残され者には福がある
私は子爵家の令嬢だ。
いえ、だった、と言うべきね。
だって今は我が家は爵位をはく奪されている。
どうしてか、と言えば、我が家から金の妖精が消えたからだわ。
金の妖精って何か?
それは金の妖精よ。
我が家にね、いたの。
父方の亡くなった叔母の子供らしいと私は聞いていたけれど、叔母が結婚もしていない人だったと言うならば、その子はこの世にいない子なのよ。
彼の美しい顔を縁取る金色の髪が太陽みたいに神々しく輝いていても、彼の瞳が澄み渡った青空よりも美しい青だったとしても、彼はここにいない子として扱われねばならないのよ。
彼は庶子という罪の子なのだから。
でもね、私も実は見えない子だったの。
彼と同じような存在だったのよ。
我が家はまず姉が生まれ、その次に待望の跡継ぎである兄が生まれ、そして私が生まれ、そして妹が生まれたの。
これが私の不幸の始まり。
四人は子供の数として多すぎたみたい。
初子として可愛がられた姉は安泰ね。
跡継ぎの兄なんか我が世の春よ。
最後に生まれた妹など、四人の子供の中で唯一の金髪だったから、天使ですわ。
では、三番目の私は?
茶色の髪に茶色の瞳の三番目の私は?
家族にとっていないものになりました。
母は欲しいものを娘達に聞くが、それは姉か妹かで、私に尋ねて来た事など無いわ。
私は平等に可愛がったわ。
ええ、平等に同じものを貰っただけですわ。
今日は兄の大好きな肉料理にしましょう。
姉の好きなケーキを兄妹分だけ、妹の好きな果物を兄妹分だけ。
そこに私の好きなものが無かっただけ。
お前はオレンジが好きでしょう。
好きよ。
一度も聞いてくれなかったけど、でも、知っていたから良いでしょう、なんて言わないで、お母様。
好きなものは何かと、私だって一度ぐらい尋ねられたかったの。
「うらやましいか?欲しかったら跪いてお願いしてみろ」
兄は買って貰ったばかりの本を持ち上げ、目の前の従弟を、いいえ、妖精さんをいつものように揶揄った。
妖精さんは兄に対して膝を付いた。
それからいつものように、お願いします、お坊ちゃま、なんて言った。
私はいつもこの儀式のようなものを見て、どうして妖精さんは兄にされるがままなのだろうかといつも訝しくむかむかしながら思う。
いらないって言えばいいじゃないの。
兄なんか、どんなに高価な本を貰っても一ページも読まないの。
兄なんか無視して、兄が本のへの興味を失ったら、妖精さんがその本を勝手に読んでしまえばいいのよ。
私はそうやっているわ。
私のドレスは姉からのお古で、妹はお古のお古は可哀想だからと新品。
私が欲しいと強請ると、我儘と叱られる。
叱られるくらいならと、私は黙っているのよ。
懇願だってしたくないし、懇願した所で願いを聞いて貰えやしない。
だから黙っている。
でもね、黙っていればお古でもちゃんと貰えるのよ。
それに黙っていればいない子ならば、姉が飽きた髪飾りや絵本、妹が片付け忘れたお人形などだって、こっそりと自分のものにしてしまえるのよ。
いいこと?見えないならばね、本当の影になって大事な書類や大事なご本を盗んだって誰にも分りはしないのよ。
あんな兄に跪く必要なんか一つも無いの!!
しかし、妖精さんは私が考える事を実行しない。
いつだってあんな兄にへりくだり機嫌を買っている。
だから、だから、私は我慢できなかった。
だから、ある夜、私は妖精さんの部屋のドアを叩いたのだ。
ドアを開けたのは妖精さんの殆ど母代わりとなっているマミアという女中で、彼女は私の出現に目を大きく見開いた。
「あ、あの?」
「私はいない子なの。名前を呼ぶ必要は無くてよ。それで、この部屋には妖精さんがいるんでしょう?私は彼とお話があるの」
令嬢が人を押しのけるなんて無作法であるけれど、私はいない子なのだから私が少々ぶつかったぐらい何の問題もないだろう。
ところで初めて妖精さんの部屋に入ったが、なんと、私の部屋よりも広いが粗末な印象だった。まるで家族住み用の使用人部屋だ。
まず扉から一歩中に入った最初の部屋は、彼とマミアが食事などをして寛ぐ為の場所なのか、食事用テーブルの他に長椅子もあった。そしてこの部屋の左右に二つドアがあったので、そこがそれぞれのベッドがある部屋となるのであろう。
妖精さんは食事用テーブルに本を広げて、食事用の椅子に座っていた。
妖精さんの部屋にはライティングデスクは無いのであろうか。
「あの、どうしたのかな?ええと」
「私はいない子だから名前を思い出さなくても良くてよ。それに私はあなたに言いたいことがあるだけだから」
「言いたい事?」
「ええ。言ったら帰るわ」
私なんて異物がマミアと彼のひと時を邪魔しているのだから、私がすぐに消えると聞けば喜ぶかと思ったが、彼は思いがけない表情を作った。
とっても残念だ、そんな顔付きをしたのだ。
「すぐに帰っちゃうのは残念だ。君は上手にスペルを綴れる。僕が読めない単語をいくつか聞きたかったんだ」
どきん、と胸が鳴った。
あら?私は見えない子なのに心臓があったの?
それに、嬉しいなんて胸が温かくなっているの?
私は妖精さんの言葉を貰ったからと、戸口から彼のもとへとずんずんと歩く。
歩きながら思ったが、妖精さんは私の為に椅子から立ち上がっていた。
それは身分の高い女性に対して紳士が必ずする行為である。
ついでに彼は私の為に椅子を引いた。
「ありがとう」
「いいえ。僕こそ光栄ですよ」
私は彼が妖精でしかないと思いながら椅子に腰かける。
私が腰かけると彼は自分が座っていた椅子に戻り、そして私が何かを言う前に自分が開いていた本を私へと突き出した。
「お願いだ。この単語が読めない。あといくつか。それを教えてくれるなら僕は君が言いたいことを聞こう」
私は妖精さんが指さした文字を見つめ、こうちく、と声に出した。
「さすがだ。君は僕と同じまだ十二歳なのに」
「私は見えない人なの。だから、私が見える世界に行きたいわ。文字が読めれば地名が読める。本が読めれば旅するための用意について探ることができる。父が読む新聞を読めれば安全な世界を見つけることもできるわ」
妖精さんは両目を輝かせた。
人間が輝いて見えるはずは無いので、やっぱり彼は妖精さんなのだろう。
彼は急いで別のページをめくると、再び単語に指を指して私を見返す。
「ただ、ここは単語というよりも全体がよくわからない」
「騎士カーディはその川を渡るべきか迷った、ね。これはよくある言い回しなの。大昔は、ベルーガ河の内側となる都に武器を付けたまま入ってはいけないというルールがあったの。昔は共和制だったから武力を都に入れたら均整が崩れるからって。なのに、英雄アークノイドは武装したまま入ってしまった」
「その英雄は?どうして?」
「政治が腐っていたから。政敵に家族を牢に入れられたの。だから家族を助けるためにそのルールを破って都に入ってしまったの。そして、国に反逆者と見做され英雄は都を捨てて荒野へ逃げた。そして、あの恐ろしいドラゴネシアの始祖になりました。そんな故事をもとにしているのよ。それで、大きな決断をする時に、川を渡るべきか、という言い回しがよく使われるのよ」
妖精はくくっと笑った。
その笑い方は年相応というよりも、妖精の悪辣さが見えるような笑顔だった。
こんな笑い方も出来るのね。
いつも疲れたような微笑みだけの人なのに。
「君は凄いな。僕が読めない本だって読める」
「それは私が見えない子だからよ」
「君は良く見えるよ。カラメルシロップみたいな髪の毛と瞳で、悪賢そうな猫みたいな可愛い顔をしている」
「悪賢そうがなければ褒め言葉なのに」
くすくす。
私は女性の笑い声を聞き、この部屋には私と妖精さんだけでは無かったと思いだしてマミアへと振り返った。
彼女は長椅子に座り編み物をしていたが、笑顔になったためか彼女はとても若々しく見えた。
亡くなった妖精さんのお母さんと同じぐらいの年齢ぐらいに。
「あの、カ」
「名前を呼ばないで。私は見えない子のままでいたいのよ。そして、あなたも私と同じ見えない子になりたいならば、私はこれまで通りにあなたを妖精さんと呼ぶわ。よろしくて」
「僕を妖精と呼ぶのは別に構わないけれど、君を見えない子と呼ぶのは嫌だ」
「じゃあ、名無しさん」
「却下だ」
「ではお好きな名前になさいな」
「君は自分の名前が嫌いなの?」
「嫌いね。母も父も、姉と妹の名前を呼んでから私の名前を思い出すの。リンゼイ。違った。シェリル、じゃない。カルミア。もううんざり。思い出して貰ったわ、なんて喜ぶ演技をするのも疲れたの」
妖精さんが、あら、まあ、自分については鈍感さんだったのに、どうもこうも無いぐらいに悔しそうな顔になっている。
綺麗な顔が歪んじゃって。
それでもきれいな顔だと私が見惚れていると、妖精さんは何かを決意したような顔で私を見つめた。
「僕は君の名前を絶対に間違えない」
「わかった。では、チェルシーと呼んで」
「どうして?」
「私は自分の名前が嫌いなの。カルミアは赤毛の美人にこそ似合いそうだねってあのうすら馬鹿に言われて以来嫌いなの」
「勿体無いな。うすら馬鹿はうすら馬鹿でしかないのに」
「あなたが我が兄について真っ当な評価をしていることにこそ驚いたわ。それでどうしてあなたはあのうすら馬鹿の言いなりになっているの?私は毎回兄とあなたのやり取りを見ていらいらしているのよ?」
妖精さんは、くすっと笑うと、開いていた本を持ち上げた。
テーブルから浮かされた本は背表紙が良く見えたが、その背表紙は兄によって燃やされかけたよすががしっかりと残っていた。
「僕は本が命よりも大事だ。このまま何もなせず閉じ込められた一生ならば、なおのこと精神だけは自由でいたい」
「自分で閉じこもっているだけじゃない」
「だって、外に出ては――」
「部屋には鍵など掛かってはいない。昼間の屋敷はどこもかしこも鍵が開いている。使用人達が動き回るもの。そして私は見えない人。村に出れば階級が違えど同じ年齢の子供達もいる。その子供達は言うわ。僕達は次男三男だから畑などもらえないのに奴隷働きだけさせられる。だから、立身出世のために軍隊に入るんだ。英雄になって、自分のための大きな家と大きな畑を買う」
妖精さんは人形みたいに動きを止めた。
私が言った事を理解したからか、できないからか、彼は私だけを真ん丸になった瞳で見つめ続けるばかりとなった。
「私が言いたいことは、私の先生に会いに行きなさい。それだけよ。本の読み方も教えてくれるし、剣の稽古だってしてくれる」
「き、君がそこまで僕のことを考えてくれたの?」
「いいえ。見えない子の私が先生を先に見つけたの。それなのに、先生はあなたという妖精さんにこそ会いたいのですって!!私は女の子だから、強い男の子に守ってもらわなきゃいけないそうよ!!なんて失礼な人なんだろう!!足を一本失った人だから、私が守ってあげるつもりだったのに!!」
妖精さんは口元に手を当てて笑い出した。
その笑い声は年相応の男の子のものだと思った。
私が簡単に木刀でやっつけられる村の男の子達だけど。
さて、私が妖精さんを笑わせたからマミアが私を気に入ったのか、私は妖精さんのお部屋でホットミルクを貰い、マミアによって髪をとかして貰った上に可愛い髪の巻き方を教えて貰った。
だけどそれで私が足が一本無い元騎士の騎士になる夢を失うはずは無く、毎日変わらず先生の所に通い詰めた。
艶のある黒髪に水色の瞳をした、まだ十八歳の美貌の彼は私の憧れだった。
彼に褒められる度に自分に色が戻って行くようだった。
それなのに、一緒に来るようになった妖精さんは、たった一ヶ月足らずで私を負かすようになった。私は本気で妖精さんを憎く思ったが、先生はその日から私にこそ優しくなった。
その後は負けてばかりの私のかわりとして、先生が剣を取るようになった。
先生は、足が無かろうが、やはり強かった。
片足の無い先生を打ち込めない妖精さんを先生こそ見越していたのか、先生の剣は熾烈を極めた。妖精さんの顔が腫れて真っ赤だったり青かったり黄色だったりと、綺麗だった顔が台無しになるばかりとなったのである。
だから私はとうとう我慢できなくなった。
妖精さんを叱りつけていたのだ。
「大怪我ばっかりしかしないなら、もうやめなさい」
「俺は騎士になるよ。止められる訳はない」
「だったら顔を大事にしなさい!!騎士は実力だけじゃないの。汚いことも出来てこそよ。ちゃんと先生にあなたこそ打ち込みなさい。あと顔も必要よ。騎士はパトロンがいてこそだって先生が言ってたもの。凄い騎士だった先生なんか、足を失っているのに顔は綺麗なままじゃない!!」
妖精が腹を抱えて笑ったのは初めてだっただろう。
その日以来妖精は顔を守るようになってくれ、かぼちゃみたいに色と形に膨らんだ妖精さんを見ることが無くなって私はほっとした。
だけど、と、十数年経った今でも思う。
どうして先生はあそこまで妖精さんを痛めつけて扱いたのだろう、と。
妖精さんが仕官するための推薦状まで彼は書いたというのに。
いいえ、仕官させるために、生き残らせるためだったのね。
いいえ、先生こそ妖精さんに自分の夢を託したのかもしれない。
私は再会した妖精を見つめながら、彼が旅立ったあとの実家と自分に起きたことについて思い返した。
妖精が消えて数か月後、父は王都に呼び出された。
その翌週、父の代りに役人が実家に押し寄せ、父が子爵をはく奪された事、それを苦に自殺してしまった事を伝えられた。
父が爵位をはく奪された理由は、横領だった。
やんごとない身分の方の息子である少年に渡るはずだった贈り物や金銭、それらすべて着服し、それだけでなく少年を虐待していたその罪である。
役人は私達に突きつけた。
屋敷を出て行け、と。
泣き叫ぶ母に、裕福な子爵の跡継ぎという身分と生活しか知らない兄は崩れ落ち、姉と妹は抱き合ってただただ泣いた。
そして私は?
子爵家という飾りが無くなった家族となったのに、やはり私は見えない子のままだった。
母は兄に縋り、母は姉や妹にも手を伸ばす。
しかし母は私へ手を伸ばさない。
だから私は自分の部屋に戻り、自分の荷物をまとめた。
母達が嘆き悲しむ声が聞こえる居間から、早く荷物をまとめろと怒鳴る役人の声だって聞こえる。
だから私は部屋で待った。
行くわよ、カルミラ。
その一言を待った。
けれど、外で馬車が動く音が聞こえても、窓の外が真っ暗闇になっても、私を呼びに来る声は無かった。
私は見えない子供のままだった。
これは、私が妖精に名前を呼ばせなかったからだろうか。
私は視線の先の妖精、今はもうしっかりと大人の男性になった、妖精どころか神々しいまでの美丈夫を見つめる。
今や彼は国一番の人気者、王城を守る近衛騎士となっていた。
彼は私など気が付かない。
私はいつまでも見えない子だから。
彼は壁際に佇む美しい女性へと真っ直ぐに歩いて行き、彼女に対して柔らかく微笑みかける。
「俺は近衛兵のジュリアーノ・ギランと申します。美しい人、俺と一曲踊って頂けませんか?」
恐らくデビューしたての少女ははにかみ、頬を染める。
似合わないピンク色のドレスであるのに、彼女はなんて可愛らしいのだろう。
私よりも背が高く大柄な子であるのに、笑顔がとっても無邪気で可愛い。
きっと両親に愛されている子なのね。
だからあなたは惹かれたのでしょうね。
そこにいない子として育てられたあなたなのだから。
「カルミラ。あいつに挨拶に行かなくていいのかな?」
「いいのよ。私は見えない子ですもの」
私は六歳も年上の男性に笑顔を向けた。
初陣で足を失ったまだ十八歳の青年だった彼は、今はもう三十代のいい大人だ。
彼は騎士団へギランを連れて行った見返りに、軍事顧問という肩書を手に入れ、実戦は出来ないながらも軍内部で事務方として出世している。
私がギランに語った通り、私達の先生は汚いこともできるから騎士だったみたい。
元騎士だった男は、騎士だった時代だけでなく、嫌な事にも今も女性達を騒めかせている美貌を私に向けてニヤリと笑う。
「幼い時に剣の相手をしてくれた君が誰かわからなかった薄情者だ。揶揄ってやろうよ」
「彼は謝ってくれたわよ。ちゃんと、誠実に。綺麗になっていてわからなかったって。あら、やっぱり失礼ね」
「そっか。それなら、あいつはマミアに叱られるのを免れたか」
「叱られた方が喜ぶんじゃないの?彼はマミアがいてこそだったもの」
「いいや。君こそ、だよ。あいつは君が尻を叩くまで俺の所に来なかった。俺が自分で行こうにも、俺には足が一本足りなかったしねえ」
「腐っていたしねえ」
「君は!!そうだな。俺こそ君に助けられたんだな。さあ、お手を。俺達は遅い初恋を迎えた同士を捨て、可愛い我が子を抱きに帰ろうじゃないか」
私はかって先生と呼んでいた、今は伴侶の腕を取る。
見えない子だった私を迎えに来てくれたのはマミアだった。
ギランの乳母をしていたマミアはギランの母の親友であり、負傷した元騎士の弟を抱える姉でもあったのだ。
私が初恋の人と結婚できるように応援してくれた人でもある。
「カルミラ。君は俺に剣を習いに来た時、本気で騎士になろうと思ってたの?」
「そうよ。騎士というより護身術を覚えたかったの。あの家を捨てて広い世界を旅したかったから」
「――すまん。旅らしいものに連れて行けずに」
「あなたの胸は意外と広いのよ。色々と探索したくなるほどに。知っていた?」
夫は二人も子供がいるとは思えないほどに、危険で魅力的に笑った。