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麺琴楼攻略作戦7

厨房の奥、寸胴鍋の裏に隠された端末を通じて得られた見取り図。そこには、一般の設計図には存在しない一画――地下区画への接続通路が明示されていた。


「……ここですね。図面と照らしてみると、この冷蔵庫の後ろに──」


イオが囁く。床に這うようにして配線の走向を追いながら、冷蔵庫裏のパネルに手をかける。軽く押し込むと、「カチ」と音を立ててロックが外れ、金属パネルが静かに外れた。そこに現れたのは、人ひとりが屈めば通れる程度の幅のハッチ。


「思ったより、狭いな……」


FLOWAが低く呟き、辺りに再度目を配る。厨房に不審な音や気配はない。2階からは時折「パスッ」「パスッ」という抑えた発砲音が聞こえてくる。SAJIROたちが戦闘を継続しているのだろう。


(……先輩方、陽動は順調か。だが、こちらの任務も急がなければ)


「イオ、先に下がって。俺が後から追う」


「了解っス」


イオはすぐに小型のライトを取り出し、狭い通路に身を滑らせる。流石に戦闘訓練は受けていないものの、任務行動に慣れているだけあり、無駄な音は出さない。


FLOWAは手早くハッチを閉じ、内部から静かにロックをかけた。再びサプレッサー付きのG18Cを構え、前方のイオに続いて前進を始める。


通路内はコンクリートの生臭い匂いと、配管から漏れた微かな湿気が混じっていた。足元には所々、業務用の配線が這っており、過去に何度かメンテナンスが入った形跡もある。だが現在は、明らかに“封印”された空気が漂っていた。


「このルート、おそらく麺琴楼の“表の顔”とは無関係の造りっス。財閥側の内部通路ですね」


「だろうな。警備網の外側を通ってる。正面の戦闘がなければ、たどり着けなかった」


FLOWAの声には、戦術的な確信とわずかな安堵が混じっていた。


やがて通路の奥に、警告表示もない電磁式の扉が現れた。イオが端末を接続しようとすると、既に扉のロックは解除されている。


「……ここ、開いてるっス。中に誰かいる可能性も」


FLOWAは一拍置いてから、低く言った。


「警戒を最大に。俺が先行する。何かあれば、即時引き返せ」


「ラジャー」


銃口を構え、扉の端に身を寄せるFLOWA。その表情には、冷静と覚悟、そして「BENIを救い出す」という強い意志が刻まれていた。


ゆっくりと、扉が開く──。


地下通路の空気は、冷たく澱んでいた。

壁を這うパイプの振動が微かに響き、足音すら呑み込む沈黙が支配する。


「……この先、分岐が多い。慎重に行こう」

FLOWAの声は、淡々とした命令口調。それでも、イオにだけは微かに柔らかさが混じっていた。


イオは頷き、小型端末を握る指先を動かす。通路の壁面に設置された配線の痕跡を辿るように進み、やがて扉が並ぶ区画へと差し掛かった。金属製のドアが左右に連なり、その多くは封鎖されている。だが、一つだけ――うっすらと空いた扉があった。


「FLOWAさん、ここの扉……セキュリティが外れています」

「了解。警戒態勢、崩すな」


ゆっくりと開いた扉の先。小部屋には照明も届かず、仄暗いランプの明かりだけが机の上を照らしていた。

部屋の隅――そこに、人影があった。


「……っ、誰……?」


少女だった。15歳ほど。

黒髪は肩で乱れ、粗末な白衣のようなものを身にまとっている。身体を抱えるように座り、声はか細く震えていた。


FLOWAはすぐに銃口を下ろし、イオに目配せした。

「大丈夫だ。敵じゃない。……君、名前は?」


少女は答えなかった。だが、ふと鼻をすんと鳴らし、イオの持っていた工具袋に視線を移す。


「……お味噌の、匂い……」


その言葉に、FLOWAとイオは一瞬だけ視線を交わした。彼女の反応は、聴覚や視覚ではなく、嗅覚に強く引っ張られている。


「嗅覚刺激……出汁反応による識別か」

イオが小さく呟く。端末を開き、近くの装置の記録をスキャンし始めた。


「FLOWAさん、この子……おそらく“実験体”です。出汁による精神誘導の応答テスト対象。……研究記録には『感応域維持困難』って。廃棄予定……」


「……ふざけてるな」

FLOWAは低くそう吐き捨てた。

その瞳の奥で、どこか怒りが揺れている。


少女は、小さく笑った。「ねぇ……わたし、ここ……いつからいたのかな……?」


FLOWAはすぐに答えなかった。ただ数秒、少女の虚ろな瞳を見つめる。


「……イオ、彼女の保護を優先する。周囲に搬出経路がないか、確認を」


「了解。通信ログも探ります」


部屋の空気は、冷たいままだ。

けれど、その中に、確かに“人”の気配が芽生えていた。


「……あのね、さっきの……お味噌のにおい。……懐かしいの。たぶん、冬だった。……お昼の前……」


少女は床に膝を抱えたまま、ぽつりぽつりと言葉を落とした。

イオが工具袋を閉じた拍子に漂った微かな香り――それが、少女の記憶の底に火を灯したようだった。


「……白い建物。あったかくて……窓の外に、鳥がいて。……それで、誰かが……呼んだの。『今日は味噌汁つけるよ』って……」


FLOWAは黙って耳を傾けていた。少女の声はか細く、けれど確かな“過去”を引き寄せていた。


「でも……それ、最後だったの。……そのあと、白い車に乗せられて。ねえ……その人……おじさんだったかな……? 女の人もいた気がする。優しかったの……最初は。でも……途中から、誰も……笑わなくなった」


少女の視線は天井の一点を彷徨い、涙がにじみそうで、しかし溢れない。


「……いっぱい、においがあった。いいにおいも、変なにおいも……頭の中が、ぐるぐるして……。スープみたいなもの、飲まされたの。そしたら、夢みたいなこと……考えてて……。ねえ、あれって、夢だったのかな? わたし、お人形だったのかな?」


イオの喉がわずかに鳴った。彼女の目の前で語られる記憶は、研究資料の文面より遥かに生々しかった。


「FLOWAさん……これ、完全に出汁誘導による記憶攪乱です。……恐らく複数の“味覚刺激パターン”を試されてます。反応記録用の脳波センサーも埋め込まれてた可能性が……」


その言葉に、FLOWAの視線が鋭さを増した。


「廃棄って……この状態でか?」


「……命令系統で“感応不全”と判断された時点で、実験価値はゼロとみなす、と……財閥の研究資料にありました。感情や記憶に埋没して、思考誘導が成立しなくなるんです。つまり……感受性が高すぎたんです、彼女は」


少女が微かに呟いた。「……名前、呼ばれてた……でも、あれ……ほんとだったのかな。あの人、いまもいるのかな……」


そのとき、耳にイヤーピースが微かなクリック音を響かせた。SAJIROからの連絡だった。


『FLOWA、イオ。制圧完了。そちらに救助要員を一名送る。受け渡し後は、指定ポイントへ移動を。』


「了解。……イオ、扉を開けてくれ」

FLOWAが立ち上がると、数分後、無音でドアが開いた。


現れたのは、UISFの諜報員――白衣と保温ケープを携えた女性隊員だった。


「彼女を本部へ引き取ります。生命反応安定。さ、いくわよ。」


少女の瞳が、そちらに向けられた。ぼんやりとした視線の奥に、一瞬だけ光が宿る。


「……また、におい、嗅げるかな……?」


その一言に、FLOWAはほんのわずか、口元を緩めた。


「……ああ。次は、まともな食卓で、な」


少女の身体は静かに、ストレッチャーへ移された。

まるで、ずっと遠ざかっていた“人としての生活”に、ほんの少しだけ触れたように。


少女が静かに女性諜報員に抱えられた瞬間、FLOWAはわずかに視線を逸らした。

急なことであったが、救助は達成された。生命の確保、搬送ルートの確保、敵の排除──全て、手順通りに。

なのに、心の奥にわだかまるものがあった。


(……あれが、十五歳の子どもか)


自分が十五のときは、既に射撃訓練の実戦課程にいた。感情も、過去も、捨てるように教わってきた。

だが、この子は──それを奪われたのだ。記憶と、名前と、匂いでつながっていた“誰か”を。


(お前にそれを救う権利があるのか? ……違う、任務だ。割り切れ)


頭ではそう思うのに、胸の奥に残るものは消えない。

彼女が最後に呟いた「また、におい嗅げるかな」という言葉が、FLOWAの中に刺さっていた。


食卓で、誰かが差し出す汁椀。誰かが隣にいて、笑っている未来。

そんな世界が、ほんの少しでも――まだ、残っているのだろうか。


「FLOWAさん……行きましょう」

イオの声で我に返る。FLOWAは軽く頷き、表情を元に戻した。


「……ああ。次は、終わらせる番だ」


振り返ることなく、少女のいた部屋を後にした。



────────────────────────────



 イオの後方で、FLOWAは静かに周囲を見渡していた。少女は諜報員によって慎重に運び出され、厨房奥の搬出口へと移送されていく。今はただ、空室となった空間に残された静寂と、わずかに漂う出汁の残り香があった。


 ──あの子の目、あんなにも怯えていたのに。


 冷たく整った思考の裏で、FLOWAの胸に何かが引っかかる。嗅覚刺激でのみ反応するという異常な条件。感情の断片しか話せない状態。まるで、人の形をした「器」のように──。


 「……イオ君。ログと見取り図、念のため私の端末にも転送をお願いできる?」


 「はい、FLOWAさん。転送しますね。……完了しました」


 イオの声には少し疲労が滲んでいたが、それでも安定していた。この程度の負荷は、技術支援要員としては想定内。FLOWAは小さく頷き、視線を画面へ落とした。


 「──この区画の下層に、“未分類区域”がある」


 見取り図には意図的に隠されたような、塗り潰された領域がひとつあった。接続されるように細く続く通路。その先が、今のFLOWAの目的地だ。


 「私だけで行く。イオ君はこの場でバックアップに回って」


 「はい、……気をつけてください、FLOWAさん」


 優しい声音に小さく「了解」と返し、彼女は通路へと身を滑り込ませる。


 鉄扉を静かに閉めた瞬間、周囲の空気がまた一段と冷たく変化した。人工的に作られた静寂。僅かに揺れる蛍光灯の光が、コンクリートの壁に不安定な影を落とす。


 ──ここが、終点じゃない。もっと深く、もっと核心へ。


 FLOWAは拳銃を胸元で構え、慎重に一歩ずつ進む。そして視界の先、コード付き端末の並ぶ鉄扉を確認した時、小さく息を吐く。


 「……これより、実験室の最深部へ進入する」





 ──SAJIROは一階の階段を上がりきる直前で、手のひらをかざし部隊の足を止めた。


 壁の向こう側から、わずかに聞こえる靴音。複数の足音が、定位置に着こうとしていた。


 「……配置に就いたな」


 サプレッサー付きの拳銃を構え直し、視線だけで仲間たちに合図を送る。誰も言葉を発しない。だが、共通の理解がその場に満ちていた。


 ──敵は待ち構えている。が、それはこちらも想定内。


 SAJIROは冷静だった。


FLOWAたちが地下に向かった今、自分たちの任務はこの二階──施設の司令区域での制圧。反応することなく、ただ無音のまま、彼は次の瞬間、突入の合図を送った。

 静寂を切り裂くように、影が動く。

 ──この瞬間が、始まりだ。

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