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第二話:誰かの輪の中で

「ねぇ、堀川くん。明日、図書室じゃなくて、昼ごはん一緒に教室で食べない?」

放課後、貸出リストのチェックを終えた私がそう声をかけると、堀川くんはページを閉じたまま、少し考えるように黙った。

「……昼休みは、静かに過ごしたいです」

「そっか……やっぱり無理?」

私が肩を落としかけたそのとき。


「……別に、春野さんはうるさくないし、いいよ。ただ、教室かぁ…」

その一言に、思わず顔が上がった。

「えっ、ほんとに?」

「……あんまり、でかい声で言わないで」

「うん、わかった」

思わずにやけるのを必死で抑えながら頷く。ふと横を見ると、堀川くんが口元を少しだけほぐしていた。笑った……のかもしれない。


翌日の昼休み。

いつもは図書室にいる彼が、教室でお弁当を開いているだけで、数人の視線が集まっていた。でも、彼は特に気にしている様子もなく、黙々と箸を進めている。

「夢華、こっち来てー! あ、そっちの子、転校生だよね?」

クラスメイトの中野さんが、少し興味ありげに声をかけてきた。堀川くんの眉がピクリと動く。


私はそれに気づかないふりをして、笑顔で言った。

「うん、堀川樹くん。図書委員、一緒なの」

「へぇ~、静かそうだけど、優しそう」

「……」


特に反応しない堀川くんに中野さんが目を丸くすると、私はくすっと笑ってごまかした。

「そういうとこあるんだよ、堀川くん」

彼は箸を止めて、ちらりと私を見た。

「春野さんって…そういうところ昔と一緒ですね」

「ん、どこ?」

「距離の詰め方が、うまいっていうか……雑?」

「それ褒めてる?」

「もちろんです」


ときどき混じるそのフラットなタメ口が、ふとした瞬間に距離を一気に縮めてくる。

それがずるい。そんなの、気になってしまうに決まってる。

私は笑ってごまかしながらも、心の奥で何かが揺れるのを感じていた。



春の日々はゆっくりと進んでいく。


私は少しずつ、堀川くんが教室で浮かないように、話しかける人を増やしたり、彼のことを紹介したりした。でも、彼はときどきぽつりとこう言う。

「……別に、無理して繋げようとしなくていいですよ」

「無理じゃないよ。私は、そうしたいの」

「どうして?」


彼はまっすぐに聞いてくる。

私は、その問いにすぐには答えられなかった。

けれど、きっと――その理由は、彼のことが好きだからだ。


ただの再会じゃない。あのとき忘れられなかった記憶が、いま現実になって、私はもう目を逸らせないでいる。



その日、放課後の図書室は、外よりもずっと静かだった。

机の上に並んだ返却本を整理しながら、私はときどき、隣で本の背表紙をなぞる堀川くんの横顔を盗み見ていた。

細い指先、すっと通った鼻筋、うつむいたときのまつげの長さ――そんなところに目が行ってしまう自分に、最近ようやく気づいた。


(……あれ、もしかして私、)


その考えに触れたとたん、胸が少しだけ苦しくなった。

それでも何も言わずにいられるのは、きっと、彼のことを知っているから。


「恋愛とか、よく分からないし、興味ないです」


前に彼がぽつりと口にした言葉。あれは本気だった。誰にでも壁を作るわけじゃないけれど、心の奥は、ちゃんと鍵がかかっている。


「……春野さん」

不意に、彼が私を呼んだ。

「ん?」

「最近、クラスの人と僕をつなげてくれますよね」

「うん。みんな、いい子だよ」

「そう。……でも、無理してない?」


私は一瞬、言葉に詰まった。

「どうして、そう思うの?」

「春野さんいつも笑ってるけど……目の奥が疲れてる」

それを言われて、私は何も返せなくなった。

堀川くんの観察眼は鋭い。人と関わらないぶんだけ、細かいところをよく見ている。


「私ね、堀川くんには、ここにいてほしいの」

「……ここって、教室?」

「うん。みんなの輪の中。ひとりきりじゃなくて」

しばらく黙っていた堀川くんが、小さな声で言った。


「……そうですか。僕はどちらでも」

「ありがとう。……堀川くんのといると、なんかね楽なの」


それは、今の私にできる精一杯の気持ちだった。実際、言葉を選ぶ必要が無いから、正直とても楽だった。彼への好意はまた別のものなんだと、自分に言い聞かせてもいた。

彼は何も言わず、本棚に本を戻しながら、小さくつぶやいた。


「……僕も。神尾といるときは、楽です」

その言葉に、心が震えた。

でも、それは“楽しい”とは違う。“好き”とも違う。“特別”でさえない、ただの安心。

(それでも、嬉しい)

その日の帰り道、私は歩きながら考えていた。


彼にとって、私は「楽な相手」。たぶん、その程度。

けど私は――たぶん、恋をしている。

胸が苦しくて、でも温かい。伝えたくて、でも怖い。

この気持ちを言葉にするには、私はまだ、勇気が足りない。

だからきっと、まだ言わない。

言った瞬間、何かが壊れてしまいそうだから。



五月の終わり、文化祭の準備が始まった。


クラスでは喫茶店に決まり、係決めや出し物の企画で賑やかな日々が続いていた。


「春野さーん、ちょっとこっち手伝ってー!」

「はいはーい!」

夢華は、いつものように明るく笑って、クラスの輪の中にいた。でも、時々気づく。話しかけながらも、目線はどこかを探している。


――窓際。静かに本を読んでいる、堀川樹の姿。

「文化祭、楽しみじゃないの?」

放課後、いつもの図書室でそう尋ねても、彼はページをめくる手を止めなかった。

「……楽しそうとは思う。けど騒がしいのはあまり好きじゃないので」

「そっか。でも、クラスの出し物には……」

「出ますよ。きちんと仕事はするから」


その言い方に、どこか冷たさを感じて、私はちょっとだけ傷ついた。

「夢華は、文化祭好き?」

「うん。好き……かな。何かを一緒にやるって、特別な感じがして」

「そうなんだ…」

彼はそれだけ言って、また本に視線を戻した。


私たちの間に、小さな沈黙が落ちた。

(わかってる、わかってた。樹くんは、人と何かを“共有する”ことに、そこまで重きを置いてないって)

でも、それでも――夢華は彼と、同じ時間を感じたかった。



数日後、クラスで文化祭の準備をしていたときのことだった。


「堀川くんって、あんま来ないよね、準備」

「人手足りないんだから、もうちょっとちゃんとやってほしいよね~」

それは単なる軽口だった。でも、夢華には刺さった。

「……そういう言い方、やめようよ。彼なりにちゃんとやってるし」

「え? なんで夢華が怒るの?」

「別に怒ってない。ただ……」

そこに本人はいなかったけど、言葉の空気は、たしかに堀川くんを遠ざけていた。


その日、夢華は堀川くんに声をかけることをためらった。


でも、放課後、図書室に向かった。少しでも、彼の顔が見たかったのだ。

「……どうしたの、春野さん」

彼は、彼女の顔を見るなり言った。

「なんか……疲れてます?」

春香は首を横に振った。


「堀川くん、文化祭……出たくないなら、無理しなくていいよ」

「……なんですか、それ」

「なんか、クラスで言われてたの。別に、私は何も思ってないけど……」

「言われてたって、悪口?」

「いや、そういうんじゃなくて……ただ、心配で」


すると、堀川くんはいつになく真っ直ぐに夢華を見た。


「……僕は別に、嫌ってわけじゃないですよ。自分なりには楽しもうとしてるし、仕事もしているつもり。それに、春野さんが頑張ってるの見て、一緒にやれば楽しそうだなとも思ってます」

春香の心臓が、跳ねた。

彼は気づいていない。自分がいま、どれだけ特別なことを言っているか。

でも、それでいい。

私は、今のこの距離で、彼のそばにいたい。


恋を伝えなくても、傍にいたいって思うのは、たぶん初めてだった。

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