もう歩けません、抱っこしてください
二年ぶりの更新ですって、奥さん
あらまぁ、刑務所にでも入れられてたのかしらねぇ
“夏は、夜───”
といえば、言わずと知れた古典文学、『枕草子』の一節だ。
平安時代は清少納言によってつづられた長編エッセイ。
“春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは” からつづく春夏秋冬の段については、聞き馴染みのある人もおおいのではないだろうか。
その一節、夏の項ではざっくり『夏といえばやっぱ夜でしょ』、『月がでてるときがベスト。暗くてもホタルが飛んでるの、イイよね』、『雨とか降ってみても良いかんじ』といった内容が書かれている。
たしか、作品自体はいまから約千年前に書かれたものだったはず。つまりは千年も昔の人間の感性ということになるわけだが。
「……まさに、ってかんじだな」
だれにも聞こえないくらいの声で、俺はしみじみと息をついた。
夏も盛りとはいえ、この時間になればさすがにあたりも暗くなってくる。夕陽はすっかり山のむこう、日中はあれだけ明るく騒がしかった山々もいまではすっかり静まっている。川沿いという場所もあいまってか、気温もずいぶん過ごしやすいものになった。
自分はとくべつ情緒的な人間ではないとおもっているが、明るさか、気温の差がそうさせるのだろう。活発だったものがゆるやかに眠りについていくようなイメージがして、どこかさみしい気持ちになる。
むかしから、暗くなった夜に出歩くのが好きだった。よく父親にせがんでは、肩に乗せてもらって夕べの街を散策した。
今ではたまに自主練としてジョギングに行くくらいだが、やっぱり夜道を走るのは不思議な高揚がある。
今夜にかぎっては、もう少し特別なせいかもしれないが。
「にしたって、よくもまあこれだけ集まるもんだよなあ」
欄干にもたれ、橋のしたを見やる。
ふだんであれば、ご近所さんたちの散歩もしくはジョギングコース、ぽつりぽつりと人がいるだけで平和なはずの河川敷には、いまやずらりと屋台がならべられている。
行きかう人々の話し声。ところどころに設置されたスピーカーからながれる祭り囃子の音頭。月とホタルの光のかわりに、提灯の灯りが夜の川沿いを埋めつくしていた。
俗にいう、夏祭りというやつである。
“……おまたせ~……”
“……おい、はやくいこうぜ……”
“……わたし、あれ食べたいんだよね……”
わらわらと集う浴衣の群れで橋の上はにぎわっていた。
市街に通じているということもあって、ここはうってつけの待ち合わせスポットだ。近隣の都市からきた客も多いのだろう、学生や年頃の男女でにぎわっている。
その人垣の向こうから、見慣れた少女が歩いてくるのがみえた。
「…………」
うつむきがちに歩く姿はじつに絵になる。遠目だとおとなしそうな美少女にしか見えない。だまっていれば、なんて言葉は失礼だとおもうが。
頭をふって雑念を逃がしつつ、気取られないように手をあげる。あちらもこちらに気づいたみたいだ。
「───こんばんは、先輩。ちょっとおそくなりまし、た……」
とことこ、と長船カナは俺の手前まで来て立ち止まり、言葉をなくした。じろじろと、頭のてっぺんから足の先まで見渡して、ぽつりとこぼす。
「せんぱいが……ゆたか……」
「だれが豊穣の化身だ」
本日二度目のため息がでた。
なんらかのリアクションはあるだろうと予想していたものの、讃美とは。デメテルやイシスと並ぶにはちょっと格が足りない気がする。
「だ、だって! そんなカッコでくるなんておもわないじゃないですかっ! なんですか、いつも私にしてやられて屈辱だから、ついに攻めにまわろうってことですか!」
「注文をつけたのはそっちだろ。なにに対してキレてるんだよ」
「なににって……いえその、本当に着てくるなんておもわなかったというか、不意打ちだったというか、先輩のおしゃれは見慣れてないぶん威力が、って───はっ! そうです! こんなところで色香をバラまくなんて、大犯罪っ! セクハラです!」
「公序良俗罪か。まじか」
俺の恰好は罪に問われるほど壊滅的だったらしい。そこまで言われると省みた方がいいような、わるいような。
まあ俺のことはいいか、と思考を切った。目の前の少女に集中してみる。
彼女も浴衣を着ていた。淡い黒を基調とした衣に金色の向日葵が咲いている。帯も合わせて金色。よく見ると、花びらから顔をだすようにして小さなうさぎたちがこっちを見ていた。興味しんしんっ、といった感じが彼女っぽくて、なんだか微笑ましい。
全体的にひかえめな色合いだが、素直に似合っているなと感じる。学校ではやれ女神様だの天使様だのともてはやされているが、本人はこういう素朴な色のほうが好きなのかもしれない。
自分はどうやら鈍感な人間であるらしいことに最近気づきはじめたが、彼女の浴衣姿に無言を貫くほどおとぼけ野郎なわけではない。
こういうとき、可愛く着飾ってきた彼女になにかしら言葉をかけるべきなんだろうけど。
「先輩も浴衣なんて卑怯です! いえ、おそろい浴衣デートはすごく、それはもうすっごくうれしいですけど、私が霞んじゃうじゃないですか!」
「なんで俺と張り合ってるの? なにに張り合ってるの?」
いつものごとく彼女はエンジン全開。ここでガソリンを注げば勢いあまってクラッシュしかねない。そうなった場合、負債を支払うことになるのはたいてい俺だ。
……まあ、追々ってことにしよう。
「───む。いまピーンときました。このまま粘ってればいいことが起きるって」
「……俺はたまに、おまえに早乙女みを感じるよ」
「ちょ、これからデートってときにほかの女の子の名前ださないでくれます!?」
ぽーっと長船は沸騰した。仲良くなったあとでもちゃんと一線はあるらしい。
「あーあ、傷つきました。もう歩けません。抱っこしてください。お姫様のほうで」
「え、全然置いていくけど」
「そうきましたか、しょうがないですね。特別におんぶでも可とします」
「いっさい譲歩しないというおまえの姿勢を見習いたいよ」
いったい、どんなふうに日常生活を送っているのだろう。いい加減、進む以外の選択肢を手にしてほしいところだ。
「───」
一瞬の葛藤の時間。変わらず熱のこもった視線(めらめら燃え滾るほうの)を送ってくる長船。
───あえて、進んでみるか、の気持ち。
「じゃあ、手とか」
「…………ほ」
彼女は変な音を出して、固まった。
差しだした右手は、なにもつかむことなく。
「……いきますか」
踵をかえし、提灯が吊るされた方へと足をむける。
硬直がとけたのか、一拍遅れてうしろから焦ったような声が追いかけてきた。
このように、俺と彼女のいわゆるお祭りデートは、ぐだぐだなスタートを切った。




