きみ、わたしのこときらいだろ
◆
高校は、家から離れた遠くの公立校を選んだ。
『……本当にいいの? 強豪校からのお誘いもきているし、早乙女さんの成績ならもっと近くの学校だって自由に選べるのに』
けどそれは、選んではいけないとおもった。
選ばなくても、なんとかなるだろうという自負みたいなものもあった。
おもえば、遅れてきた反抗期だったのかもしれない。
周囲の視線を苦に感じたわけではなかったが、いいかげん、応えつづけるのも馬鹿らしくなった。言いなりになっているみたいで嫌気が差した。成功しても、失敗しても、いずれにしろだれかの糧にされるというのは、なんだか癪だ。
“好きにやらせろ” なんていうのもヘンな話だが。そのときのわたしは、わたしを知る人間から離れることこそが、自分を成り立たせるために必要なことだと感じていたのだとおもう。
高校の陸上部は、お世辞にも強いとはいえなかった。
部員は少なく、実績もない。設備はそれなりにそろっているが、これといった強みや特徴があるわけではない。ごく一般的な地方の公立校、というのはただしい評価だったとおもう。
地区をまたげば、わたしはふつうの生徒だった。
陸上競技と縁があるならまだしも、ふつうは一部活で活躍した選手のことなどだれも知りはしない。容姿について言及されることはあったが、一週間もすればぱたりとなくなった。他人に興味なし、なわたしの態度がそうさせたのだろう。
問題はない。むしろ好都合だ。
やっと、しずかな環境で陸上競技をやれるのだから。
「あ」
ある日の部活終わりだった。
部室に戻る途中でたまたま、最後まで残っていた一年生の男の子と鉢合わせた。
名前は、たしか近江といったか。見た感じ、華もトゲもない凡庸な男子だ。
寡黙で、真面目に練習に取り組んでいるのは知っているが……これまで話す機会もなかったし、それ以上のことは知らない。
「……」
あろうことか。そいつはわたしの顔をみて、露骨に『いやだなー』という顔をしやがった。
本人は無表情のつもりなのだろうか。目は口ほどにものをいう、というが、彼の場合は翻訳バージョンの字幕付きだ。
ああ、ついにでたか、というかんじ。
高校に入ってまだ一カ月も経っていない。こんなにも早く現れるとはおもっていなかったが、そこはそれ、陸上をやってればうわさが耳にはいることもあるのだろう。
もしくは嫉妬か。こんなに人数の少ない部活であっても、だれかに上に立たれるのが我慢ならないという性分はあるものなのか。その感情は自分に使えばいいのに、なんてセリフは、お節介なんだろうけど。
「…………はぁ」
───とはいえ、こういう反応には慣れている。
対応も知っている。中学での焼き直しを、また始めればいいだけの話。
それで流せばよかったのに、なぜか。なんとなく、話しかけてしまった。
「きみ、わたしのこときらいだろ」
「……まあ」
首肯した。バツのわるい顔をしているくせに、妙にはっきりと応えるものだ。
……それだけ嫌われているのだとおもうと、なんだか可笑しい。
「ハ、まだ日も浅いうちからずいぶんと見染められたものだ。まあ実際、万人に好かれるような性格ではないと自負しているけれど」
「ん……ああ、そんな人間はなかなかいないよな」
……煽り、だろうか。
ふと頭をよぎったが、すぐに首をふった。あいかわらず居心地わるそうな目をしているが、敵意は感じない。
ようするに、わりと天然なやつ、というところだろう。はっきり言葉にしないと伝わらないタイプらしい。
「───どうしてきらいなのか、聞いても?」
「……」
すると、彼は黙り込んだ。
こちらから視線をはずし、うつむきがちに動きを止める。
それは後ろめたさからくる沈黙ではなく、口にするための言葉を考えているみたいだった。
ただしい言葉を探しているようだった。おそらく、わたしに伝えるための。
「───おまえを見てると、何かしなくちゃいけない気分になる」
思い知らされる、と。
自分がしてきた努力が、どれだけ矮小なものだったか。積みあげてきた自信や誇りが、どれほどの驕りだったのかを。
故に、なにかしなくちゃいけないと感じる。
いま以上の努力、いま以上の専心を。
だから疲れる、と彼は言った。
その目は、逃げることなくまっすぐこちらに向けられている。“おまえがいると疲れる” だなんてひどい言葉を、よくもまあそんなに躊躇いなく投げられるものだ。
応じる声に、冷たいものが混じってしまったのも仕方のないことだとおもう。
「なら、すればいいじゃないか」
「できるかよ」
間髪入れず、彼は吐き捨てた。
けど、その苛立ちはわたしに向けたものではない。苦々しく歪められた口元の原因は、彼自身にあるみたいだった。
「見てるから、わかる。おまえみたいな努力は積めないし、おまえみたいな人間にはなれない。そう思うことすらおこがましい。それくらい、血反吐を吐くような執念と忍耐だ。おまえの陸上にかける情熱とか、姿勢は、並たいていの努力で騙っていい代物じゃないとおもう。もう高校生なんだ、バカ正直に “やってやる” なんて言葉を吐けるほど、盲目的にはなれないよ」
敬意をもつからこその、否定。
彼のことを少しだけ見直した。いままでにいたような、ただ羨ましがって、憎むような者たちとはちがうのだと。
でも、それも拒絶の言葉には変わりない。
「だから」
けれど、彼の言葉はつづいた。
「だから、俺は俺なりのやり方でがんばるよ。がむしゃらに結果を追い続けるのは疲れるけど、努力すること自体はきらいじゃないし」
走れないよりはマシだしな、と。つぶやく彼は、いつもの調子に戻っていた。
ぼんやりとした表情で遠くを見つめる男子。無気力そうで、どこか気だるげで、他人と話すのが不器用そうな同級生の男の子。
空を見上げて、ふ、と息をつく。その瞳には茜に暮れる空の色がうつっている。
「わたしにはなれない、って言ったばかりじゃないか」
「そりゃまあ」
そこで、彼はなぜか目をそらした。
……だんだんわかってきた。彼、おもったことを隠すのが、ど下手だ。
いまもなにか思うところがありつつ、必死に無表情をよそおっている。バレてないと信じていたずらを隠す幼子のようだ。
が、末っ子のわたしにはベビーシッターの経験などなかったので。手心なんてくわえる余地もなく、逃さず彼の目をじっと見つめつづけていると───観念したように、重たく息を吐いた。
「同期だしな。横にならべる人間になりたい、くらいは、おもうよ」
◇
「あ」
早朝。校庭を抜けて部室に向かうと、そこにはすでに彼の姿があった。
「やあ、おはよう」
「おう」
いつもどおり、素っ気ない返事だ。そこに拒絶の色はない。
「また一番乗りか。今日こそはわたしが先だとおもったのだけど」
「そう変わんないよ、俺だってついさっき着いたばっかだし」
すでにジャージへと着替えをすませ、ストレッチ用のマットを小脇に靴紐をむすびながら彼はいう。
「てかそっちこそ、たしか家遠いんだろ。家をでた時間でいえばそっちの圧勝なんだから、それで良しとしとけよ」
「やだ。一番がいい」
「……難儀なこって」
ツッコミ、苦言、その他諸々を噛みつぶしたような顔をして立ち上がる。
ぱっぱ、と砂をおとすように自分をはたき、そのまま立ち去ろうとする背中に───声をかけた。
「あ、待ってくれ」
「ん、なに」
「いや、わたしもすぐ着替えてくるから。そこで待っているように」
「……なんでだよ」
彼のいやそうな顔を見るのも、これで何度目だろう。
数分後に着替えて出てくると、本当にストレッチしながら待っててくれていた。
「おどろいた。忠犬ハチ公もびっくりの律儀さだな」
「開口一番それか、暴君」
「ごくろうだった。はい、じゃあこれ持ってくれ」
「おまえ、王の血でも引いてんの?」
言いつつ、素直にわたしのサブバッグを受けとって肩にかけた。
その横顔を観察しつつ、将来は尻に敷かれるのだろうな、とおもう。
「そこがきみのいいところなんだろうけど」
「なにを同情したのか知らんが褒めてないことだけはわかった……べつにいいけど、ありがとうって言えるひとのほうが素敵だとおもうよ」
「む。そうか、気をつけよう。これ以上わたしの魅力が増してしまえば、はじめ君も異性として付き合いづらいだろうし」
「あーツッコミづれーなーもう」
否定は、魅力うんぬんに引っかかるとでもおもったのか。なかなか味のある表情でうなっている。……ちなみに、こういうところがわたしにはツボだったりする。
「───はぁ、おもしろかった。きみのそういう紳士然とした態度には好感がもてるけど、ストレスで胃を壊さないかって心配にもなるな。どう、おなかさすってあげようか?」
「母性の出し方まちがってる。なら、改めてくれるとうれしいんだが」
「甘ったれるんじゃない、それで腑抜けになったらどうするんだ。知らないのか、ライオンは我が子であろうと真っ暗な谷底へ突き落とすんだぞ」
「いいかげん人間の尺度で生きてくれ。あと、おまえの子供になった覚えは、ない」
はぁ、と息をついて、ぼやくように顔をあげた。
「ときどきおもうんだが。ほんとうはおまえ、俺のこときらいなんじゃねえの」
おっと。いつか聞いたようなセリフだ。
「───先に嫌いだと言われたのは、わたしだったような」
「…………いや、あれはだな」
あ、ひるんだ。チャンスだ。
「あれはさすがに傷ついたよな。そう交流もないうちから、それも四人しかいない同期のうちの一人に嫌われていただなんて」
「……荒んでた、ってのはたしかにあるとおもう。入って早々鼻っ柱を折られた気分だったし……けど、あれは俺に向けたもんだから、ほんとうに早乙女をきらってたわけじゃないよ」
「じゃあ好き?」
「…………」
「うん?」
下から顔をのぞきこんでみた。ものすごくイヤそうな表情をしている。
「……人間としては、尊敬する部分もある」
「つまり、好きと」
「……ごく、一部にかぎり」
「すまない、いまはそういう気分じゃないんだ」
「新手のピンポンダッシュかよ」
ドスの効いた声でツッコまれた。わかっていながら答える彼にも、責任の一端はあるような気がしないでもないけど。
「……まさかおまえ、後輩にまでおんなじようなことしてないだろうな。あんまり言いたくないが、嫌われるぞ?」
「それこそまさかだよ。こんなに無茶を押し付けられるのは、はじめ君ぐらいだ」
「……それは、信頼?」
「いや、遊び心」
「あ、きらい。きらいでーす。この人とはいっしょに歩けませーん」
さすがに限界がきたらしい。早歩きで抜き去って行った。
それでも律儀に荷物を持っていくあたり、彼のおひとよしも筋金入りだとおもう。
遠ざかっていく背中を眺めながら、ふと物思いにふけった。
結局のところ。とくべつ、なんて言葉に踊らされていたのは、わたしの方だった。
才能という言葉に、舞い上がって、思い上がって、固執して、離れられなくなっていたのは、他でもないわたしだった。
個は個で、自分を真に理解できるのは自分だけというのは、みんなそうだったのに。みんな孤独だったのに。わたしだけが一人だと勘違いしていただなんて、なんていう傲慢だろう。
喩えるなら、機械じゃなくて歯車だ。人と人で、合う、合わないはある。
わたしは多少、かたちが歪なのかもしれない。少なくとも、中学という環境にはうまくはまれなかった。うまく順応できなかった。たった、それだけの話。
けど、人間は地続きだから。歯車のカタチは、そう簡単には変わらないから。
多を疎んで、他に期待しないわたしは、もうすこし先までつづくのかもしれない。他人を頼るのが苦手で、自分の力で成し遂げようとするわたしは、しぶとく生きつづけるのだろう。
成功も失敗も、その過程も原因も、すべて自分のうちにのみ。
他は、いてもいなくても同じもの。
それならべつに、いてくれたっていいとおもう。
いてもいいと、おもえるひとはいるのだとおもう。
(悟ったようなフリをしながら、本音は、隣にいてくれるだれかが欲しかっただなんて……うん、さすがに恥ずかしすぎて、笑えないな)
火のつくような羞恥だが、甘んじて受け入れよう。
それすらも切り捨てて、もとの孤独に浸ろうとはおもわない。
なにせ、信頼に足る仲間というものが、
得難いものだということだけは、わたしも知っているから。
思案の海からあがって、まえをむく。
目の前には、まるでなにかから逃げるみたいに、いっしょうけんめい歩いている彼の背中がある。
ふう───まったく、しょうがないやつだ。
「フッ、わたしから逃げられるとでも───?」
「うわ、声色がガチだ、おまえこんなことでガチのスプリントみせるやつがいるか───ッ」
叫び声を合図にかけっこがはじまった。
ぐんぐん近づいてくる背中。短距離走に関していえば、高校男子の彼よりもまだわたしのほうが速い。
横にならんでやる、なんて彼は言っていたが。はたしていつになるのやら。
彼の速度にあわせて足を緩めてやるほど甘い性分ではないが───まあ、大丈夫だろう。
なにせ、はじめ君は、はじめ君なんだし。




