女三人でハグするだけの話
「芽衣ー、もうご飯食べた?」
コンコン、というノックの音とともに船林鶴子の声が聞こえた。学生寮の扉は薄く、鶴子ちゃんの通った声がくっきりと届く。時刻は18時で、まだまだお腹のすいていないタイミングだった。
「う、ううん。まだ、食べてない……」
今日は休日でずっと部屋に一人でいたから、声はかすれていた。服も朝起きた時と同じ、グレーのパジャマで視界に映るほど長い前髪の先っぽもぼさぼさだ。
「じゃあ食べ行かない? あ、聖も行くって」
「聖ですー、うちも行くでー」
ふわふわした甘い声も聞こえる。津久葉聖ちゃんだ。もしかして二人とも準備できてるのかな。よく二人でご飯食べてるけど、わたしが一緒でもいいのかな。
「え、えっと……そ、その、二人がいいなら……」
「もちろん! ね、聖?」
「かまへんよ~」
鶴子ちゃんと聖ちゃん、仲良くなるの早いなあ。わたしたち三人とも、同じ時期に出会ったけど、引っ込み思案なわたしと比べて二人はどんどん仲良くなっていく。遠慮しちゃうわたしが悪いんだけど、複雑な気分だ。
「で、でも、迷惑とかじゃ……」
ああ、わたしはわたしが嫌いだ。心の中じゃ一緒にご飯を食べたいって思ってるのに、いろんなことが気になってしまって口から出る言葉は暗いものばかりになる。
「もう、芽衣は気にしいなんだから、ふふっ。……部屋、入ってもいい?」
「え! き、汚いけど大丈夫かな……」
「いいってことかな? 入るね」
「かんにんなー」
薄い扉が開き、廊下の光が差し込んでくる。長身で艶やかな黒髪を首筋で切りそろえた美人と、腰まであるふわふわの髪を揺らす美少女が部屋に入ってくる。
「あ、芽衣の匂いがする……」
「……鶴子、それ流石にきしょすぎるで」
「ご、ごめんなさい!」
「芽衣ちゃんは謝らんでええのよ、悪いのはこの変態だから」
眉をひそめて不満げにする鶴子ちゃんだったが、ふう、とため息をつきわたしに向き直る。そして手を合わせてごめん、と謝った。
「ぜ、全然いいよ! わたし、あんまり友達とかいなかったから……えへっ、気になることとかあったら、教えてほしい、な」
「め、芽衣サマー! 何たるやさしさ……抱きしめてもいい?」
「え! わ、わたしなんかにそんなこと、だ、だめだよ……」
「んー、カワイイ!」
鶴子ちゃんは表情をきゅっ、と幸せそうにしながらベッドの横にひざまずき、わたしを見上げるように上半身を寄せる。ベッドの上で上半身だけ起こしていたわたしの胸元に、鶴子ちゃんの頭がなだれかかってきて、つむじが見えた。
わたしの肩甲骨あたりに手をまわして、ぎゅっと抱きしめてくれる。すると、じんわりと体温が伝わってきて冷え切った身体に熱が宿ってきた。あ、人って暖かいんだな。安心する思いと共にわたしは、記憶の限りでは初めてのハグをした。
「もう、二人だけずるいわ。ほんならうちも混ぜてやー」
扉からわたしたちを眺めていた聖ちゃんも、間に身体をねじ込んで抱きしめてくれた。聖ちゃんも、暖かい。身体がおっきくて、筋肉もついている鶴子ちゃんの包み込んでくれる暖かさと、小柄だけどはじけるような熱が伝わってくる聖ちゃんの暖かさがわたしに流れ込んでくる。
「ふふっ……二人とも、あったかいね……」
制汗剤のさっぱりとした匂いと、ジェラートみたいな甘い匂い。すごい幸せな匂いと体温に囲まれて、黒いもやもやが遠ざかっていくのを感じる。
「このままずっと、三人でごろごろしてたいなー」
「鶴子、さっきあんなにお腹すいたー、って叫んでたのになあ」
「そ、そうなの?」
ごはん、ごはん。何がいいかなあ。あったかくて、幸せなごはん。
ぼんやりと、脳裏に浮かんでくる記憶。わたしに親がいたのは、本当に小さな頃だ。あのときは、何を食べてたかな……。あ、確か。
「じゃ、じゃあ! カレー、とかど、どうかな?」
「お、いいじゃーん。でもどうして?」
「え? えっとね……つ、鶴子ちゃんと聖ちゃんの匂いがしたから……?」
「うちら、カレーの匂いするかな?」
「そ、そうじゃなくて! え、えへえ……」
「まあいっか。よーし、カレーいこう! ……聖、あたし臭くないよね?」
どうしてかわからないけど、そのあとの二人はすごい匂いを気にしていた。