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麺琴楼攻略作戦9

 エレベーターのシャフトが沈む音が止まり、鉄扉が静かに開く。

 FLOWAは銃を構えたまま一歩、足を踏み入れる。


 ──地下区画B-07。

 不自然なほど静かで、照明の一部は点滅すらしていない。


 「……電力は最小限。完全な隔離区域ってわけか」


 耳に残るのは、自身の靴音と機械の低い駆動音。

 通路の一角、強化ガラスで仕切られた観察室に足を踏み入れると、異様な光景が視界を満たした。


 ──波形モニターがいくつも並び、そこには脳波か心電か、未知の生体情報が刻まれている。

 中央のカプセル。その中に横たわるのは──先ほど救助した少女と、年齢も容姿も酷似した、高校生ほどの女性だった。


 「……これは、同一人物か?」


 FLOWAは思わず息を呑む。だがカプセルは厳重に固定され、周囲のホースや管が精密に張り巡らされていた。

 今は下手に手を出すより、情報を持ち帰ることが優先と判断し、その場を離れる。


 ──BENIを見つけるまでは。


 幾つかのロックされた部屋を通過し、セキュリティログの反応が消えている一室の前で、FLOWAは足を止めた。

 扉は締まっているが、罠の痕跡は見当たらない。


 中を覗き込むと──照明の下、鉄製の椅子に縛られたままうなだれるBENIの姿があった。


 「……BENI先輩!」


 駆け寄り、彼女の脈を確認する。反応は鈍いが、鼓動は感じる。

 身体を縛るナイロン製のロープをナイフで断ち切ると、FLOWAは彼女の腕を自分の肩に回した。


 「無理はさせられないが……歩けますか?」


 当然、返事はない。意識はまだ戻っていない。


 「……戻ります」


 そう決め、部屋の外へと足を向けたその瞬間。


 ──ガリ、ガリッ……


 スピーカーから不気味なノイズ音が走った。FLOWAが反射的に銃を構えると、スピーカーから、掠れた男の声が聞こえてきた。


『……少し見ていかないか?、少しだけでいいんだ』


『君が今ここで背を向ければ──誰かが、また失われる』


『正義のためか? 違う……これは君自身のためだ、■■■■』


 その声音はどこか愉悦を含み、そして妙に悲哀的だった。


 『急いで連れ帰るのも構わないが……君の“正義感”とやらが、果たしてそれで済むかどうか』


 スピーカーがノイズを挟み、また沈黙する。


 FLOWAはBENIを支えたまま、わずかに奥歯を噛み締めた。


 ──罠か? それとも、見せたい“何か”がまだあるというのか。


 ──今さら、躊躇ってどうする。

 ここに来るまでに、何人の命を賭けたと思ってるんだ。


 でも──


 “あの声”を、無視できるほど私は冷たくない。

 そして、あのカプセルの中の女性……いや、“あの子とよく似た女性”が、

 ただの研究対象で済まされるとは思えなかった。


BENIをエレベーター前の壁にもたれかけさせると、FLOWAは再び踵を返した。

──先ほどの、カプセルの部屋へ。


あの女性は。

そして、あの不可解な設備は。

あの声が言った「見ていけ」とは、あれのことだったのか。


……私の正義感?


そうかもしれない。でも、それだけじゃない。


あのカプセルを見たとき。

凍ったように眠らされた、名前も知らない女性の顔を見たとき。

──胸の奥で、ひどく冷たくて、そして痛い記憶が疼いた。


かつて、あの日。

支援施設の寮で一緒に過ごした子がいた。

警報が鳴って、襲撃を受けて、必死に手を伸ばした──けれど、届かなかった。

間に合わなかった。

ただ見ているしかなかった、あの無力な自分。


その日、全てを失って、

焼け跡の中で呆然と立ち尽くしていた私に、声をかけてきた人がいた。

──杵場局長。

あの人がいなければ、私はもうここにはいなかった。


「君は、まだ選べる。守る側になるか、それとも……」


BENI先輩を、今、救えた。

今度は間に合った。


だからこそ──このまま背を向けたら。


また同じように、どこかで声がする。


『どうして置いていったの?』って──。


FLOWAは小さく息を吐き、耳元の通信デバイスに手を添えた。

低く押し殺した声で、短く告げる。


「──イオ、こちらFLOWA。BENI先輩を確保。意識はなし、だが脈は安定してる。この階層のエレベーター付近に一時退避させる」


しばしの間を置いて、インカムに声が聞こえる。


『了解。救護班を向かわせます。……ですが、あなたの心拍数が高い。無理はしないでください、FLOWAさん』


「大丈夫。少し──あの子のためにだけ、寄り道するだけです」


「隊長、BENI先輩は保護しました。救護班の到着待ちです。」

「それと…少しだけ寄り道をさせてください。」


『は?何かあったのか?』

『まて!勝手な行動は慎め!!』


無線からはSAJIROの制止が聞こえるが、あえて返事はしなかった。


「慎め」なんて、そんな言葉が、今の私を止められるわけがない。

正しいかどうかなんて、結果が出るまでわからない。

でも、目を背けて、知らなかったふりをすることだけは……二度としたくなかった。


FLOWAは暗い通路へ、静かに踏み出した。





 部屋の入り口に立ち、FLOWAは思わず息を止めた。


 ──そこにいた。

 ついさっきまでは誰もいなかった空間に、静かに佇む男の姿。


 年の頃は五十代。皺の刻まれた顔に、黒のスーツを綺麗に着こなした初老の男。

 だがその背中から漂うのは、紳士的な風格というより──何か、虚無と執着が混ざり合ったような違和感だった。


 FLOWAはすぐに銃を構え、距離を詰める。


 ──男の顔、姿勢、指先の動き。

 脳内で一つひとつを素早く確認する。

 「威圧感は薄いが、危険性の予測不能」

 「戦闘の痕跡なし、だが……これは──」


 「お前はいったい何者だ」


 問いかけに、男はようやく口を開いた。

 しかし視線はこちらには向けず、目の前のカプセル──少女が眠るそのガラス面を、指でそっとなぞる。


 「私は……君たちの言う“黒鴨”だよ」


「さて、きみの名はなんと言ったかな?」


「……“■■■■”」


黒鴨の声が響いた瞬間、喉の奥がひりついた。

一瞬、脈が跳ねたのがわかった──呼ばれることなど、もうないと思っていたはずの名だ。


しかし、表情を変えるわけにはいかない。

FLOWAは視線を逸らさず、努めて冷静に返したつもりだった。


「それを使うとは、随分と古い記憶を……。よくご存じなようで…」


 思いとは裏腹にFLOWAの声は低く、冷たかった。

 そしてトリガーにかけた指に、じわじわと力が込められる。


「ああ、思い出した。あの燃えた夜に──たった一人、出汁まみれの倉庫から這い出してきた子がいたっけね」


「あのときは驚いたよ。まさか“壱番タンク”の試作品を浴びたまま生きて出てくるとはね。意思誘導出汁・初期型、あれは……まだ随分と粗削りだったろうに」


黒鴨が目を細めて微笑む

「きみが名前を捨てて、“FLOWA”なんて名乗るとは思わなかったよ。あの優しい目の杵場局長が、拾って磨いてくれたんだろう? あの人は“廃材”を光らせるのが実に上手い」


「──ねえ。私の目には、今でもあのときの“火だるまの子”が見えてるよ。泣きもせず、ただ、焦げた味噌汁みたいな匂いをまとって立ってた。……いや、立たされてた、かな?」


「あれは君にとって、“生まれ直し”だったかい? それとも“実験の続き”かい?」

 

両者に沈黙が流れる中──再び黒鴨が語りだした。


「……そんなふうにしか言えないんだよ、私は」


先ほどの言葉を苦笑とともに否定する。


「"焦げた味噌汁みたい"……おぞましい言い回しだろう?」


「けど、私はあのとき、自分の感情すら正直に出せなかった。出したら、何かが壊れてしまうと思って」


黒鴨はガラスに触れた指先を止めたまま、まるで独り言のように言葉を紡ぎ始めた。


 「……娘がいたんだよ。小さくて、よく笑う子だった」


 その声に感情の起伏はなかった。だが、その淡々とした調子がかえって、過去が痛みを伴って染み出していることを物語っていた。


 「妻が早くに逝ってね。男手一つで育ててた。──うどん屋だったんだ。街の端っこで細々とやってた」


「言い訳か? 今さら何を──」


黒鴨が軽く笑うと、突然ひとさし指を口元にあて、静かにFLOWAに視線を合わせる


 FLOWAは黙ったまま銃を構え続けていたが、わずかに目を細めた。


 「それなりに幸せだった。忙しくても、娘と食卓を囲む時間があれば、それでよかった」


 「……でもね、限界が来るんだ。経営の、娘の病気、時代の、全部が一気に押し寄せてきた」


 「財閥が手を差し伸べてくれた。『支援』という名目で。条件は……研究に協力すること。それだけだった」


 黒鴨の手がカプセルのフレームを握った。ほんの少し、震えていた。


 「最初は、ただの“出汁”だった。香り成分の分析、味覚の再現。それが……いつしか“精神反応の増幅”という言葉にすり替わっていた」


 FLOWAは思わず、わずかに息を呑んだ。


 「……おかしいと思った。けど、後には引けなかった。娘の治療は財閥傘下の病院でしか行えなかった。条件の解除は、…娘を代償にする事を意味していた」


 黒鴨は今、初めてカプセルの中にいる女性の顔を見つめた。


 「ある日、突然娘に会えなくなった。“悪化した”とだけ言われ、面会は拒否され……気がつけば、ここにいた」


 「……そして、目の前のこれが現れた。名も無く記号で管理され、…私は“模倣体”と呼ぶことにした」


 黒鴨はカプセルに横たわる娘を見つめる。その視線には、言葉にはできないものが宿っていた。


 「──だが私には、「コレ」がわが子であることはすぐに理解できた。


 肌の色、髪の流れ、目元の形。作られた存在であるはずのその姿に、確かに娘の面影が刻まれていた。

 呼吸の浅さすら、昔病床に伏していた頃と同じだった。偶然の一致だとは思えなかった。


 ──背筋が凍るのを感じた。同時に、どうしようもない怒りが心の奥底から噴き上がった。


 娘の笑顔を、声を、記憶を──誰かが「材料」として切り分けた。

 愛情の対象が、実験と結果の狭間で“再現”されたと知った時、私の中で何かが壊れた。


 だが、拳を振り上げる相手はどこにもいなかった。

 怒りの先には、研究成果と数字、そして記号でしか語られない存在しかなかった。

 「親」として叫ぶことも、「被験者の保護者」として訴えることも、もはや許されない立場にいた。


 ──私は、自らその席に座ったのだ。金と引き換えに、娘の未来を委ねた。


 怒りと悔悟(かいご)は、やがて静かなあきらめへと変わっていった。

 その感情を外に出せば、彼女が「模倣体」ではなく「私の娘」と受け入れてしまう。

 それが意味するのは、財閥のさらに深い利用と、制御下への移行だった。


 だから黙っていた。声を押し殺し、ただ見ていた。

 どこかで“奇跡”が起きるのではないかと、幼稚な希望を抱きながら。」


堰を切ったように、感情が言葉を押し出した黒鴨の独白。


FLOWAの指から、わずかにトリガーの緊張が抜ける。


「──なぜそれを私に言う。私にはどうすることもできない。」


 あえて、感情を押し殺した言い方だった。

 わずかにトリガーの緊張が緩んだのを、悟られないように。


「ハハッ……私はね、もう疲れてしまったのかもしれない」


 そう語る男の声には、ひどく乾いた響きがあった。

 研究の途中から、彼の“目的”は確かにすり替わっていたのだろう。

 科学者としてではなく、一人の父親として──。


「娘にもう一度触れたい。話したい。街中で楽しそうに話している子たちを見る度に、娘があれくらいの年なら……なんて、考えてね……」


 FLOWAは黙って耳を傾けていた。

 相手の言葉が“同情”を引き出そうとしていることを理解していながら、それでも──胸の奥がざわつく。


「分かっていたさ。だが諦めきれなかった。すり替わった半分の目的……娘に似た子を……」


 喉が勝手に動き、固唾を飲み込む音が微かに響いた。


「また作ればいいんだと──。」


「違う、それは……」


FLOWAの声には、わずかな震えが混じっていたが、それは冷静を失うことなく言葉を続ける意志の表れだった。


「お前が何を求めているのかは分かる。だが、それは許されるべきことではない。」


拳銃のグリップがぎゅっと握りしめられ、手のひらに微かな汗がにじむ。だが、彼の目には揺るぎない決意が宿っていた。


「もしそれが“解決”だと思うなら、どれだけ“壊れた”ものを作り出すことになるか、分かっているはずだ。」


 黒鴨は、ガラス越しの娘に視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。


 「……世の中はね……理想ばかりではどうにも、ままならないことばかりなのさ」


 その声音は、敗北のようで、どこか解放にも聞こえた。


「私の施設が君たちの襲撃にあって、少し胸がすく思いだったよ。財閥に……ざまあみろ、なんてね」

 皮肉気に笑うその顔に、深い憔悴(しょうそう)悔恨(かいこん)の色が浮かぶ。

 「だが……ここまで娘を生きながらえさせてくれたのも、また財閥だった。あの出汁さえなければ、すでに手は尽きていた」

 自嘲気味にそう呟くと、彼はふと視線を遠くにやった。


 「……生前、妻がよく言っていた言葉があった。“恩には恩を返せ”。──だったかな」

 気が強い妻でね、とクスリと笑う。


 その目がゆっくりとFLOWAに向けられる。


「ここで君たちを殺して、私も……娘共々死のう。すべてを終わらせるのも親の役目だ。いや、言葉はいらないかもしれないな。」



 そう言って、黒鴨はゆっくりとスーツの内側に手を差し入れた。

 取り出されたのは、小さな試験管。

 琥珀色の液体が揺れるその中には──まるで星が(またた)いているかのような微細な光の粒が、煌めいて見えた。


 FLOWAの目がそれをとらえた瞬間、

 「──ッ!」


 黒鴨は一切の躊躇なく、それをこちらに投げつけた。


 FLOWAが反射的に銃を構え直すより早く、それは宙を舞った。

 空気を切ってこちらに飛んでくる試験管──咄嗟に引き金を引いた。


 ──ガラスが弾け、液体が霧となって辺りに散る。


 一瞬、その“光”に視線が奪われる。


 「──ッ!?」


 霧が鼻腔をかすめた刹那、脳の奥でノイズのようなざらつきが走った。

 思考が引っかかる。遅れる。妙に、熱い。


 「……!」

 視界の端で、黒鴨のシルエットが跳ねるように迫ってくる。


 ──反応が、遅れた。

 本来なら迎え撃てていた距離だった。だが、身体がわずかに鈍い。


 黒鴨の掌底が、FLOWAの胸部を正確にとらえた。


 「ッ──が……!!」


 吹き飛ばされるように後方へ弾かれ、背中が壁に叩きつけられる。

 視界が揺れ、銃が床に転がった。呼吸が一瞬、止まる。


「どうです。思考誘導の力は。意思を、思想を操作する……これが、我々が求め続けて、それでもなお届かない“頂”の一端ですよ」

 「君のように若く、力もあり、頭も切れる……そんな人間でさえ、分け隔てなく──操れる。味わってもらえたかな?」


 そう語る黒鴨の顔つきが、先ほどとは明らかに違っていた。

 どこかしら獰猛で、欲望と執着を剥き出しにしたような表情。

 悲哀の父親ではない、“研究に魅入られた者”の顔だった。


 FLOWAはその言葉に、どこか納得するように眉をわずかに寄せながら、荒い呼吸を必死に整えようとしていた。

 ──時間を稼ぐ。息を整える。ただそれだけを考えて、口を開いた。


 「……なぜ……そんな重要なことを……はぁっ……話していいのか。ここでお前を……殺して……情報を持ち帰ったら……」


 黒鴨は微笑んだ。もはや余裕すら浮かべて。


 「それには……及ばないよ」

 「君たちは──ここで消える。持ち帰れるものなんて、最初からないのだから」

ついに財閥幹部──黒鴨の登場ですね。

相対するFLOWAとのバトルシーン…ご期待ください!

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