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パン屋の店員さんに告白された話  作者: 衣見 ヒビキ
8. パン屋の店員さんについて恋愛相談する話
17/26

僕らとたいして変わらないよ

※本話は過去に投稿したものを修正・分割・再投稿したものです



「たぶん、僕がはじめを褒めたって素直に受け取らないだろうし。批難しても、はじめはそれを全部受け入れちゃうとおもう。そもそも僕自身、だれかにケチをつけられるような大層な人間じゃないからね。だから、僕に言えることは少ないんだけど」


 そう前置きしてハルは一度目線をさげた。ふぅ、と浅く息をついてこちらを見据える。友人といえど、軽んじることのできない迫力があった。

 もちろん、こちらも軽んじるつもりなんてない。ここまで真摯(しんし)に付きあってくれた友の助言に真剣な態度で応じる。


「はじめは、その人のことが大切?」


 ストレートな問いだ。けど、それには臆せず返せる。


「大切だ。少なくとも、大切にしたいとおもってる」

「それじゃあ、なにが大切?」


 これには、返答に困った。


 ハルの言葉は『彼女の気持ちに応えようともしないで』という皮肉ではない。

 なにが大切か。なにを大切にしたいのか。彼女のことを、とか抽象的なことじゃなく、もっと具体的なことを訊かれている。

 訊かれて、考える。俺はあいつの何を大切にしたいのか。


「彼女の気持ち? 彼女の心? それとも、体裁? 時間、労力、初恋……まあ、考えたらいろいろあるよね。それらを合わせて彼女の全部、なんて言葉にするのは簡単だけど。僕には」


 うん、とうなずいてハルは言葉をつづける。


「僕には、はじめの頭の中の彼女を大切にしている気がする」


 ……(しび)れるような、痛み。

 目の奥にある神経の一本を、爪で強くつままれたような感覚をおぼえる。


「その話、たぶん彼女にはしてないよね」

「……」

「頭の中で彼女の気持ちや言動を想像して、“こうだったら悪いよな”“こうなったら申し訳ないよな”なんてことばかり考えてるんじゃないかな。現実の、本当の長船さんの気持ちを確かめることもせずに」

「それ、は」


 言葉が、うまくでない。

 走ったあとの酸欠みたいに頭のなかがまっしろだ。動揺のせいか、言葉のひとつひとつを理解するのに時間がかかる。答えるための言葉を用意するにも時間がかかる。

 まるで泥のなかに放られた魚のよう。頭も舌も()()()()ばかりで、機能を失くしたのろまになったみたいだ。


 そんな俺にとどめを刺すように。

 たしなめるように、どこかさびしそうに、ハルはまっすぐ目を見てこういった。


「ちゃんと見てあげないと、ダメだよ」


 その言葉はなにより、重たく響いた。


 外面(そとづら)ではなく、内面(うちがわ)を。偏見とかうわさじゃなく、その人となりを。他人が他人であることを理解しながら、正しく向き合い、見定めること。

 それは、俺にとって大切なことじゃなかったか。大切にしたいとおもっていたことじゃなかったか。


 いつのまにか、忘れていた。彼女との距離が近くなるたびに、心の中でその存在が大きくなっていくたびに。自分の感情や思考で手一杯になって、それを整理することにかかりきりになって。

 (おご)りも偏見もなく、ひとに真摯でありたいという俺の信条は。遠ざかり、かすんで、次第に見えなくなっていた。


(おれは)


 自分が足りないという自覚を、他人に劣るという卑屈さを盾にして。


(じぶんを、大切にしたのかな)


 いつのまにか、部屋には日が差しこんでいた。

 窓越しに明るくなった空の色がみえる。照らされたテーブルのうえ、コップの氷はすでに溶けきっている。閉め切ったはずの窓のそと、エアコンの駆動する音にまじってじりじりと、やけにセミの声がおおきく聞こえる。


 たったいま、このうえなく打ちのめされたはずなのに。見えるもの、聞こえるものすべてがやけに明瞭(クリア)だ。


「けつろん」


 指を一本たてて、ハルは宣言した。


「こっち側で勝手に終わらせずに、せめてちゃんと話をするべきだとおもいます。彼女(あっち)側がはじめたことなのに、彼女抜きで終わらせてしまうなんてよくないです」


 ようするに“ちゃんと関われ”ということらしい。

 頭の中で一人遊びばっかりしてないで、彼女を巻きこめと。


「それに、彼女のこと好きなんでしょう?」

「……いや、まだ好きってわけじゃ」

()()、なんでしょう?」


 念を押すみたいに。いつもよりハルの圧がつよい気がする。たぶん、怒ってる。


「彼女の一部を好きになっただけでまだわからないっていうなら、なおさら向き合うべきだよ。じゃないと後悔するとか、失敗するとか以前に、失礼だから」


 礼を失している。彼女に対しても。自分に対しても。


「それと、そろそろ友人にも春が来てほしい、っていう僕の私情も入るんだけど」


 言って、ようやくハルは肩の力をぬくように微笑んだ。


 彼は彼で、いろいろと思うところがあったのか。他人(ひと)の恋バナなんて、ただ聞く分にはなんの気苦労もないが、それが相談となると多少聞く姿勢もかわってくる。

 もしかすると、張り詰めていたのを見せないようにしてくれていたのかもしれない。


「……なんか俺って、まだまだガキのまんまだな」

「その自覚がある分、大人だとおもうけど。それにもし僕と比較して言ってくれてるなら、ありがたいけど、過大評価だからね。僕だってよく失敗するし」


 照れくさそうに笑う。彼の人となりがにじむような、うすく柔らかな笑みだ。


「他人に自分を正直に差しだすのって怖いけど、相手はまったく意思の通じないエイリアンじゃないんだし。“女心は難しい”って言っても、けっきょくおんなじ人間なんだから。根っこは僕らとたいして変わらないよ」


 少しだけ、視ている方向と視座がちがうだけで。

 ……そのセリフが出てくる時点で、じゅうぶん先を歩いている気もするが。


 はぁ、と力なく床にたおれた。なぜか、テーブルをはさんだ向かいでも倒れ込む音がした。

 あれこれ話したものの、長船(かのじょ)への不満とか不安はいっさい話題にのぼらなかった気がする。結局のところ、恋煩いなんて病気にはかかっておらず、ただ卑屈な自分に酔っていただけなのかもしれない。


(おれって、つくづく……)


 自虐も反省も、()むことはないが。ともかく止まっているのはなしにしよう。

 人に相談したのだから、少しでもその時間に報いる努力はせねばなるまい。結果を求めるのは性に合わないが、だれかのためという言葉をほんの少しだけ、いまは自分のために使わせていただこう。


「長船さんのこと」


 ぼうっ天井を眺めていると、ふいにハルがつぶやいた。


「僕にもそのうち紹介してよね」

「……ご縁があれば」


 数秒の沈黙のあと、どちらからともなくぷっと噴き出した。

 なぜかとまらない笑いにふたりで身体をふるわせていると、下の階からどしどしと重たい足音が聞こえてくる。


 そういえば、なんて数十分前までを思い出していると、ばん、といきおいよく扉がひらかれた。


「あっっっつ!! 」


 まじ真夏の外はバイオレンス、白い渚でアンビバレンス~♪ などと顔中に汗をくっつけ陽気な鼻歌とともに部屋にはいってきたリョウタは、床にころがるふたつの死体をみて静止した。


「……おまえら、なにしてんの?」

「あー……ちょっと腹筋を、少々」


 意味わかんね、とレジ袋をテーブルにおく。がしゃり、と氷の音がした。


「ほい、ハルにはピノ~。ハジメにはCorn(コーン) Potage(ポタージュ)(良い発音)」

「ありがと」

「さんきゅ」


 素直に受けとる俺たちにリョウタはいぶかしげな視線を向けたが、べつに気にする必要もないと考えたのか、すぐにゲーム機を手にテレビへ向き直った。


「っしゃ、じゃあ再開といこうぜ! いやもう完璧なプラン整えたわ。次こそ逃げ切りまちがいなし!」

「……帰って早々それか。元気なこって」

「りょうた、そのまえに汗ふけば?」


 お? そうだな、などといって服を脱いだ。汗をふきながら部屋の入口につまれたシャツを一枚つまんで、いそいそと着がえだす。忙しないやつだ。

 うちわで風をおくりながら、おもったことを口にした。


「おまえ、悩みとかなさそうだよな」

「おう! なんたって心にいつも推しをいだいているからな!」


 にかっとキメ顔をよこしてくる。そういうやつですよね君は、なんてため息がでた。

 案外、考えなくても世界はいいように回るのかもしれない。


 なんだか急に体を支えるのが面倒になった。テーブルに頭を横たえると、袋からはみだした氷が目に入る。水滴を指ではじくと、ちょうど窓の向こうで風鈴がちりん、と鳴った。



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