ほかのひとに浮気したりしちゃ、ダメですからね
◇
「長船様ファンクラブNo.3、通称オサファン四天王の一角を担うこの私の前で」
早乙女サキはクールな顔つきでそう告げた。南極もかくやという寒さだ。どうクールかと言われると具体的な形容は伏せるが、まあ夏の怪談的にクールな感じだとおもってほしい。
おもわず息をのむ。体のふるえを片手でおさえながら、一歩、二歩と後ずさる。
言わずもがな、俺はひどく戦慄していた。
「……うそだろ…………実在してたのかよ」
「喧嘩うってるのか君は」
友人から聞かされていた件のファンクラブ。『またおおげさな……』なんて冗談半分に聞きながし、空想の宗教団体かなんかだとタカをくくっていたのだが……まさかほんとうに存在していただけでなく、個人的にかなり信を置いていた人物にまで波及していたとは。
「……」
「? 長船?」
一方、それをきいた長船カナは難解な表情をしてだまりこくっている。
……無理もない。いちおうの知識がある俺ですら、ちょっと受けつけない感じのセリフだ。彼女の受けたショックは察するに余りある。
それでもなんとか立て直したのか。どこか気の抜けたような様子で、
「そっちか……よかったぁ」
なんてつぶやいた。ここによいものなんてひとつもない。
「────ああ、すまない。急調な事態にすこし取り乱していたみたいだ。もう落ち着いたから大丈夫、安心してくれ」
「無理なんだけど」
うつろな目をしてうつむきがちにつぶやく早乙女。どう見ても大丈夫じゃない感じだ。
“ぜったいに関わりたくない”と“このまま放っておくとやばい”を心が反復横跳びしている。
「とりあえず事情を整理しよう。長船様はこのモブと親しくされているということで……?」
「モ……」
「親しく、といいますか、それ以上といいますか」
「まてまてまて」
少し考えるような素振りでかえした長船。この状況でなぜつっこんでいけるのか理解に苦しむ。
あれかな、イノシシだから曲がれないのかな(※:イノシシは曲がれます)。せめて止まってくれ。
「それとあの、その呼び方はやめてもらっていいですか。私、後輩ですし……できればもっとフランクに呼んでいただけた方が」
「───ああ、すまない。……その気持ちは、わたしもわかっていたはずなのにな」
ちょっと困ったような顔をする長船。
早乙女は一瞬、虚をつかれたような顔をし、それからどこか自嘲めいた笑みをうかべた。
“奥山北のプリンス”などと呼ばれる彼女にしても思い当たるふしがあったのだろう。すっと落ち着きを取りもどし、すまない、と律儀に頭をさげる。
「じゃあ長船さん……いや、カナさんって呼んでもいいかな」
「……まだ少し違和感がありますけど、それでお願いします」
「ありがとう、ではそう呼ばせてもらうよ。──それじゃあカナさん、せっかくだし、連絡先を交換してもらえないだろうか。あと念のため、いっしょに写真を撮ってもらえたりするとうれしい。これはついでだけど、私を身の回りのお世話係に任命する気はないかい?」
「距離のつめ方下手いなこいつ」
「ありがとうございます。ご好意はうれしいのですが、先輩みたいなかっこいい女性にお世話されるなんて私も困ってしまいますよ」
「───っとぉ、緊急事態だ」
「どういう反応だよそれ」
両目を閉じ、天をあおぐ早乙女。なにかを悟ったような、おだやかな顔をしているところが腹立つ。もう部長としての威厳も原型もねえわ。
一方、長船は学校での優等生モードに切り替わっている。
目の前におなじ学校の人間がいるのだから当たり前なのだろう。それも一学年うえの有名な先輩(と聞かされていた人物)である。普段どおりの……いや、それ以上に気をつかっていてもおかしくない。
(……ただでさえ、応援でつかれてるだろうに)
脳裏に浮かんだのは、先ほどまでの元気のない長船の姿。
ここは早めに自由にしてあげた方がいいのかもしれない。
「カ───長船、おまえさきに戻ってていいぞ。この調子だといつもより面倒そうだし、早乙女の戯言に付きあってやる必要は」
「は? もどりませんけど」
「えぇ……なんでキレてんの……」
つつましやかな優等生から一転、一瞬でキレッキレになった。
目がマジ怒りだ。またなんか地雷踏んだか、俺。
「……ふたりはずいぶんと親密なご様子だね。これはあくまで参考程度に聞いておきたいのだけど、ふたりの馴れ初めと関係性はどういった感じかな?」
「参考程度にとどまらない気迫と視線を感じるが。……俺がよく行く近所のパン屋で働いてたんだよ。そっから……あーなんというか、何度も行ってるうちに親しくなった、みたいな……」
「は? うらやましすぎるんだが」
「いやこわい、かお近づけんな」
早乙女の顔が縮地してくる。距離がミリだ。血走った目とひくついた笑みが眼前に迫る様子を想像してほしい。心中はギャン泣きである。
「ほら離れろ。だいたい親しいからって良いことばかりってわけでも……」
肩をつかんで引き離す。それから説得を試みようと口をひらいたが……ひだりからきゅっと引っ張られる感じがして、言葉が中断された。
そちらを振り返る。長船がびみょーな顔をしてそっぽを向いている。
もう知りません、みたいな感じで。どこか子供っぽく。
しかし、視線はすばやく俺と早乙女のかおを行き来している。体はあちらを向いているのに、右手はがっしりとこちらの袖をつかんでいる。
……いや。そういうのじゃないだろ、どう見ても。
「たまらないな……」
「なにが」
なにが。
正面ではいまにも天に召されそうな同期の女の子がひとり。真横に袖をつかんでヘンにいじけている後輩の女の子がひとり。
両手に花というより、ダイナマイトを持たされたという表現がしっくりくる。
「……工作員にでもなったみたいだ」
「む。なにがだい」
「いい、流してくれ。にしてもおまえがそこまでこいつに入れ込んでるとは、すごく意外だった。アイドルとかそういうの、ハマったりしないやつだとばかり」
「ちょっとはじめ君、アイドルなどといっしょにしないでくれ。彼女は天使だ、人じゃない」
「人だよ」
「ちょっと先輩、だれがこいつですか。妻に訂正してください」
「妻じゃねえよ」
二方向から飛来するボケを打ち返していく。長船が二人にふえたみたいだ。いや、早乙女がふたりに増えたのか。どちらにせよ、めんどくさいことには変わりない。
厄介なのはどちらもボケだとおもってないこと。二人とも“納得いかない”みたいな顔しやがっていらっしゃる。いちばん労力に見合ってないの、俺だからね?
「言っておくけどな、私は入学式の日から彼女のファンなんだぞ。私服に着替えたラグビー部の駒井先輩を体育教師とみまちがえ、『おはようございますっ!』と礼儀正しくあいさつする彼女の姿をみたときからな!」
「っ…………」
「あ、やめたげて。けっこうダメージはいったみたい」
早乙女のカミングアウトを食らい、長船から蒸気があがった。こちらの肘のあたりをつかみながら、ぷるぷる、ぷるぷるしている。こんにゃくゼリー再誕だ。
まあ運動部の三年生とかガタイがいいから無理もない。服とかちがうと見間違えちゃうよな。そういう部活にはいってないとなおさら。……あと元気だし。
遠い目をしていると、急にぐりん、と早乙女の眼がこちらを向いた。
標的がこちらにうつったらしい。こっちはこっちで怒りの炎をあげている。
「その表情……自分がどれだけ幸福な立ち位置にいるのか、まだ理解できていないらしい。度し難いな。ちょっと手が滑りそうだ」
「ねえ、手がすべる史上もっとも物騒なんだけど」
「それほどの罪ということだ。あのなぁ君、かわよいものを愛でるのは人間の義務だぞ、義務。可愛いものを“かわいい”といってなにがわるい。好きなものを“ああもうっ、すきっ!”といってなにがわるい。いやほんと、ひかえめに言って家にお持ち帰りしたいくらいかわいいなぁ!」
「いつになったらもどってきてくれるの、キミは」
「……ごめんなさい、そういった提案は先輩をとおしてからじゃないとダメなんです」
「おっけーはじめ君、ちょっとツラ貸せ」
「もう勘弁してくれまじで」
げんかいだ。もう、限界です。
怒涛の展開に忘れかけていたけれど、そうだ俺、5000mを走り終わった直後なんだった。この状況でこの状態の早乙女を相手するのはもとから無理な話だったんだ。だから手綱、手放しちゃおうかなーなんて。
あと気のせいかな、なんかしれっと売り飛ばされたような。徐々に慣れてきたのか、なんか長船に余裕がでてきた気がする。不安そうな顔をしつつも、チャンスがきたら嬉々として俺にキラーパスよこしてきやがる。
てかチャンスってなんだ。なんでみんなして俺のこと倒そうとしてんの。
「───えっと、これでどうですか?」
「───恐悦至極」
俺が葛藤している間に、いつのまにか女子二人の間で話がまとまっていたらしい。
ぴこん、と友達追加の着信音がして、長船はなぜかうれしそうな笑みを浮かべて携帯をはなした。早乙女はなんか変な顔をして地に突っ伏している。
……手遅れな感じは否めないが、さすがにちょっと心配だ。
「……おい、よかったのか? あれと交換して。たぶん、あいつ女子高生の皮かぶった変態だぞ?」
「先輩って気をゆるした人には意外と辛辣ですよね……。はなした感じ、わるい人じゃなさそうですし、先輩のお友達だからだいじょうぶです。それに私からもいろいろ聞きたい話とかありましたか───はっ、いまの、もしかしてジェラシーですか!?」
「……」
「はい、わたしのけいたい、どうぞっ! あ、じゃなくて、抱っこしますか!?」
「……」
あたふたと携帯をつきだし、つづいて両腕をひろげて“えいっ”みたいな表情になる長船。
……なんか、気にした俺がバカみたいだ。
「……ん。てかおまえ、時間は? たしか夕方からバイトだったんじゃなかったっけ?」
「──はっ! そうでした、私もう帰らないと!」
長船は左手につけた腕時計を確認してあわあわしだした。
もともとシフトがはいっていたところを、交渉して夕方まで自由にしてもらった……という経緯を先日俺は目にしている。というかその元凶が俺なので、遅れさせるわけにはいかない、みたいな責任感があった。
「公園の入り口に15分ごとに送迎バスがきてるから、いまから行けばちょうど次のに乗れるとおもう。そこまで送るよ」
「いえ、来た時とおなじなので大丈夫です。……それより、先輩の方こそ忙しかったのでは……?」
「……先輩の幅跳び」
「っ! しまった、私としたことがつい夢中に──っ」
首をかしげた長船の言葉に、呆然とする俺と跳ね起きる早乙女。
いろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていた。会話の裏では三年生の引退試合が行われている真っ最中である。
「まずいな、完全に遅刻だ。これはもう予選もおわってるかもしれない……」
「……とりあえずスタンドもどるか。決勝のコールに間に合えば大丈夫なんじゃないか?」
「いや。さみしがり屋なユリ先輩のことだから、だれがいるいないは把握してるはずだ」
「んなターミネーターみたいな……」
「とくに君と私はロックオンされてるぞ」
「……そいつは光栄ですね」
なんにせよ、早く戻るに越したことはないらしい。
あらためてありがとうな、と長船の方をむく俺。またぜひ来てほしい、と柔らかな声で早乙女。
長船はうれしそうにほほえみながらうなずき、ぺこりと小さく頭をさげた。
「それではまた学校で。大会がんばってください、早乙女先輩」
「ぁふ、もう私ここで死んでもいい……」
「ほかの人の迷惑になるからやめてくれ」
地面に崩れ落ちていく早乙女の左手をつかむ。変態といえど外見は乙女、あまりどろどろになるのもよくないだろう。
なんていうこちらの気遣いなどつゆ知らず、早乙女はしあわせそうな顔でみょーんと伸びてる。……こいつ。
「……せんぱい」
「ん?」
一連の行動を見ていた長船が、ちょいちょい、と俺に向けて手招く。
耳を貸してください、との意味らしい。早乙女を支えつつ、頭だけ彼女の方に寄せる。
そうして、彼女は俺の耳元へと口をちかづけ──、
「────ほかの女性に浮気したりしちゃ、ダメですからね」
「……は」
なにかいうより先に、長船の頭突きが胸にささる。
右下から、斜め上に突き刺すように。
ただ、ずつきといっても、ぽすっ、という擬音がでるくらいのやさしいやつ。
固まる俺の手前、彼女は数秒ほどぐりぐり頭を押し付けた。押しつけたあと、耳のあたりを真っ赤にしながら、ばっと離れて駆け去っていった。
…………は?
「…………あい、つ」
「はっ!! いま、なにかすごいものが私の近くで起こった気がする!!」
左側で奇声。
恍惚とした表情でトんでいた早乙女がよみがえった。
「なぁはじめくん、きみ、いまカナ様にすんごいことされなかったか!? そんな気配を感じたんだが!」
「けはい」
……なんだろう。気功術の一種かな。
「おい、はじめ君! どうなんだいはじめ君!」
「……まあとりあえず、スタンドもどろうぜ」
わいわいとさわぐ早乙女に、俺はなんとか、そう返した。背中でなにかぎゃいぎゃいごねる声が聞こえたが、無視して階段をあがりはじめる。
……いやいや。
……いやいやいや。
説明しろといわれたって。むり。
しょうじきいまなにが起きたのかちゃんと把握できてない。
数秒前の記憶が飛んでいるというか。胸のあたりの感触とか、なんかいい匂いしたとか。しょうげきが強すぎてその辺の感覚がマヒしている。思考がぐるぐるしている。もうこれ以上の負荷に身体がたえられそうにないというか。最後の最後にとんでもないのをかましていったなとか。
ただ、ひとつ言いたいことがあるとしたら。
「…………うわきって、なんだよ」
しぼりだした声は、自分でも驚くほどにかすれていた。