「ある意味怖い話」部分
「ある意味怖い話」部分、投稿
「……今のところ、問題ないというか、むしろ『いい話』ですよね。恐怖に怯える若い女の子を、同じく若い男の子が鮮やかに救う。まさにあの三上博之にぴったりのイメージというか。ああ、まあ、あくまで簿私の独断というか、ただの印象なんですけど」
相手の機嫌を万が一にも損ねないよう言葉を選び、おっかなびっくり、俺はそんなことを口にした。
が、案に相違し、相手は怒るでもむきになるでもなく、じっと俺の顔を見つめている。
「……ですよね。確かに、さらっと聞いただけだったら、いい話っぽいですよね。私だって、誰かから聞かされたら、きっと「いい話じゃん」って思います」
ゆっくりとうなずき「なら……」と言いかけたところへかぶせるように、
「でもね。1か所、この話にはおかしなところがあるんです。気がつきました?」
相手は、異様なほどに動かない瞳をじっとこちらにむけたままそう言うと、唇だけを笑顔の形にした。
「妙なこと……さて、なんでしょうね」
独りごつのと問い返すのとのちょうど真ん中ぐらいの音量、口調でつぶやくと、俺はゆったりと椅子に座り直し、カップの底にわずかに残ったコーヒーを、ゆっくり喉に流し込む。
こういうとき、あせってあれこれ口にするのは逆効果だ。むしろ、黙ってどっしり構えていた方がよい。そもそも相手はなにか話したいことがあるからこそ、俺に接触してきたんだ。こちらが黙っていれば、自然と向こうから話し出す……。
長年週刊誌記者をしてきた経験から得た教訓を胸の中で転がしていると、案の定、相手は再び、口を開いた。
「……臭いですよ。最後の最後に、この臭いは死臭じゃない、って断言して、部屋を探し始めますよね、彼」
「ああ、はい、そうでしたね」
「なんで、断言できたんでしょうね?」
言われてみれば、確かに不自然だ。以前に死臭を嗅いだことがあったにしても、それで分かるのは「死臭じゃない」と言うことだけのはず。それでいきなり家捜しをはじめた、ということは……。
「知っていたんですね、彼――三上博之は。その匂いが、大麻のものだと。つまり……」
「彼……お坊ちゃんなんですよ。ある地方でそれなりの大きな会社を経営しているおうちの、跡取り息子。だから、幼い頃から「将来のために」ってずっと無理矢理勉強させられ続けて。そのおかげで、かなりいい大学入ったのに、そこでハジけちゃったんですね。親がかりで、独り暮らしにはもったいないぐらいのすごいいいマンション用意してもらってたのに、ろくに大学にも行かず、悪い仲間と遊び歩いてばかりで。それで、ある時とうとう事件を起こしてしまったんです。なんとか親がもみ消したんで、前科はつかなかったんですけど、当然大学は退学。親にも見放されて、追い出されて。そんな頃に、彼、私を見つけたんです」
「ほう」
「友達の家に居候しながら、バイトで食いつないでいる状態なのに、身についた贅沢で派手な暮らしや、クスリの味を忘れられない。なんとかもう一度浮かび上がりたくて、一発当ててやろうと劇団に入って役者になり、虎視眈々とチャンスを付け狙っている……そんなどうしようもない男からすると、生真面目で野暮ったくてうぶな私は、絶好のカモだったんです。こいつなら手もなくだませるはずって、なんとかつけいるきっかけを探してたところへ、当の私の方からのこのこと口の中に飛び込んできた」
「ああ~」
「案の定、私は彼のこと、すっかり信じてしまって。アパートに転がり込んでいた彼を受け入れ、身も心も捧げて、尽くして。見つけ出した大麻も、彼の勧めるまま吸ってるうち、離れられなくなって。そしたら彼、どんどん強いクスリを勧めてきて……あっという間に中毒ですよ」
頬をゆがめるようにして、泣き顔のようにしか見えない笑顔を作ると、相手は、疲れたように目線をあらぬところに落とした。
「もちろん、彼……三上もクスリやってたんですよね」
「ええ、もちろん。毎朝毎晩、二人でクスリ打って、やることやってばかりいました」
「そうですか」
一番聞きたいことを首尾よく録音できたことに、俺は思わずほくそ笑んだ。これで、再来週――遅くともひと月後には、『週刊○×』の表紙にでかでかと『無名時代の恋人が語る、三上博之のご乱行!』の文字が躍ることになる。
「そんなふうにしてたら、すぐに生活が立ちゆかなくなって。仕方がないから、私は必死で手に入れた音響助手をやめ、風俗嬢になって、朝から晩まで汚い男達の相手をして……そんな思いをして稼いだお金を、あの男は当たり前のように、クスリや酒や遊びや女に浪費してたんです」
「別れようとは思わなかったんですか?」
「あの当時は、彼だけが、私の支えでしたから。あの男は、そんな私の弱さにつけ込んで、好き放題してたんです」
「ああ~」
よくある話だ。もちろん、その被害に遭った当人は「よくある」で片付けられたらたまらないだろうが。
「そう……身を削って、心を削ってずっと尽くしてたんです。なのに、彼は、急に姿を消した」
「姿を消した?」
「ええ。彼がそこそこ大きな役を演じてた芝居が、大当たりしたんです。けっこうな話題になって、彼自身が注目され、テレビ出演の話なんかもくるようになったんです。ああよかった、今まで尽くしてきた甲斐があった、これからはきっと幸せになれる……そんなふうに思ってたその矢先、急に、彼が帰ってこなくなったんです。連絡を取ろうにも、電話もメールもSNSも、なにもかも通じなくなってて」
「それはひどい」
「ええ。本当に意味が分からなくて、なんとかもう一度話をしようと、必死でやってみたんですが、どうやっても連絡がつかなくて。毎日泣き暮らしていました。そんな時期に、今度はいきなり、警察に踏み込まれて。逮捕されました」
「ああ~」
「密告されたんです、三上に。後腐れがないようにね」
「言わなかったんですか、警察に?その、彼のこと」
「言いましたよ、もちろん。でも、なにを言っても「ヤク中の妄想」の一言で片付けられてしまって。結局、なにも聞いてもらえないまま、有罪判決を受けて、そのまま強制入院させられて。普通、そういう入院って、三ヶ月ぐらいで終わるはずなんですけど、なんのかんのと理由をつけられて……結局退院できたのは、それから3年後でした」
「……なにか、意図的なものを感じますね」
俺がそう言うと、相手はゆっくりとうなずく。
「そうかもしれません。なにしろ、彼の親は有力者ですし。でも、今となってはどうしようもありません。あれから10年以上経ってますし、証拠もないですしね」
「そうですか」
「今になってよく考えるんです。あの部屋には、やっぱり怨念みたいなものがこびりついていたんじゃないかって。そこへ、当時、将来の目標に向かって必死に努力してた、前向きな自分がやってきた。私の持つ将来への希望を、未来への信頼をこの上なく妬ましく思った怨念は、あの三上という男の形を取って私にとりつき……破滅させたんじゃないかって」
破滅か。……確かに。
改めて俺は、テーブルを挟んで座る相手――安田と名乗る女を見つめた。
げっそりと頬はこけ、髪はまばら。白を通りこして青白い、ゾンビそのものといった顔色。静脈の浮いたかさかさの額の下で、異様に大きく見開かれた双眸がぎょろぎょろと動き、そこだけギョッとするほど紅い唇が、明らかに病的な作り笑いを浮かべている。襟や袖口からのぞく身体は骨の形がはっきり見てとれるほどガリガリで……この体躯でどうしてまだ生きていられるのか、と不思議な思いにさえとらわれる。
悪い男に出会わなければ、だまされなければ、今頃はもう少しマシな人生を送っていたんだろうな。ま、なんとも気の毒なことだ。
そんなやるせない思いをいだきつつ、俺は、テーブルの上に置いたボイスレコーダーに手を伸ばす。
聞くべきことは聞いたし、そろそろ撤収の頃合いだ。
「それじゃあ、原稿が書き上がりましたら、一度そちらにお見せしますので、チェックお願いします」
「分かりました。よろしくお願いします。これでようやく、私も浮かばれます」
相変わらずはりついた笑顔のままそういう女をちらりと見たその流れで、俺は、ふと頭に浮かんだ疑問をなにげなく口にしていた。
「そういえば、どうして今なんです?こんなネタなら、いつだって……」
もてはやされたでしょうに、と言いかけたところで、おっかぶせるように、
「待っていたんです」
女はそう言った。
「……待っていた?」
「ええ。今度の映画で大きな賞を取って、いよいよ三上も、大俳優の仲間入りを果たす、といわれてるじゃないですか。人生で一番充実しているそんなときに、手ひどいスキャンダルが表沙汰になったら、世間の評判はどうなるでしょうね?」
「…………」
「名門女子校へ通う二人の娘さんは、父親をどう思うでしょう?デザイナーの奥さんが経営する服飾雑貨の店の評判は、一体どうなるでしょうね?」
「………………」
「どれだけ困っても、もう助けてくれる有力者のお父さんは亡くなってますし。……待っていたんです、私。この時を」
なるほど。三上が若い頃の自分にとりついた怨霊であったように、今度は、自分が怨霊となって三上にとりついてやると。そういうことか……。
こわばった笑みを浮かべたまま、その見開いた双眸に、得体の知れない、揺らめく炎のような熱情を浮かべ……女は、まさに怨霊そのものとして、場末の喫茶店に鎮座し続けていたのだった。