実家が学校からあんまり離れていなかった件 #3
その日の夕方。
クララが階段を降りて、食堂におやつをくすねに行こうとしたところ、玄関のドアが開いた。ちょうど父が帰宅したところだった。
「おかえりなさい、パ……」
声をかけようとして固まる。
父の隣に、見知らぬ女性が立っていたのだ。
(まさか……)
「ただいま、クララ。ちょっと紹介し——」
「いやー‼︎」
クララはその場から逃げ出すように階段を駆け上がった。
背後で父の声が聞こえたが、構わず部屋に戻るとベッドに潜り込んだ。
(パパのバカ。パパのバカ。パパのバカ)
仕事に行ったと思っていたら、女の人とデートだったなんて。それもクララの知らない人。今日家に連れて来たのは、きっとクララに会わせるためだ。
(パパはママのこと、もう愛してないんだ……)
クララは母が大好きだった。
亡くなってから三年が経つが、いまでも寂しくて泣くことがある。
母はピアノが大好きな人だった。
特にベートーヴェンがお気に入りで、ピアノソナタ第二十三番「熱情」をよく弾いていたのを覚えている。クララは彼女が楽しそうに演奏しているところを間近で見ていて、いつか自分もこんなふうに弾けるようになりたいと憧れていた。
コンコン、と乾いた音が室内に響く。
クララは布団から顔を出し、音の方を睨みつけた。
「クララ。突然ですまないね。パパの友人を紹介しようと思ってたんだ。下に降りてきてくれるかな」
扉越しに、いつも通りの優しい父の声。
「嫌。行かない」
「そうか。クララのためにわざわざ足を運んでもらったんだけど……今日は都合が悪いと伝えておくよ」
(私のため?)
新しい母親を迎えることが「クララのため」という意味なのだろうか。
(そんなのパパ自身のためじゃない!)
そんなことを考えていると、ガチャリと扉が開き、父が部屋に入ってきた。
「クララ——何をしてるんだい?」
布団にくるまり、顔だけ出しているクララの姿を見て、父は首を傾げた。
「パパのことなんか知らない!」
ふん、とそっぽを向く。
「ク、クララ?」
「パパなんか嫌い! 出てって!」
「っ!」
その言葉にショックを受けたのか、父はがくりと膝から崩れ落ちた。
「パパなんか嫌い……パパのことなんか知らない……パパなんか……」
白く、灰のようになってブツブツと復唱する父。
どうやら少し言いすぎたようだ。
もちろん、父に非があるわけではないことはわかっている。ただ、クララにはまだ新しい義母を迎えいれる心構えができていなかった。
クララの大好きな母の存在が、役目を終えた花のように萎み枯れ、自身の記憶から色褪せてしまうのが怖かった。とはいえ、父にずっと一人でいてほしいとも思わない。いつかは新しい伴侶を持ち、みんなで仲良く暮らせたらとも思う。
「い、今はまだ……その……新しいお母様を受け入れられないけど、もう少し私が大人になったら——」
そう、今はタイミングが悪いだけ。
「えっ?」
驚いたように顔を上げる父。
「クララ……何か勘違いをしているようだけど」
そんな父の反応を見て、クララは混乱する。
「勘違い?」
「彼女は霊媒師の方だよ。クララの力になってくれると思って呼んだんだ」
「れ、霊媒師?」
一気に肩の力が抜けた。どうやらクララの思い違いだったようだ。
「なにかわからないけど、ってクララ! 大丈夫かい?」
安堵の反動で、思わず泣いてしまった。ポロポロと涙が溢れる。
父がクララに歩み寄ると、クララは簀巻きになっていた布団から出て強く抱きついた。
「すまないね。嫌な思いをさせてしまった」
クララは父の胸に顔を埋めながら、首を振り言った。
「私が勘違いしただけなの。パパは悪くない……ごめんなさい」
ぎゅっと強く抱きしめられる。
「パパはいつでもクララの味方だよ」
「うん」
ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。
「よし、応接室でお客様がお待ちだから、準備ができたら降りておいで」
父は優しく微笑みながらそう言うと、クララを解放して部屋を出ていった。
クララは涙を拭い、身なりを整えると、一階の応接室へ向かった。




