粗暴な王子と健気な公爵令嬢には、2人だけの秘密があるようです。
「もっと叱ってくれ!」
「お断りいたします」
冷めた視線で返す。
それすらも悦んでいるような目に、あらあらと眉を上げる。
まさか大国の王子からそんな言葉が出るとは思いもよらず、困った子ねと微笑んだ。
「なんで俺が、お前なんぞと食事を共にしなければいけない?」
学園の昼休みである。
幼い頃に周囲の大人達が勝手に決めた婚約者といえども、こんな扱いがあっていいものだろうか。
「国王から婚約者として寄り添うべく食事を共にするよう言われております」
「うるさい!」
輝くような銀髪に麗しい顔立ち、しかし粗暴な言動が残念。
処罰を恐れ表立って言う者は居ないが、影でそんな風に囁かれている王子アスランは足早に去って行く。
ふぅ…っと溜息をつき背を見送るしかない。
リリーナが俯けばサラリと落ちる一束の艶やかなウェーブの黒髪。
長い睫毛が震えるように瞳を隠す。
入学以来、こんな風景が繰り返されていた。
王族も通う学園の生徒は貴族しかいないため、その反応は様々だ。
中には婚約者の座を狙おうと画策する者もいるが、態度の悪さゆえリリーナに同情する者が多い。
「なんですのあれは!相変わらず王子だから何でも許されるとお思いなのかしら。婚約者として学も振る舞いも努力を重ねて来られたリリーナ様に対してあの態度…改めて父から国王様へ言って頂きますわ」
隣で般若の形相を隠さないエレナが呟く。
エレナはサルーナ王国と国王を支え守る4大公爵家の1つ、ストーン家の令嬢だ。
そのため王族に対してもある程度の発言力を持っているがゆえ出せる言葉だろう。
リリーナも莫大な領土を持つ古き家柄の公爵令嬢ではあるが、あくまで4大公爵家には及ばない。
そう、表向きは。
「エレナ様いつもありがとうございます」
そう囁いて微笑めば、まるで可愛い妹が苛められたような、怒りと悲しみと愛情が混ざったような表情で見られた。
「あなたは本当に怒らないからもう!王族の妃となる者は優しいだけじゃだめなのよ!」
「はい、努力いたします」
その気持ちが嬉しくて頷きながら笑顔になってしまう。
学園に入学してすぐ同じクラスになったエレナだが、最初はあまり良く思われてなかったからこそだ。
「王子の婚約者って、あなた?見た目はまあまあね。でも4大公爵家でもなく、何故こんな大人しい子が選ばれたのかしら」
初対面ではそんな感じだった。
しかし、同じく入学した王子のリリーナに対する態度を間近で見てる内に考えが変わったらしい。
「耐える強さを持ち、努力してきた事は見てて解ったわ。婚約者として王子を立てる姿勢も。でもね:…」
そこまでは抑えながら言えたようだが、クソ馬鹿王子には勿体ないのよ!と耐えきれず叫ぶ姿に目を丸くしてしまった。
2人以外は誰もいない場所だったので思わず出たのだろうが、厳しい教育を受けてきた令嬢にあるまじき言葉が混じってる辺り相当立腹していたらしい。
それ以来何かと側にいて見守ってくれているのだ。
「そうね、そろそろ潮時かしら…」
私達はあと1年で卒業し、この国のために生きていくことになる。
いつまでも子供のままで居れば足元をすくわれ、国や民を守ることなど出来ない。
「潮時って、まさか!でも、あんな態度で追いつめられたら無理も無いわね…。ストーン家としてリリーナ様を全力で支持するわ。婚約破棄を決断したとしても、決して処罰などさせないから」
なぜかエレナの方が覚悟を決めたかのような顔でリリーナの両手を握りしめる。
知らない内に物語が進んでるわと不思議に思いつつも、ありがとうと微笑んだ。
「アスラン王子、お待ち下さい」
「ついてくるな」
放課後、迎えの馬車が来る場所へと足早に向かうアスランに後ろからリリーナが声をかける。
「馬車までお送りしますので…」
「いいかげんにしろ!学園内だし、俺も鍛えている。令嬢に守られるような奴だと見下しているのか!」
鬱陶しいと言わんばかりの視線で振り返ったアスランがリリーナを睨む。
「それは…」
困った顔で言いかけたリリーナだが、その瞬間に大きな音が辺りに響き渡る。
王族の紋様が入った馬車が門を壊しながら、とんでもない速さでこちらへ暴走してくるのが見えた。
「うわあぁ!止まれ!!」
門の前が騒然とする。
学園の門にいる警備隊が止めることすら出来ない速さと勢いだった。
「な…っ」
馬車へ目を向けたアスランは驚きで目を見張る。
リリーナの眼差しが細められた。
手綱を持つ騎士は気を失ってるのか項垂れ、馬の尻に矢が刺さっている。
明らかに王子を狙ったものと判断し、同時に動く。
周囲が悲鳴を上げるも、アスランとリリーナへ向かって突っ込んだ馬車の砂煙で見えない。
「…い、生きてる…」
視界が戻ってくると、地面に倒れたアスランは呆然と呟いた。
リリーナが庇うように王子に寄り添っている。
気づいた者はいないが、元居た場所から少し移動した場所で2人は無傷であった。
馬車はぶつかる寸前で不自然に進路を変えて、学園の壁へ激突して止まっていた。
「さっき…」
アスランは目を見開いてリリーナを見つめる。
にこりと笑って立ち上がったリリーナは何事も無かったようにアスランへ手を差し伸べた。
大騒ぎの末、新たな馬車が用意された。
「婚約者として今は王子を支えたいのです。王城までお供させて下さい」
王子の命を狙った犯行、しかも自らも死ぬところだったというのに。
健気なリリーナの言葉に、派遣された騎士団は2人を乗せた馬車を護衛しながら城へと向かった。
そんな中、馬車の中では異変が起きていた。
「何者だ、お前…」
警戒の混じった視線でリリーナを見るアスラン。
先ほどの事を思い出した彼には混乱しかない。
自分達へ向かってくる馬車の車輪と地面の間へ咬ませるように石を投げ、わずかに進路を変えた。
そのせいで馬車を引く馬のバランスをも崩し、倒れて壁にぶつかり止まったのだ。
更には華奢なリリーナが、あろうことかアスランを支えて素早く移動したのだ。
それらを瞬時にやり遂げる身のこなしは只者では無かった。
「まだ国王の許可もないので明らかにするつもりはなかったのですけど、仕方ありませんね」
目の前のリリーナが、リリーナではない。
いつも静かで控えめ、品良く手を膝上に揃えて座る令嬢だったはずなのに。
目の前の彼女は足を組み、唇の端を上げた。
動揺など寸分もなく凜とした印象である。
「あれだけ言ってたのに、本当に仕方のないお坊ちゃまですわ」
「たかが公爵令嬢の立場で俺を愚弄するのか!」
カッとなったアスランが向かい合わせに座るリリーナへ思わず手を上げようとするも。
気づけば、上げた右腕を馬車の壁に押しつけられていた。
片足をアスランの足の間に立てて腹を圧迫し、掴み上げられた腕はビクともしない。
自分より小さく華奢な相手なのに、無駄のない制圧方法。
アスランの背中に冷たいものが流れ落ちた。
「残念ながら時期国王としては器不足。日頃からの態度、視野の狭さ、ご自分が狙われる立場であるという警戒心の無さ。このままでは第2王子のゼスラン様が継がれる可能性が高い」
「なっ…」
空いた指先でアスランの顎を持ち上げ、間近で見つめ合った。
艶やかに波打つ黒髪の合間から、どこか仄暗い光が灯る漆黒の瞳が笑う。
「隠された5つ目の公爵家は、王族の命を密かに確実に守るのが定め。その重要性は4大公爵家を越えるもの。時期国王を選ぶための意見も求められる重要な役目ゆえ、独立し隠されているのです」
我がラッセル家と、王族との間で古き時代に交わされた血の契約。
幼き頃から、知性、品性、身体能力を高め鍛える。
いかなる役目にも応じ守るために。
耳元で囁けば、思わず頬を赤らめるアスランに微笑む。
「これは本来、時期国王にだけ伝える秘密。ですから内密にして下さいね。でないと、守れなくなってしまいますから…」
首元へ手を添えて優しく力をこめる。
時期国王にのみ伝えられる秘密。
たとえ王族であろうと、漏らすような愚か者の命は…
秘密裏に徹底されてきたのだと匂わすリリーナに、アスランはゾクリと身を震わせた。
恐怖と絶望、異常な空気感のせいなのか。
唇を震わせてどこか恍惚とした眼差しにも見える。
リリーナが身を離し、何事も無かったように膝上に手を添えて向かい合わせに座ればアスランが口を開いた。
「ずっと…優秀なお前は俺を見下してると思ってた」
貴方のご様子からして致し方ないのですが、否定はしませんわね。
微笑む姿からは想像もつかない事を考えつつ、頷いて穏やかに話を聞いてるように見せるのは慣れたもの。
「だからずっと、強く当たってしまっていた…すまない」
あら、急に成長されたのかしら。
変わらず穏やかに聞いていると、突然ガシッと手を握られて見つめられる。
「これからはっ、時期国王として認められるよう努力する。リリーナにも優しくする!す、素直に言えない時もあるが、頑張るから…」
あらあら、急に可愛くしおらしくなって。
「これからも叱ってくれ!」
「お断りします」
「アスラン王子、お昼は…」
「な、中庭へ行くぞ!」
頬を赤くしてズンズンと先に歩いて行ってしまうアスラン。
それを見た周囲がポカーンと見送る。
「なにあれ、気持ち悪い変わりようですわね…。何?何があったのリリーナ様」
エレナが訝しむようにアスランを見た後、また嫌なことをされてないのかとリリーナを見る。
アスランにあのような性癖というか、女性の好みがあったとは流石のリリーナも思いもよらず。
護衛はしやすくなったものの、どう伝えていいものか困ったわと首を傾げる。
「案外アスラン王子は可愛いのですわ」
「えぇ…?」
令嬢にはそぐわない声が漏れ、眉を寄せた表情のエレナへ会釈をしてアスランの後を追った。
「今日はまだ素直に話せなかった。叱ってくれ…」
「2人きりだと途端に甘えたになるなんて、仕方ない子」
横暴な彼なんて幻だったかのよう。
中庭の木々に囲まれたベンチで、きゅーんと子犬の鳴き声が聞こえてきそうな顔で見つめてくるアスランの頬を撫でるリリーナ。
エレナや他の生徒達が見たら卒倒するような場面である。
「私がその命をお守りし側にいる限り、必ずや貴方の手に国王の座を」
流し目で微笑むリリーナがアスランの手へ唇を寄せて囁けば、頬を染めて頷くアスラン。
騎士と姫のような主従でもあり、いずれ共に生きる伴侶となる2人の物語は始まったばかり。
後世、幼く粗暴で期待されていなかった王子が立派な国王になった奇跡として貴族や民衆の間で語り継がれることになるとはまだ誰も知らない。
ただしアスランとリリーナの関係は、ラッセル家と王族ですら知らない2人だけの秘密のまま。
【完】