なっとくいきません
◇
「……まあ、なんでもできるなんてのは勘違いだから安心してくれ。中学生の頃なんかは、いわゆる落ちこぼれだったし」
「?」
彼女には俺ができるやつに見えてるのかもしれないが、それはまったくの誤解である。
勉強でいえばいまよりもっと順位は低かったし、陸上に関していうなら、まごうことなき落第生というやつだった。
「落ちこぼれ、って……せんぱいがですか?」
「すごいびっくりしてるな───そりゃまあ、いまでこそ頑張ってはいるけど、もとからできましたってタイプじゃないよ」
「それはなんとなく予想がつきますけど……ほんとうに?」
信じがたし、と真剣にはてなをうかべる長船の顔をみて、つい苦笑してしまう。
あまり楽しい話でもないが……かいつまんで説明するくらいならいいだろう。
「中学生───とくに一年から二年の間は、ずっと怪我してた。治っては怪我して、治っては怪我して、ってくりかえし。成長期ってのもあったんだろうな。でも、そんな言い訳でやっていけるほどうちの学校は甘くなくて」
顧問の先生はあまり寛容な性格ではなく、伸ばすべき才能を伸ばすタイプ。特定の選手を贔屓するなんてことはなかったが、練習についていけないものは放っておかれた。
怪我がつづいた俺はあっというまに置いてきぼり。チームで孤立していたというわけではないが、練習はいつもグラウンドの隅でひとり補強トレーニングをやらされていた。
腹筋、背筋、腕立て。
味気のない練習内容、隔離された状況。着替えてマットをグラウンドにひいて、練習がおわるまで腹筋、背筋、腕立て、くりかえしくりかえし。
地獄のようだ、とはおもわなかったけど、やる意味があるのか、と投げやりな気持ちにはなっていた。誰に見られているわけでもない。続けたところで速くなれるという保証もない。
どうして部活を辞めなかったのか、と訊かれれば、なんとなく悔しかったからという他ない。確固たる意志があって続けていたわけじゃなかった。もう数か月もあれば、きれいさっぱり諦めていたかもしれない。
そんな荒んだ心を変えたきっかけは、ある日の練習終わりのミーティングだった。
「“あしたの結果にばかり躍起になるんじゃなく、いま積み重ねている努力に目を向けろ” ってのが顧問の言葉でさ。俺はあんまり先生の目には入らなかったし、こっちの心象も良くはなかったけど。その言葉は大切にしようっておもった」
レースで結果を残せない、どころかレースにすら出られない日々だったけど、少しだけ気持ちが軽くなった。というより、日々の練習が大変になった。
この筋トレはどこを鍛えているのか。
走るときの何につながっているのか。
しんどくなったとき、正しい動きを保てているのか。
ひとつひとつに目を向けてみれば、俺はぜんぜんだったことに気がついた。甘えたり、ぐらついたり、そもそも間違っていたり。
努力自体が大変になって、楽しくなった。そうなれば、自然と結果もついてくる。
「三年の最後になってようやくそれなりの結果が出せるようになって。まあ、ちょっとは浮かれちゃったかな。俺は努力ができる人間なんだーって。で、高校に入ってみれば、やつがいたと」
諦めずに続けたという自信とそれなりの実績を身につけ、さあ高校だとあがってみれば、同じ部活には早乙女がいた。
上には上がいるもんだ、と挫折に似た経験をしたのが二度目の話。
おもえば、それからずいぶんと慎み深くなったような気がする。
「……なるほど。先輩の卑屈さはそこから来ていたんですね」
「“卑屈” ってか、“慎重になった” の方がしっくりくるとおもうけど」
それに関しては悪いことだとおもっていない。
あのままいけば俺は、傲慢大魔王とはいかないものの、多少は天狗になっていただろう。努力が自分の専売特許のように感じて、少なからず他人を見下すような人間になっていたかもしれない。
努力をつづけられるのは俺だけじゃないし、陸上競技の努力ができなくても勉強の努力ができるやつはいる。ほかの誰かを傷つけるまえに、それに気付けてよかった。
「まあ、終わりよければすべてよし……や、終わってないけど、とにかくいまの自分はそこそこマシにはなったとおもうから、それでいいんだよ」
まだまだ足りない部分こそあれ、それは追々つめていけばいい話。彼女の言葉を借りるとすれば、いまの自分は及第点はとれているだろうとおもう。
だが、彼女はそうはおもわなかったらしい。
「───なっとくいきません」
すぅ、と息を吸いこんで、よし、となにかを決意したような声。
長船は真剣な顔をして、ちょいちょい、と俺を手招きし、その場でかがむようにジェスチャーをした。
「え、なに」
「言語道断です、ハリーアップ」
「使い方あってんのか、そ、れ───」
言い終わる間もなく、ぽん、と頭のうえに手をおかれた。
───え、と。理解する間もなく、つぎの言葉が降ってくる。
「まし、だなんて納得いきませんでした。先輩は、先輩のつづけてきたことは、
たくさんすごいと言われるのにじゅうぶんなものです。ですが先輩は鬼畜なので、鬼畜な先輩のかわりに、私がたくさん褒めてあげましょう」
といって、ゆっくり撫でられはじめる。
俺なんかよりずっと、ずっと小さな手のひらから、温かな体温が感じられて……こう、変な感情になってしまう。
誰かに褒められることが多かったかと訊かれれば、
そういえば、そう多くはなかったかもしれない。
「…………あの」
「なんかこれ、いいですね。先輩のつむじを見おろしながらしゃべってると、教会のシスターになったみたいです」
「だれも懺悔してるつもりはないんだけど」
…………つづかなかったものか。
なにがとはいわない。いわない、が、これこそチャンスタイムというやつだっ───いや、いい。いわないし、いう必要のないことだ、これは。
足元に屈んだまま、なでられつづける。情緒がぎりぎりのところで踏みとどまってくれおかげで、いまの俺にはほんの少しの余裕がある。
そのままの姿勢で、つづく彼女の言葉に耳をかたむけた。
「おほん、ではお告げします」
「……いいよ、どうぞ」
「先輩はすごい人でした」
「死んだみたいだな」
「足が速くなるために毎日がんばっていますし、勉強もよくできます」
「何歳だとおもわれてるんだ、小学生でもつうじねえぞ、その褒め方」
「うちでの仕事もおぼえがいいですし、たいへんスマートでした」
「……ありがとう。でもあれは日生さんの教え方のおかげかな、すごくわかりやすかったし」
「先輩はクズです」
「ひどい変わり身だな」
なでていた手が、あいあんくろーにかわった。手が小さいせいか、あんまし痛くない。
……あれか、他の女性の名前を出した俺に非があるのか、この場合は。
想定外な事態のせいか、いっしゅん、どこにいるのかを忘れていた。
鬼気迫る長船からもみもみと頭皮マッサージを受けていると、
「おふたりさ~ん」
うしろから、女性の声がかかった。
「お客さんがいないからって、あまりいちゃいちゃしすぎないよーに、ね」
「……すみません」
ふりむく。扉の前でパンのはいったトレイを手に、顔を背けながら立っている日生さんがいた。
……よくみれば、ぷるぷると全身がふるえている。いつからそこにいたんだろうか。
「───いい、切り替えよう。……おい、おまえも固まってないで───」
「いちゃいちゃ……」
「あ、日生さん。それ俺が持っていきます」
もう一人は隣でなにかを噛みしめているみたいだ。たぶんしばらく帰ってこない。
俺は日生さんからトレイをあずかり、二人に背中を向けた。
ちょっといまは顔を直視する勇気がない。とんだ醜態を、というかお店に働きにきてなにをしてるんだ、という申し訳なさみたいなものもある。いや、ほんとに。
───気をしっかり……じゃない、気を引き締めよう。
(……まあ、でも)
はあ、とこっそりため息をつく。
恩を返しにきたはずが…………、なんだかなあ。




