こいわずらい
※本話は過去に投稿したものを修正・分割・再投稿したものです
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恋煩い、という言葉がある。
ある人を思い慕うあまり病気のようになること。その人のことばかり考えてしまい、思い悩んで心身に不調をきたすこと、という意味だ。
初めて聞いたときは、そんなおおげさな、なんて呆れた記憶がある。病気やウイルスじゃあるまいし、と。十六の歳になってそれに似た悩みをもつことになるなんて、当時は思いもしなかった。
これが大人になったということなのか。それとも昔の俺が子どもだったのか。こういうのをひとは黒歴史と呼ぶんだろうか。
(……まあ、じっさいそんな大げさなもんじゃないだろうけど)
百歩ゆずって。俺が長船カナに、部分的に惚れているということにしよう。
それでも、さすがに彼女のことを想って夜も眠れない……なんてことは、ない。
部活のときは部活に、宿題をするときは公式や語句に、友だちと集まって遊ぶときは目前の遊戯に熱中し、彼女のことは頭のすみに追いやられている。折にふれておもいだしたりはするが、それもあくまで友人とか親しい人物の範疇。恋心と呼ぶにはほど遠い。
問題は、そのおもいだすたびに少し、トゲを飲まされたような気もちになるというだけで。
「──────って、感じ」
「……ふむふむ……へえぇ……ほぉぉん……なかなかおもし、大変なことが起きてるみたいだねぇ」
これまでの経緯、馴れ初めから近況までを簡潔につたえた。
若干の脚色はあるが、それもご愛敬。あれの言動を正確に伝えるというのは、気恥ずかしさ以前に不可能だ。
一方、こちらの話を聞くハルはとてもご機嫌な様子だった。
宝くじでも当たったのかというくらいのにっこにこ顔、なにがそんなに嬉しいのか相槌の声はやたらにうわついている。
『友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする』なんて詩人の言葉もある。友人の喜ぶ表情というのは何物にも代えがたいものだ。見ていて、おもわずこちらも手がでちゃいそうになる。
「いやいや……いやあ……ほんとに、ねぇ」
「うぜえ」
「あはは、ごめんごめん。でもそれくらい衝撃的な内容だったからさ」
静かな苛立ちをこめてつぶやくと、ようやくハルは笑顔をひっこめた。いくぶん余韻を引きずってはいたが。
「そっかぁ、僕の知らないところでそんな進展があったなんて。びっくりした。やっぱりクラスがちがうと情報ってはいってこないんだなぁ……あ、ちなみにこの話、リョウタには───」
「した。したところ、言葉の通じないケダモノと化した」
「うーん……そっかぁ……」
にやけ笑いが苦笑にかわって、遠くを見るような目になってハルはコップに口をつけた。
けっして悪いやつではないが、恋愛に関していうとリョウタは一年生の頃もリョウタだった。たぶん、光景が目に浮かんだのだとおもう。俺も深掘りしたい内容ではないため、流すことにした。
「それで、はじめの相談って? 好きになってくれた子を好きになって、ハッピーハッピーって話じゃないの?」
「そんな単純なヤツに見えるか? 俺が」
「見えないけど、告白を手伝えっていう性分でもないでしょう? はじめは」
適当な切り返しに口をつぐんだ。さすが、よく人をみているというか。
「んー、そうだな」
つぶやいて、少し視線をそらす。
相談、というと大仰に聞こえるが、気分としては愚痴とかただの雑談にちかい。勢いではじめたものの、しょうじき何を話せばいいかまだ固まっていなかった。
なにを相談すればいいのか。あいつとの関係をどうしたいのか。そもそも、恋愛相談ってなにをしゃべるものなんだろうか。
頭の中でちらばった言葉をひとつひとつ整理するように、ゆっくりと口をひらいた。
「───ここ数か月、あいつと一緒にいて、遠目からじゃわからない長所とか魅力とかに触れた気がする。自分の感情にまっすぐで、いつも一生懸命で、意外とまじめで、型にはまらない天真爛漫なヤツだけど、だれかのために苦労を惜しまないやさしさもあって。そういうところがひとを惹きつける要因なんだろうなっておもう。容姿とか、そういうのもふくめて」
「はじめがそこまで女の子をほめるなんて、めずらしいね」
「本当のことだしな。まわりが想像する清楚でお淑やかな天使様、ってのとはまた違った一面ばかりだけど、魅力であることには変わりない。……ほんとに、俺にはもったいないくらいいいやつだとおもう」
「……それで?」
それで。それで、なんだろう。
沈めていた感情と思考をゆっくり紐解いていく。
一緒にいて。気づいて。惹かれて。一直線に、彼女なりのやり方で好意を伝えてくれる長船にたいして、俺が求めていることは───、
「はなれたい、のかも、しれない」
沈黙する。
なんとなく気まずくなって、視線はさ迷うように床へと向かう。
「好きだなんて言われるの初めてだったから。素直にうれしいよ。“幸せになってほしい”って、情みたいなものも湧いた。───けど“幸せにしてやりたい”とまではおもえない。おもえるほど、自信はない」
つらつらと言葉をならべるうちに、妙に納得したような気持ちになった。腑におちたというか。もやの正体がわかって安心した気持ち。
言葉とは裏腹に、話す声音も落ち着いている。
「嫌いになったってわけじゃないし、あいつなりの愛情表現? にも慣れたというか、むしろそうまで慕ってもらえるのはありがたいとおもう。できるなら、俺も返してやりたいとおもうし」
好きか嫌いかでいったら、好きだけど。
「やっぱり俺に、そんな甲斐性はないよ」
彼女をずっと、笑顔にできるような、慕ってもらえる自分でいれるような、自信がない。
がっかりされるかもしれない。俺を見てくれる時間がまったくの無駄で、いずれなにかを失うことにつながるかもしれない。
失望されたり、嫌われたりするのはまだいい。ただ、ずっと無駄な時間を使わせてしまっているようで、申し訳ない。
「まわりに目を向ければ素敵な出会いなんていくつも転がってて、その中でもあいつならもっと良い男をつかまえるポテンシャルがあって。だから、俺じゃなくていいんだ。あいつはほんとうに、色眼鏡なしに善いやつだから。ちゃんと幸せになってほしいんだよ」
すっと部屋に影がおちた。入道雲が日光をさえぎったらしい。
重たくなった部屋の空気に、いろいろと間違ったことに気づいた。
これでは本当に、相談にかこつけてただ自分の愚痴をきいてもらっただけみたいだ。そもそも自分でケリをつけるべき問題を他人に相談しようとした時点で、他人に頼ろうとした時点で、俺は間違っていたのかもしれない。
「ごめん、忘れてくれ。遊びの場でこんな話を持ち出すほうがおかしかったな」
軽い口調で手をふって話題の転換をうながす。いろいろ語ったうえで“やっぱ今のナシ”なんて恥ずかしい話だが、上塗りするよりマシだろう。
恋煩い、だなんておおげさな話。思い上がりもはなはだしい。
俺がこういう人間であることは、はじめからわかっていたはなし。
思いわずらうもなにも、とっくに答えはわかっていたろうに。
さっぱりとした態度で話を締める俺を、ハルはだまって見つめていた。
やや眉根をよせて唇をむすんだ表情からは、怒っているのか悲しんでいるのか判別がつけられない。ただじっと何かを訴えるような目がいやで、申し訳なくて、和ませようと口をひらいた。
「そんな気にするような話でもないんだ。あいつとの関係にはいずれ決着をつけるとして、いますぐに俺が引いたところで向こうは変わらず突貫してくるだろうし。ただ、こっち側の考えとかスタンスがかたまったってだけでも、話せてよかったって───」
「はじめはさ」
遮って、ハルが口をはさむ。
そのまま続けようとして、なぜか、諦めたように笑って首をふった。
「僕も、ひとつだけ言いたいことを言うね」