233 ジラルディン
クロヴィスを叩き飛ばした場にいたのは、エマだけだ。エマが噂を広めたに違いない。
ちらりとエマを見ると、隣にいたアナベルが視線を逸らした。
えっ。なんで?もしかして、アナベルもあの場にいたの?そういえば、あのときクロヴィスは「侍女達を紹介する」と言っていた。姿が見えなかっただけで、応接間に控えていたのだろう。
もう。なんで話すかなぁ?
ところで。ジラルディンは見れば見るほど美しい。均整の取れた肉体は、芸術のようだ。
そう言うと、ジラルディンは嬉しそうに笑った。
『芸術のように美しいか?』
『はい。あなたのように美しいペガサスを見たことはありません』
まぁ、ペガサスを見るのは初めてなんだけど。
『そうだろう』
ジラルディンはまんざらでもないようだ。
『乗せてやろうか?』
『え!いいんですか!?やったぁー!』
大喜びしていると、ジラルディンが柵を飛び越えてこちら側へやって来た。裸馬に慣れてはいないけれど、乗れないことはない。
「ジラルディンに乗っても逃げられないぞ?」
頭上から声が降って来て、見上げるとクロヴィスだった。
そんなこと考えてなかったけれど、言われてみれば、そうだ。この王城を脱出するのに、ジラルディンは使えるんじゃないのかな。
クロヴィスはわたしの首輪に触れ、「こいつがあるからな」と言った。
意味がわからず、首を傾げる。
その様子を見て、クロヴィスはわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「この城には、俺が結界を張ってある。その首輪をしている以上、俺と一緒じゃなければ結界を出られないぞ」
「え………」
結界があることには気づいていた。でも、首輪が外へ出られないってことまではわからなかった。だって、まだ出られるかどうか試していないから。
ということは、ここから逃げるには首輪を外すのが先ってことか。う~む。かちゃかちゃといじって見たけれど、外れる気配がない。当たり前か。そんな簡単に外れるようなものを、わたしに嵌めたりしないよね。
「ジラルディンに乗りたければ、俺が一緒に乗ってやるぞ」
そう言って、わたしの答えを待たずにクロヴィスはジラルディンにひょいっと跨り、わたしに向けて腕を差し出した。
どうしよう………ジラルディンには乗りたいけど、クロヴィスとは一緒に乗りたくない。だって、なにをしてくるかわからないから。
『どうした。乗らないのか?』
『うん。いまはやめておきます。今度お願いしますね』
わたしがそう言うと、クロヴィスがくっくと笑ってジラルディンにから降りた。
「俺から逃げられると思うなよ」
「きゃあっ」
クロヴィスはひょいっとわたしを抱き上げると、エマとアナベルをちらりと見てこう言った。
「後から来い」
その言葉の意味がわかる前に、体を浮遊感が襲った。思わず、クロヴィスにしがみついていた。
次の瞬間、目の前にはわたしが与えられた応接間があった。瞬間移動したのだ。
クロヴィスが愉快そうに笑っている。
わたしがクロヴィスに捕まっているせいだと気づいて、慌てて手を離した。すると、クロヴィスはわたしをソファに降ろしてくれた。
目の前のテーブルには、さっき食べ損ねた朝食が並んでいる。執事のラーシュが控えていることから、彼が用意してくれたのだと気づいた。
よく見ると、ラーシュの腰には小さなバッグがある。あれ、マジックバッグじゃないかな。
「よそ見してないで、飯はしっかり食え」
わたしの隣に座ると、フォークでスクランブルエッグをすくったクロヴィス。それを、「あ~ん」と言いながら口元に持って来た。
え………なんで~~!?なんでこんな恥ずかしいことしてくるの!?顔が熱を持つのを止められなかった。
「自分で食べるからフォーク貸して」
俯きながら手を伸ばせば、くっくと楽しそうな笑い声が聞こえて来た。
「どうぞ」
フォークを受け取り、黙々と朝食を食べたけれど、味がよくわからなかった。だって、クロヴィスが隣にいて、顔がくっつきそうな距離でじっと見つめて来るのだ。緊張しないほうがおかしい。
わたしが朝食を食べ終わると、ラーシュがテーブルを片付けてくれた。やっぱり、腰のバッグはマジックバッグだった。
そしてクロヴィスがわたしを抱き上げると、ラーシュはお辞儀して応接間から出て行った。
「どこへ行くの?」
「ベッド」
「!!」
「おい、暴れるなって」
ベッドへ行くと言われて、抵抗しないわけがないでしょ!?
「冗談だっての」
そう言われて、はいそうですかと信じられる相手ではない。昨日、ベッドに押し倒されたばかりなのだから。
そのとき、歩き出したクロヴィスが向かう先が寝室ではなく廊下であることに気づいた。本当にベッドへ行かないの?でも、クロヴィスは瞬間移動が使えるから油断ができない。
「王城の中を案内してやるから、大人しくしてろ」
「えっ?」
本当かな?
………本当だった。クロヴィスはわたしのために、ほとんど瞬間移動を使わずに歩いて案内してくれた。広い王城の中を歩いて移動するのは大変で、クロヴィスに申し訳なくなった。
「自分で歩くから降ろして」
長い足でゆったりと歩くクロヴィスに声をかけた。
「だめだ」
「どうして」
「俺がこうしたいからだ」
もう、なんでそんなこと言うかな?
「セシルに触れていたいんだ」
「えっ。なんで」
「愛してるからだ」
そう言って、クロヴィスに愉快そうに笑った。
え、なにも愉快なことなんてないけど?なんで笑うの?