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クルピラ  作者: 玲良昂志
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クルピラー期待ー

ベルジレ王国で、原住民の病の治療と調査にきている父と母のもとで夏休みの1週間過ごすことになっていた世良。順調に旅行は進んでいたが、数々の困難が待ち受けている。

         0

熱帯雨林の調査をしていたベルジレ大学の教授を乗せた小型飛行機が積乱雲を避けようと、コースを外れて飛んでいた。

「この辺りは、まだ調査していない地域だから許せる限りの時間でいいので旋回してくれますか」

「はい」とパイロットが左に操縦桿を切った。

 ソニア教授と助手のスズカが眼下の熱帯林を凝視した。

 小型機は2回旋回したが、何も目新しいことは見つからなかった。

「そろそろ、飛行場に戻らないと、燃料が持ちません」パイロットのジェイソンがデジタル燃料計と残りの航続距離を見ながらソニアに話しかけた。

「あと1回、今度は東の方をお願いします」

「あと1回なら大丈夫です。でもこれが最後です」ジェイソンは操縦桿を右に切った。

 ソニアは目を皿のようにして見つめた。

「スズカ、こっちをみて」

 ソニアはカメラを連写した。

 カメラのディスプレイには、飛行機に向かって弓矢をかまえる二人の原住民が写っていた。

 

         1

この都市は、ほとんどの市町村が人口減少している中、30年以上人口が増加している。そのほとんどは県外からであるが、県内から移住する人も多い。その市の中心に周辺住民の憩いの場となっている公園がある。かつては田畑の水源を巡って水争いが起きた沼を中心にした公園である。公園全体をランニングコースが取り囲み、その内側にテニスコートや多目的広場、体育館、プールがある。大通りからの入り口には銀杏並木があり、秋の終わりには葉が黄色く色づき圧巻の景色を見せてくれる。沼には水鳥がゆっくり羽根を休めている。公園の東の端は、市を北西から南東に貫くランニングとサイクリングコースと接している。そのコースから白いヘルメットを被り、胸に大きないかにも手書きとわかるSとKの赤で書かれた白いTシャツの上に小さなバックを斜に背負った小学生が二台の自転車で、公園のランニングコースに入ってきた。

 2台の自転車は沼を右手に見てしばらく走り、左手の野球場に沿って左に曲がって止まった。

「世良」後ろに止まっている小学生が話しかけた。「アスレチックやってこう」

「久しぶりにやろう」世良がヘルメットを取りながら笑顔で返事した。

 2人は極普通の小学生に見え、Tシャツに短パン姿であるが、違和感があった。世良という小学生が裸足で立っていることだった。もう1人の小学生は何ら気にすることなく話していた。ということは普段から世良という少年は裸足でいるということなのだろう。着ているTシャツも手作り感あるものだ、2人の少年の母親が話し合って汚してもいいように、安く白いTシャツに名前の頭文字を染めたのである。

 二人は自転車を木陰に置くと、早速、丸太を縦に何本も高さを変えて立てたアスレチックを渡りきり、丸太の跳び箱もリズムよくとびきり、雲梯では二段抜かしで、疲れてぶら下がっている大人をあっという間に抜かし、

「一樹、あの壁越えたら休もう」

「オーケー」

手足を上手く使って垂直の壁を登り、狭い壁の上に立ち上がった。目の前に広場があり、幼稚園児や赤ちゃんが遊具で楽しく声を上げて遊んでいた。

 壁から飛び降りると、目の前のベンチに座り、バックから水筒を取り出してごくりと麦茶を飲んだ。

「ゲーム、次のステージにいけない」

「俺、4ステージまでいった」

「えっ」世良が一樹を見た。「本当に」

「本当です」

「悔しい」

 一樹は親指をあげて自慢した。一樹にとっては、頭が良くて運動も得意な世良に勝てるものはないか考えていたから世良の上に行けたことにちょっぴり満足していた。

「やり方教えて」

「後で」一樹は笑いながら変顔をした。「世良、次行こう」

「ちょっと違う所登ろ?」世良はイタズラっぽい目になっていた。

「どこ?」

「あの滑り台の屋根の上」

 2人は小さい子供に気をつけながら登ってはいけないところを登り始めた。遊具のてっぺんの屋根の旗に触ろうと鉄の手すりに立ち上がった。上の屋根に行くために手をかける場所を探したが見つからない。すると、

「そこは、登ってはいけない所だろう。小さい子供が遊んでいるからやめな」

と、2、3才の子供を連れた父親の大声が響いた。周りの大人子供が振り向き遊具を見渡した。その声に振り向いた2人は手すりから下をよく確認して飛び降り、周回路の方に走っていった。自転車に乗ると沼を右手に見ながらゆっくり走り出した。

 先頭には岡倉世良、後を追っているのは鈴木一樹だ。2人とも10才。保育所のころからよく一緒に冒険していた。保育所では一日中裸足で過ごしていた。ジャングルジムのてっぺんを手を離して歩いて落ちそうになって、先生に怒られたりした。じっとしているよりは動いている方が楽しかった。ほとんどの子供が早くから習い事に通い、平日は塾、塾でストレスが溜まっていた。2人も例に漏れず一週間のほとんどを塾や習い事通いで過ごしていた。平日中心ということもあり、土日は比較的自由に遊ぶことができた。


 開発が進み森は急速に減っているとはいえ、手つかずの森はまだまだあった。二人は小さなバックを斜に背負い、自転車で森に向かい、木に登ったり、時には泥にはまりながら冒険を楽しんでいた。世良は当然裸足で走り回っていた。

 一樹が驚いたのは、世良が森の中でキョロキョロして木に登り細い枝を折り、弾力を確かめると、木から垂れ下がる蔓を口で噛み切り、適度な長さにして、さらに細く割くと枝の両端に結びつけ、小さな弓をつくったことである。カバンからペンナイフを取り出し硬そうな枝の先端を削って矢を作り飛ばして遊んでいた。その威力がなかなか強くさらに正確に標的に当てたのである。

「世良、いつも思うけど、作るの上手いな」

「お父さんに教わったから、面白くて夢中になれる」

 夏のある日、双峰で有名な山の山麓にある森に囲まれた沼の淵を歩いていたら、

 「一樹」

と、世良は蛙の鳴き声を発した。すると、沼から返答するように蛙が鳴き出したのである。

 「世良、すごい。いつ覚えた?」

「真似してたら、できるようになった」

 世良は自慢げに笑った。

 「あの木に登ろうぜ」

 世良と一樹はバックを置いて沼に迫り出している木に登り始めた。

 「もっと先まで行こう」世良はするすると木の先端まで登った。

 めりっという音と共に根元から木が折れ、二人は棒倒しのように沼に転落した。一樹は体の左半分が沼の泥に埋まり、世良にいたっては、頭から突っ込んだ。もがいているうちに頭が抜けた。

 「死ぬかと思った」

 顔から泥をはがしながら、世良は一樹を見た。2人は笑い出した。

 「このままじゃ、帰れないな」

 半分泥だらけと全身泥だらけが自転車を押して森の外に出た。そこには、山からの緩やかな斜面に広がるブランド米の水田が広がっていた。二人は汚れたTシャツを脱ぐと熱く熱せられたアスファルト道路に広げた。遠くに百人一首にも詠まれている2つの峰が見える田圃道は人や車の往来が少ない。鳥がチチチと少しずつ空高く昇っている。それ以外の音はない。一陣の風が吹き、稲が順に揺れていく。

 二人は田圃の草地に座り成長途中の稲を眺めていた。泥は乾き白くなってぼろぼろと崩れ始めた。世良の胸に小さな青いアザが見える。

 「俺、父さんと母さんの所に行くんだ。まだ、誰にも言ってないけど」

 一樹がびっくりした顔で、

 「外国に住むのか?」

 「夏休みの一週間だけ」 

 「よかった。ずっと住むのかと思った」

 「今、世良のお父さんとお母さん、どこにいる?」

          2

 眼下には、緑の絨毯が広がっていた。所々、森の中から白い煙が立ち上っている。

 小さなプロペラ機が胴体を震わせながら、よたよたと飛んだ。

 岡倉世良は、ぼうっと小さな楕円形の窓から外を眺めていた。どこまでも緑、緑。グリーンマジック、緑の魔境と呼ばれている。緑の下で何が起きているのか、全く見ることができない。世良の不安をより強めていた。

 緑の中を茶色に濁った河が蛇行していた。世良はため息をついた。同じような風景が続き何とはなしに辟易してたのかもしれない、河は時々太陽の光を反射して、世良の疲れた顔を明るく照らした。国際空港から飛行機を乗り継ぎ、24時間以上。乗り換えるたびに大きな飛行機から小さな飛行機になり、乗り心地も悪くなった。

 世良が今乗っているプロペラ機は、サイロス河中流の要地マウウスを離陸して、1時間飛び続けていた。日本の空港からマウウスまでは航空会社の子供の一人旅サービスを利用してキャビンアテンダントや空港職員に見守られながら乗り継いできた。安心安全な旅だった。何かと声をかけてくれて寂しい思いはしなかった。

 世良はポケットからビニール袋に入れてある写真を取り出した。写真には、父の岡倉正良、母の世利子と現地の少年が映っていた。

 もう少しで会える。その想いが世良を支えていた。

 父や母が二月にベルジレ王国の熱帯雨林に行って6ヶ月たっていた。旅立つ前に世利子は、母親に世良とリコの世話を頼んだ。

「一年ぐらいで帰国できると思う。お願いね」

「気をつけて行って、世良とリコのことは任せて。あなたと正良さんの仕事の事わかっているようだし」

「だといいんだけど、我慢してるようでもある」

「ただ、世良は初めてあなたと正良さんが仕事しているのを見られると言って喜んでいた」


 小さい頃から父や母は外国に出かけていた。仕事で行っているとばあちゃんは話していた。父や母が家にいる時は家族でよくトレッキングやキャンプに連れて行ってくれた。ハンモックの結び方や小さな弓矢の作り方も教えてもらった。歩きながら植物の説明もしてくれた。「もういいよ」と思ったことが何度もあったけど、何時間も歩いて山を登り見晴らしの良い高原から見た360度の視界に入る富士山や北アルプス、南アルプスを見た時の景色や、乗鞍岳山頂でテントから夜中に妹のリコと顔だけ出して見た夜空いっぱいの星に感動したのを今も時々思い出す。

 父や母の仕事を知ったのは小学校1年の時だった。両親共に医者だった。家の近くにある大病院に勤めていることも知った。外国に行くと何ヶ月も帰って来ないので、父に

 「何で、外国に行ったら何ヶ月も帰って来ないの」

と質問した。

 「医者のいないところで病気や怪我で困っている大人や子供を助ける仕事をしている」

と話してくれた。

 「俺も行きたい」

 「私も」

 「まだ、小さすぎる。病気にかかったり、怪我をしたら大変だ」

 「父さんや母さんが治してくれる」

 父は困った顔をした。

 「9才になったら、約束する」

 母がキッパリと言った。父は驚いた顔で母さんを見ていた。

 その時から全く海外に行くことは言わなくなった。正良と世利子はいつ言い出すのかとハラハラしていたが、諦めたと思い内心ホッとしていた。


 6月のある日の夕方、正良と世利子、世良、リコがテーブルを囲み、4人の真ん中にロウソクが9本たっているホールケーキが置かれていた。このケーキは地域で評判のケーキショップコーダールで母が買ってきたものだ。

 「Happy birthday to you,・・」

 世良が炎を吹き消すと、

 「誕生日おめでとう!」

 「ありがとう」世良は満面の笑みを浮かべた。

 切り分けられたケーキを食べ終えた時だった。

 「お母さん、9才になったから、今度、お父さんかお母さんが行くところに俺も行っていいよね」

「リコも行きたい」

 世利子は困惑の表情を見せ、正良と顔を見合わせた。

「あれから、何も言ってこないから、忘れたと思っていた」

「楽しみにしていたんだから忘れるわけないよ」

「リコも9才になったら来ていいぞ」

 リコは頬を膨らませて不満げな表情をあからさまに出した。

「約束だからな」

そして、正良は決意を固め、

「わかった。世良は来てもいいが夏休みの一週間だけだ」と言った。

 世良は笑顔になり、テレビの傍にある大きな地球儀でベルジレ王国を探し、

 「日本の20倍の広さだ」

 地球儀の台座のモニターの説明文を見ていた。

「首都はベルジレシティ、人口2億人、立憲君主制、お父さん、立憲君主制って何?」

「王様がいるってことだ」

 正良は世利子と目を合わせ、しょうがないと首を縦にふった。

 リコは膨れっ面で兄を睨んでいる。


 翌年の2月に正良と世利子がベルジレ王国への健康調査と治療に派遣されることが決まった。二人同時に派遣されることは初めてのことだった。必ず父か母のどちらかが日本に残っていたからだ。ベルジレ王国の先住民の村で手足が痺れたり、呂律が回らない村人が続出し、その調査と治療を二人に任されたのである。

「人手がなくて、申し訳ない」と、院長が謝っていた。

 これから行くバカツ地区では10年前から症状が見られるようになった。何が原因なのか?


 緑の中を貫くラテライトの赤色の道がどこまでも続き、そこから木の枝のように大豆畑や茶色の肉牛を飼育している牧場が広がっている光景が世良の目に写った。

 窓から見える木々が大きくなってきた。太陽の光を独り占めしようと大きく放射状に広がった枝がすぐ下に見えた。飛行機が降下し始めていた。

 世良は手に持っていた写真をパンツの内側のポケットにしまった。

 「もしもの時、写真があると誰なのかわかるから」

と父や母にアドバイスされたからだ。内側のポケットはおばあちゃんが縫い着けてくれた。カードサイズのパスポートと現金の入った財布は首から下げて下着の内側に隠し、外からは見えないようにした。

 プロペラ機は木々スレスレに飛び、草だらけのニグロ飛行場に着陸した。シートベルトをしてないと天井に頭をぶつけるぐらい機体は跳ねた。上下左右に揺られながら、飛行場脇の小さな建物の前に止まった。建物の中には次の便に乗る人が数人待っていた。

 「もうすぐ会える」世良は疲れていたが、気力を振り絞った。

 扉が開き、湿った暑い空気が機内に入ってきた。汗がじゅわと滲み出した。ベルジレ王国へ行くことになってから、こんなに大変なのかと思い知らされ、くじけて行くことを諦めそうになったことも何度もあった。日本を出発する何ヶ月も前から予防接種で注射針が両腕に何ヶ所も打たれた。熱帯の森に行くかららしい。黄熱病予防接種証明書を入国審査の度に出させられた。面倒なことが多い。

 やっと着いた。世良は疲れた体を奮い立たせ、タラップを降りた。熱気が身体中を包んだ。暑さでくらっとしたが、父と母に会える期待で踏みとどまった。機体から下ろそうと持った荷物が、最小限にしたはずなのにやたらと重い。

 急に荷物を持つ左手が軽くなった。盗まれるかと思い世良は力を込めて引っ張った。相手を見ると、大きな身体と黒く日に焼けた大きな顔。その顔がニヤッと笑顔になり茶色の歯が見えた。

 「力、強いね。世良さんですね」

 スマートフォンの写真と見比べで確認していた。たどたどしいが、日本語がその男から発せられた。

 世良は目を泳がせながら、じっと目を見て、

 「ホセさん?」

と言い、ポケットから写真を取り出した。写真には、大きくホセと書かれていた。

 「本当にセラさんだ」と大声で言いホセは世良の体を抱きしめた。プロペラ機に乗り込もうと待っている乗客が何事かと皆見ている。ホセは全く気にしてない。

 「く、苦しい」息がつけない。

 ホセは手を離し、

「お父様に言われて来ました。お父様とお母様が待っています。さあ、行きましょう」

 ホセは世良の荷物を軽々と持ち上げると建物と反対の方に向かった。

 「ホセさん、違う、違う」

 「こっちでいいのです」

 プロペラ機の脇に更に小型飛行機が止まっていた。

 「ホセさん、これに乗るの?」不満気に言った。

 「はい、すぐ着きます」明るく答えた。

 世良の体から力が抜けた。また、乗るのか。

 「セラさん、身体の具合悪いのですか?」心配そうに世良の顔を覗いた。

 「大丈夫です」

と言ったところまでは覚えていた。


 「セラさん、もうすぐ着きます」

 ホセの大声で世良は目を覚ました。うるさくて、狭い機内の後部座席で体の大きなホセに押しつぶされていた。

 小型飛行機は大きな木を避けながら、滑走路と呼ばれている草地にバウンドしながら着陸した。

 「サビ飛行場です」

 この飛行場はサビ川奥地の開発のために設置され、開けた草地の脇に粗末な掘立小屋があるだけであった。

 お父さんとお母さんにもうすぐ会える。世良は気力を振り絞り、小型機のドアが開くと、飛び降りた。

 「セラさん、元気出た。さあ、次行きましょう」

 「次、」世良は途方に暮れ、語気を強くして「すぐに着くって言ってたよね」

 ホセはかまわず、笑顔で指を三本立てて、

 「あと3さんにちで着きます。ここからは飛行場がないので船でいきます」

 世良の体から力が抜け、その場に座り込んでしまった。世良自身は意識していないが、時間感覚の違いを肌で感じていた。日本はどこに行くにも1日あれば目的地に到着できる。しかし、日本の20倍の面積を持つベルジレ王国は国内移動だけで、数日かかるのが当たり前で、都市部では時間に追われるように人々は動いているが、都会を離れると時間は急にゆっくり流れるようになる。

 世良とホセは飛行場のすぐ傍を流れているサビ川に向かって歩き出した。ホセは何やら話しかけているが世良は肩を落としたままとぼとぼ歩いた。

 「あの船に乗ります」

 ホセが指差した先、遥か下の川縁に錆だらけの屋根付きの船が溜まっていた。

 「こんな崖を降りるの?」

 「雨季には、ここまで水がきます」

 ホセが先に歩き出し、滑りながら器用に崖を降りて行く。世良は尻もちをつきながら、なんとか船着場に降りた。ホセは岸辺にいる船員に何事か話している。

 「いつもの船長と違うね。知らない顔だ」

 「あゝ、娘の結婚式があって、代わりにきてもらっている。俺も始めて見る」

 操舵室から船長が乗船状況を眺めていた。船員が、ホセが差し出したよれよれの紙幣を何枚か受け取った。人一人がやっと通れる渡板を、時折、バランスを崩しそうになりながら二人は船に乗り込んだ。船員が現地の人数人と大声で言い争いしていた。

 船長が拳銃を見せびらかしている。時折、誰かを狙うそぶりをして無言の脅しをかけていた。

 ホセは、その様子を訝しげに見ていた。

 何人かの大きな荷物を背負っていた女性や男性が悪態を突きながら下船している。

 「船が出るぞ」船員が大声で叫んだ。

 船長は携帯電話片手に周囲を確認していた。

 現地の人は屋根がついているだけの船尾に向かったが、世良とホセは船首に向かった。

 「ホセさん、こっちでいいの?」

 「大丈夫です。お父さんに頼まれました」

 船首には3つ個室が並んでいた。二人は一番船首側の個室に入った。部屋の中には二台の小さなベッドがあるだけで、壁板の隙間から外の様子が見えた。

 「いちばんいい部屋です」

 船員が渡板を外し、出航準備が始まった。

 太陽に照らされていた熱帯雨林がいつの間にか薄暗くなっていた。

 ディーゼルエンジンの唸る音が大きくなった。スクリューが茶色の川水を激しく押しやり出航した。

 Sのイニシャルの入ったTシャツに着替えた世良は船首のベンチに座りホッと一息ついた。川岸からの甲高い鳴き声にふっと顔を上げた。川の両側から名の知らぬ鳥や猿の警戒する鳴き声が騒々しく聞こえてきた。森から急に色鮮やかな大きな鳥が飛び出し、ドキッとさせられた。川面では水面を飛んでいる小さな虫を捕らえようと魚が飛び上がりバシャと大きな音を立てて入水した。父や母から聞かされていた熱帯に来たと実感していた。

「今、お母さまと電話が繋がりました」

と、ホセがスマートフォン片手に船室から出てきて、渡された。

「もしもし、世良?」

「お母さん」目に涙が滲み出てきた。「今日、着いたよ。今、船の中」

「無事に着いたようね。体は大丈夫?」

「疲れてるけど、大丈夫」

「それならよかった。あと少しで着くから、もう少しの辛抱ね」

「わかった、母さんは大丈夫なの?」

「元気にしてる。お父さんとかわる」

「世良、元気にしてるか」

「かなり疲れてる」

「そうか、それはよかった。6ヶ月ぶりに会うのが楽しみだ」

 相変わらずの父さんだ。

「あと・・」

 電話が切れてしまった。

「セラさん、ごはん食べましょう」

 ホセが船尾の方から手に紙包を持って歩いてきた。ポケットから丸いパンを出すと紙包を開け、干した肉をパンに挟んだ。

「ホセさん、電話が切れました」

「よくあることです。またかけましょう、夕食を食べましょう」

と干し肉を挟んだパンを渡された。

「おいしいよ」

「ありがとう」

 肉もパンも硬く、塩味がきつかったが、疲れた体が欲していたのかあっと言う間に平らげた。

 「はい」

 とミネラルウォーターを渡されると、一気に飲み干した。

 「セラさん元気出た」

 ホセの言葉までは世良の記憶にあった。

 ベンチで寝てしまった世良をホセは起こさないよう船室のベットに運んだ。

 真っ暗な中、世良はどこともなく歩いている。遠くから母が自分を呼ぶ声が聞こえてくる。音のする方へ向かうがまた別なところから聞こえてくる。「お母さん、お母さん」世良は何度も叫んだ。

「セラさん、どうかしましたか?」

 ホセが世良の身体を揺すって起こした。

「えっ?」眠い目を擦りながら「どうかした?」

「大きな声で、お母さん、お母さんと叫んでた」

「夢を見てた」

「悲しい夢だった?」

「いや、疲れているから」

「一度外に出てから寝るといいです」

「ありがとう」

 世良はそう言うと船室から出て、ベンチに座った。昼間の暑さはなく心地いい風が微かに感じられた。父や母に会える期待と何故か不安感が世良の心に同居している。何なんだろう? 

「世良さん、何度も電話かけてますが、出ません。珍しいことです」

 ホセがさらに不安になることを言ってきた。

「何かあったのかな?」

           3

 岡倉夫妻がベルジレ王国へ来て5ヶ月たった頃、サビ川支流のソレック川流域で先住民の、足の痺れや呂律が回らない、相次ぐ死産を見て正良は日本の四大公害訴訟の1つを思い出していた。現地の協力者と共に川の水質を調べ毒物がどこから流れてくるのか調査していた。村の近くを流れる川や支流の川の水を何ヶ所かで採水し有機水銀に反応する試薬と混ぜると川を遡るほど値が高くなっている川があった。正良はその川を協力者の一人ミレッタとともに船で上流を目指していた。河岸に腹を上にしたり死んだ魚や口をパクパクしている魚が少しずつ増えてきた。

「岸に近づけてください」

 船が河岸に近づくと凄まじい音がしたかと思うと船の近くにズボッと小さな白波が立った。

「それ以上近づくと、命はねえぞ」怒号が発せられた。

 どこから狙っているのかわからない。

 「ミレッタ、戻ろう。これ以上進むのは危険だ」

 ミレッタは小船を旋回させた。

「この先が怪しいことが分かりましたね」

「その通りだ。あそこまで用心しているのはよほど重要な所であることを示している。違法なことをしているのは明白だな」

「金の採掘?」

 金単体で出てくることはなくほとんどは鉱石の中に紛れている。金を取り出すために安価で簡単にできるのが細かく砕いた金鉱石と水銀を混ぜる金アマルガム法であった。水銀が金属を吸着する性質を利用している。では最終的に金を取り出すにはどうするか。水銀と金の合金を熱することで水銀を蒸発させ、金を取り出すのである。

 では、何が問題なのか。蒸発した水銀や杜撰な管理で流れ出した水銀が自然界に拡散し、水中や地中で微生物の作用で有毒なメチル水銀に変化し生物に悪影響を及ぼすのである。違法に採掘しているのだから水銀の処理などにカネをかける訳がない。

 帰りの船の中で正良とミレッタは無言だった。


 一方、妻の世利子は治療に専念していた。側で世良と同じ年ぐらいの何も身につけていない少年が忙しく動いていた。世良が持っていた写真に写っていた現地の少年だった。言葉を発することはほとんどなかったが世利子や正良の指示はわかっているようだった。

 この少年、パルと言い、二ヶ月前に瀕死の重傷でやはり何も身につけていない数人の若者たちによって運ばれてきた。厳しい顔つきで真っ直ぐ診療所に向かってきた。皆腰に石斧を縄で挟んでいる。この時の周りの人々の反応に世利子は驚いた。人々はその場からすぐに消えて遠巻きにことの成り行きを見ていた。

 パルは川辺で遊んでいた時に敵対するヤン族の戦士に襲われたのである。かろうじて息をしている状態だった。全身に刺し傷があったが、青いアザのある心臓は刺されていなかった。これだけ刺されて世良と同じぐらいの少年が生きていることが信じられなかった。何か特別な力があるのだろうか?と医師として考えてはならないことを考えてしまった。浅黒い肌の胸の辺りに小さな青いあざが見られた。世良の胸にもあったあざと同じだ。世利子は体を調べながら思った。

 正良と世利子はやれる限りの手当てをしたが、「血が足りない」正良は看護師のミサンガに「さっきこの子を連れてきた中に兄弟がいるか聞いてくれ血が必要だと」

「言葉が通じない。」

 正良はリーダーらしき若者に身ぶりとベルジレ語で話したが全然伝わらない。すると見かねたように遠巻きに見ていた人々の中から小太りの女性が出てきた。

「先生、何を話したらいい」

「血が足りないから、兄弟はいないかと聞いてくれ」

「はいよ」

「カスタネーダ、ありがとう」

 年配の女性は若者に近づいていった。他の若者が取り囲もうとしたが、若者が手で制した。女性は身ぶりを交えて話している。

 リーダーらしき若者が正良の前に立った。堂々とした態度で微動だにしない。周りの空気をぴんとさせた。その威厳は150センチぐらいの身長を一回り以上大きく見せていた。筋肉質の体で胸に羽の入れ墨があった。

「この若者がその子の兄です」

「ありがとう」正良はすぐに診療所に戻ると血液型判定キットを持ってきた。

「指を出すように言ってくれ、そして、指先から血を採る」

 カスタネーダが話をすると、若者は表情を変えず正良に右手を差し出した。周りの戦士が騒いでる。

「血を全部吸われてしまう」と言ってます。

 若者が手を上げ、騒ぎを制した。

「この人物は信頼できる。心配するな」

 現代文明に未接触の部族にとって、血液を採ることなど想像もつかない大事件であり、恐怖心にかられることは当然のことであった。この若者はリーダーとしてのプライドと弟を助けたい思いで表情を一切変えず指を差し出していた。

 正良はアルコールを含ませた綿で中指を拭き細い針で刺した。周りの戦士は興味津々で黙って見ている。指先を両側から押し、血液を出すと直ぐに判定キットに一滴垂らした。少しして、

「同じ血液型だ」カスタネーダは若者に伝えた。

「小屋の中に来てもらいたい。採血します」

 若者は注意深く辺りを見回しながら小屋に入った。今までの経験の中でしっかりした木造の建物に入ったことなどなかったのだから慎重にならざるをえない。診察室に入ると包帯で巻かれた弟がいた。近寄って声をかけるが反応がない。胸が弱々しく上下に動いている。若者が揺り動かそうとしたが、世利子は手で制した。

 ベッドに寝るようようカスタネーダが話した。若者は周りを見回しながらゆっくり見たことのない白いシーツのベッドに横になった。太めの針が兄の左腕に刺された。兄は微動にしない。刺された腕を見ようとしたが、

「動かない」とカスタネーダが言うと素直に従った。他の戦士は窓から恐る恐る診察室を覗いている。

 どれくらい立っただろう。時間にしたら十数分ぐらいだったが、兄にとっては長い、永遠に続くように思われたかもしれない。兄の名はパン。村に運ばれて来たパルをシャーマンのもとに運び入れた。香を焚き、呪文を唱え、天の精霊、地の精霊を呼び出した。パルの呼吸が早くなっている。祈りを捧げているシャーマンの表情が険しくなり出した。狼狽しているようにも見えた。何度も繰り返し精霊に伺いをしていたが、とうとう唱えるのをやめてしまった。

「天と地の精霊が告げている。パルをバナナの葉で包み5人で東に向かえ、白いものを身につけているクルピラがパルを助ける。パルはそこでクルピラのために働かなければならない」シャーマンは、パンにそう告げた。

 パンが去った後、やつれたシャーマンのエムベラは祈祷の小屋を出ると天を仰ぎ、地に伏せて呪文を唱えている。唸っているようだが声の強弱により精霊と会話しているように見える。訳すとこうだろうか?「天の精霊、地の精霊、クルピラは消えたと言われているが、この地におられたのか、今までそのことを知らせてくれなかったのか?」するとエムベラの体が急に震え出し、白目をむいて意識を失った。弟子のミヤソクが側に寄り声をかけることで震えは止まり、担がれて小屋に戻って行った。

 パンが聞いたことのない名前であった。精霊のように思ったが、全く知らない。しかし、シャーマンの言葉には従わなければならない。直ぐにパルをバナナの葉で包み込むと四人の戦士を選び東へ向かった。パンは19才ながら戦士をまとめていた。胸の羽のあざは最強戦士の証であり体力や精神力、判断力が抜きん出ている印である。成人の修行を終えたのち、3人の妻を持ち合計9人の子供をもうけている。

 針が抜かれると兄は緊張から解放されそのまま寝てしまった。覗き込んでいた戦士は動かないリーダーに驚き、診察室に雪崩れこんできた。

「心配ない」カスタネーダが大声で叱り、診察室の外に押し出した。

「強い」正良は心の中で思った。

 世利子は兄の血液をパルに輸血した。

「この量だとまだ足りないかもしれない」

「どこで襲撃されたかわからないが、あれだけの血を失いながら持ち堪えたんだ。この子自身の生きる力に頼るしかない」

 夜中、小屋の外で焚き火のゆらゆらした炎が見える。パルを担いできた戦士が焚き火の周りでバナナの葉を敷き横になっていた。

 診察室には小さな電球が灯っている。

 目を覚ました兄が隣のパルを揺り起こそうとしたが、手が止まった。

 世利子がパルの左手を両手でさすっていた。

 兄は信じられない光景に目を大きく開いた。まったく知らない人間に弟が優しくされている。自分たちの世界では考えられないことだ。寝ている時でさえ、いつ死ぬかわからない世界でしか暮らしていなかった。緊張した世界しか知らない兄にとって、衝撃だった。さらに、目には涙が滲んでいた。兄は混乱した。どうして涙が出る。これがクルピラか?

 兄の気配に気づいた世利子が目を覚ますと、兄に近づいて、「もう大丈夫」と笑顔で話しかけ、兄の左肩に手添えた。

 兄は、言葉は全然わからなかったが、世利子の温かい手からパルが良くなっていることを感じた。ベッドから降りると、世利子が開けてくれたドアから仲間の元へ向かった。横になっていた戦士の一人が顔を上げ何事か話しかけていた。

 3日目の早朝、「うっ」という声とともにパルの目が開いた。実際には身体中痛みがあったがサヤン族の男として我慢した。白い物を着た女が左手を握っていた。手を抜こうとしたがその暖かさにやめた。上体を起こそうとしたが痛みで起き上がれない。

「大丈夫よ。ゆっくり寝ていなさい」

 女が発した言葉は何を言っているのかわからない。ただ、さすられている手が熱く心地よくパルは再び目を閉じた。

 辺りが薄明るくなり、世利子が立ち上がると診療所のドアの前に兄が立っていた。ドアを開けると兄は世利子をじっと見つめた。世利子が笑顔を見せると、他の戦士とともに森に戻っていった。小屋のバルコニーに2匹の猿が置かれていた。昼ごろ、午前の診療を終え、昼食を取ろうと奥の部屋に入ると、全身包帯のパルが診察台で上半身を起こしていた。何ごとか話しているが、さっぱりわからない。

「先生、また来たよ。困ってるんじゃないかと思ってね」

 カスタネーダが扉を開けて診察室に入ってきた。

「カスタネーダ、ありがとう」

「この子は、ここで働くと言っています。祈祷師から、助けてもらったら、その者のために働かなければならないと言ってます」

 世利子はその必要はないと言おうとしたが、郷にいっては郷に従えで、パルの要求を受け入れた。拒否するとパルの自尊心が傷つけられると思ったからだ。ただし、

「身体中の包帯がとれてから」

 パルは小さく頷き横になった。

「カスタネーダ、パルを運んできた時、皆が離れて行ったのはなぜなのかな?」

「それは、恐れられているからだよ、いつどこから襲ってくるかわからない、気配なく近づいて、殺される。特に胸に羽のマークがあるのは危ないらしい」

「あのパルの兄のパンははっきりと出ていたね。他の戦士にはマークが浮き出ていいなかった」

「それから、パンが帰っていった後に猿が2匹置いてあったけど何の印なんだろう?」

「多分お礼の印じゃないかな、貴重な食料だから、先生に送ったんだと思う。猿を捌けるから明日、持って来ようか」

「肉だけでいいわ」

「猿の頭は幸せを呼ぶと言われてるよ」

「ありがとう、でも肉だけで」

 世利子と正良は世良と同じ歳ぐらいのパルに親近感を持っていた。家族が離れ離れに暮らしている。親として子を心配するのは当たり前のことそして離れて暮らすことによる寂しさは計り知れない。パルが来たことでその寂しさが紛れる気がしていた。

 パルはベルジレ語や日本語を短期間で理解した。喋ることはなかったが、理解はしていた。洗濯や食器洗いなど教えると、次の日から日の出とともに起き出し、洗い物や食器の片付けを一生懸命こなしてした。ある時、診察室の壁に貼ってある写真を擦りながら、何事かつぶやいている。

「ここから出してやらないと」

 当然ながら世利子と正良は理解できない。

「それは、写真」

 世利子は笑顔で、

「私たちの子供、名前は世良」

「セラ、クレナハ(同じ)」

 パルが初めて言葉を発した。世良はわかったが、後の言葉が何を言っているのかわからない。

 世利子と正良は顔を見合わせた。

 

 二人はパルを外に連れ出すと、診察を待っている患者の付添人に頼んで診療所の前で写真を撮った。

 パルは仕事が一通り仕事が片付いたのか、診察室脇のベランダの柱と柱の間に縛りつけたハンモックに包まれていた。

「ありがとう、カルロス」世利子は写真を確認したら、「母の携帯に送っておく」

 正良と世利子は診察に入り、

「8月の半ばに世良がくるから、ホセに頼んで迎えに行ってもらおう」

「そしたら、ホセの写真も送ったほうがいいね」

「そうだな、」正良は急に黙り込んだ。

 心配した世利子が、「どうしたの」

「世良がくる前に誰が金鉱を支配しているのか、突き止めないと」

「あまり深く入りしすぎないで」世利子は心にモヤモヤした不安を持っていた。「ベルジレ王国の警察に任せたほうがいいんじゃないかな」

「連絡をしてみようか、銃で脅すくらいだからな」

「そのほうがいい、焦らないで」

 その日一日中、診察と治療に追われた。ジャガーに襲われ足に深手をおった患者、農場で働いていて太い釘が刺さり、そのまま放置して、腫れと痛みに耐えられずきた季節労働者、手足が痺れ付き添い人に支えられてやっときた水銀中毒に犯された患者など多岐にわたる。

 正良は治療の合間に報告書を書き上げた。それをファイルにして、どこかに送っている。



          

 

 


 



 



 

 


 

 


 

 

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