13話「どうして」
「いおり、飯でも行こーぜ」
大学を卒業した日の夜、中二からずっとまともに話していなかった拓海が家に来た。
お母さんは大喜びして「行ってきなさい!」と私の背中を叩いた。
湊くんは友達の家に遊びに行っていて、家にいなかった。いたら拓海の姿を見て顔をしかめていただろう。
新しいお父さんもお玉を片手に「行っておいで」と穏やかに笑った。
朝から「今日はいおりのためにご馳走を作ろうね」と料理を仕込んでくれていたのに。
私は戸惑い六割、嬉しさ四割ぐらいで拓海の言葉にうなずいた。
支度をして家を出ると、外は雪が降っていた。
「さむーい!」
「マフラーは?」
「忘れた」
まさか誘いがくるとは思っていなかったので家でダラダラする気満々だった。
急いで着替えたからマフラーも手袋も持っていない。
「しかたねーな」
そう言って、拓海は自分が巻いてたマフラーを私の首に巻いてくれた。
私は拓海の珍しい行動に驚き、それから笑った。
「ありがと」
「ん」
しばらく無言で歩いた。
拓海は中学生のころよりずっと背が伸びていて見上げるほどだった。
男なんだな、と思った。
幼なじみだから特別意識したことはないけど、こうして見るとやっぱり男女差って大きい。
子どものころはとっ組み合いのケンカなんかもしたことあったけど、今やったら私が大怪我するだろう。
それにしても、この数年間一切関わってこなかったのに、一体なんの気まぐれだろう。
まぁでも、久しぶりに幼なじみと話せるのは嬉しい。
拓海が離れていったあとの一年半ぐらいはボッチだったし。
高校では流石に友だち出来たけど、あの一年半は地味にキツかった。
体育でも組む相手いないし、中学生になって先生と組むのは心にしんどいものがある。
「なぁいおり」
「なに?」
「オレさ、いおりが好きだよ」
すべてを壊す、一言だった。
好き……拓海が、私を? ……いやいや、これはドッキリかなにかだろう。じゃなきゃ、ありえない。
そう、ありえない、はずだ。
幼なじみとして育ってきた。友だちより近く、家族のような存在だった。
拓海は私にとって頼れるような兄であり、憎たらしい弟だった。
ずっと、そうやって関係を築いてきた。
「……冗談?」
「まさか。好きなんだ、異性として。ずっとだよ、小学生のころから、ずっと」
夜道で街灯に照らされた拓海の顔は楽しそうだった。
恍惚としていて、うっとりと目を細めた。
私に想いを伝えることができて、安心しているようにも見えた。
「でもさ、いおりは違うだろ? オレにそんな役割求めてない。だからさ、考えたんだ……これが、最善なんだって」
一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。
バチリとなにかが弾ける音が腹部から聞こえ、体の力が抜ける。暗くなっていく視界の中で、拓海は笑っていた。
「ああ、これで安心できる」
その声を聞いたのを最後に、私は意識を失った。
「ん……」
目を覚ますと、ホテルのスイートルームのようなベッドに寝ていた。
ホテルのスイートルームなんて泊まったことがないから、テレビで見たようなイメージだけど。
人が二人は余裕で寝れそうなベッドに一人で寝ていた私が体を起こすと、同時に部屋の扉が開いた。
「おはよ、いおり」
「拓海……? なんで、え、なにこれ!?」
体を起こしてようやく自分が何も着ていないことに気づく。
慌てて布団で胸元を隠す。
「いおり、今からちょっと痛いかもしれないけど、我慢できるよな?」
「え?」
拓海はぎしりとベッドを軋ませ私に覆いかぶさってくる。
これから何が起こるのか、頭では理解できても心が拒絶していた。
やめて、お願い――そんな懇願も虚しく、私は拓海にひどく抱かれた。
体内に入ってくる大きな存在に顔を歪め、私は拓海の背中に爪を立てた。
それすらも拓海は喜んでいた。
「いおり、オレを受け入れて」
うわごとのようにそんな言葉を繰り返し、何度も何度も執拗に攻められた。
自分の喉から出ていると思いたくない甘い声に耳をふさぎたくなる。
無理やり恋人つなぎのように手を絡ませられ、地獄のような時間が朝まで続いた。
「……どうして?」
「好きだから。ああ、これでようやく安心できる」
抱き潰された体は上手く動かすことができず、拓海が手に持った足枷から逃げ切ることも叶わなかった。
ガチャン、と金属音を立ててしっかりとはめられた足枷を愛おしそうに撫で、拓海はひどく安心したように笑った。
初めて見る、穏やかな顔だった。
拓海に監禁されていた半年間、ほぼ毎日のように抱かれた。
毎日囁かれる甘い言葉、優しく触れる手、それらすべてが受け入れ難かった。
頭がおかしくなるかと思った。
私が望むまで子供は作らないと避妊はしてくれたが、それも時間の問題だろう。
拓海の気が変わればどうなるかもわからない。
その前にここから逃げ出さなければ、と思った。
拓海にバレるわけにはいかない。絶好のチャンスができるまでは下準備を積み重ねていけばいい。
そうしてやっていたあの日、拓海は帰りが遅かった。
「今日はご飯遅くなるかも。ごめんな、早く帰ってくるようにするから」
朝にそんなことを言い残していったのだ。
私を監禁しておきながら、拓海は私に恋人のように甘い振る舞いを見せた。
外に出たい、外と連絡を取りたい。
この二つさえ口に出さなければ機嫌は良く、足枷も三ヶ月が経つころには外してもらえた。
拓海の帰りが遅い日に合わせて準備をして、なんとか外に出ることができた。
とは言え靴もないし服は拓海の上着を勝手に借りただけの痴女みたいな格好だ。当然下着もつけていない。
急いで家まで帰ろうと夜道を走っているとき、湊くんが現れた。
助かったと思った。拓海が捕まるのを想像したら心が痛んだけど、それ以上に私も心を疲弊していた。
「湊くん!」
駆け寄った私を待っていたのは、湊くんの持っていたナイフだった。
腹部にヒヤリと一瞬冷たい感触が入り、すぐに燃えるような熱さに変わった。
手を当て、ぬるりとした血の感触に刺されたのだと遅れて理解する。
「裏切り者! お前なんか、ボクの姉さんじゃない!」
ズルリとお腹から抜かれ、カツンと地面にナイフが落ちた。
その場に崩れ落ちた私を放置して湊くんはそのまま夜道へ消えてしまった。
私は一体なにを間違えたのだろう? 一体どこが分岐点だった?
冷たいコンクリートに頬をくっつけ、体から流れていく血に体が震えた。
寒い。とんでもなく寒い。
刺されたお腹からは血があふれだし、少年漫画かよ、なんてツッコミがのんきに頭に浮かんだ。
ヤバい、私死ぬ? え、嘘でしょ?
こんな死に方ってある――? なんて理不尽なんだろう、神様がいるなら一発殴らせてくれ。
「いおり、ちゃん……?」
聞き覚えのある声の主は、陸兄さんだった。
「一体どうして……そんな、血が……」
力の入らない私の体を抱き上げた陸兄さんの顔は泣きそうだった。
医学生から見た私はかなりの重症なようで、助かりそうにないらしい。
陸兄さんは救急車を呼ぼうとはせず、私に笑いかけた。
「大丈夫、俺も一緒に死ぬよ」
そう言って私を地面に寝かせたかと思うと、湊くんが落としていったナイフを拾いためらいなく自分の首を刺した。
なんで……なんで、こんなことに。
私は、私は何を間違えた?
拓海に監禁され、湊くんに刺され、陸兄さんは目の前で自殺した。
私の大切な人たちが、私のせいで壊れてしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ゆっくりと死へ向かっていく中で、声が聞こえた。
「やり直すか?」
……やり、直す?
やり直せるの? もう一度、チャンスを与えてくれるの?
やり直したい、次は間違えない。
今度こそ、私の大切な人たちを私のせいで壊したりしない!
「やり、なおし……たい」
私は最期の力をふり絞り、大きくうなずいた。
「……私は、間違えないつもりだった。でも、ずっと間違えていたんだね」
私の言葉に、歩き始めていた拓海が足を止める。
その目は静かで、愛情も憎しみも感じられない。
拓海の目を真っ直ぐ見つめる。
今度こそ、間違えないと決めたんだ。
「拓海くん、私に告白してよ。そしたら――思い切り振ってあげるから!」
「はぁ!? なに言ってんのお前……」
「好きだと言えない状況より、いっそ告って振られたほうがスッキリするでしょ!」
あまりにも名案だ。
そう、拓海はただの幼なじみという関係から抜け出したがっている。
ならばいっそのこと思い切り振られたほうがスッキリするだろう!
そんな考えからの提案だったのだけど、拓海は呆れたように顔をしかめ、それから少しだけ笑った。
「いおりってさぁ……いや、なんでもない」
「なに、気になるじゃん」
「なんでもねー。お前にしたオレが悪いわ」
拓海の失礼な言葉は家に着くまで続いた。




