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第三話:近寄りがたい雨の香り

文化祭前日の放課後。クラスの飾りつけもほぼ終わり、夢華はいつもより遅く図書室に向かった。

「……あれ」

図書室の扉を開けた瞬間、聞こえてきたのは――誰かの声だった。

本棚の奥の明るい声。


「堀川くんって、やっぱり優しいね」

それは、クラスメイトの一人――藤森さんの声だった。明るくて、可愛くて、男女問わず人気のある子。

夢華は足を止めたまま、思わず聞き耳を立ててしまう。

「わたし、図書室好きだけど、ひとりで来るのは寂しくて……」


「ああ、そうですね。図書館、静かですし」

いつものように敬語。でも、その声はどこか柔らかかった。

「……堀川くん、明日、よかったら一緒に回らない? 文化祭」


しばらく沈黙があった。

夢華の胸が、どくどくと高鳴る。

(なんで。なんで私、こんなに動揺してるの)

答えが返ってきたのは、十秒くらい経ってからだった。


「……すみません。気を使ってくれてありがとうございます」

「え?」

「ありがたいんですけど、気を遣ってもらうのは、苦手で……申し訳ないです」

藤森さんは、少し戸惑ったように笑って、それでも「そっか」と返した。

夢華は、それ以上聞くのが苦しくなって、そっとその場を離れた。


(なんだろう……嬉しい、のに、苦しい)


彼が誰かの気持ちに気づかないことに、安堵した自分がいる。

でも、自分も同じように“気づかれていない”ことを突きつけられた気がして、少しだけ涙が滲んだ。



文化祭当日。

賑やかな声、模擬店の香り、華やかな装飾。学校中が非日常に染まっていた。

夢華はクラスの仕事をこなしながらも、心ここにあらずだった。


堀川くんは、準備も本番もちゃんと来ていて、必要なことはこなしていた。みんなの評価も少しずつ変わっていた。

「案外いい子だよね、堀川くん」

「お願いしたことは丁寧にやってくれるし…顔綺麗だし」

「藤森の誘い、丁寧に断ったらしいよ。でも言い方やわらかくて、ちょっとズルいよね」


そんな声が、耳に入ってくる。

(ズルい……か)

春香も、そう思ってしまった。でも同時に、そんな彼の“誠実さ”に触れるたびに、好きだという気持ちが止められなくなっていた。

夕方、出し物が終わり、教室に戻ると、堀川くんが窓の外をぼんやり眺めていた。


「お疲れさま、堀川くん」

彼は振り向いて、静かに言った。

「……文化祭、悪くなかったです」

「ふふ、そっか」

「春野さんのおかげですね」


その一言に、春香の胸が詰まった。

「ねえ、樹くん」

「ん?」

初めて、名字じゃなくて名前で呼んだ。それだけで、彼のまつげが少しだけ揺れた。

「ありがとう。今日、頑張ってくれて」


「……別に。春野さんの為ではないですけど…僕も楽しかったし」

「うん。わかってる。でも、嬉しかった」

そのとき、夕焼けが窓ガラスに反射して、彼の顔を少し赤く染めた。


夢華は、この距離が愛しくて、でもこのままだときっと切なくて、心のどこかで「もうすぐ限界かもしれない」と思っていた。



文化祭が終わり、日常が戻った。

クラスの空気も、少し落ち着いてきた。


「文化祭、楽しかったね!」

「うん、思ったよりやりきった感あるよね」


春香は友達と笑いながら話していたが、目の端で見える堀川くんの姿に、ふと気持ちが揺れるのを感じた。

彼は、いつも通り静かに過ごしている。クラスの輪に溶け込むことはあまりないけれど、でもその存在感はなんだか大きくて、目を離せない。


「春香、また図書室で堀川くんと一緒にいるの?」

友達がからかうように言ってきた。

「うん、まぁ。図書室、結構好きだから」

「でも、堀川くんといるとき、春香ってなんか、ちょっと違うよね」

「えっ?」


友達が目を細めて言った。

「なんていうか、ちょっと……おとなしいというか、優しくなってるっていうか。すごく素みたいで楽そう」

夢華は言葉に詰まった。まさか、そんなふうに見えているなんて。

(そうだよね、彼といるときは、つい……)

でも、堀川くんにはそんな風に思われていないことを、夢華は知っている。


彼は、ただ“楽だから”一緒にいるだけ。恋愛感情なんて、微塵もない。私も”楽だから”一緒にいる。恋愛感情を織り交ぜながら。

そのことを再確認して、胸が少し痛くなった。



午後、図書室で堀川くんと二人きりで本を読んでいた。

夢華は、思わず彼に話しかけてみる。

「ねぇ、堀川くん、最近、どう?」

「どうって?」

「なんか、元気ない感じするけど……」


堀川くんはちらりと夢華を見て、少しだけ首をかしげた。

「元気ないって、どういう意味ですか?」

「なんか……ちょっと、もやもやしてる感じ?」

「そうかな」


少しの沈黙が流れる。

でも、その沈黙がどこか心地よくて、夢華はどうしても聞きたい気がして、口を開いた。

「堀川くん、最近、クラスの子とよく話してるけど……藤森さんとも、よく話してたよね?」

その名前を出すと、堀川くんは軽く肩をすくめて答えた。

「藤森さん、親しいわけじゃないけど……話しかけてくれるので」

「そっか」


そのとき、夢華の心がひときわ大きく…少しだけ胸が痛んだ。

(やっぱり……藤森さんと、堀川くんは、仲いいんだ)

でも、それと同時に、心のどこかでホッとしている自分もいた。


「……あのさ」

堀川くんが、急に真剣な表情で言った。

「春野さんはさ、他の人のこと気にしすぎじゃない?」


その言葉に、夢華は思わず目を見開いた。

「え?」

「クラスのこと、藤森さんのこと、気にしてばかりで……あんまり、自分のことは気にしないんですね」

その一言に、胸が締めつけられた。


(私が気にしてるのは、ただ、堀川くんのことだけなのに)

何でもかんでも首を挟む奴…そう言われた気がして夢華は泣きたくなった。


「……あ、私は、そういうわけじゃなくて……」

うまく言葉が出ない。

そのとき、堀川くんが少しだけ顔を赤くして言った。


「別に、どうでもいいってわけじゃないけど……春野さんが気にするほど、僕は不安定ではないですよ」


その言葉が、春香の中で何かを刺激した。


「……うん、わかってる。そうだよね。堀川くんはしっかりしてるって、知ってるから」


その後、少しだけ静かな空気が流れた。

春香はその時、堀川くんの中にほんのわずかな変化を感じた気がした。

でも、きっとそれは気のせいだろうと思った。



その日の夜、夢華は一人、夜空を見上げていた。

(堀川くんのこと、好きだって、わかってる)

それでも、彼に言うことはできない。

彼の気持ちがわからないまま、告白したら、きっと無理だって思う。


でも、夢華は一つだけ確信していた。

「私は、ずっと彼と一緒にいたい」

その思いだけは、確かにここにあった。


そして、それはきっと――夢華の中で、どんどん大きくなっていくものだろう。



梅雨の季節が近づき、学校は何となく湿っぽく、そして少しだけ静けさを取り戻していた。


夢華はクラスの行事や友達とのやり取りに忙しく過ごしていたが、ふとした瞬間、堀川くんの存在が気になって仕方なかった。毎日のように一緒にいるわけではないけれど、少しずつ彼のことが大きくなっていた。


「堀川くん、いつも図書室に来てるね」

「ただの習慣ですよ」


彼が微笑んだ。その顔は、いつもどこか無邪気で、夢華引き寄せる。


「別に特に何をしてるわけでもないけどね。それに、春野さんも来てるじゃないですか」


夢華はその言葉を聞いて、胸が少し痛んだ。でも、その痛みを感じた瞬間、何となく堀川くんが「自分がいても嫌になってない」と思って安心した。私は堀川くんがいるから…という言葉は飲み込んだ。

(この距離感が心地いい)

その日は何となく、図書室での時間が長くなってしまった。


午後の授業が終わり、誰もいない図書室で夢華は本を手に取った。堀川くんが机に向かっているのを横目に見ながら。

「ねぇ、堀川くん」

春香が言うと、堀川くんは少し驚いたように顔を上げた。

「何です?」

「最近、なんか無理してるように見えるんだけど……大丈夫?」


その問いに、堀川くんは少し戸惑っていた。彼はいつも冷静で、無表情のように見えるけれど、夢華がこうやって気にかけてくれると、どこか表情豊かになる気がした。

「大丈夫ですよ。ただ……」

「ただ?」

彼は言い淀んだ。

「でも、気にすることじゃないですよ」

「気にしてるわけじゃないけど……」


その後、しばらく無言が続いた。夢華は堀川くんが何を思っているのか、少し気になった。

「堀川くん、私、最近思うんだけど」

夢華は、はっきりと言葉にした。

「何?」

「何かあったら、ちゃんと言ってね」


彼は不思議そうに首をかしげた。

「僕、本当に言いたいことないですけど」

「うーん、でも……堀川くん、たまにさ、周りのこと気にしないでしょ? それ、私には羨ましいけど、逆に少しだけ心配になるんだよね」


彼は少しだけ目を見開き、少しだけ真剣に考えている様子だった。

「心配?」

「うん。だって……みんなのこと、気にしなくていいって言っても、みんなは堀川くんに頼ってるから」

「頼ってる?」

「うん。だって、堀川くんって、なんか特別でしょ。ほかの人と違うって、みんな言うもん」

堀川くんは驚いたように目を見開いた。


「そんなことは…ないですよ」

「そう言うのはわかってるけど……でも、堀川くんって、知らないうちに、周りを引っ張ってるよ」

「……引っ張ってる?」

「うん。そんな風に気づいてないかもしれないけど、堀川くんがいると、なんだかみんな落ち着くんだよね」


その言葉に、堀川くんは一瞬黙ったままだった。

「そうですか…」

そのあと、堀川くんはふっと笑って言った。


「でも、それって多分春野さんのおかげですよ」

春香はその言葉に、少し驚いて目を見開いた。

「え?」

「だって、春野さんが頑張ってクラスの人と僕をつなげてくれましたし……。僕も春野さんといると落ち着くので」


その言葉に、胸がじわっと熱くなった。

でも、夢華は自分の感情を隠すように、そっと微笑んだ。

「そっか……ありがと」

そして、そのまま静かな時間が流れた。

(堀川くんも、私がそばにいると、安心するんだ)


それだけでも、夢華は幸せだった。


でも、彼の中で本当にどんな気持ちが芽生えているのか、夢華はまだわからなかった。

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