ごめんなさい、ありがとう、また明日
「本当にごめん!」
腰の角度は九十度。
床の汚れがよく見える。
『わかったって。別にクララが悪いわけじゃないんでしょ? 仕方なくないけど、しょうがないんじゃない』
誠心誠意謝るクララに、リジーは少し気圧され気味だった。
「そうだよ。悪いのはガラス瓶を盗んだ悪党たちなんだから」
ぽんぽんとクララの肩を叩くレベッカ。
「でも、リジーの大切な物を奪われちゃったし……」
絶対に怒られると思っていたのに、優しい言葉をかけられ、クララは涙が溢れた。
ぽたぽたと床に落ちる雫。
『ちょ、ちょっとクララ。本当に大丈夫だから』
泣き出したクララをみて慌てるリジー。
「ふえーん!」
クララは顔を上げるとリジーに抱きついた。
横ではレベッカが心配そうに見守っている。
『大丈夫。気にしないで』
リジーは優しくクララの頭を撫でた。
「……うん」
「とうっ!」
そんな二人にレベッカも飛びつく。
「こんな時は甘い物でも食べて忘れよう。私、部屋にとっておきのお菓子あるから持ってくるね」
レベッカはニコッと笑うと、足早に音楽室を出ていった。
「レベッカはほんとうにくいしんぼうだなぁ」
クララは少しだけ開いた入口の扉を見つめ、ぽつりと言った。
『でも、いつも美味しそうに食べてるから、いいんじゃない?』
確かに、リジーの言う通りだった、
音楽室にお菓子を持ち込んでは、ほとんど自分で食べてしまうレベッカの姿が、いつも本当に幸せそうだった。
「そうだね……」
たわいもない話さえ、どこか重い。
普段なら自然とできてることが、言葉をうまく見つけられなかった。
「……本当、ごめん」
昨年の秋の終わり、リジーと出会い、ひょんなことから遺産を受け継いだ。
二ヶ月ほど前、なんとか無事に遺産の入ったガラス瓶を掘り起こした。
そしてつい先日、中身のお披露目前というところまできていた。
しかし——それは強盗によって奪い去られてしまった。
クララが悪いわけではないとはいえ、リジーの長年の願いを不意にしてしまった。
やり場のない感情が、クララの胸の奥で渦巻く。
『いいよ。仕方ないし』
リジーの言葉に険はない。
「うん。ありがとう」
クララが泣き止むと、リジーは心配そうに尋ねた。
『それより、お父さんは大丈夫? 怪我したんでしょ?』
「えっ、ああ……うん。命に別状はないって」
『そう。よかったね』
優しく微笑むリジー。
父のことは、きっとレベッカから聞いていたのだろう。
つい先日、使いに来たエイダの話では、もう仕事を再開しているらしい。
もちろん、医者には止められたそうだが。
『さて、レベッカが戻ってくるまで何してようか? いつもみたいにピアノの練習でもする?』
「ううん。そんな気分じゃないからいいや」
クララは首を横に振った。
いくらリジーが気にしていないとはいえ、すぐに気持ちを切り替えられるほどの胆力は持ち合わせていなかった。
『そっかぁ。じゃあ、これで遊ぼうか』
リジーはポケットからおもむろに何かを取り出した。
「リ、リジー……それって?」
取り出されたものを見て、クララは思わず顔が青ざめた。
『うん。輪ゴムってものらしいよ。これね、びよんびよん伸びて面白いの』
リジーは楽しそうに、輪っかの端と端を伸び縮みさせて遊んでいる。
「リジー……ちなみに、それ、どこで手に入れたの?」
クララは恐る恐る尋ねた。
『えっ? これ? えっと……確か、校長室だったかな』
顎に指を当てて考え込むリジー。答えは、あっけらかんとしていた。
「リジー、ものすごく聞きづらいんだけど、もしかして……」
『大丈夫! 遺産は無事に取り返してあるから!』
リジーはにしし、と嬉しそうに笑った。
(やっぱり……)
「犯人は——メレディス校長だったんだね」
『学校のことなら私にわからないことはないし。伊達に毎日校舎をふらふらしてないよ』
リジーは胸を張って得意げに話す。
「ふらふらって……そこだけ聞くと、ダメ人間なんだけどなぁ」
『クララ。私、人間じゃない!』
「そうですね」
クララは呆れてため息をついた。
全てリジーの手の内。
もったいぶらずに最初に教えてくれてもよかったのではないかとも思ったが、悪戯が成功して楽しそうにするリジーに水はさせない。
「結局のところ、一番怖いのはリジーだったってことね」
小声でひとりごちる。
『えっ? 何か言った?』
「ううん、なんでもない。よし! レベッカが戻ってくるまで何か弾こうかな。リジー、何聴きたい?」
『えー、さっきまで気分じゃないって言ってたくせに!』
「それはもういいの。さ、聴きたいの言って」
『うーんと、それじゃあ、ベートーヴェンのハンマークラヴィーア弾いて!』
「えっ! そんな難しいの無理! ってなんでそんな曲を知ってるのよ!」
とてつもなく難易度の高い曲をリクエストされ、クララは慌てふためいた。
『なんでもいいって言ったくせにー』
ぶーっと頬を膨らませて不満そうなリジー。
「なんでもって言ったけど、まさかそんなに難しいやつ選ぶとは思ってないじゃん」
『えーと、じゃあ、これは——』
音楽室で楽しそうに誰かと話す女の子の笑い声とピアノの旋律だけが、寮棟に続く廊下に響いている。
その音を聞きつけたのか、黒い小さな塊が、ゆっくりと音楽室へと歩いていった。
その足取りに合わせて「にゃん」と小さく鳴く様は、音楽に合わせて歌っているかのようだった。
了




