客呼び込むけど、こっちは色んな悪いもん呼び込むんだよ」
戸倉さんが鼻で笑う。
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岩瀬さんがふと、前方を睨みつけるように見つめる。
俺も視線を向けると、異様な光景が飛び込んできた。
「……最近、また物騒になってきてるって聞くけど、大丈夫なんですか?」
「ん?」
「ほら、あそこ」
岩瀬さんの指す先には、路地の真ん中で異国の言葉を話す男たちが固まっている。
その周囲を、ヤクザの男たちが睨みつけていた。
空気がピリピリと張り詰めている。
「大丈夫なワケ……ねぇなこりゃ」
戸倉さんが、苦い顔をする。
「こっちの通路から避けて行こうか」
足早に歩きながら、俺たちは雑踏の流れを逸れて裏路地へと入る。
だが、どこへ行っても、危険の気配は消えない。
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僕には、刺激が強すぎた。
まだそう長く歩いたわけでもないのに、もう一年分くらいの情報量をぶち込まれた気分だった。
「ふぅ、もうすぐだよ。」
岩瀬さんが、小さく息を吐きながら呟く。
「目的の店は、この先の角を曲がったところ。でも……」
「おせぇぞ」
目的地の近くに来ると、雑踏の喧騒が少し落ち着いた。
そして、その片隅のベンチで、スマホを弄る男の姿が見えた。
──平一先輩だ。
足を組みながら、缶ジュースを飲み、画面を眺めている。
「……先輩、いつの間に……?」
「お前らがウダウダ歩いてる間、暇だったからな」
近くではヤクザとマフィアが睨み合い、
遠くでは誰かが殴り飛ばされる声が響いているというのに、
この人は、まるで地元のファミレスでくつろぐような態度だった。
「……なんでそんなに落ち着いてるんですか?」
「ここに長くいると、そうなる」
そう言いながら、スマホの画面を軽くタップする。
──再生されるのは、猫動画。
「……」
怒るでもなく、ツッコむでもなく、ただ思考が止まる感じだった。
目の前ではあんなことが日常的に起こっているのに、
この人は、それを見ながら猫が前足をふみふみするのをじっと眺めている──。
……すげぇわ、先輩。
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──副局長、渋淵街における違法売買の実態調査及び物的証拠の奪取に成功しました。
─ご苦労様です。これがあれば介入の許可も予算もおりるでしょう。やっとあの忌々しいブラックマーケットの解体に着手できそうですね。
──しかし、一つ懸念点がありました。
─これは……