25話「そんなこと言われましても」
どうしよう、まったく覚えていない。
しかし、陸兄さんはそんな私を責めるわけでもなく想定内といった反応だ。
一度目の人生で言ったのか二度目の人生で言ったのかすらわからない。
「俺は自分で言うのもなんだけど、結構我慢する子どもだったんだ。自分が我慢して丸く収まるならいいかなって」
「ああ、そういうところあるよね」
陸兄さんは自己犠牲の精神がすごいのだ。
幼いころに大きな病気をしたという経験があってか、迷惑をかけてしまったという気持ちが伝わってくる。
「でも、いおりちゃんはそんなところに気づいてくれた。いおりちゃんにとっては記憶にも残っていないような出来事かもしれないけど、俺にとっては違うんだよ」
陸兄さんの目は、少しうるんでいた。
記憶にも残っていないような自分の発言がここまで人に影響与えるとは、なんだか申し訳なく思える。
「そう、なんだ」
「うん。俺はいおりちゃんの言葉で救われたから、いおりちゃんのことも救いたいと思ったんだ」
救う? 一体なにから。
「救う、って」
「……あまり言いたくはないんだけどね、いおりちゃんの自信のなさは拓海くんのせいだよ」
真剣な声だった。
真っ直ぐ見つめてくる目が真面目な話だと伝えてくる。
拓海のせいで私に自信がないなんて、なにを言っているのだろう。
私は一人じゃなにもできないグズで、二度目の人生は一人でも頑張ろうって思ったのに結局拓海に頼っているダメな人間だ。
拓海に頼っちゃダメだと思ったから紗妃ちゃんや美琴ちゃんと仲良くなれた。
――ああ、でも。
拓海が離れていったあとでも私は友達が作れた。
大学にだって行けた。
拓海がいなくても生きていけたのに、どうしてこんなに……。
『いおりはオレがいねーとダメだな』
雛が母親のマネをするように。
幼いころから何度も何度も繰り返されてきた言葉。
それは刷り込みのように私の奥底に染み込んだ。
そうか、私は拓海がいないとダメなんだ。
拓海から言われるたび、私はそう納得していた。
いつのまにか、その思考が自己肯定感を低くしていた。
これは、呪いだ。
拓海が私にかけた、呪い。
意識して拓海が発しているものなのかはわからない。
自分の隣にいないとお前はダメなんだという拓海の気持ちが無意識に出ていたのかもしれない。
けれど、その事実に気づいて私はゾッとした。
拓海のそばにいることで、自分を否定するような考え方になっていた。
一度目の人生で私を監禁した拓海はなんと言っていた?
『いおりはオレがいねーとダメだな』
「オレが帰ってこなかったら死んじゃうかもな』
『だから、オレから離れるなよ?』
逃げられない状況下で、繰り返された呪いの言葉。
私は最後まで正気を保っていられたけど、きっとあのまま監禁と呪いの言葉が続いていたら私の心は折れていただろう。
拓海は私を愛してる。
でも、その想いは歪んでいる。どうしようもないほど、いびつだ。
私から自信を奪って、自分の狂愛で埋める。
拓海はおかしい。おかしいんだ。
「いおりちゃん、拓海くんから離れたほうがいい」
陸兄さんの言葉が、頭の中をぐるぐると回り続ける。
「いおり、帰ったのか」
「あ、うん」
お父さんから声をかけられ、なんとか返事をする。
「拓海くんがさっき来ていたよ。本忘れていったから届けてくれたんだ」
「そっか……ありがとう」
「いおり、元気ないのか?」
「ううん、大丈夫だよ」
こんなこと、誰にも話せない。
お母さんもお父さんも拓海のことを気に入っているし、私の自信のなさが拓海のせいだなんて言えるわけがない。
そして、同時に考えていた。
傷つけた私のそばに拓海がいる理由。
私はきっと、気づかない間に拓海のことをたくさん傷つけていたのだろう。
それでも拓海は私のそばにいることを選んでくれた。
頼りないかもしれない私を、そばで支え続けてくれた。
もしかしたらこの考え方自体、拓海の言葉に侵されているのかもしれない。
私が拓海に依存するように、狙っているのかもしれない。
それでも、私は確かに自分の意思でこの選択を選んだと言いたい。
どうしようもないほど私のことが好きな拓海のことが、私も好きなんだってこと。
今まで頼ってこられたのも、きっと相手が拓海だったからだ。
意地悪で時々ハチミツみたいに甘い拓海だから、私も素直に甘えることができた。
もしかしたらこの選択は間違いなのかもしれない。
拓海に監禁される未来が、今回も待っているのかもしれない。
でも今回はきっと違う。
拓海が私を好きで、私も拓海を好きだから。
拓海が一人で考えて悩んで出した結論を、私が変えられるかもしれない。
幼なじみという関係に甘えていたい私じゃない。
拓海の気持ちに応えたいと、そう思ったんだ。
生まれて初めて知った感情。
私に好きと言わないと笑っていた拓海がどれほど苦しかったのか、まだわからないけれど。
想ってくれた分すべて返せるわけじゃないけれど。
それでも、私も私の想いを返したいと思えた。
これは、一歩前進ということでいいんじゃないだろうか。
「お、いおり。おはよ」
「……」
席に座った拓海が手を振ってくるが、手を振り返している場合ではない。
今までだったら寝起きみたいな顔でヘラヘラと締まらない笑顔で返していたであろう朝の挨拶。
しかし、拓海のことが好きだと自覚してからというもの、拓海のことが異常に輝いて見える。
なんだこれ。拓海ってこんなにカッコよかったっけ!?
ずっと隣にいたからクラスの女子がカッコいいと騒ぐ拓海の顔の良さをあまり理解していなかったけど、今日はアイドルばりに星が舞っている。
普段なら人相悪いなー、と思う鋭い目つきもしびれるような目線に感じる。
ドキドキと心臓が高鳴り、呼吸の仕方すら忘れそう。
「いおり? なんか顔赤いけど」
「ひっ、だい、大丈夫……」
「ふーん。なんかあったら言えよ」
「うん……ありがと」
ちょっとした会話をするだけで精一杯だ。
これ以上拓海の顔を見て会話を続けると心臓が爆散して木っ端微塵になるかもしれない。
床に飛び散った血肉を想像してちょっと自分に引いた。
なんでこんな思考になるんだろうか。
普通好きな相手と会話できたらもっと幸せハッピーお花畑! みたいな気分にならないもんか。
どうして私は心臓が木っ端微塵になる想像をしているのだろう。
しかし、そうでもして気を逸していないとなんというかマジでヤバい。
語彙が溶けてなくなってしまうほどの異常事態だ。
「いおりちゃんおっはよー!」
「美琴ちゃん、おはよう」
どーん、とぶつかってきた美琴ちゃんに笑いながら挨拶を返す。
美琴ちゃんは今日も自慢のサラサラロングヘアーをポニーテールにしてユラユラと揺らしている。
「いおりちゃんいおりちゃん」
「どうしたの、美琴ちゃん」
すすす、と無言で近づいてくる美琴ちゃんに聞き返す。
「拓海くんとなにかあった?」
耳元で囁いてきた言葉に、ひっと息を呑む。
す、鋭い……!
美琴ちゃんはニコニコと笑っているが、掴まれた腕に言うまで離さんぞという強い意志を感じる。
ひえぇ、目がガチだ。
強い意志を感じた私は逃げられないことを悟る。
とはいえ、黙っていても仕方のないことだ。
相手は美琴ちゃんだし、言っても問題ないだろう。
「休み時間に話すよ」
「絶対だよ?」
「うんうん、絶対」
こくこくとうなずいて見せる。
しかし、美琴ちゃんはなんだか不満そうな顔だ。
「いおりちゃん、適当なところあるからなぁ」
あれ、私って思ってるより信用ない?
ちょっとだけ傷ついていると、美琴ちゃんはニッコリ笑う。
「じゃ、休み時間にネ」
「うん、はい」
そこまで言ってようやく腕を離してもらえた。
先生が教室に入ってきたので、各々席に座る。
黒板の文字を追いかけながらシャーペンをノートの上に走らせる。
授業をしっかり聞いて復習予習を繰り返してなんとかついていけている状態だ。
私は拓海や美琴ちゃんのように優秀ではないから、努力するしかない。
拓海なんて教科書をペラペラと流し読みしただけで理解できるというのだから、もう殴りたくなってくる。
休み時間に美琴ちゃんになんて話そう、と考えをまとめる余裕すらない。
最近は赤点を攻めることも減ってきた。
中学のころからしたらずいぶんと成長したほうだと思う。
元は拓海から離れるために選んだ高校だったけど、この高校に来てよかったと思う。




