195 異変は地中で起こっている
すとんっ
急に重力を感じて、ひっくり返りそうになっていた胃がぐうっとなった。いま吐いたら、シルヴァの服を台無しにしてしまう。それだけで、必死に吐くのを堪えた。
涙目になってシルヴァを見上げると。
「着きましたよ」
と、にっこり微笑まれた。
その言葉を聞いたレギーとロイは、急いでわたし達から距離をとり、うずくまってげーげーやっている。やっぱり、気持ち悪かったんだね。
「セシル様は、よく堪えましたね」
まだ声は出せない。シルヴァの問いかけに、頷くことで返事をした。
「王都跡は、ずいぶん復興したみたいですね」
シルヴァに言われて周囲を見渡すと、周囲を果物の木で囲まれた緑の農地が広がっていた。その爽やかな空気に、胃が落ち着きを取り戻した。
「サニー・アローズが眠っているとしたら、王城跡地でしょうね」
そうだね。サニー・アローズとレオポルト・リシャールがいまも眠っているとしたら、最後にいた王城跡地に違いない。そうじゃなかったら、この農地を開拓したときに目覚めているはずだもの。
王城跡地は、広がる平地の中で、小高い丘になっていてすぐにわかった。草に覆われて緑の墓地といった感じだ。そこだけ手つかずになっているのは、この広大な王都跡の中で、墓地があったほうがいいだろう、という気遣いかもしれない。数百年前、大勢の命がシルヴァの黒焔に焼かれて灰となった。そのことを想い、心が苦しくなった。
そう。シルヴァに抱かれている場合じゃない。
シルヴァに言って地面に降ろしてもらうと、視界が低くなった。シルヴァが背が高いから、抱かれているとわたしも視界が高くなるの。視界が変わるのって不思議。シルヴァほどじゃなくていいから、わたしも背が高くなりたいな。視界が高くなると、世界が広くなったように感じるから。
「それでは、王都跡地へ行きましょうか」
シルヴァが先頭になり、歩き出した。少し後ろを、げっそりした顔のレギーとロイがついて来る。
そういえば。まだ王妃達は着いていない。空を飛んでいるときに、馬車の列を飛び越した。きっと、あれが王妃達だったんだと思う。遠目でも、貴族が乗るような豪華な馬車だというのはわかったから。
王城跡地に着いた頃には、すっかり朝日が昇っていた。農民達がぞろぞろと出てきて畑仕事に勤しんでいる。中には、手を止めてわたし達、不審者を遠目に見つめている人達もいる。だけど、怪しすぎるのか、声をかけてくる人はいない。
こんなに朝早く、徒歩で、しかも手ぶらで王城跡地へやって来るのは怪しいよね。うん。怪しい。王都跡に宿屋はなく、観光で訪れるにしても、普通は食料や毛布といった荷物を背負っている。最低でも、水筒くらいは持っているよね。馬車があれば、荷物は馬車に積んでいると思うだろうけれど、その馬車もない。
となれば、強盗や盗賊を疑うところだろうけれど、こんな身なりの強盗や盗賊はいない。シルヴァは執事服だし、わたしはマーレ公爵家で借りた町娘の服、レギーとロイは商人らしい現地に溶け込む服装をしている。というか、レギーとロイはア・ッカネン国で生まれ育ったので、なにも違和感がない。違和感があるのは、シルヴァだ。
シルヴァは端正で整った顔立ちで、まるで絵画のように美しい。その美しい異国の男が執事服を着て、一行を先導している。不思議な光景に他ならない。
「………なるほど。地中に隠れていますね。引きずりだしましょうか」
目を細めて王城跡地を眺めていたシルヴァが、物騒なことをさらりと言った。
どんなアンデットかわからないけれど、アンデットが地中から引きずり出される様子を想像して気持ち悪くなった。
「それはちょっと………自力で出てきてもらうことはできないかな?」
「そうですか。おそらく………私に敵意を抱いているでしょうから、私が行けば襲って来るかもしれませんね」
なるほど。シルヴァを餌にして釣るってことね。
「シルヴァなら、アンデットに襲われても平気でしょう?大丈夫だよね?」
大丈夫だとは思うけれど、心配なので念のため確認しておく。
「ええ、問題ありません」
シルヴァはにっこりと微笑んだ。
「それでは、行って参ります。セシル様は、こちらでお待ちください」
そう言って、シルヴァは王城跡地の中心に向かって足を踏み出した。
そのとたん、見ていた農民が慌てて逃げて行った。なにか災いが起きると考えて、避難したんだと思う。
ということは、これまで王城跡地に足を踏み入れた人はいないということかな。たしかに、家畜もここには入らないように周囲をぐるりと柵に囲まれているし、王城跡地は草がまばらに生えているだけで、手入れされた形跡も、家畜が草を食んだ形跡もない。
!?
いま、なにか嫌な気配を感じた。
その嫌な気配は、シルヴァが王都跡の中心に近づくにつれて強まっているように感じる。背筋を冷たい手で撫でられたような、ゾクゾクする感じがする。
異変を探して、広い王都跡地に視線を巡らせた。そして、地上では異変が起きていないことに気づいた。異変は地中で起こっている。




