1. ピラミッドの最期
「おい崩れたぞ!」
「ピラミッドがぁっ!!」
緊張交じりの歓声が上がろうとしている中、高橋堅人はわが子の見えない勇姿が惨状に変わる場面をはっきりと見てしまった。
「大丈夫か! 将司まさし、将司、まさしーッ‼︎」
崩れゆく人の山に対して、彼はただ我が子の名前を叫ぶことしかできなかった。
本日、2027年6月13日は、横浜市立鷹平小学校の運動会である。小学校の南側に設置された広大なグラウンドは、背の大小さまざまな全校児童計613名と、彼らの活躍を見守るため集まった2000人以上の観衆でびっしりと埋め尽くされている。
そんな子供たちの中で、六年生の高橋将司は白帽を被り、両手を体にぴったりとつけて直立の姿勢を保っていた。現在は開会式の最中なのである。
「みなさん、おはようございます! 今日は待ちに待った運動会です。私もこの日を心待ちにしていました」
中川校長の話が始まり、将司は興味半分、つまらなさ半分といった風の気持ちで耳を傾ける。
「――いま、空は見上げれば分かるように、すがすがしい晴れです。君たちのあふれんばかりの元気がお空に届いたからでしょうね!」
「はい!!」
ありがちな校長先生の言葉に応じ、周りの六年生たちと同調して彼は腹から声を出した。とはいえ大声を出すのは何にせよ気分がいい。空気は蒸し暑いが、少しテンションが上がってきた。
「みなさん、きょうは一所懸命に取り組んで、みなさんを見にきてくれたすべての人々が心を動かされるような、そんなすばらしい運動会にしましょう! これで、開会のあいさつを終わります」
それから五分程度で校長の挨拶は終わり、来賓の祝辞、ラジオ体操と続いて開会式は滞りなく終了した。運動会の醍醐味たる競技・演技はここから開始だ。
「さあさあ一年生のリレーが始まりました! みなさん小学校に入って初めての運動会ですが、しっかり頑張って走ってくれることでしょう!」
先生の実況、そしてけたたましいピストルの号令とともに一番目に行われるは50メートルリレー。まだ幼児の雰囲気を少し残している小学一年の子供たちが、バトンを握り締めて必死に走る、走る。
「おっと白組が優勢です! 赤組もよく走っています。がんばれ!」
このとき将司は教室から持ってきた木の椅子に座って観戦中であった。喋りの上手い実況の声を聞きながら、自分も闘いに熱が入っていくのを感じつつ「勝て勝てしーろ!」と応援の声を張り上げる。二つ次は自分が走る番だ、という少々の緊張が応援にさらなる勢いを投入した。
結果、一、二年生のリレーは赤組と白組の引き分けで終了した。
将司は今から入場場所まで歩いていかなければならない。途中、徒競走で共に走る神田が高い声で「白が勝ったら良かったのになー」と彼にぼやいたが、彼は強まる緊張で曖昧な返事しか言えず、「なんだよマサ、キンチョーしてんのか?」とからかわれる羽目になった。
「おっと一番外側ァ、白組が速いッッ! 見る見る間に内側を追い抜いていきます!」
「勝った勝った、白組外側一位です!! よくやった!」
……ここから将司は徒競走で奇蹟的なすばやい走りを見せ、白組の勝利に貢献することとなったのだが。
「あの白組すげえな。負けてらんないよ」
「チョー速いじゃん」
彼の予想外の速さは彼自身も驚くほどであり、白組のみならず赤組をも感動の渦へ巻き込んだ。グラウンドには将司を称える応援と、彼に追い抜かされたランナーへの応援がぶつかりあって一種混沌の様相を呈した。
もっとも、この徒競走で一番熱狂していたのは、やはりというべきか、彼の父親である堅人だった。
「オォー将司、すごいぞ将司ィ!! めちゃくちゃ速いぞ頑張れ頑張れ!」
将司の走りがよく見える観戦スペースで、身体中から汗を撒き散らし、目を見開きながら彼は叫ぶ。隣で妻の由美が「ちょっと、騒ぎすぎでしょ、ケンちゃん……」と眉をひそめるのもお構いなしだ。
「こりゃ後でいっぱい褒めてやらなくちゃな、由美」
「ええ、そうね」
熱意に溢れすぎている堅人に満面の笑みを見せつけられた彼女は、気圧されながら同意するしかない。部分部分が汗染みで暗くなった彼のシャツを、彼女は引き気味に見つめた。
彼の脳内で歓喜の号砲が鳴らされ、六年の徒競走は大きな盛り上がりの中で幕を閉じた。
いっぽう、自分の席に帰ってきた将司は、昂揚感に包まれながらも全身にかなりの疲労を感じていた。息切れと汗が止まらず、体が小刻みに震える。胸もなんだか痛い。
これらは全力で走った副作用のようなものだが、別の理由もあった。
暑いのだ。
強烈な日差しを降り注がせる太陽は既に南東65度の方向に高々と登っており、影も徐々に短くなりつつある。空にも雲はほとんどない。せいぜい西の端の方に申し訳ばかりの綿雲が何個か浮かんでいるばかりである。
鷹平小学校の運動会は熱中症対策のため、2018年度(平成三十年度)から六月上旬に開催時期が前倒しされていたのだが、それにしても今日は六月とは思えないくらい暑い。暑すぎる。
しかし将司はこれらの気象的事実を単に「あつい」とだけ処理し、それ以上真剣には考えようとしなかった。フルパワーで走り切ったからしんどいだけ、それが彼の理解であった。それよりも運動会に没頭することを彼は優先して楽しんでいた。
……彼も昨日見ていたテレビの天気予報は、「明日は初夏としてはたいへん気温が高く――」などと報道し、暑さに不慣れゆえの熱中症に警鐘を鳴らしていたのであるが。
彼は持ってきた水筒に湛えられた麦茶を一気に飲んで、次に行われる三年生のボール演技の観賞に備えることにした。舌を打つ茶の冷たさと、鼻に抜ける香ばしい茶葉の匂いがすがすがしい。
その後も曲に合わせてボールを投げたりドリブルしたりするボール演技や、二年生の玉入れ、四年生の縄跳び(表現種目)などを自席で応援等かけつつエンジョイしていた将司だが、時刻も11時を回って、再び席を立つ番がやってきた。
大玉運びである。
五年の障害物競走も終わり、全校生徒が楕円状にグラウンドに立ち並んでいく。将司は神田とともに朝礼台から見て左側に陣取った。六年は朝礼台の左右に広がるテントのそばに席を置いていたので、移動距離は少なく済む。
「絶対に赤より先にボールを送ってやろうぜ!」
「そ、そうだね」
意気揚々と彼に宣言する神田だったが、将司の反応はあまり芳しくない。訝しげな顔で神田は彼の顔を覗きこんだ。将司の顔面には大量の汗が流れ、帽子のひもは絞れるほど濡れている。鼻の下の溝や唇の下部に粒状の汗が何十個も浮き出ていて、まさに"暑そう"といった風貌である。
強い日差しが彼らの全身をじりじりと焼き付けて、初夏に見合わぬ量の紫外線を投射する。将司はわずかな体のだるさを覚え始めた。運動に支障が出るほどではなかったが、できるなら椅子に座っておきたい気分である。
だが今はそれを押してでも大玉運びを成し遂げようとする感情のほうが勝っていた。だから、彼は予定通りのポジションに体を構えた。
「よーい……ドン!」
ピストルが打ち鳴らされてまもなく競技は開始した。球の近くにいた数名が全力疾走で走っていき、大玉に辿り着くとそれを転がしながら向きを百八十度変えて、再びフルスピードで子らの隊列まで駆けてくる。会場には児童らの甲高い鬨の声がこだまし、それに伴って二つの玉が進行方向を逆にして高さを上下させながら動いていく。
「おっと赤組速い、どんどん大玉が進んでいきます!」
将司は頭の重さを感じながらも、来たる白玉に備えた。数十秒経つとこちらに迫る白玉が見えてくる。それは彼の予想よりも大きく感ぜられた。
彼はいよいよ、というところで 飛び上がるようにしてボールに腕を伸ばした。果たして両手は大玉まで届き、掌に一定量の衝撃を与え、それに応じた力を球にも与えた。その直後、どっと疲労が押し寄せてくる。
ああ、暑い。今すぐ水かお茶が飲みたい。
しかし、競技が終わるまで持ち場を離れることはできない。この程度の体調不良(といえるかも彼の考えでは怪しいが)では離れるのは許可されないだろう。楽しさを喫しつつも、涼しいところに行きたいという相反した想いを彼は抱えていた。
その後、PTAや保護者のリレー競技が行われ、正午になろうとした時、白組の辛勝で午前の部は幕を閉じた。このときには彼の水筒の中身は二割程度しか残っておらず、外部に露出した部分の皮膚は既に日焼けによる赤みと熱を帯び始めていた。
「昼休みは12時から13時です。児童のみなさんは、12時50分までに席に戻ってください」
将司は昼食を食べるため父、堅人のいる校庭まで向かった。「将司、あの走りはすごかったぞ! おめでとう!」と喜色満面で堅人が出迎えてくれたのでいい気になる。
昼食は、しかし快適とは言い難かった。もはや太陽は南中高度に達しており、気温は摂氏35度に達していたのである。その上湿度も決して低くはなかった。
「暑いわねえ」
「そうだな、六月とは思えないくらいだ。由美は大丈夫か?」
「ええ」
炎天下で両親と弁当を広げて食べ進める。弁当は保冷剤で冷えていたが、表面は太陽が発する赤外線で温まって生ぬるい。気温が体温並みなので、風が吹いてもほとんど涼しく感じられない。
「水筒がもうほとんど空っぽなんだ。お茶がほしい」
「わかった。これをやろう」
途中、将司の要請で水筒にペットボトルの麦茶が注がれた。水筒に入っていたのと同じものである。ただし、そのお茶はあまり冷たくない。クーラーボックスに入っていたとはいえ、朝からの高温によって液体はそれなりに温められていた。
「これも持ってくか?」
「大丈夫」
堅人は彼の体調を気遣って塩タブレットを差し出したが、断られた。
「五十嵐先生に怒られる」
「ああ、あの『ヒグマ先生』か」
この小学校ではお菓子の持ち込みは禁止されている。塩分タブレットは熱中症を防ぐのに覿面な食料だが、熱血指導で有名な体育教師、五十嵐は使用を認めなかった。
「タブレットにもレモン味とかお菓子みたいなのがある。一度認めれば全部許可されてしまうからダメだ」というのが彼の持論であった。
その判断が惨劇を生むのを、五十嵐はまだ知らない。
席に戻った将司は、次に始まる応援合戦に参加した。彼は前へ出るのではなく、椅子のあるその場で立って応援をするほうであったから身体への負担は少ない。
いよいよ気温はピークへの道を登り始めた。グラウンドの遠くに陽炎がゆらゆら立ちあがっているのが見える。彼は猛暑を忍びながら、流れる曲のタイミングに合わせて掛け声を出したり腕を振ったりした。
「さあ赤組と白組は現在引き分けです! これは次の選手の実力が試されるところですね!」
「さすが福河くん、パンを飛んで食べるのが上手いですねぇ、この走りはまるで快速列車です!」
午後の部の運動会もよく盛り上がった。赤組の追い上げが始まり、白組はやや緊張ムードに包まれる。彼もこの雰囲気に乗って「勝て勝てしーろ」「フレフレ白組」などのコールを繰り返し続けた。が、次第に、引いたはずの倦怠感がぶり返しはじめてきた。
水分と塩分を取ったんだからと思い、上記の感覚を気のせいにしながら、彼は続いて行われる四年生のソーラン節を覧みた。「ヤーレンソーランソーラン……」という野太い歌声とともに豪快な踊りを見せる中学年たち。元気がいいなあという観戦気分は、徐々に身体の不調に押しつぶされてくる。
彼はもう一杯水を飲んだ。多少喉の潤いにはなるが、体を冷やすとまではいかない。強烈な日光が地表のすべてを焼いて、えも言われぬ不快感を屋外に出ている全員に与えていく。
それもそのはず、午後1時30分時点での横浜市の気温は、なんと36.8℃を記録していたのだ。これは大半の人間の平熱に匹敵する値である。
そのうえ湿度は50%超え。暑さ指数の一つであるWBGTでは「危険」――運動は原則中止すべきであることを示す――に分類される気象状況であった。
そんなことはつゆ知らず、運動会に参加している人々のほとんどは、今日はひたすらに暑いという思いのみを抱えて、熱中症の危険などは大して考えないでいた。将司もその「一般市民」の一人であった。
……彼の症状は、明確なる熱中症の前兆であったのに。
ここまで熱中症患者が出なかったのは、奇蹟にも等しい綱渡り的なバランスで実現されていたことであったのに。
彼が摂取した塩分は、低ナトリウム血症を防ぐにはあまりにも少なかったのである。
ソーラン節が終わると次は二年生の走り競技、続いて高学年参加の綱引きがあり、選抜リレーが行われて最後に組体操、というプログラムになっている。
綱引きの待機時、将司の友達である神田は彼の元気なさげであるのを心配して「大丈夫かよ、マサ?」と一回声をかけたが、将司は見栄を張って「なんでもない。大丈夫」とだけ答えてしまった。
結局綱引きは思うように力が出せず敗北。ふらふらしながら自席に戻る途中、保健室まで行こうかとも思ったが五十嵐先生がこちらを一瞥してきたのでやめた。
厳格な彼はきっと、「みんな暑いのは同じだし、お前以外は別にしんどそうでもないじゃないか。甘えるな」などと言ってくるだろうからだ。それは普段の彼の言動・行動からありありと想像できた。
しかしリレーの途中、いよいよ本当にしんどくなってきた。将司は水筒の中身を制御しつつ飲んでいたつもりだったが、もはや麦茶は二割も残っていない。彼はかすかな絶望を感じた。
だが将司にはここで自分が保健室に行けば、組体操のチームに穴が開いてしまう、という使命感に似たものを抱えていた。従って彼が組体操に参加しない理由はなかった。
……彼の決断は、まもなく最悪の結果で帰結することとなる。
時間は見る見る間に過ぎていき、とうとう最終パフォーマンス――組体操の時間となった。将司も六年生全員とともに顎や額から大量の汗を吹き出しながら、児童の隊列の一部に加わった。襲いかかる立ちくらみもぐっと我慢する。
「これで小学校の運動会も最後だな……。しっかり撮っとかないと」
流れる様々なJ-POPに合わせて統一された動きでポーズを取っていく六年生たち。その姿を堅人はスマートフォンを横にして撮影していた。由美も隣で愛する息子の姿をしっかりと追い続けている。
最初は独立して行われる技は、曲の進行に伴って二人技、三人技とレベルアップしていき、当然難易度も高くなっていく。いまや熱中症Ⅱ度にさしかかろうとしている将司には辛い業であった。
軽快な音楽のBメロに合わせて"飛行機"を組み立てていく。将司は前の方を担当したが、ここで不幸にも頭痛が彼を襲いかかってきた。体が震えて、しっかり力を入れようにも中々入らない。
上にのしかかる同級生の重みが、彼には恐ろしいほどの負荷に思える。二メートルほど前に立つ五十嵐と目が合った。ここで失敗してはいけないと、決死の思いで立ち上がる。
いっぽう堅人には彼の熱中症はほとんど感知できないでいた。堅人の立つ位置は十分将司から離れていたし、将司自身も努力して自身の不調を隠そうとしていたからである。
「頑張れ、将司……!」
彼の脳内にあるのは、ただ息子の最後の勇姿を見届けようという心意気のみであった。
その後も五人扇、小ピラミッド、ウエーブと技は続き、将司はこれを必死の思いで耐え抜いた。そして、最後には全員での五段ピラミッドが待ち受けている。
ラストの歌曲が流され、いよいよピラミッドの形成が始まった。将司は不幸にも最下段であり、上段全員の体重をもろに受けることになる。
気温が未だ35℃を超えている中、彼は所定位置へと駆けていき、予定通り膝立ちから両手で地面をつく体勢を取った。誰も上に乗っていないにもかかわらず、膝や手に突き刺さる砂粒が彼にかなりの痛みを与え、かろうじて正気を保たせる役目を果たしていた。
続いて二段目の生徒が彼の上に乗っていく。足で背中を踏まれるときの衝撃は何度経験しても慣れるものではない。腕の震えを叱りつけて背中にかかる重量に対抗するが、その健気な努力にも限界が見えつつあった。
三段目がやってくると姿勢を保つことさえ難しくなってきた。もはや彼に最後の運動会の感動などどこにもなく、ただこの苦痛が終わってほしいという願いのみが、機能を失いつつある彼の脳で循環していた。
あともう少しだ、あともう少しだ。それが彼にとっての唯一の希望であった。
四段目が乗ってきたのを体で感じて、もうすぐ終わると気を引き締めようとした、そこまでが彼の記憶にあることである。
直後、彼は意識を失った。
異変は直ちに現れた。
五段目に上った二人が立とうとしたところで、ピラミッドの中央右がぐわりと揺れたのである。それは将司が意識を失い、左腕を折ってぐたりと砂に倒れ込んだことから生じる必然の現象であった。
続けて彼が倒れた部分から、波を打つように人の山が重力に従って落ち込んでいく。二段目がバランスを喪失して四つん這いを保てなくなり、その上にある三段目も同様に姿勢を崩す。
最下段の児童、特に多少の体調不良を抱えていた者たちも、突然の重みに対応できず将司と同じく押し潰される。
上から人の塊が落下し、激しい衝撃が下段の子供たちの体に何度も走っていった。将司の右腕がありえない方向に捻じ曲げられ、肋骨が何箇所も割れていく。上からの重量で砂に面する頬の皮膚は破れ、内臓が衝撃で損傷する。
五段目で立とうとしていた小柄な六年生もこの不測の事態に対応できない。一人は五十嵐のいる方向へ、もう一人はその逆方向へ、膝を曲げながら転げ落ちていった。
「篠山ァ!」
地と接触しようとしていた五段目を、五十嵐はとっさの機転により寸手のところで滑り込んで助けることができた。
しかし、もう一方は教師の対応が間に合わず、顔から砂まみれの固い地面に叩きつけられた。額の骨が地に衝突する鈍い音を、周囲の児童や教師は聞き取ってしまった。
そうしてピラミッドは人間が無抵抗で全身を打ちつけられる嫌な音を伴いながら完全に崩壊し、後には人の瓦礫に潰された百人以上の子供が残されるのみとなった。
教師らや一部の観覧者は慌てて事後対応を急いだが、後の祭りとしか言いようのない惨状であった。
「大丈夫か! 将司、将司、まさしーッ‼︎」
「嘘でしょ、マサちゃん、マサちゃん!? ねえ、ねえ!!」
気が動転する中、何度も何度も両親は我が子の名前を叫び続けた。
だが、それが本人の耳に届くことは、決してなかった。
「今日昼、横浜市の小学校の運動会で行われた五段ピラミッドが、完成直前で崩れる事故が発生し――」
「横浜市立鷹平小学校の運動会で事故 計14人が負傷」
「こんな暑いのに組体操なんかするから事故ったんだよ」
「バカ学校が」
運動会のクライマックスで起きたこのアクシデントは、重体者三名、重軽傷者11名を出す大惨事となり、日本全国を非難の渦へと巻き込むこととなった。原因は熱中症対策の怠慢とされ、事故を防ぐ方策を急ピッチで練ることが教育委員会と横浜市により宣言された。
しかし、事故そのものに焦点を当てるあまり、当日の最高気温が摂氏37.0度という並外れたものとなったことは、さして報道されることはなかった。
次回更新は3/17の予定です。
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