表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/28

麺琴楼攻略作戦1

現時刻を以って、ホワイトブロス(白兄)作戦から麺琴楼攻略作戦に移行します!!

観測者諸君、準備はよろしいか───。

BENIは薄暗い搬入口裏の倉庫で、最後のひと袋の小麦粉を棚へ押し込むと、つま先で床をコツ、と鳴らした。

音の反響が──違う。沈んだ、妙な空洞音。


「……やっぱりね。味の下には、必ず“出汁”がある」


仮設照明を軽く動かし、影の出方を確かめる。

わずかに浮き上がる、四角い継ぎ目。倉庫全体が打ちっぱなしのコンクリートで構成されているなかで、そこだけ違和感があった。


BENIは手早く倉庫内の監視カメラ位置を確認。

棚の影で死角になっている場所を把握した上で、腰のツールポーチからマルチツールを取り出す。


「……ちょっとだけ。味見程度よ」


ロックボルトを外し、板をゆっくりと開くと、そこには──

人が一人、ぎりぎり通れる幅の階段が地下へと続いていた。

そこからかすかに立ちのぼるのは、湿り気と──わずかな、乾麺の香り。


BENIはため息のような息を吐き、作業着の上着のファスナーを少しだけ上げ直す。

胸元の布が、ほんの一瞬だけ張った。


「隠し味って、見つけるから楽しいのよね」


足音を立てず、階段を下りていく。

視界の端で腕に装着したセンサーが微かに反応。

「熱源:無し」──そう表示された次の瞬間。


背後。倉庫からの開口部に──何かの影が、差し込んだ。


「……っ──?」


振り返る間もなかった。


首筋に微かな衝撃。

意識が、すぅっと──沈んだ。


搬送階段の奥へと、彼女の体は音もなく崩れ落ちる。


そして──影は無言のまま、開口部の扉を閉じた。



────────────────────────────────




 部屋は静まり返っていた。


 灯りは一灯、天井から吊るされた紙行灯が微かな橙色を投げかける。

 畳は深緑、壁は無垢の檜。音ひとつ漏れぬこの空間において、唯一動くものといえば、出汁茶の湯気だけだった。


 その正面に座しているのは、男ふたり。


 一人は、地元の名士を装いながら、四国を軸に政界へ強い影響力を持つ大物──重政典久(しげまさのりひさ)

 環境保全を掲げ、メディアでは清廉な姿を演じるベテラン政治家である。


 対するのは、麺琴楼の裏の管理者──黒鴨(くろかも)

 財閥幹部の一人にして、味覚を通じた“支配構造”の理論構築者。


 二人は無言で湯呑を手に取り、それぞれの“味”に意識を馴染ませるように、口をつけた。


 やがて、重政が低く口を開く。


 「出汁の味が、ずいぶん変わったな。深くて、刺さる」


 黒鴨は湯呑を軽く傾けながら、目を細める。


 「抽出層をひとつ追加しました。“思考酵母”──味の奥行きが広がります。記憶に残りやすくなる、そういう成分です」


 「なるほど。香りに心地よさが残る。舌より先に“思考”に届く味……だな」


 黒鴨の口元にわずかな笑みが浮かぶ。


 「出汁は、味覚ではなく“信号”です。受信するのは、脳。

 五感は、情報の回路ですから」


 「……なるほど。BROTH-NETがただの物流網ではない理由がよくわかる」


 黒鴨は何も言わずに頷いた。

 壁際に立つ若い従者が、二人の前に“追い出汁”を運ぶと、会話は一時中断する。


 湯の代わりに、黄金色の液体が小ぶりな片口から注がれた。


 「さて……問題は、“あの件”だな」

 湯呑を置いた重政が、改まった口調で続ける。


 「四国全体の“水利統制”──もう後戻りできない。

 我々が抑えることで、国家の“胃袋”も、動かせると信じていいんだな?」


 黒鴨は、淡々とした口調で答える。


 「はい。農業、工業、生活用水……すべては麺と共に循環する。

 水を“味覚”に変換できれば、それは国の“支配言語”になります」


 「味覚で国家を統治する……。

 正気とは思えんが、なぜか納得させられるな。君と話してると」


 「ありがとうございます。ですが……」


 黒鴨は、わずかに視線を落としたまま、声を低くした。


 「一部、雑音が入りました」


 「雑音?」


 黒鴨は、立ち上がることなく、隣においていたカバンの中から、端末を取り出してタップする。


 「搬入口側に、わずかな動きが確認されました。

 ご安心を──処理は“静かに”進めております」


 「ほう……また地元の野良猫か? それとも──」

 重政の表情に、探るような笑みが浮かぶ。


 黒鴨は、返すようにかすかに微笑む。


 「いいえ。鼠です。

 ……いえ、正確には、“鼠の皮を被った諜報員”でしょうか」


 「なるほど」

 湯呑を手に取る重政の動作が、一拍遅れた。


 それ以上、誰も深くは問わなかった。

 そして誰も、あの鼠の“末路”を気にする者はいなかった──


──沈黙。


 照明の音すらしない密室で、会話だけがひとときの影を落とす。

黒鴨「味の奥行きが広がります。記憶に残りやすくなる、そういう成分です」

……ちなみに、“記憶に残りやすくなる味”というのは、脳内の海馬を刺激する物質でもあるそうです。

ただ、それが本人の意思による記憶かどうか──それはまた、別の話ですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ