夜の闇に飛び込んで
まあ荒れた山の中にひっそり建ってる廃ビルやしさすがに誰もおらんやろ……ふぁっ!? なんであの子ここにいんの怖……ってなります。闇に紛れるジャパニーズ忍者ちゃんです。にんにん!
びゅうびゅうと冷たい風が吹く。周りを見ると綺麗な夜景が夜の闇を照らしている。
「…あの子に、申し訳ない」
こんな俺に、あそこまで言ってくれたのに、結局俺は、死のうとしている。最期に止めてくれた人の思いを裏切ってまで。
随分と綺麗な子だった。将来はきっと美人さんになるんだろう。そして、あの歳にして3人も身内の死を経験している。その悲しみはきっと俺が想像する何十倍も深いのだろう。それほどまでに辛く、悲しみに濡れた時であっても、目の前で死のうとしている俺を止めようとするその善性! まさに聖女……いや、天使と言っていい! だが、俺の覚悟は、あの一歩を踏み出した時に決まったのだ。
「…俺のこと、悲しまないでくれよ」
父さん、母さん、兄さん……そして、陽咲。大丈夫。俺はあの世で元気にやってるよ。ちょっと無能だったから閻魔様に舌を抜かれてくるだけだ。人に迷惑をかけた人間は罰を受ける。法治国家となった日本では当たり前のことだ。
「どこに行くんですか」
「……!」
なぜだ。なぜここにいる。
「…どうしてここにいるんだい? お嬢さん」
ゆっくりと、半ば確信しながら振り返る。夜の闇に溶けるように……先ほど別れたはずの少女がいた。
「尾行する人は嫌いですか? おじさん」
「…ははは。凄いな。全く気付かなかったよ」
私がいるこの朽ちたビルは、ほとんど整備されていない山の中にある。月明りだけを頼りに、よく私を見失わないものだ。
「あと、私はまだ25だよ。君のような若い者にとっては同じかもしれないけどね」
「お兄さんは、どうしても死ぬんですか?」
「…ああ。あの一歩を踏み出した時、覚悟は決まったんだ。残念ながら、死ぬよ」
君にとっては、だけどね。
「そうですか。なら止めません。私の言いたいことはもう伝えましたから。それはあなたの選択です」
「…随分あっさりと引き下がるんだね。さっきの熱弁とは正反対だ」
「ええ。あなたが心変わりすることは、きっともうないでしょうから」
正解だ。誰が何と言おうと、私は死ぬ。
「お兄さん、一人称が変わりましたね?」
「ああ、そうだね。恥ずかしながら、会社で馬車馬のように働いていると、心が荒んでしまってね。気づけば、あんな口調になっていたんだよ。これが素さ」
「…そうですか」
この子は不思議な子だ。たしかに目の前に立っているというのに、まるで霧に溶けるような錯覚を覚える。
「…さて、もう良いかな? そろそろお家に帰ったほうがいい。夜は身体が冷えるからね。足元に気を付けて」
後ろを振り返らずに。
「お兄さんは」
――神様って信じますか?
「……ああ。近所の神社に、たまにお祈りに行く程度ではあるが、信じてはいるよ」
祈りといっても、自分勝手な懺悔と、なぜ私という無能を産み出したのかという恨みつらみしか唱えないがな。罰当たりにもほどがある。
「そうですか。……ありがとうございました。じゃあ、良い来世を」
「……ああ。君のほうこそ、今後の人生がより良いものとなることを願っているよ」
死んだら神に懺悔しに行こう。まあ、会えるかはわからないが。
気配が消えて、視界からも消えた。もう大丈夫だろう。いや、たとえいたとしても、私は気づけない。
私は迷いなく飛び降りた。風を切って進む。冷たい。底は見えない。けど、ごつごつした岩があるのは覚えている。昼間、一度下見に来たから間違いない。
――やけに長いな。
ふと疑問に思った。こうも長い間思考に浸れるほどの高さはなかったはずだ。
――遅い。もっと早く。
イライラする。先ほど短絡的な思考に陥るのは良くないと自戒したばかりだというのに。そんな自分の意思に反してどんどん自分の身体は遅く、周囲の空気が粘り気を帯びて私を空中に絡めとる。
――なんて遅いんだ。これじゃあさっさと死ねないじゃないか。
「じゃあ、良い来世を」
ふと、誰かの声が聞こえた。誰だったか……そうだ。あの子が私に言ったんだ。来世か。来世は私のような弱く愚鈍で無能な人間ではなく、強く正しくあるといい。さらに言えば、美しいとなおよい。この世は所詮外見至上主義だ。
「……来世では、せめて周囲の人に幸福を」
ぐちゃりと音がした。どんどん血が出て、死が近づいてくる。覚悟は決めたはずなのに、恐怖と後悔が湧き出てくる。
……死ぬ。死にたくない。まだ、何も、返せてない。親に、兄妹に、みんなに!
「……っ。…… … …」
赤黒く染まっていく視界に、私を、死に場所まで導いた月が映る。
……ああ、美しい。
それが、私の……「佐藤 偉月」としての最期だった。
今気づいたけど、内容重くね? もっと軽い話にしようと思ったのにどうしてこうなった…。