石上の中納言と「燕の子安貝」
石上の中納言と「燕の子安貝」
中納言の石上麿足が家来の男たちに命じました。
「燕が巣を作ったら知らせよ」
「何に使うのですか」 と家来たちが聞きました。
「燕が持っているという子安貝を取るためだ」
男たちは子安貝を探しに行きました。数日後、家来が中納言に申し上げました。
「沢山の燕を殺して見てみましたが、腹の中にはありません。
しかし、子を産む時にはどのように出しているのか分かりませんが、子安貝をお腹に抱えているといいます。
人間がそれを見ようとすると消え失せてしまいます」
『なぜだ!? そんなことあるわけない』 と中納言は不甲斐ない部下たちに苛立っていました。
大炊寮(食料を司っている部署)のお役人の「倉津麻呂」という老人が言いました。
「この寮のご飯を作る建物にある束柱の穴に燕は巣を作っております。
そこに家来を連れていって、足場を組み上げて上から覗かせれば、何匹かの燕は子を産んでいるでしょう。その燕の巣を覗いて子安貝を取らせれば良いのです」と教えてくれました。
中納言は感心しています。
「面白い話もあるものだ。全くそんな事は知らなかったぞ。いい事を教えてくれた」
すぐに忠実と思われる家来の男二十人ばかりを大炊寮に出向かせ、高い足場を組んでその上に登らせました。
中納言は毎日使者を派遣して
「子安貝は取れたか」と幾日も尋ね続けました。
燕も大勢の人が登ってくることに怯えたのか、巣まで飛んで来なくなりました。
そのような状況についての知らせを聞いて『どうすれば良いのか』と思い悩んでいると、あの寮のお役人の老人がいいました。
「子安貝を取りたいと思っておられるのであれば、取り方をお教えしましょう」
と言って中納言の御前に参上してきました。
中納言は『最初っから教えろよ』と思いましたが、グッと堪え、その老人と額を付き合わせてにらめっこをしながら策略をめぐらしました。
倉津麻呂が申すには
「この燕の子安貝が取れないのは、取る方法が間違っているからです。
これでは取れなくて当たり前です。
足場に大騒ぎしながら二十人もの人間が登れば、燕は恐れて巣に寄り付きません。
まずやるべき事は、この足場を壊して、近くに人間を近づけないでください。
忠実な一人の家来だけを、荒籠に乗せて座らせ、すぐに綱を吊り上げることができるように準備しておきます。
燕が子を産もうとしている時に綱を吊り上げて、さっと子安貝を取らせるのが良い取り方です」
『なるほど』 中納言は喜びました。
――フッフッフッ これでかぐや姫は我が物なり――
「とても良いやり方だ」と言って、足場を壊し家来たちをみんな屋敷に帰らせました。
中納言が倉津麻呂に聞きました。
「燕はいつ子を産むのかをどのように知って、人を登らせれば良いのか」
「燕が子を産もうとする時には、尾を上げて、七度回ってから卵を産み落とすようです。
ですから、七度回っている時に、燕を引き上げて、その瞬間を逃さずに子安貝を取るといいですね」
「自分に仕えている家来でもないのに、願いを叶えてくれるとは。良きかな良きかな」と言って、
中納言は着ていた衣を脱いで倉津麻呂に褒美として与えました。
「また夜になったらこの寮まで来るように」と言って、倉津麻呂を帰らせました。
倉津麻呂は、裸になった中納言から夜になったら来いと言われ何を勘違いしたのか
――ドキッ! 中納言から夜這いに誘われた!―― 自分の願いが叶うかもしれないと、胸を時めかしました。
日が暮れたので、中納言は寮に出かけて、柱を見てみると、確かに燕が巣を作っていました。
倉津麻呂が言っていたように、燕は尾を浮き上げて辺りを回っているので、荒籠に家来の男を乗せて吊り上げ、燕の巣の中に手を差し込ませて子安貝を探させましたが、
「何もありません」と家来は報せてきました。
「んなわけないだろ。探り方が悪いから見つからないのだ」と 中納言は腹を立て、
「誰も役立たずばっかりだ」と言って、
「私が登って探す」と言い出しました。
籠に乗ってつり上げられ、巣の中を覗き込むと、燕は尾を差し上げてくるくると回っています。
その動きに合わせて、手を入れて巣の中を探ると、手に平たい物が触ったので、
「ワハハハハ 我は子安貝を握ったぞ! 今すぐ下ろせ。 翁、遂にやったぞ」
家来たちは「早く下に下ろそう」と言って、なぜか綱を強く引っ張ります。
綱を引っ張りすぎて、遂には綱が切れてしまいました。
中納言はそのまま八島の大きな鍋の上に真っ逆さまに落ちてしまいました。
家来の人たちは驚いて、近寄って中納言を抱き起こしました。
中納言は白目を剥いて気絶し、横たわっています。
家来たちが、水をすくってから飲ませました。なんとか生きているようです。
鍋の上から手を取り足を取り、地面へと下ろしました。
「ご気分はいかがですか」と尋ねると、青息吐息で
「意識は少しはっきりしてきたが、腰を痛めて動けない。
だが、しか~し、私は子安貝をさっと握ったぞ。
フフフ、してやったりだ。 まずは蝋燭の明かりを持ってこい。
子安貝なるものその姿を見てやる」と言って、頭を持ち上げて手のひらを広げました。
でもそれは、燕が垂らした古い糞を握っていただけでした。
それを見て、中納言は「げげげ 貝がないではないか!? 脱糞だ!」と言いました。
このことから、思っていた事と実際が違うことを、『かいなし(貝無し・甲斐無し)』と言うようになったそうです。
倉津麻呂がその夜に中納言の屋敷に夜這いに出かけた時のことです。
屋敷の中はもぬけの殻・・・・・・しかたなく、倉津麻呂は中納言の布団に裸になって横になって入っていました。
丑三つ時、中納言が腰砕けで帰ってきました。
倉津麻呂の願いも甲斐もなく、裸のまま外に放り投げられたことは物語には書くまででもありません。倉津麻呂の願いは、虚しく消えてしまうことになります。
中納言は子安貝ではないことを悟りました。
すっかり気持ちが落ち込んでしまい、落ちたことが原因で腰も心も折れたままです。
中納言は幼稚なことをして腰骨が折れたことを、世間に知られたくないと思い、それを隠そうとしましたが、更に病気が悪化して弱っていきました。
日が経つにつれ、子安貝が取れなかったことよりも、人から笑われることを気にするようになり、ただ病気で死ぬことよりも恥ずかしいことをしてしまったと思い悩むようになりました。
この様子をかぐや姫が聞いて、お見舞いに送った歌です。
『 年を経て 浪立ち寄らぬ住の江の まつかひなしと 聞くはまことか 』
(長い間、こちらに立ち寄って下さっていないですが、波も立ち寄らない住吉の松ではないですが、待つ貝(松・甲斐)もないという話を人づてに聞いています。それは本当なのでしょうか)
この歌を家来が読んで中納言に聞かせました。中納言はとても憔悴していましたが、頭を持ち上げて、人に紙を持って来させて、苦しい息をしながら何とか返歌を書きました。
『 かひはかく ありけるものをわびはてて 死ぬる命を すくひやはせぬ 』
(姫から歌を頂き甲斐はありました。しかし朽ち果てて死にそうな私の命を、姫は救って下さらないのですか)
中納言はこの歌を書き終えると、ついには亡くなってしまいました。
これを聞いたかぐや姫は、『少し可哀想だな』と思いました。
でも逆に嬉しくもありました。このことにより少し嬉しいことを、『かいあり(貝有り・甲斐有り)』と言うようになったそうです。
原文
中納言石上麿足の、家に使はるる男どものもとに、「燕の、巣くひたらば告げよ」とのたまふを、うけたまはりて、「何の用にかあらむ」と申す。
答へてのたまふやう、「燕の持たる子安貝を取らむ料なり」とのたまふ。
男ども、答へて申す、「燕をあまた殺して見るだにも、腹になき物なり。ただし、子をうむ時なむ、いかでかいだすらむ、侍んなる」と申す。「人だに見れば、失せぬ」と申す。
また、人の申すやう、「大炊寮の飯炊く屋の棟に、つかの穴ごとに、燕は巣をくひはべる。それに、まめならむ男ども率てまかりて、足座を結ひあげて、うかがはせむに、そこらの燕子うまざらむやは。さてこそ、取らしめたまはめ」と申す。
中納言よろこびたまひて、「をかしきことにもあるかな。もつともえ知らざりけり。興あること申したり」とのたまひて、まめなる男ども二十人ばかりつかはして、麻柱にあげ据ゑられたり。
殿より、使ひまなく賜はせて、「子安の貝取りたるか」と問はせたまふ。燕も、人のあまたのぼりゐたるに怖じて巣にものぼり来ず。
かかる由の返りごとを申したれば、聞きたまひて、「いかがすべき」と思しわづらふに、かの寮の官人くらつまろと申す翁申すやう、「子安貝取らむと思しめさば、たばかりまうさむ」とて、御前に参りたれば、中納言、額を合わせて向ひたまへり。
くらつまろが申すやう、「この燕の子安貝は、悪しくたばかりて取らせたまふなり。さては、え取らせたまはじ。麻柱におどろおどろしく二十人の人ののぼりてはべれば、あれて寄りもうで来ず。せさせたまふべきやうは、この麻柱をこほちて、人みな退きて、まめならむ人一人を、荒籠に乗せ据ゑて、綱を構へて、鳥の子うまむ間に、綱を吊り上げさせて、ふと子安貝を取らせたまはむなむ、よかるべき」と申す。
中納言のたまふやう、「いとよきことなり」とて、麻柱をこほち、人みな帰りまうで来ぬ。
中納言、くらつまろにのたまはく、「燕は、いかなる時にか子うむと知りて、人をば上ぐべき」とのたまふ。くらつまろ申すやう、「燕子生まむとする時は、尾を捧げて、七度めぐりてなむ生み落とすめる。さて七度めぐらむをり、引きあげて、そのをり、子安貝は取らせたまへ」と申す。
くらつまろのかく申すを、いといたくよろこびて、のたまふ、「ここに使はるる人にもなきに、願ひをかなふることのうれしさ」とのたまひて、御衣ぬぎてかたづけたまうつ。
「さらに、夜さり、この寮にもうで来」とのたまうて、つかはしつ。
日暮れぬれば、かの寮におはして見たまふに、まことに燕巣つくれり。くらつまろの申すやうに、尾浮けてめぐるに、荒籠に人をのぼせて、吊り上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせてさぐるに、「物もなし」と申すに、中納言、「悪しくさぐれば、なきなり」と腹立ちて、「誰ばかりおぼえむに」とて、「我のぼりてさぐらむ」とのたまひて、籠に乗りて、吊られのぼりてうかがひたまへるに、燕尾をささげて、いたくめぐるに合わせて、
手をささげてさぐりたまふに、手に平める物さはる時に、「我、物にぎりたり。今はおろしてよ。翁、し得たり」とのたまへば、集りて、とくおろさむとて、綱を引きすぐして綱絶ゆるすなはちに、やしまの鼎の上に、のけざまに落ちたまへり。
人々あさましがりて、寄りて抱へたてまつれり。御目は、白目にて臥したまへり。人々、水をすくひ入れたてまつる。からうじて、生きい出たまへるに、また、鼎の上より、手とり足とりして、下げおろしたてまつる。
からうじて、「御心地いかが思さるる」と問へば、息の下にて、「物はすこしおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど、子安貝を、ふと握り持たれば、うれしくおぼゆるなり。まづ、紙燭して来。この貝の顔見む」と御ぐしもたげて、御手を広げたまへるに、燕のまり置ける古糞を握りたまへるなりけり。
それを、見たまひて、「あな、かひなのわざや」とのたまひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、「かひなし」といひける。
貝にもあらずと見たまひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋の入れられたまふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言は、わらはげたるわざして止むことを、人に聞かせじとしたまひけれど、それを病にて、いと弱くなりたまひにけり。
貝をえ取らずなりにけるよりも、人の聞き笑はむことを日にそへて思ひたまひければ、ただに病み死ぬるよりも、人聞きはづかしくおぼえたまふなりけり。
とあるを、読みて聞かす。
いと弱き心に、頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地に、からうじて書きたまふ。
かひはかくありけるものをわびはてて死ぬる命をすくひやはせぬ
と書きはつる、絶え入りたまひぬ。
これを聞きて、かぐや姫、すこしあはれとおぼしけり。それよりなむ、すこしうれしきことをば、「かひあり」とはいひける。