第1話 ダンジョンマート
“我、満腔の願いを以て、天機に誓願す”
神御服をまとった少年が、静かに地へ手をつき、祈るように言葉を紡ぐ。
赤と紫の粒子が、蛍のように宙を舞い、彼の周囲をゆっくりと漂い始めた。
やがて、それはまるで鼓動を持つかのように脈動し、空気を震わせる。
“今此処に脈動を揺り戻し、礎の刻へ還せしめたまへ”
少年の声が響くと、光の粒子は一斉に明滅し、彼の手のひらへと収束し螺旋の渦を形成していく。
その時、少年はふと顔を上げ、こちらをじっと見つめた。
「……大地兄ぃ、また助けに来てくれる?」
先ほどまでの厳かな雰囲気とは打って変わり、少年は哀しげな瞳を向けてきた。
声には、わずかな震えが混じっている。
「当たり前だろ! 絶対に助けてみせる! 今からだって……!」
そう叫んだ瞬間──
「……ごめんね。」
彼はそっと目を伏せ、両の手のひらに宿った光を、
震える指先でそっと握り込む。
──否、それは握りつぶすように。
「──星よ、逆巻け。」
次の瞬間、世界が軋む。
空気が引き裂かれ、重力が暴走し、視界が反転する。
音が消え、時間の流れすら不確かになったかのような感覚が──。
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第 1 話 ダンジョンマート
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「──“あの公園”で待ってるね。」
懐かしい声が、夢の中で僕を呼ぶ。
知っている声だ。だけど、誰のものか思い出せない。
─2024年 6月 20日 AM07:48:22─
目を覚ました僕は、ぼんやりと天井を見つめる。
少しだけ冷たい空気が、寝汗をかいた肌を撫でていく。
カーテン越しに差し込む朝日が、視界の端でわずかに揺れていた。
……あの公園は、もう穴の向こうに飲み込まれたんだよな。
呟いた言葉は、あまりにも空虚だった。
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2021年8月──世界中に、修復不可能な“大穴[が空いた。
後に「大崩落」と呼ばれるこの事件は、わずか数分で世界の風景を変えた。
中でも日本では、渋谷区のほとんどが崩れ落ち、跡地には見たこともない構造物と、正体不明のエネルギーが現れた。 『渋谷区地底渦動圏』──通称「渋谷ダンジョン」。 上空から撮影された映像には、まるで地球外生命体のような“何か”が写り込み、一躍世界中の注目を集めることとなる。
そして決定打となったのが、救助活動中に偶然“持ち帰られてしまった”一つの遺物だった。 その異様な形状と、誰の目にも明らかな“力の片鱗”は──その映像一つで、夢と欲望に取り憑かれた人間を突き動かし、深い地の底へと駆り立てる。
一方政府は急遽、厳重な封鎖と規制を敷いたが、それでも「ダンジョンに入りたい」と望む者は後を絶たなかった。
──冒険者を名乗る違法侵入者。
──閲覧数稼ぎの迷惑系インフルエンサー。
──そして、“目覚めた能力者”たち。
かつての渋谷は跡も形もなく、今そこは欲望と狂気が交差する新たなフロンティアとなった。
誰かにとっては宝探し。誰かにとっては商売。
……そして僕にとっては、失われた過去を取り戻すための場所だった。
──あの日、渋谷で何が起こったのか。
──行方不明になった家族は、今どこにいるのか。
──なぜ僕は“あの日”のことを何も覚えていないのか。
答えは、おそらくダンジョンの奥にある。
それ以外に、僕に残された道はなかった。
けれど、現実は残酷だ。
何もできない。潜る資格も、方法も、繋がりも──何もない。
救助された他の被災者に話を聞いても、記憶の断片すら拾えず、違法ルートに潜り込むコネもない。
“ダンジョンの底で人が連れ去られた”
“行方不明者は生きている”
そんな噂も聞く。だが、それを信じるには根拠がなさすぎた。
大崩落で全てを失い、仮設住宅に流れ着いた僕にできることは、求人雑誌を眺めることくらいだった。
働いて、金を稼いで、装備を揃えて、穴に潜る。
…つもりだった。
そこにしか、答えはないと思っていた。
けれど、現実に並んでいるのは、深夜のコンビニ、倉庫の仕分け、日雇い作業。
どれも“潜るための準備”には程遠かった。
それでも、何も考えずに指を動かし続けていたその時、『おすすめ求人』 の欄に、ありえない時給のバイトが並んでいた。
オススメ!!
【戦闘業務】未経験OK/厚待遇/履歴書不要
ダンジョンマート 下北沢店 アルバイト募集
時給:2560円(危険手当込み)
業務内容:ダンジョンの探索と導具回収☆
怪しさは満点だった。
でも、「怪しい」なんて言ってる場合じゃなかった。
僕は載っていた番号に電話をかけた。
そしてあっさり面接が決まった。
──これが、僕とダンジョンマートの最初の出会いだった。
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翌々日、土曜日の昼下がり。
くしゃくしゃになったメモを片手に、僕は歩いていた。
そこには、電話越しに店員が教えてくれた道順が、汚い字で殴り書きされている。
目的地は、ダンジョンマート 下北沢店。
まさか、こんな店の求人広告に釣られるとは思ってもいなかった。
しかし、ダンジョンへ入って、家族を探し、己の過去を知り、人生を取り戻す。
それだけを理由に、僕は家を出てきた。
いつも通りの住宅街──のはずなのに、今日は少し違って見えた。
最初に目に入ったのは、整然と並ぶ一軒家やアパートの立ち並ぶ閑静な住宅街。
人通りもまばらで、日差しが差し込む道には雑草がちらほら顔を出している。
しかし、10分ほど歩くと、景色が一変する。
工場の跡地が点在し、壁には剥がれたポスターや錆びた鉄板がむき出しになっているエリアに入る。
ここからがダンジョンマートへの通勤路だ。
「……なんか雰囲気あるな」
朽ちた倉庫や閉鎖された工場が並ぶ道を進むと、薄暗い路地が続いている。
昼間なのに、どこか薄ら寒い。遠くから犬の鳴き声や、何かを叩くような音が響いてくる。
空気が少し重たいのは、ここが渋谷ダンジョンにほど近いエリアだからだろうか。
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工場跡地の先に差しかかった時、視界の端に何か動くものが見えた。
道端に腰を落とし、背を丸めた人物だ。
近づくにつれ、その姿が徐々に明らかになる。
女性だろうか。肩まで伸びた髪は埃と血にまみれ、ジャケットは泥と何かの液体で汚れている。
袖は無惨に裂け、露出した腕には傷が刻まれていた。
今にも倒れそうなほど弱々しい姿勢で、肩が小刻みに震えている。息が荒い。
規則性のない呼吸が、異様な緊迫感を漂わせていた。
そして、彼女の手には、奇妙な形をした何かが握られていた。
まるで、折れた剣のようで……銃のようで……どちらでもない。シルエットだけ見れば、ゲームに出てくる武器のようだった。
「……」
声をかけるべきか、迷う。
下手に近づけば、トラブルに巻き込まれる可能性もある。
けれど、このまま放っておいていいものか──
僕が逡巡していると、彼女の体がわずかに動いた。
ピクリ──
その瞬間、彼女の視線がこちらを捉えた。
「ッ!」
鋭い目。
けれど、それは警戒というより、恐怖と焦燥の入り混じった瞳だった。
荒い呼吸を繰り返しながら、彼女はわずかに上体を起こす。
それでも、足元はおぼつかず、まるで無理やり動かしているかのように、杖をつくように握った“それ”を頼りに立ち上がろうとしていた。
それは──「武器」なのか?
本当に、彼女は何かと戦っていたのか?
「……」
迷っているうちに、彼女はゆっくりと歩き出した。
足を引きずるような動き。
僕は、なぜか息を飲んでしまう。
──関わるべきじゃない。
そう思いながらも、彼女の背中を目で追ってしまう。
道の先で、彼女はふと立ち止まった。
そして、空を見上げる。
まるで、そこに何かを求めるように。
風が吹いた。
埃が舞い、微かに鉄の匂いが鼻を突く。
その中で、彼女はかすかに呟いた。
「……来るな……来るな来るな来るな……」
怯えるように吐き出された言葉が、妙に耳に残った。
言葉の意味を考える間もなく、彼女は再び歩き出し、曲がり角で姿を消した。
一方で、僕はその場に立ち尽くし、遠ざかる足音を聞きながら、胸の奥に得体の知れない感覚が残るのを感じた。
「……何だったんだ、今の」
小さく呟き、僕は歩き始めた。
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足早にその場を離れ、メモを確認しながら進む。
やがて、目の前に現れたのは、まるで時代に取り残されたかのような古びたアーケード街だった。
天井には薄汚れたビニールシートが張られ、日光を遮るように低く垂れ下がっている。
埃っぽく薄暗い通路を、ちらちらと点滅する看板の電飾がぼんやりと照らす。
その光に浮かび上がる店々──
「八百屋」「金物屋」「骨董品屋」。見慣れた看板が並ぶのに、そこに広がる景色は明らかに“普通”ではなかった。
八百屋の棚には、異様なほど大きな茎や、赤黒くただれた果実。
その表皮には細かなトゲが生えており、まるで「食べるな」と言わんばかりに毒々しい雰囲気を漂わせていた。
金物屋のショーケースには、工具や刃物が雑多に並ぶが、奥の棚には明らかに“それ以外”のものがあった。
やたらと分厚い刃のナイフ、鉈のような形をした青黒い金属の塊──武器と呼ぶべきか、道具と呼ぶべきか、判断がつかない。
骨董品屋と思われる店の棚には、埃をかぶった古い器具が所狭しと並び、そのどれもが用途不明。
見慣れたものは一つもなく、まるで別世界から流れ着いたような異様な品々ばかりが並んでいる。
通りを行き交う人影はまばらだ。
作業服を着た労働者、仕事帰りのような疲れた表情の男たち。
中には泥まみれのまま肩を引きずるように歩く者もいる。
路地の奥では、ガスマスクを片手に取引をしている二人組の姿があった。
片方の男が無造作にバッグの中身を広げると、中には鈍く光る金属片や、奇妙な形状の器具が詰まっている。
もう一方の男がスマートフォンを取り出して操作すると、かすかに電子決済の音が響いた。
品物を受け取った男は、それを一瞥すると無言でバッグを閉じ、何事もなかったようにその場を立ち去る。
この街の住人たちは、誰もが何かを求め、何かを売り買いしている。
だが、それが合法なのかどうか、考えるだけ無駄なことのように思えた。
どこかで笑い声と怒号が入り混じる。
近くの店先では、男が店主と言い争いをしているようだったが、周囲の誰も気にする様子はない。
「……ほんとに、こんなとこに店があるのかよ……」
心配になりながらも、歩みを進める。
ふと視界の端に、妙に新しい看板が見えた。
青い背景に、大きく「ダンジョンマート 下北沢店」の文字。
その下には、「日常にちょっとした冒険を!」というキャッチフレーズが添えられていた。
場違いなほど明るい看板。
異様なほど小綺麗な外装。
このエリアの雰囲気とは明らかに異なる。
店の入り口は、観音開きのドアだった。
だが、片方は立て付けが悪いのか、少しも動かない。
「……手動かよ」
少し躊躇しながらも、ドアを押し開ける。
ギィ……という軋み音と共に、頭上で鈴の音が鳴り響いた。
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店の入り口付近は、一見すると普通のスーパーだった。
特売品のワゴンには、駄菓子や洗剤、ペットボトル飲料が無造作に積まれている。
だが、その隣に並ぶものが明らかに異質だった。
頑丈なケースに収められた“中古導具”と書かれた品々。
光を帯びた刃物、奇妙な形の金属片、何に使うのか見当もつかない黒光りする器具……。
「……スーパー、なのか……?」
違和感に囚われつつ奥へ目を向けると、カウンターの向こう側で“熊”がこちらを見ていた。
エプロン姿の大柄な体、首元には『店長』と書かれた名札に、丸いレンズのメガネ。その奥の瞳は、じっとこちらを観察している。
「いらっしゃ、ああ、君……もしかして今日面接の子か?」
落ち着いた低い声が響く。
その瞬間、僕の脳が理解を拒んだ。
“熊が喋った”。
いや、違う。よく見れば獣人……ってやつか?
ファンタジーな創作物でしか見たことはないが、人間の言葉を話す巨大な熊、それが実際にスーパーのカウンターにいる。異常だ。
「は、はい!逆本です!よろしくお願いします!」
勢いよく名乗る。
何をどう考えても、ここは"普通のスーパー"じゃない。
「じゃあ、奥の部屋にどうぞ。そっちで話をしようか」
熊──いや、店長がゆったりと歩き出す。
僕は戸惑いながらも、その背中についていくしかなかった。
ふと、店内を見渡す。
異様な品揃えに圧倒されつつも、どこか “好奇心”に突き動かされていたのかもしれない。
そんなとき──
視線が合った。
藍灰色のエプロンに白いパーカー。
棚の陰から、無表情の青年がこちらを見ていた。
白髪。色素の薄い瞳。異様に白い肌。
まるで血の気がない、病的なまでに白い肌。
彼は僕を見据え、口元をわずかに歪めた。
「……あァ?」
無表情だった瞳に、微かな侮蔑の色が滲む。
「おい店長、こんなモヤシ雇うのかよ、正気か?」
冷たい視線が僕に突き刺さる。
その声には、嘲りと退屈そうな響きが混じっていた。
「平一君、彼は──」
「逆本大地です!」
言葉を遮るように、僕は即座に自己紹介をした。
一瞬の躊躇が、ここでは命取りになる気がしたから。
「今後お世話になると思います!ご指導よろしくお願いします!」
深く頭を下げる。
顔を上げると、店長は困ったような顔をしていた。
一方で“平一”と呼ばれた青年は、舌打ちしながら興味を失ったように去っていく。
「ふーん、まあ……せいぜい潰れねぇようにな。」
そう吐き捨てて、エプロンのポケットに手を突っ込みながら棚の向こうへ消えていった。
…… この職場、大丈夫か?
不安が胸をよぎったが、もう引き返せない。
僕は、店長の背中を追って、さらに店の奥へと歩き出した。
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僕と店長は店の奥へ進んでいく。
通路の両側には、他所のスーパーではまずお目にかかれない品々が並んでいた。
「渋谷ダンジョン産」と書かれたラベルが貼られた缶詰、
妙に分厚い金属製の鉄板、
そして“導具”と書かれた売り場には、通電していないのにぼんやりと発光している蛍光灯や、奇妙な形状の器具が所狭しと並べられている。
…… いや、これ、絶対アウト寄りな店だろ。
思わず立ち止まり、棚を見つめる。
どのアイテムも、まるで何かの実験室から持ち出されたような異様な雰囲気をまとっている。
「……これ、売れるんですか?」
つい聞いてしまった僕に、店長はちらりと振り返りながら答えた。
「まあ、ダンジョンに潜る人たちには必需品だね。日用品と呼ぶにはちょっとクセが強いけど」
穏やかな口調だったが、その言葉の裏にある何かが、妙に引っかかる。
ダンジョンに潜る人たち? 必需品?
僕はまだダンジョンのことを何も知らない。
ただの都市伝説じゃなく、本当に人が入っているのか?
そもそも、この店自体が何かおかしい……。
歩みを進めるたびに、“違和感”が確信に変わっていく。
この店は、単なるスーパーなんかじゃない。
導具やらダンジョン産の食料やら……生活の延長線上には存在しないものばかりだ。
僕は、自分がどこに足を踏み入れようとしているのかを理解し始めていた。
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やがて、店の奥にたどり着く。
そこには、無機質なスチール製の扉がひっそりと佇んでいた。
「ここが事務所だよ。面接はここでやる」
そう言って店長が扉に手をかける。
その瞬間、視界の端に“異質なもの”が映った。
事務所の隣── 立ち入り禁止と赤文字で書かれた鉄扉。
それも、ただの鉄扉じゃない。
異様な分厚さ。
むき出しの金属リベット。
錆びたパイプが絡みつくように設置され、まるでこの向こうに“何か”を封じ込めているような厳重な施錠。
見た瞬間、背筋が冷たくなる。
本能的に“危険なもの”だと直感する。
「……これは?」
思わず足を止め、扉を凝視する僕に、店長が静かに言った。
「そっちは見るな。まだ君には関係のないことだ」
低いトーンの声。
不自然なまでに淡々としているが、そこに“何かを隠している”とわかる違和感があった。
僕は自然と目をそらした。
だが、“それ”は確かにそこにある。
扉の向こう側に、何か、この世のものではない"何か"が。
背筋にじんわりと冷たい汗が滲む。
「さ、こっちに入ろう」
店長の言葉に促され、僕は鉄扉の異様な存在感を振り払い、事務所の扉をくぐった。
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店長に案内され、事務所の扉をくぐる。
その先に広がっていたのは──
驚くほど"普通"の光景だった。
壁際には整然と並ぶファイル棚。
きちんと整理された資料が詰め込まれ、雑多な印象はない。
中央には小さな机がひとつ、向かい合うようにパイプ椅子が二脚。
机の上にはメモ帳とボールペン、そしてやや古びたノートパソコンが置かれている。
パソコンの画面には、店舗管理用と思われる表計算ソフトが開かれていた。
……スーパーの事務所なんて、こんなものなのかもしれない。
けれど、ここまで来て感じていた異質な空気が、この部屋にはない。
店内を歩いていたときの不気味な違和感も、あの鉄扉の威圧感も、まるで嘘みたいに消え去っていた。
僕はどこか拍子抜けしながら、ゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ、ここに座って。」
店長が椅子を指差す。
僕は軽く頷きながら、慎重に腰を下ろした。
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「さて、大地くんだっけ?」
店長は座るなり、机に肘をつきながら僕を見つめた。
「はい、逆本大地です。」
「で、どうしてこんな危ない仕事に応募したんだ?」
その問いかけに、僕は一瞬、言葉を詰まらせる。
“こんな危ない仕事”というワードが、まるで“もう逃げられない”と釘を刺されたように感じたからだ。
だが、取り繕うしかない。
僕は事前に用意していた言い訳をそのまま口にする。
「あ、えっと……普通のバイトより時給が良いなって思って。それに、ちょっと変わった経験もしてみたいな、って。」
浅い。
自分でもそう思う。
けれど、これ以上、何を言えばいい?
本当は、“家族の行方を探したい”とか、“夢に出てきた誰か”に呼ばれている気がするとか──
そんな理由だった。
けど、どれもまだ、自分の中では曖昧すぎた。
記憶も、家族も、過去も。
思い出そうとすればするほど、指の隙間からこぼれていくみたいで。
……だから、取り繕うしかなかった。
仮にそんな話をしたところで、相手はただのバイト面接官──そう、“普通”のスーパーの店長なのだから。
……なのに。
店長はじっと僕を見つめていた。
表面の言葉だけで済ませるつもりだったのに、メガネの奥の瞳が、僕の嘘を一枚ずつ剥いでいくようだった。
「…………なるほどね。ダンジョンに興味がある、ってとこか。」
パタン──
店長はメモ帳を閉じると、わずかに体勢を崩しながら背もたれに寄りかかった。
そして、低く静かな声で言った。
「で、バイトの内容だが……簡単に言うと、“命を懸ける仕事”だ。」
一瞬、呼吸が止まる。
肌の内側を冷たいものが這うのがわかった。
でも、言葉は勝手に出ていた。
「……それくらい、覚悟してます」
自分でも、何をどのくらい覚悟したのかなんて分からないのに。
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店長は、しばらく黙って僕を見ていた。 相変わらず視線は鋭いが、どこか静かだった。 そして、息をひとつ、ゆっくり吐く。
「……そうか、そうだね。やる気があるというのは、良いことだ。」
店長はそう言いながら、おもむろに立ち上がる。 そして、一歩だけ間合いを詰め、続けた。
「ちょっとビックリさせるけど──
ヒュッガンッ!!
次の瞬間だった。 僕の頬を、何か鋭いものがかすめた。
ほんの一瞬、空気が裂ける音と同時に、 足元のタイルが砕け、悲鳴を上げる。
どこから取り出したのか、気づけば店長の手には見慣れないものが握られていた。
長い棒とその先端に取り付けられた黒光りする刃──それは、薙刀だろうか。
僕を睨む店長の目は、先ほどよりもずっと鋭かった。
笑みは消え、わずかに目を細めるその表情には、獲物を狙うような静かな殺気が滲んでいた。
──反応できなかった。
体が強張って、声すら出なかった。
─ごめんね。ハハハ」
店長は武器を下ろしながら、冗談だよと笑ってみせた。
……けど、こっちはまったく笑えなかった。
「でも驚いたよ。あれだけ近くで振ったのに、びくともしなかった」
「君、意外と肝が据わってるんだね」
──違うんです。
動けなかっただけなんです。
それを言葉にする前に、店長が口を開いた。
「採用だよ。来週からよろしく頼めるかい?」
「……えっ、あっ、はい! よろしくお願いします!」
言葉が遅れて、跳ねるように飛び出した。
店長は一度だけメガネを押し上げ、軽く頷いた。
「じゃあ今日はこれで終わりだ。帰り道、気をつけてね。」
「……はい。」
頭を下げて、ドアを開ける。 ギィ、と重たい音を立てて、外の空気が胸に流れ込んだ。
扉が閉まる音が、やけに遠くに聞こえた気がした。
……本当に、バイトが決まった。
ダンジョンに潜るための第一歩を、踏み出した。
だが、その先に“何が待っているのか”までは──
この時の僕には、想像もつかなかった。
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─あー、もしもし?■■■くん?悪いんだけど一人調べて欲しい子がいるんだよね。いやいや敵じゃないよ。むしろ味方になりそうな子。念のためね、お願いできるかい?