さぬきの騎士作戦編2
——赤外線のラインが、淡い赤色の筋として床面を横切っている。
BENIは一度その前で膝をつき、手早く計測器を操作した。
「……前方20。IRセンサー。トリップワイヤ付き。感知タイミングは——3秒間隔」
耳元の通信に、低く短い指示が返ってくる。
「了解。死角を作れ。BENI。FLOWA、ドローンの動きは?」
廃工場の外壁をなぞるように巡回する無人偵察ドローン。FLOWAは携行端末に映し出された航路データを凝視し、即座に応答する。
「北東ルートに逸れた。こっちへの戻りは——約90秒後」
「……その間に通す。準備する」
BENIの指先が小型デバイスに触れる。スイッチが入ると、空気がわずかに震えた。局所的な電磁ノイズ。センサーの閾値に触れないギリギリを突いた“歪み”が、監視システムに干渉を始める。
「——今だ」
SAJIROのシルエットがまず闇に溶け、その後をFLOWAが続く。
二人は赤外線のわずかな隙間を読んで足を運び、床面すれすれを張るレーザーを腰を沈めてかわす。ドローンの視界外——わずか数秒の静寂と闇。
工場入口手前。全員が一息だけ、浅く息を吐いた。
「……まんのうの山でこれかよ。やりすぎだろ」
鉄骨の骨組みが錆び、風に軋む音だけが支配する空間。だが、その沈黙こそが異様だった。
本来ならもっと雑然とした、廃墟特有の「崩れた生活感」があって然るべき——それが、無い。
「気づいたか。意図的に“死角”を作ってる配置だ。あいつら、隠してるな」
指示を受けたBENIが入口に取り付く。指紋と静脈認証のデュアルロック——それを見て、少しだけ口元が緩んだ。
「物理式、か。……古臭いが、突破は可能だ」
指先に薄膜状のツールを装着する。体温と湿度を再現する偽造パターン。そして静脈認証には、指先から微弱な電流を流し込み、疑似パルスを生成。機械側のチェックを欺く。
カチリ、と微かに響いた解錠音。
「……通る。FLOWA、次のセンサーまでの距離は?」
携行端末を睨みながら、FLOWAは一歩前へ出る。
「3メートル先。圧力センサーあり。安全ルートは——俺が誘導します」
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言い終えるのと同時に、FLOWAは足元に視線を落とし、
わずかな埃の流れと、床に走る微細な段差を注視しながら慎重に歩を進めた。
靴底で床をそっとなぞるように動かし、わずかに沈む箇所を感知すると、迷いなく避ける。
一見すると古びた廃工場。
しかしその床は、"最新鋭のトラップ群が埋め込まれた“狩場”だった。
その存在を知る者だけが、音も立てず、無駄もなく、すり抜けることができる。
一歩。さらに一歩。
FLOWAが進んだその先には、埃の薄い一本のラインが静かに続いていた。
風が抜けたように不自然に掃けた道筋。
メンテナンスドローンの定期通行ライン──つまり、唯一の安全地帯。
「……このラインをトレースすれば、圧力センサーの干渉は最小限に抑えられます。慎重に。」
背後からSAJIROが低く唸った。
「お前、新人にしちゃ……いや、なんでもねぇ。ありがたく使わせてもらう。」
BENIもわずかに口元を緩め、無言でそのラインに足を重ねる。
息を殺し、影のように。
三人は静かに、そして着実に、工場内部の闇へと足を踏み入れていった。
だが、FLOWAの視線だけが──
一瞬だけ別の場所を捉えていた。
赤外線センサーの配置。圧力センサーの密度。
そして、微かに残る「不自然さ」。
……仕掛けの配置が、防衛ではなく“隠蔽”のためのものだとすれば──。
(——やはり、“秘伝出汁文書”がこの工場の内部に隠されている)
この仕掛けは、単なる迎撃装置ではない。
何かを「見せない」ために意図された配置。
FLOWAの情報処理脳が、その違和感を静かに警告していた。
FLOWAは、微かに目を細めた。
その瞳が、闇の奥を射抜くように静かに輝く。
情報処理と現場分析を武器とする新人諜報員の勘が、確信へと変わりつつあった。
「……この配置、やっぱり不自然です。」
呟くように言いながら、彼は携行端末を片手に、圧力センサーの敷設パターンをなぞる。
「床の反応板が多すぎる。“侵入防止”ってレベルじゃない。
これは……通路そのものを隠す意図がある配置です。」
BENIが小さく息を呑んだ。
「——隠し通路、か。」
「可能性は高いです。秘伝出汁文書……それがこの工場にあるなら、
“見せない仕掛け”の存在はむしろ、確かな手がかりになります。」
FLOWAはふっと、わずかに口角を上げた。
前進する。慎重に、しかし迷いなく。
端末に表示される安全ルートは、極限まで細く、曲がりくねっていた。
時に片足立ちでバランスを取り、わずかな接地面を探るような通過を求めてくる。
それでも──
「こっちです。……一歩、左へ寄って。次、段差あり。そこを越えたら──センサー圏外。」
BENIとSAJIROも、わずかな間も空けずに従った。
無駄口も、余計な音もない。ただ、静かに。影のように。
そして、通路の最奥へとたどり着く。
FLOWAの指先が、コンクリ壁のわずかな継ぎ目をなぞる。
「……ありました。隠し扉。」
その声に、二人の表情がわずかに引き締まった。
──次の任務段階へ。
足の親指と付け根でギリ歩けるから、2cmの幅があれば余裕なはず。
試して足の甲が攣りそうになった。泣いた。