118 シシュティン山へ
オーグナーさん家族は、決して裕福ではないけれど、質のいい長時間燃える炭を作ることで有名なの。商家の娘として、それを知らないのはどうかと思うな。
なんて言ったら、また逆上しそう。
困ったな。
「ひとりじゃなにもできない、ひ弱な小娘のくせに。セシルのくせに!わたくしに意見しようだなんて100年早くてよ!!」
出た。100年早い、というのは、ミシェルお気に入りの台詞なのだ。
「セシル様を侮辱する言葉は、聞き捨てなりません」
シルヴァが、部屋の空気が凍り付いたかと思うほど冷たい表情で言った。
「え?」
ミシェルが、ぶるりと体を震わせながらぽかんとした顔をした。
「セシル様は、私がお仕えする大事な主。これ以上、セシル様を侮辱するようなことがあれば、私も黙っては居られません」
「俺もだ。大事なセシルを傷つけるのは許せない」
「セシル様は、私が主と認めたただひとりのお方。その方を守るためなら、なんだってしますよ」
「小娘だからって甘く見てたが、少々おいたが過ぎたな。軽く、お仕置きでもするか」
「クロード、やり過ぎるなよ」
「そうそう。手加減してね」
「うわ~んっ!」
ここにいる全員がわたしの味方をしたものだから、さすがに耐えられなくなったのか、ミシェルは玄関を飛び出して行った。
「やれやれ」
さすがに、とうさまも疲れたようだ。
そしてミシェルがいなくなったことを見計らったように、ルオが帰った来た。
「騒々しい娘が、ようやくいなくなったか」
「あ、ルオ。おかえり」
ルオは尻尾を振って返事をした。
「ルオ。これからシシュティン山へ登る。留守を頼めるか?」
「朝食に干し肉をつけてくれたらいいですよ」
ルオは干し肉に弱い。好物なの。干したら旨味と栄養が凝縮するんだって。
とうさまが台所へ消えると、ルオもその後をついて行った。
エステルとクロード達は、汚れた食器の後片付けだ。
ルオの食事が終わってから、わたし達はクロード達に見送られてシシュティン山へ向けて出発した。
オーグナーさんの炭小屋までは、細々とした山道が続いている。オーグナーさん家族が王都へ炭を売りに来るので、自然にできた道だ。
「やあ、ニキ。帰って来てたんだね」
炭小屋の主、オーグナーさんが顔を真っ黒にして現れた。熊獣人らしく、大柄で鋭い爪と牙を持っているものの、優しい眼差しをしている。
「やあ、そっちはセシルか!大きなったねぇ」
小さな目を細めて、ほとんど線のようになった目でオーグナーさんは笑った。
「オーグナー、家族は元気か?」
「もちろん!いま奥さんが3人目を妊娠中なんだ。王都で出産準備をしているよ。ここは医者が来れないから、なにかあったときは心配だからね」
オーグナーさんは、奥さんが誇らしいと言わんばかりの態度だった。
オーグナーさんの奥さんは白熊の獣人で、初めは熊獣人のオーグナーさんを相手にしていなかったけれど、その熱烈な愛情のアピールに負けて結婚したのだ。一目惚れしてから結婚まで10年かかったよ、と話してくれたことがある。獣人は人間より長生きだけれど、それでも、10年は長い。
「こいつはレイヴだ。俺達が戻って来るまで、ここで預かってくれないか」
突然、とうさまはレイヴの肩を掴んで前に押し出した。
「っ!?ニキ、なにを言って………」
「この炭焼き小屋では高温の火を扱っている。ここにいれば、おまえも少しはマシになるだろう」
「俺を置いていく気か?どうして!」
「どうして?すでに息が上がっているのに、それを俺に聞くのか?この山は、おまえとは相性が悪すぎる。それが答えだ」
「ちくしょう!」
レイヴはレットドラゴンだ。燃え盛る炎を操り、無限とも思える体力を誇る。それが、こんな山道を登って来るだけで息切れするのはおかしい。本来の力が、思うように出せていないんだろうと思う。
逆に、エステルは生き生きとしてエネルギーに溢れている。まるで、周囲の冷気がエステルに力を与えているよう。
レイヴは悔しそうにしていたけれど、とうさまに反論することはなかった。
ただ、残念そうに歯ぎしりしている。
「王都になにかあれば、知らせてくれ。それが、おまえの仕事だ」
そうか。そのために、レイヴを連れて来たんだね。
レイヴは仕事を与えられて、少し表情が明るくなった。
「レイヴくんだね。僕が面倒を見るから安心してよ」
そう言って、オーグナーさんがレイヴの背中を叩いた。明らかに力加減を間違えている。
「おぶぅっ」
背中を叩かれたレイヴは、雪の中に顔から突っ込んだ。
「じゃあ、頼んだ」
とうさまは、倒れたレイヴを見なかったことにしたらしい。
わたしは雪の中から顔を出しているレイヴに手を振り、とうさまの後について歩き出した。
日は暮れてきている。オーグナーさんの小屋で一晩泊めてもらうという選択肢もあった。それでも、とうさまは前へ進む。
理由は、この先の人が立ち入らない土地にある。
炭焼き小屋に近い場所は、オーグナーさんが木を切ったりして手入れしている。そこよりもっと奥に、開けた場所があるのだ。
「エステル、俺達を運んでもらえるか?」
「もちろんです!」
とうさまの問いかけにエステルが元気よく答えて、その場でフェンリルの姿への変身した。白ばかりの世界に、白いフェンリルの姿はよく馴染む。




