ホワイトブロス作戦3
データ解析には、まだ少し時間がかかるようだった。
FLOWAは静かに椅子を引き、立ち上がる。
「……コーヒーでも、飲もうかな」
端末から離れ、休憩エリアへ歩き出そうとしたその瞬間──
「やっほ、任務明けの新人くん。おつかれ~♪」
まるで音もなく背後から現れた細身の影が、
するりと腕に抱きついてきた。
振り返ると、そこには赤いショートヘアの女性。
シャープなパンツスーツを完璧に着こなし、
それでいてどこか余裕のある表情を浮かべた、BENIの姿。
「お姉さん、ちょっと暇なんだけど。相手してくれない?」
FLOWAは目を瞬かせ、一拍置いてから静かに言った。
「……冗談がきついですよ」
その一言で、BENIはあっさり腕を離す。
イタズラっぽく笑っていた表情は、次の瞬間には鋭く切り替わっていた。
「実は、白兄に納入業者として潜り込んでたの。別ルートからね」
「……やっぱり、そうでしたか」
BENIは頷きながら、小さくつぶやくように言った。
「ある政治家が関与してる。
表じゃ“水利保護”を謳ってるけど、裏では財閥と繋がってる」
FLOWAの眉がわずかに動く。
「じゃあ、僕がやった調査って……意味、なかった?」
その言葉が最後まで終わる前に──
「……情報は多角的に見ないとね」
BENIが、少しだけ優しい口調で言葉を被せた。
「私だけの情報でも足りない。
あなたの情報だけでも足りない。
でも──二つを合わせれば、見えてくるものがあるかもしれない。」
その言葉の後に、彼女はふっと微笑んだ。
“信頼”を滲ませた、諜報員らしからぬ柔らかさ。
「……貴方も、当然知ってることよね?」
その笑みはもう、仕事に戻る目だった。
────────────────────────
「……少し、お互いの知ってることを話しましょうか」
そう言ったのは、BENIだった。
FLOWAは頷き、端末の画面を一時スリープに切り替えると、
ブースを離れて壁沿いのコーヒーステーションへ向かった。
淹れたてのカップを二つ持って、
壁際に設けられた小さなカウンターテーブルに腰掛ける。
BENIも、隣のスツールに静かに座った。
「……少し、お互いの知ってることを話しましょうか」
ベニの言葉に、フロウワは頷いた。
湯気の立つカップを持ち、二人はオフィス壁沿いの小さなテーブルへ。
BENIがすっと脚を組み、隣に腰掛ける。
コーヒーをひと口。
FLOWAはふと、彼女のカップに視線を落とす。
──ミルクと砂糖。前はブラックだったはずだが。
ほんのわずかに眉が動いたが、それ以上は追求しない。
「気分転換よ」と笑った彼女の言葉に、嘘はなかった──ように見えた。
BENIは視線を戻し、指でカップの縁を軽くなぞった。
「推測だけど、今回動いてる財閥幹部は“黒鴨”。
高級店の展開と選別顧客層の運営を担当してる一人。
業界じゃ有名よ、見た目は穏やか、でも利益のためなら
“温い出汁でも人を煮込む”って噂があるくらい。」
FLOWAの表情が、僅かに引き締まる。
「……聞いたことがあります。
物腰柔らかで、実際に手を汚した記録はほとんどない人物ですね」
BENIはコーヒーを軽く揺らしながら続ける。
「ええ。でも、その彼が──
さらなる利権と独占のために、とある政治家を金で手籠めにしようとしてる」
「名前は?」
「まだ不明。でも兆候はある。
“白兄”の厨房にある出汁サーバー。あれ、多分“鍵”よ。」
「鍵……というと?」
「データの保管庫。もしくは、“伝達ポイント”。
ただの出汁ディスペンサーじゃない。
圧力調整に見せかけて、高出力のNFCポートが内蔵されてる。
でも、あいにく──あれは厨房のど真ん中。
納入業者のフリじゃ、踏み込む前に目を付けられる」
FLOWAは頷いた。
「……確かに、厨房は監視が多かった。私も気になっていました」
「あなたはどうだったの?」
FLOWAは、わずかに笑みを浮かべた。
「私は別の角度から。
財閥と直接の関係はないけれど、内偵記録に“関与が疑われる”とされた人物がいて……
その人物になりすまし、店舗に予約を入れました。」
BENIの眉が少し上がる。
「いい着眼点ね」
FLOWAは軽く肩をすくめた。
「運良く“予約はキャンセルになった”と伝えられ、
潜入調査が成立しました。
厨房区画への立ち入りは制限されていたけれど、
配膳盆そのものに埋め込まれていた送信チップは確認済みです。
現在、抜き取ったデータを解析中」
BENIは満足げに目を細める。
「やっぱり──多方向からの観察が、一番深くまで届く。」
「自分の情報だけでは、きっと届かなかったですから」
「そう。私だけの情報でも足りない。あなたの情報だけでも足りない。
でも──」
BENIは軽く笑い、テーブル越しにカップを差し出す。
「二つを重ねれば、きっと“本当の味”が見えてくる。
……でしょ?」
カップの縁が軽く触れ合った。
わずかに揺れる音が、どこか心地よかった。
FLOWAは小さく頷いた。
「ええ、貴方も──当然、それを分かってる人ですから」