肩から生えた髪の毛は、きっと間違えて生えちゃったんだと思う #5
放課後——今日も音楽室へ向かう。
ただ、昨日と違うのは、友人二人と一緒だった。
三人でおしゃべりをしながら音楽室に入る。
ついこの間のことなど露ほども気にしていない。というよりも、クララはすでに忘れていた。
いつものようにピアノの前に座り準備を始める。
友人二人は、ピアノの近くの机にどかっと腰を下ろした。
「さてと、今日は何を弾こうかな」
「ねぇねぇ、クララ。ベートーヴェン弾いてよ。ベートーヴェン」
クララのなんとなしに漏らした言葉に、友人Aことモイラが答える。
「私も聴きたい! バッハ!」
友人Bことシェリーもそれに続く。
「お前ら、適当に言ってるだろ! まったく……」
クララはふぅとため息をついて、がさがさと鞄から譜面を探し、適当に一枚引き抜いた。
「えーっと……あった! ……マジか」
出てきたのは、モイラが所望したベートーヴェンの曲。
ピアノソナタ第十四番『幻想曲のソナタ』。
三楽章構成のこの曲はコンクール用ではないが、練習用に譜面ケースに入れていたものだった。
クララ自身も完璧には弾きこなせない、ちょっと難しい曲。
だが「ここで弾かなきゃ女が廃る!」という、訳のわからない自分ルールが発動。顔を顰めながらも、残りの譜面を目の前に広げた。
大きく深呼吸をし、指先に集中する。
まずは、どんよりと曇った本日の天気に妙にはまる第一楽章から。
『できる限り繊細に』。
譜面の指示通り、ゆっくりと丁寧に三連符を弾く。
そして、間を置かず第二楽章へ。シンコペーションを多用した第二楽章は、第一楽章とは打って変わって明るく躍動感あふれるリズムが特徴的。
クララは第一楽章の厳かな雰囲気も嫌いではないが、やはり第二楽章のように、軽快なリズムの方が気分がスッキリして好きだった。
興が乗ってきたのか、自然とテンポも早くなる。
最後は荒々しく感情を爆発させるような第三楽章。難易度が高く、ミスタッチなしで弾けたことは、今まで一度もない。
(集中。集中……)
第三楽章も中盤に差し掛かった頃、音楽室の空気がピンと張り詰めた。
カラカラ……と静かに、入口の扉が開いた。
押し寄せる音符の荒波に食らいつこうと、譜面を凝視し必死に指を動かすクララ。
机の上に座りながら、足をプラプラさせてその音を聴いているモイラとシェリー。
入口からは得体の知れない〝何か〟が、ゆっくりと近づいてくる。
最後の音をポーンと鳴らし、クララはふうと息を吐いた。
モイラとシェリーはパチパチパチと拍手を送る。
「ありがと……っ!」
二人の方を向き、お礼を言おうとした瞬間、クララの視界に〝何か〟が映った。
それはついこの間、自分を追いかけてきたあのお化けだった。
「うわーっ!」
突然のことに、叫びながらガタンと椅子から飛び退いたクララ。
モイラとシェリーも何事かと振り向くと、クララと同じように叫び声を上げた。
「「きゃーっ!」」
二人はクララの後ろに逃げるように隠れた。そして、そのままクララを盾にすると、グイグイと前に押し出してくる。
「えっ! ちょ、ちょっと待って二人とも! なんで押すの⁉︎」
クララは顔だけを後ろに向けて抗議する。
「ほ、ほら、いつもみたいにバシッとやっつけちゃってよ!」
モイラが言う。
「い、いつもってなに⁉︎ いつから私は格闘キャラになったの⁉︎ ちょ、ちょっと、ねぇ‼︎」
「なんかさっきの曲、強そうだったし。きっと大丈夫だよ!」
シェリーが言う。
「いや、曲が強そうって、意味がわからないんだけど‼︎」
クララが叫ぶ。
その瞬間、押し寄せていていた力がふっと弱まった。
「ちょっと、二人とも本当にやめてって!」
クララが振り返ると、二人はなぜかニコッと笑い、風のようにその場を去っていった。
「いやちょっと! どこ行くの——」
気づけば、クララはお化けに背を向けていた。
その肩を、力強く掴まれる。
「こひゅっ!」
恐怖が全身を貫き、感電したかのように動けなくなった。
(ヤバい……死ぬっ!)
お化けは手を離し、クララの正面に回り込むと、じっと顔を見つめてきた。
饐えた土のような臭いが鼻を突く。
恐怖のせいなのか、臭いのせいなのか、涙がポロポロとこぼれ落ちる。
思考が止まり、意識がぷつりと途切れそうになった——その時。
『ねぇねぇ、もう一度、ピアノ弾いてくれない?』
誰かの声が、頭の中で響いた。
「ひょぇっ‼︎」
クララは驚いて、間抜けな声を上げる。
けれど、そのおかげでほんの少しだけ心が持ち直した。
(足は……動く!)
クララは踵を返すと、出口に向かって一目散に走り出した。
廊下に飛び出すとき、勢い余って壁にぶつかった。よろけながらもそのまま寮棟へと駆ける。
三階から一気に階段を駆け下りようとして、二階の踊り場でジャッキー・ブーン先生と鉢合わせた。
先に逃げた薄情者の友人、モイラとシェリーも一緒にいる。
「ロバートソンさん。廊下は走っちゃいけませんって、何度も言ってるでしょ!」
「ブーン先生! すみません……でも、ここ廊下じゃなくて階段です。って、そんなことより、お化け! お化けが‼︎」
「屁理屈言わないの! まったく、さっきもこの二人にぶつかられて、危うく階段から落ちそうになったんですからね!」
普段から怒りっぽい先生は、今もかなり機嫌が悪そうだった。
彼女の後ろでは、モイラとシェリーが真っ青な顔でぶるぶ ると震えている。
先生は肩で大きく息を吐くと、三人に向かって言った。
「とりあえず全員落ち着いて。お化けなんかいない。以上!」
「いや、いたんですよ先生! ピンクのドレスを着た骸骨が!」
「い・な・い・ん・です!」
クララの言葉は、先生に強く否定された。
「い、いや、でも……」
「デモもストもないんです。いません‼︎」
なぜこんなにも否定するのだろうか。
クララは不思議に思いながらも、先生にお願いしてみることにした。
「わ、わかました。じゃあ先生、一緒に確認しに来てもらってもいいですか?」
「えっ⁉︎」
突然の提案に驚く先生。
ぱくぱくと口を開き、目が魚のように泳いでいる。
(もしかして——)
「いや、そ、それはちょっと……いないものを確認する必要は——」
「先生! 私たちからもお願いします!」
モイラとシェリーが涙を溜めながら、後ろから先生にしがみつく。
「こ、こら、あなたたち。離しなさい‼︎」
二人を引き剥がそうとした先生に、クララは間髪入れずに言う。
「ブーン先生、お化けが苦手だったなんて知りませんでした」
「なっ‼︎」
勢いよく振り返った先生と、再び目が合う。
「な、何を言ってるのロバートソンさん。先生に怖いものなんて、ありません!」
先生の目は、先ほどから右へ左へよく泳ぐ。
「あっ、わかりました! 私、音楽室に忘れ物しちゃったんですけど、さっき足を挫いちゃって一人で行けそうにないんです。先生に付き添ってもらえると助かるんですけど……」
クララは上目遣いで、じっと先生を見上げた。
「なっ、何を言って——」
「せ、先生。私たちからもお願いします!」
「お願いします‼︎」
涙目のモイラとシェリーに懇願され、先生はついに根負けしたようだった。
「はぁ……わかりました。ただし、荷物をとったらさっさと自分の部屋に戻りなさい!」
「良かったぁー……」
安堵の息を漏らすモイラとシェリー。
こうして、先生を新たに仲間に加えた四人は、再びお化けが待つ音楽室へ向かった。




