119 シシュティン山へ2
辺りはすでに薄暗くなっていた。
普通ならここでテントを張るところだけれど、今夜は先へ進むだろうと思われた。だって、エステルにフェンリルになってもらったしね。先へ進まないなら、フェンリルになってもらう必要はないよ。
「さあ、皆エステルに乗るんだ。先へ進むぞ」
エステルが伏せの姿勢でいてくれる間に、とうさまとわたし達はエステルの背中に乗った。とうさま、わたし、シルヴァの順だ。
乗り心地は抜群だ。白い長毛は上質の綿毛のようで、ほどよく引き締まった体は安定感がいい。
「セシル、身体強化の魔法をかけるんだ」
「うん」
どうして、いまさら身体強化の魔法をかけるんだろう?不思議に思いながらも、とうさまの指示に従った。
そうして、わたしはすぐにとうさまの意図を理解することになる。
だって、エステルの周囲は風が止まないんだもの。これでは、エステルが走り出したら、わたし達は強風に晒されることになる。いまは晴れていてよかった。吹雪だったら、死んじゃうよ。
レイヴのときのように、快適な乗り心地を期待していたわたしにとって、裏切られたような気持ちだった。
「しっかり掴まっててくださいね!」
エステルに言われて、長い毛をしっかりと掴んだ。振り落とされないように、足にも力を込める。
「いきますよ~」
そうエステルが言うと、雪に沈んでいたエステルの体が雪の上に浮かび上がった。
飛行魔法………ではないのかな。じゃあ、重力操作?
エステルは最初は確かめるようにゆっくりと、次第に早く走り出した。振り返っても、雪の上にエステルの足跡は残っていなかった。
ひゅんっ!
エステルがさらにスピードを上げたとき、襲い来る風に身構えた。でも、なにも起こらなかった。
「??」
不思議に思っていると、シルヴァが説明してくれた。
「エステルは、スピードが乗って来ると自分を保護するために空気の膜を作るようです。ただし、まだ不慣れなため、意識して初めから空気の膜を作ることはできないようですよ」
なるほど。
「でも、それならそうと、先に言ってよ。緊張しちゃったじゃない」
「それは申し訳ございません」
大して悪いと思っていない口調で、シルヴァがさらりと言った。
うん。わたしも、本気でシルヴァを責めているわけじゃないからね。
エステルがぐんぐんスピードを上げたので、周りの景色が目で追えなくなってきた。それでも、山頂に向かっているのはわかる。なぜなら、あそこが目的地だから。
シシュティン山の切り立った山頂に、とうさまとわたしは大事な物を埋めた。そこは人が寄り付かず、大事な物を隠すのにちょうどいいと思ったから。
エステルは氷河を越えて、あっという間に山頂に近づいた。
「すごい吹雪ですね」
そうなのだ。山頂は、常に吹雪で覆われているのだ。だけど………。
エステルが吹雪を警戒しつつ、スピードを落としてゆっくり近づくと、吹雪が割れて道ができた。
「これは!?」
「セシルを歓迎しているんだ。行くぞ」
この吹雪は、わたしがいるときじゃないと道ができない。そして、わたしがいない状態で吹雪に入っても、迷って山頂へたどり着けないらしい。以前、とうさまが試したことがある。何度試しても、吹雪の外に出てきてしまうそうだ。
エステルが吹雪の中に入ると、後ろを吹雪に塞がれた。あとをつけられないようになっているのだ。
「ここから山頂まで、あと3キロほどだ。焦らず進もう」
「はい!」
山頂近くは大きな岩がゴロゴロしていて、足場が悪い。エステルは慎重に進んだ。
そして、ようやく山頂にたどり着いたとき、朝日が登ってくるのが見えた。東の山が赤く染まっている。綺麗だった。
エステルから降り、山頂の大岩に近づく。岩の割れ目に手を突っ込むと、暖かい物が指先に触れた。
「どうだ?」
とうさまも気になるらしく、岩の割れ目から奥を覗き込んでいる。
「大丈夫だよ。まだ暖かい」
そう言って、とうさまに微笑んだ。
そうして、岩の割れ目にさらに腕を突っ込み、その暖かい物をそうっと取り出した。一見するとただの石にしか見えない無骨な塊は、じつは脈打っている。生きているのだ。
わたしがまだ小さかった頃、オーグナーさんの炭焼き小屋の近くで見つけたの。ほら、子供って石が好きでしょ?そして、本当にたまたまだった。こけた拍子に魔力が石に流れ、それから石は脈打つようになった。驚いたわたしは、すぐにとうさまに知らせた。とうさまは、オーグナーさん家族にも、誰にも言わないように口止めした。
そして、家へ持ち帰って調べたけれど、わかったのはわたしの魔力を吸収するということだけ。
石は、どう見ても石だった。けれど、わたしの手にあるときだけ脈打つ様子が見えた。そして、わたしが魔力を与えると、それを残らず吸収した。その様子は、まるで魔力を食べているようだった。
わたしはすでに、魔力は使えば使うほど強くなる、ということをとうさまから教わっていた。だから、魔法の訓練と思って、毎日、石に魔力を与え続けた。するとある冬の日、吹雪が吹き荒れた。高い壁に囲まれた王都は、吹雪からも守られている。王都で吹雪が起こるなんてありえないことだった。




