237 首の傷跡
「まさか、閨でか?」
「しっ。ばか、声がでかい。聞かれるだろうっ」
うん。ばっちり聞こえております。
うううっ。泣きたい。というか、ここから逃げ出したい。
恥ずかしくて堪らないわたしとは対照的に、クロヴィスはますます上機嫌になっていく。
閨とはつまり、夜伽のこと。警備兵達は、クロヴィスが情事の最中に傷つけられたと言っているのだ。これが、恥ずかしくないわけがない。
「でも、相手は陛下だぞ?そう簡単に傷つけられるとは思えないんだが………」
「並みの女じゃないな」
いえ、並みの女です。
「どうして治さないんだ?」
そうだよね。魔王ベアテだったら、簡単に治せるよね?自己治癒力も高そうだし、綺麗な肌なのに、傷を治さないなんて意味がわからない。
そのとき、料理長がサンドイッチと紅茶を持って現れた。
コトリとテーブルに置かれたそれを手を伸ばそうとすると、クロヴィスに目で止められた。
料理長はなにか粗相をしたかと焦っているけれど、そうじゃなかった。
クロヴィスがサンドイッチを手に取り、わたしに食べさせ始めたのだ。
なに、この羞恥プレイ!恥ずかしすぎるんですけど!?
ただでさえ、大勢の人に見られていて恥ずかしいのに。どうして、こんなことをしないといけないのか………。
サンドイッチも、砂糖たっぷり入っているであろう紅茶も、味がよくわからなかった。ただ、口元に運ばれる物を口にして、必死に咀嚼していただけだ。
初めは緊張の極みにあった料理長も、クロヴィスが上機嫌なので緊張がほぐれてきたようだった。
「陛下、そちらの女性はどなたでしょうか?」
クロヴィスに質問をする勇気が出て来たようだ。
その他の料理人達や警備兵達が、料理長に「よくやった!」と言わんばかりの視線を送っている。
ずっと、わたしのこと気になってたんだよね?
「こいつはセシル。俺の妃だ」
えええええええええっ!!
得意気なクロヴィスとは違って、わたしも含めたこの場にいた全員が驚いた。
「ちょっとクロヴィス!?」
「なんだ?」
クロヴィスの顔を掴みこちらへ向けると、甘く微笑まれた。
「おい、いまの見たか?陛下にあんなことして怒られないのかよ」
「それより、陛下のお名前を呼ぶなんて信じられねえ」
しまった!ちゃんと「陛下」と呼ぶべきだった!
「陛下………」
言い直したわたしに、クロヴィスは目を眇めた。
「名前」
「………」
「名前で呼べ」
「………クロヴィス。わたしのことを妃だなんて言わないで」
なんだか外堀から埋められているようで嫌だ。
こうして城の人達にわたしがクロヴィスの妃だという話が広まれば、ますます逃げ場がなくなる。協力者を見つけることも難しくなるだろう。
そのとき。開けっ放しだった扉から執事のラーシュが入って来た。
「陛下。こちらにいらっしゃいましたか」
「なんだ。急ぎの用か」
「はい。執務室へ来ていただけますか?」
「わかった。セシルを送ってから行く」
「お待ちしております」
そういうわけで、クロヴィスはわたしを自分の寝室に連れて瞬間移動した。
そう、来たのはわたしの寝室ではなく、クロヴィスの寝室である。
いつの間にかさっきクロヴィスが脱ぎ捨てた服はなくなっていた。侍女が片付けたのかな?
クロヴィスはクローゼットから新しい服を出すと、無造作にわたしの腕に押し付けた。
??なんで着ないの?
「着せてくれ」
子犬みたいな、キラキラ輝く瞳で言われた。ううん。大型の成犬の間違いか。
期待に輝く瞳をするクロヴィスを無視して、自分の部屋に戻ることもできた。でも、わたしはそうしなかった。だって、あのクロヴィスがお願いしているんだよ?無視したら、あとが怖い。
持たされた服をソファに置き、シャツから順番に着せていった。背伸びをしながらボタンをはめる様子を、クロヴィスは上機嫌で眺めていた。なにが、そんなに楽しいのかな?………さあ、最後にジャケットの胸飾りを整えたらおしまい。
そう思って伸ばしたわたしの手を、クロヴィスが掴んだ。
不思議に思って眺めていると、手のひらにキスされた。
とたんに早くなる脈拍と、赤くなる顔。
「敏感だな?」
そう言って、嬉しそうに笑うクロヴィス。
あぁ、憎たらしい。この顔を殴ってやりたい。
身体強化の魔法をかけて、ジャンプして顔を殴る?ううん。素早くやらないと避けられてしまうし、反撃されたらわたしが耐えられないかもしれない。
そういえば。この城に来てから魔法の効果が高いんだよね。魔素が濃いからかな。
「セシル」
「!!」
クロヴィスが手のひらに口をつけながら話しかけて来たので、キスとは違う刺激に背筋がぞくりとした。
「いい子にしてろよ」
わたしの反応を見て愉快そうに笑うと、クロヴィスは瞬間移動で消えた。
はぁ、ようやく解放された………。
なんだか、疲れたよ。移動は抱っこに瞬間移動だから、お昼寝もしたし体は元気。でも、精神的にね………。




