238 キスマーク
とりあえず、自分の部屋に戻ろう。そう思ってドアノブに手をかけたけれど、ドアノブはぴくりとも動かなかった。なぜ。
鍵はついてないのになぁ?
不思議に思いつつ、廊下から回ればいいかと思って応接間に出ると、そこにはにこやかな表情のエマとアナベルがいた。しかも、お茶の用意をしてくれてる。
わたしを見ると、アナベルは歓声をあげた。理由はまったくわからない。
エマは、ニコニコが顔全体に広がっている。
「ふたりともどうしたの?」
「セシル様が陛下と仲睦まじく過ごされているので、嬉しく思っているのです」
「そうですよ!あんなに嬉しそうな陛下は久しぶりに見ました!」
「えっ」
傍から見たら、そんなふうに見えるの?わたしはべつに、クロヴィスと仲良くしてるつもりはないのに。
「それにしても。陛下ったら、そんな見える場所に跡をつけなくてもいいのに」
「ご自分のモノだと、皆に見せびらかしたいのかもしれませんね」
「ちょっと、なにを言っているの?跡ってなんのこと?」
「あら、お気づきじゃなかったんですね。アナベル、鏡を」
「は~い」
エマの指示で、アナベルが手鏡を持って来てくれた。
そして鏡に映る自分を見て愕然とした。
「なにコレ………」
「ご存じありませんか?キスマークです」
エマがしれっと答える。
鏡の中のわたしは………というか、わたしの首は、一見すると痣のようないくつものキスマークでいっぱいだった。
唖然、呆然。
言葉が出ないとはこのことを言うんだね。
「こんなに跡があったら、ドレスじゃ隠せませんね。エマ、どうしよう?」
「そうね。スカーフを使うのはどうかしら。でも、それは陛下が喜ばれない気がするわ」
うん。首の上の方にもキスマークがついてる。これは、スカーフじゃ隠せないよね。
そうだ!キスマークはちょっとした怪我みたいなものだし、回復魔法で治せるんじゃない?うんうん。そうに違いない!
そうと決まれば、さっそく………。
「セシル様、なにをなさろうとしているんですか?」
わたしが自分の首に触れて魔力を操作しようとしたところで、エマに気づかれた。目ざとい。
「えっと、回復魔法で治そうと………」
「いけません」
ええーーーーー!!
「なんで?」
「陛下のことですから、いまのキスマークを消しても、またすぐに新たなキスマークをおつけになります。たとえば、全身に………ふふふっ」
その笑いなに?怖いんだけど。
「セシル様、どうせですから入浴をして全身の確認をなさってはどうですか?さっぱりしますし、お体の確認もできますし、一石二鳥です!」
「あら。アナベル、良いことを言いますね。さっ、セシル様。参りましょう」
そういうわけで、夕食後でもないのに、わたしは入浴をすることになってしまった。
湯舟に浸かったわたしの体を洗いながら、キスマークのチェックをしてくれるエマとアナベル。楽しそうな様子に、ついため息が漏れる。
「あら?これは………」
「え、なに?」
「ふふふっ。陛下は、ずいぶんセシル様を大切に思っていらっしゃるんですね」
「どこが!」
勝手にわたしをクレーデル領主の屋敷から攫って来たり、無理やりキスしたり………どこが大切にしてるの!?
「いいですか、セシル様。陛下がその気になれば、セシル様を手籠めにするくらい簡単です。それをされないのは、陛下のお優しさだと思いませんか?」
「えー………」
「それに、キスマークは首にだけついています。服すら脱がさなかった証拠ですよ」
「これまで女性にまったくと言っていいほど興味を示されなかった陛下が、セシル様にこれほど夢中だなんて奇跡です!」
「えっ?」
意外だ。あれだけの美形で、魔王という地位も権力もあるんだから、女性がほおっておかないんじゃなのかな?
「意外ですか?」
エマが笑いながら聞いてきた。
静かに頷いた。
「陛下を慕う女性は多いのですよ。でも、陛下が相手にされないのです」
「まるで、誰かに操を立てているみたいですよね?」
誰かって、誰………?
それ、わたしじゃないよね?だって、わたしとクロヴィスが出会ったのは4年前。魔族にとっては、ほんの束の間の時間に過ぎない。それを、こんなふうに大げさに話したりしないはず。
「じつは、陛下には妃がいらっしゃった時期があるのですよ」
「イヴリーサ様って言うんですよ。銀色の髪にアイスブルーの目をした美しい方でした」
あぁ、そのイヴリーサ様に操を立てているということ?それなら、どうしてクロヴィスはわたしに手を出そうとするの?
「イヴリーサ様は、悪魔イヴェントラの孫に当たる方で、魔の力にも秀でておいででした」
「ちょっと待って!イヴェントラって言った!?わたしもイヴェントラの子孫なんだよ」
「そのようですね。陛下から伺っております」
急にエマはいつになく真剣な表情になり、わたしの手を取った。
「セシル様は、生まれ変わりを信じますか?魂が消滅しない限り、幾度もこの世に生を受けることができるという考えです」
わからない。そんなこと、考えたこともなかったから。