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実家が学校からあんまり離れていなかった件 #7

 クララは休校中の学校に戻ると、そのまま寮へ向かった。

 部屋に荷物を置くなり早足で音楽室に向かい、入口の扉をカラカラと開ける。

 中をぐるりと見回したが、やはり誰もいない。

 扉をきちんと閉めて、いつものようにグランドピアノの椅子に腰を下ろした。


(そういえば、リジーっていつもどこから来てるんだろう)


 自宅があるわけでもないし、本来なら食事や睡眠も必要もないはずだ。


(でも、この間寝てたな……)


 ふらふらと歩き回っているのか。

 それとも自分のお墓にいるのか。

 そもそもお墓はどこにあるのだろうか——どちらにしても、今は彼女と接触する方法を考えなければならない。

「何かいい方法は……あっ!」

 クララはピアノの鍵盤蓋を慌てて開け、譜面がなくても弾ける曲を思い浮かべた。


(えーと……そうだ、あれならいけるかも!)


 ベートーヴェンの『ピアノソナタ第五番』。

 昨年のコンクールで何度も練習した曲だ。

 クララは鍵盤に指を置き、ふうと息を吐いて心を鎮めた。

 この曲はベートーヴェンが初めて三楽章制を導入した作品で、クララ自身もお気に入りだった。

 旋律が自然な流れにのり、明るい響きを押し出す第一楽章。

 続いて、二つの主題がアリアのように優しく歌われ、安らかな雰囲気を作る第二楽章。

 休符やタイ、強弱記号などによって強拍がずらされ、生き生きとしたリズムが心地良い第三楽章。

 ピーン、と最後の音を奏でたそのとき——入口の扉にコツンとなにかが当たる音がした。

「リジー!」

 慌てて扉に駆け寄る。

 コツン!

 カラカラと扉を開けると、黒いもふもふした塊が廊下の真ん中に座っていた。その黒い塊は振り向くと「にゃーん」とひと鳴きし、音楽室から離れていった。

「なんだ、JJか……」

 扉を閉め、ピアノに戻ろうとした瞬間、バタンと音を立てて扉に何かがぶつかった。

 思わず肩がびくりと跳ねる。

「え、ちょ、ちょっと何……」

 恐る恐る振り向くと、カラカラと扉がゆっくり開いた。

 すると、白い小さな手が地面を這うようにのそりと現れた。

「ひ、ひっ!」

 悲鳴を飲み込み、慌てて両手で口を塞ぐ。

『ク、クララー!』

 次の瞬間、金色の髪を振り乱してリジーが部屋に飛び込んできた。そしてそのままクララに抱きつく。

 クララはいきなりの衝撃に体をよろめかせたが、気合いでなんとか踏みとどまった。

「リジー、どうしたの?」

『うわぁーん。怖かったよー!』

「怖いって、なにが?」

 お化けであるリジーよりも怖いものとは一体何なのか。

 クララは彼女を抱きしめ返し、優しく頭を撫でた。

『ね、ねこぉー』

「えっ? 猫?」

『そう! 黒猫がずっと入口に座ってて、音楽室に入れなかったの! 小石を投げても逃げないし、困ってたらクララが出てきて……そしたら逆にこっちに歩いてくるじゃない! びっくりして逃げようとしたら、手前の階段降りていったから急いで音楽室に入ったの!』


(それで扉にぶつかったのか……)


 思わず吹き出すクララ。

『えっと、クララ?』

「ご、ごめん。まさか、リジーが猫を苦手だとは思わなくて」

『だ、だって、あいつら私を見るとふーって威嚇してくるんだもん。怖くて近寄れないよ!』

「そうなんだ。もしかしたら本能でわかってるのかもね。リジーが〝普通じゃない〟って」

『普通じゃないってどういうこと! 私は普通です!』

 ぷりぷりと怒るリジー。

 そんな姿も愛らしくて、クララはつい笑みをこぼす。

「違うよ。そういう意味じゃなくて——」

 ぎゅっと抱き寄せて耳元で囁く。

「リジーが可愛いってこと」

 ふっと息を吹きかけると、リジーはびくっと体を震わせた。

『うひゃあっ!』

 その反応が可笑しくて、クララはけたけたと笑う。

『もう! クララの意地悪!』

 リジーは腕の中からするりと抜け出し、ぷいっと顔を背けた。

「ごめんって」

『ふん!』

 リジーの頭をぽんぽんと撫でる。

 窓が開いていたのか、冷たい風が吹き込み、リジーの綺麗な金色の髪をサラサラとなびかせた。

「寒っ!」

 ぶるっと体が震えた。

 クララは窓まで小走りで行き、カラカラカラと閉めた。ついでに鍵もかける。

『そういえばクララ、今って学校お休みなの?』

 背中に声をかけれ、クララは振り向いた。

 リジーはつまらなさそうに、床を蹴るまねをしている。

「えっと、どうして?」

『だって、昼間なのに誰も見かけないし。クララだってここに来なかったし』

 この学校は全寮制のため、生徒は皆寮で暮らしている。今回の騒動で親たちが心配し、子供を帰省させたのだろう。

 クララの父もそうだった。

 実家が遠い子は残っているはずだが、用がなければ別棟まで足を運ぶ必要はない。そして——その原因が自分だと言うことを、リジーはきっと知らない。


(ちゃんと話したほうがいいのかな。それとも……)


『難しい顔してどうしたの?』

 いつの間にかリジーが目の前に立っていた。俯くクララを下から覗き込み、心配そうに見つめている。

 クララは視線を逸らし、言葉を絞り出した。

「あっ、うん。えっと、大丈夫……じゃなくて、い、今は冬季休暇中でみんな実家に帰ってるんだよね」

『ふーん。でも、いつもより早くない?』

「うっ……いや、毎年こんなものだよ」

『そう? 去年まではもっと残ってた気がするけど。クリスマスの飾り付けとか頑張ってて凄いなぁって感心してたのに』

 リジーの顔が少し寂しそうに見えた。

 参加できないとはいえ、毎年楽しみにしていたのかもしれない。

 クララはそんなリジーのために何かできないだろうかと、顎に手を当て考え込む。

『クララ、今日なんだか変だよ。いつも以上に』

 思わずビクッと肩が跳ねる。

「えっ、そ、そんなことないよ。いつも通りだよ」

『嘘だ。普段なら「いつも以上ってどういうこと!」ってつっこむのに、今日は妙におとなしいし』

「うっ! それは……」

 たじろぐクララに、リジーはぐっと詰め寄った。

『何かあったんでしょ?』

 どのみちリジーには、あの件を聞かなければならない。

 いずれ明らかになるのなら、自分の口から説明してあげた方がいいだろう。

「リジー。実は今、学校は臨時休校中なんだ。それで、その原因が……リジーの存在が町中に広まっちゃったからなの」

『あ、そうなんだ』

 あっけらかんとした様子でリジーは答えた。まるで気にしていない。

 逆にクララの方が面食らってしまう。

「えっと……大丈夫?」

『何が』

「だってほら、リジーのことがみんなにバレちゃったわけだし、しかもみんな、リジーのこと怖がってるんだよ」

『んー、お化けってそういうものでしょ?』

「達観してるな! 本当に八歳か!」

 ケラケラと楽しそうに笑うリジー。

『いつものクララに戻ったね』

「いやいや、これでも結構心配してたんだよ。このこと知ったら、リジー落ち込んだりしないかなって……」

『心配してくれてありがとう。でも大丈夫! これでも百年近くお化けやってるからね』

 にっこり微笑むリジー。

 確かに、リジーが亡くなってからはそれぐらいの時が過ぎている。

「でも、猫は苦手なんだよね」

 クララはにゃーと鳴きまねをしながらリジーに近づいた。

『そ、それとこれとは関係ないの!』

 焦ってそっぽを向くリジー。その姿がおかしくて、クララはつい笑ってしまった。

『ちょ、ちょっと、クララ。何がおかしいの?』

「なんでもない。やっぱりリジーは可愛いなぁって思っただけ」

 そう言って、リジーの頭を優しく撫でる。

『クララはいっつも私のこと子供扱いして……』

「だって見た目は八歳でしょ?」

『中身は大人ですぅ』

 ぷくっと頬を膨らませて怒る様は、どう見ても子供だった。

 そういえば——と、クララは今日ここへ来た目的を思い出す。

「ねぇ、リジー。覚えてたらでいいんだけど、この間、家でやった降霊術のこと……覚えてる?」

 クララの脳裏に、あの時の恐怖が蘇る。

 自分の手で書いたはずの、覚えのない文字。

 しかもそれは——リジーがクララの体を借りて書いたものだった。

『なんのこと? 私はみんなどこ行っちゃったのかなーって、学校の中をふらふらしてたけど』

「いや、だって! 降霊術で私の体の中に入って、代わりに質問に答えたじゃん!」

 きょとんとするリジー。小首を傾げて『うーん』と唸っている。

『わかった! わからない!』

「どっち‼︎」

 ケタケタ笑うリジーに、煮え切らない様子のクララ。

『えっとね、私はその降霊術? でクララに呼び出された記憶はないよ。ずっとここにいたし、ここの場所から離れられないし』

「で、でも! 実際に私の家で、私の体にリジーが乗り移って、私の知らない字を書いたんだよ!」

 再び首を傾げるリジー。

『そう言われても、行ってないものは行ってないし、何かを書いた覚えもないよ』


(ちょっと待って。もし、リジーの言っていることが本当なら……)


 あの時のクララの体に入り込んだのは、一体誰だったのか。

 想像した途端、血の気が引いていくのを感じた。

『ちょっとクララ、大丈夫? 顔色悪いよ』

「あ、うん。大丈夫……」

 唖然と立ち尽くすクララを、リジーは心配そうに覗き込む。

 今日、クララがここに来た目的はリジーに相談することだった。

 どこまで父やヴァレンタインに話していいのか。二人だけの秘密にしておくことは何なのか。それを決めたくて、休校中の学校に足を運んだ。

 そもそもクララは降霊術なんてやりたくない。もしリジーが現れていなかったのなら、やる意味すらなくなる。では——あのとき憑依していたものは?

 喜びと不安が入り混じった感覚が、お腹の中で渦を巻いている。


(今それを考えても仕方ない。先にやらなきゃならないことがあるんだから)


 クララはパチン! と自分の両頬を叩いた。

 突然の音に、リジーが目を丸くする。

『ク、クララ……大丈夫?』

 さっきとは違う意味で心配されているようだ。

 頬がヒリヒリと熱い。

 クララはにこりと笑うと、リジーに言った。

「大丈夫。実はリジーに相談があるんだけど……」

 その日、クララはリジーと長いあいだ語り合った。

 気がつけば、真上にあった太陽はいつの間にか西へ傾き、世界を茜色に染めている。

 実家へ戻らなければならないクララは、名残惜しさを胸にリジーへ別れを告げ、慌てて家路についた。

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